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2010.08.10

幻想の抑止力を読んで

抑止力。
またまた浮上してきました。
菅さんの「核抑止力は必要」 会見で明言ニュースがそれです。
さて、抑止力。
「行為の達成が困難、または代償が高くつくことを予見させ、その行為を思いとどまらせる力。刑罰が犯罪を抑止する、軍事力が戦争を抑止するといったことが今日よく知られている。」とインターネットでは言葉の説明が載っています。
さらに
お馴染のwikipediaでは「核抑止」として以下の通りに書かれています。
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核抑止(かくよくし)とは核戦略において巨大な破壊力を持つ核兵器を保有することが、対立する二国間関係において互いに核の使用がためらわれる状況を作り出し、結果として重大な核戦争と核戦争につながる全面戦争が回避される、という賛否両論のある考え方である。
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と、言うことで今日は「抑止力」のお勉強。
まず参考文献としてはこれをおいてはないでしょう。
そう、超左翼おじさん松竹さんが書かれた幻想の抑止力—沖縄に海兵隊はいらない
松竹さんに敬意を表して、まずは著書の流れとともに私も考察を深めていきたいと考えています。
本書の構成は以下のように3章からなっています。第1章:辞書にない言葉=「抑止力」/第2章:海兵隊は「殴り込み」部隊/第3章:沖縄の海兵隊は抑止力なのか

ではまず第1章:辞書にない言葉=「抑止力」より。
著者は抑止力とは辞書に未だなくゆえに誰でもが納得する共通理解を獲得していない言葉であるにも関わらず、それこそ無防備に政策の場に飛び込んできたことで総理大臣が辞任に迫られるくらい大きな意味を持つにも関わらず、誰もが半可通な理解で迷走している実態をまず描きます。
多種な理解があるのはそれが確立していない概念であることを認めながら、
ただ共通の認識として「それ(抑止力)は軍事力の範囲内」というか「自衛権」とのセットで考えられていると言うことです。
さてさてさて、ここでいつも問題になる「自衛権」。
相手があることゆえ此方はなんら敵意はなくとも侵略されれば、それはやはり自国を守る為に戦わなければならないと私も思います。
勿論、その前に国際社会に訴えることや当事者同士の話しあいをして、それでもなお無法に侵略するという国があれば、のことです。
国際社会でも当然自衛権の三要素として定義されている所以でもあります。
「急迫性・違法性」「必要性」「相当性・均衡性」と言うことです。

ここで私も日本国政府の見解としては「憲法第9条 特に、自衛隊のイラク派遣並 びに集団的安全保障及び集団的自衛権」 に関する基礎的資料 を閲覧。
安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会 (平成16年2月5日の参考資料) の資料です。

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「憲法第条第2項の『交戦権』とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦
国が国際法上有する種々の権利の総称を意味するもので、このような意味の交戦権
が同項によって否認されていると解している。
他方、我が国は、自衛権の行使に当たっては、我が国を防衛するため必要最小限
度の武力を行使することが当然に認められているのであって、その行使は、交戦権
の行使とは別のものである。 」
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さてここで著者は国際政治辞典から「抑止作動の条件」を引用。
辞典には以下のように書かれています。
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「紛争を武力衝突に至らせないようにするための危機管理政策の一環で、相手国を攻撃する費用と危険が、期待する効果を上回ると、敵対者に思わせることで、自分の利益に反するあらゆる行動を敵対者に取らせないように努力することである。」
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と定義しています。
そして、さらに引用は続きます。
「すなわち、相手国がある行為をとったら、それに対する報復措置を行う能力が自国にあることを敵対者に教えることによって武力衝突を防止しようとする方法である。抑止と強制外交は、前者がまだ開始されていない行動の実行を思いとどまらせる外交であるのに対して、後者は敵対者によってすでに引き起こされた行動を覆そうと試みる外交態様である」と。

そこで著者は先にもみたようにこの定義内での「自衛」あるいは「抑止力」ならそれは自立した国家として是ではなかろうか、と述べます。
ところが、
それだけならなんら問題のない「抑止力」。
どうしてここで、と言うか、これからの大きな問題をはらむ予感がする言葉なのか、と問われれば、
それはつまり、
「抑止力はいずれ自衛力」を超える可能性をその性格上持っていることへの危惧、と言うことでしょうか、、、

危惧をもたらざるをえない傍証は岡田発言によるのですが。
5月14日の国会で「相手にそれ以上(攻撃を受けたらやり返す)のダメージを与える」発言がそれです。
ウウウム。
と唸りますね、この発想。

ここで著者に戻るなら、本書で自衛権を超える戦争の実例のあれこれを挙げます。
おもにはイラク戦争の経緯をなぞれば明らかになってくる「自衛権の逸脱」ではあるのですが、、、
ここで著者はさらに自説を深める為に過去に遡ります。
「そもそもの核抑止概念」へと斬り込んでいくのです。
最初にアメリカ政府の中で核抑止力を提唱したのは1950年、ポール・ニッツェと言うことです。
彼は台頭するソ連への対抗として常にソ連を圧倒する核兵器を開発し、保有することがソ連を抑止することだ主張したのです。
これが核抑止力誕生の発想です。
そして現実に「恐怖の均衡」と言う状態が国際社会に出現してくるのです。
次に著者は「均衡と覇権をめぐる破綻の歴史」と銘打って国際政治学の2つの理論に肉薄します。
まず1つ目として「圧倒的な軍事力をもつ国によって世界の平和と安全が保障される」と言う理論。
2つ目は「対立する軍事力の均衡をもって世界の平和と安全を構築する」というもの。
まるで「合従連衡」ですね。
そしてあえなく世界大戦と言う現実で「均衡論」は無残にも破綻し集団安全保障へと進んでいく歴史を詳細に紹介することで、
筆者松竹さんはこの章を次のように結びます(せと意訳)。
「自衛と言う意味から逸脱しない限り抑止力は意味のあるものであることを認める。
だがしかし、はなはだ曖昧な概念のもと、効く条件、効く範囲などをしっかりと定義することなくただ軍事力があるから安心と言う態度は科学的とは言いがたい。
集団安全保障による抑止、つまり外交による抑止と協調しあう軍事面での抑止を目標に国際社会は責任をもって平和と安全を求めるべきでは、、、」と。


次の章は海兵隊は「殴り込み」部隊ですが、
この章は私も折りに触れ別の視点で書いているので今回は割愛させてください。

と、言うことで次に今一番アップデートな話題として、沖縄の海兵隊は抑止力なのかをみていきます。

次回に続く。

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コメント

投稿: あゆ | 2010.08.12 13:25

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