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2010.12.31

ケルン移籍の槙野選手

「自分も活躍できる」=ケルン移籍の槙野−J1広島と言うニュースが昨日、サンフレチェファンには駆け巡りました。
槙野選手、ケルン。

うううむ。
応援している事は勿論ですが、やっぱり寂しいな、、、、、
寂しいな、、、
と、正直に思うのです。
が、
槙野選手の活躍も期待している自分もやっぱりここにいます、、、、、
槙野選手を見ているといつも思い出すのは夫の教え子。
今はワシントンの研究所でバリバリと仕事をしているのですが、
その彼がすごく槙野選手に似ているのです。
顏もそうですが、如才がないところや、広島が凄く好きなところや、、、
私は槙野選手を見ているといつもワシントンで頑張っているその教え子と重なっていました、、、
今、槙野がドイツに行くと言うニュースに接すると寂しいという気持ちと同時に本人の成長を喜ぶ気持ちが交錯します、、、

それにしても、
ケルンかぁ〜〜〜〜〜
私は夫の仕事で何回かケルンに行ったことがあるのですが、
あの町は大聖堂を中心にした歴史ある町です。
個人的には、いろんなアレコレを思い出すのですが、
そんなケルンに槙野選手が行くと言うことはそれはそれで嬉しい。
いずれにしても、槙野選手。頑張って下さい!!!

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» オールコック「大君の都」 [逝きし世の面影]
元医師で外交官、中国で15年も広州領事などを歴任していた経験、手腕を買われて、初代駐日公使ラザフォード・オールコックは1858年(安政5)に日英修好通商条約が締結され時期に日本駐在総領事に任命されている。 品川の高輪東禅寺に英国総領事として1859年(安政6年)から一時帰国する1862年までの3年間を綴った『大君の都』の内容は驚愕的で、今でも新鮮で新しい驚きがある。 アロー号事件で中国に対して過酷で残忍非道な辣腕をふるった大英帝国の切れ者外交菅の対日外交交渉の内幕(イギリスの思惑)とは何であった... [続きを読む]

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