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2010.12.22

冬至ですねぇ

今日は冬至。
これからいよいよ寒くなるのですが、日差しはこの日を境に少しづつ戻ってきます。

冬至の時に詠んだのであろうと言われている歌に柿本人麻呂の有名な歌があります。
「東(ひむかし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ 」
が、それです。
白川静さんが「初期万葉論」でこの歌の背景を紹介しています。
それは「皇位継承」の血みどろの戦いについてです。
脱線!?文芸講座と言うサイトに詳しく解説が挙がっていますので紹介します。
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当時の最高権力者であった持統天皇(有間皇子などの皇位継承者をつぎつぎと謀殺して即位した天智天皇の娘であり、天武天皇の后でもあった女帝)は、息子の草壁皇子に皇位を譲りたいと考えていました(草壁のライバルとなる大津皇子を謀反の疑いで刑死させたのも彼女だと言われています)が、草壁皇子が即位することなく死んだので、その息子(持統天皇には孫にあたる)軽皇子(かるのみこ)の成長を心待ちにしています。
この歌がつくられた旅宿り——「その冬猟はすべて軽皇子が、天皇霊の保持者たる資格のままで葬られた草壁皇子の、生前の最も躍動する生命体に近づいて、それに合一するための、すなわち継体受霊のためになされたものである。
白川静は分析しています。つまり、この歌は単に雄大な景色をよんだ歌ではなく、呪術的・儀礼的な意味をもった歌だったということになります。古代においては、立ちのぼる陽炎や煙や雲などは、魂の活動する姿と考えられていました。
(上記サイトより)
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ウウウム。
なかなかミステリアスですね。
いろんな解釈があるのでしょうが、、、

確かに古代の人にとって、冬至は「魂」について考える日だったのだろうとは思います。
一番、夜が長い日ゆえ、、、
闇に包まれた夜、冷たい北風が吹くそんな夜はやはり亡くなった人を思う日であったのでしょうか。
そんな古代の人の思いは、
時代とともに移り変り、人々はやはり冬至の日から戻ってくる太陽を積極的に楽しみ方向で考えるように成ってきたと思います。
たとえば、冬至の日には「だいしさま」がやって来るとか。
「だいしさま」は弘法大師であるとか聖徳太子であるとか言われていますが、いずれにしてもこの不思議な客は人々に希望を与える為に冬至の日にやって来たと言う話しがいろんな地で残されています。
そして、
今では冬至の夜は美しいイルミネーションで輝き、すぐそこに来ているサンタさんを想像しながらワクワクさせられます。ユズ湯に入り、かぼちゃを食べて、明日からまた元気でがんばろう、、、と力が入るそんな日になりました。
と、言うことで今日は冬至。

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コメント

 今年の冬至は「日差しはこの日を境に少しづつ戻って」こないような気がします。この国は、このまま太陽がのぼらない、真っ暗闇のなかに吸い込まれてしまいそうな予感です。
 民主党の菅直人や仙谷由人などの戦後左翼は、持統天皇とはくらべものにならないような巨悪で、この国を暗闇に落としこんでいる。日本地図を真っ黒く塗りつぶしてしまうのか、それとも支那に売り渡してまっかっかにしたいのか、いずれにしてもとんでもない売国政権だと思う。

投稿: 罵愚 | 2010.12.26 06:20

本当に先がみえませんね、、、
菅さんにはガッカリのこの頃。
なんだか、あなたのもどかしさも分かりますが、
いずれにしても、私の出来る事は、ここで書く事なので、ドンドン書いていきます。
またご意見お聞かせ下さい。
では来年もお元気で。

投稿: せとともこ | 2010.12.30 20:36

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