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2011.04.30

ジュビロ磐田観戦記。かな???

昨日29日、ヤマハスタジアムまでジュビロ磐田戦の観戦のため行ってきました。
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朝早く家をでる予定でしたが東名がものすごい渋滞と言うニュースを前日にネットで知り、
これは大変、少し時間をずらしたほうがいいか、と言う事で朝食もすませ、9時ごろ、家をでました。
普通でも渋滞の首都高でしたが、ここは軽く抜ける事ができました。
そして、横浜町田インターまで行って、その後、東名に乗りました。
が、
勿論大渋滞。
本当はもっと、向こうで東名に乗りたかったのだが、カーナビが「はや東名にのれ、のれ」と煩く言う(?)のです。
ウウウム。
と、言うことで渋滞の中に入りながらのドライブ。
夫は暑いは動かないわのストレスたまる運転をしている横で私はグーグー。
いつのまにやら渋滞を抜けて夫に「楽でいいねぇ、、、、」との一言で慌てて起きました。

さてさてさて。
そんなこんなで、予定を大幅に遅れてヤマハスタジアムに到着。
ジュビロの青いユニフォームを来たサポータが大勢並んでいるなか、駐車場を探して、ウロウロ。
この日はジュビロ磐田が大震災の支援で福島、茨城の野菜を4000人に無料配布という事だったので、
私は夫に駐車場は任せて、慌ててジュビロショップまで行きました。
大急ぎで行くと、ジュビロの方々が「野菜、どうぞ持って行ってください」と大きな声で呼びかけています。
私も列に並んで頂きました。
そして、配布している若い青年に「夫が駐車場に行っているので、夫の分もいただけますか?」と言ったら、
どうぞ、どうぞと、なんだか沢山下さいました。
そして、福島と茨城の肉をつかっての焼き肉サービスも頂き、ゴキゲン。
無事に駐車場に車をいれた夫もやって来て二人で焼き肉を美味しく頂き、「ジュビロスタジアム、いいね、、、」と言っていました。
なお、私が沢山野菜を頂いた若い青年は実はジュビロ磐田の本田選手でした。
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本田選手は福島出身です。

その後、夕飯にと二人でスタジアムの中でラーメンやらギョウザを食べました。
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その時、ジュビロの関係者の方でしょうか?
サポータに向かって大きな横断幕を持ってきて、「東日本の方々に激励を送りたいから、何か書いてくれ」と呼びかけていました。
私たちもささやかながら、気持ちを書きました。
また、ここで、サンフレッチェ広島の雑誌記者の中野さんご夫婦と偶然お会いして旧交を温めながら歓談。
「今日の勝利」を願いあって、分れました。


さてさて、いよいよキックオフ。
その前に黙とうをささげたのはいうまでもありません。
祈りをこめて、、、


それにしてもはじめて目にした、アウェイユニフォーム。
ウウウウウム??????
宮島の鳥居をイメージしたと言うが、なんだかなぁ。
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今季は初めての生観戦ゆえ、ムジリも生で見る事ができました。
イイデスネ、、、ムジリ。
大好きです♫

試合は1-1の引き分けで、残念でしたが、
ヤマハスタジアムは専用スタジアムだけあって、すごく迫力ありが、観ていて本当に楽しかったです。
選手達の息遣いが耳元まで聞えそうな臨場感があります。
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選手とサポータが一体になり、時にはどよめき、ときには落胆。
そしてまた緊張の時間を共に過ごします。5670254783_539986e460_m

また広島から見えていたご夫婦や静岡在住の広島ファンの家族とも親しく話しができて、
個人的には気持ちよい時間を過ごせ充実のサッカー観戦でした。
広島のご夫婦は清水戦まで見て行くとか言われていました。


試合後、菊川まで行きクレタケインに泊まりました。
ここがまたビジネスホテルとしては充実していました。
サービスがすごくいいのです。
ドリンクワンサービスとかあって、大勢の客が旅の疲れを癒して飲んでいました。
私たちもカンパーーーーイ。
おつまみとして、おかきの小袋までありました。
朝はあさで充実の朝食がついています。
もし静岡に行かれる時はこのビジネスホテルいいですよ、と軽く宣伝する私でした。


さて、これから神奈川に住んでいる友人夫婦とカメラを担いで足柄峠にいく予定です、、、

と、言うことでジュビロ観戦記というよりは周辺記でした!

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2011.04.27

葉桜の季節に自然を想ってみたのだが、、、

葉桜の季節に君を想うということ と言う本を思う季節です、、、5660035050_af87d55a62_m

近所を散歩していると、今をさかりに咲く花と、
花の季節は終わり、いよいよこれから実を結び、次への世代の準備をする花や木に出会います。
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さて、上記の本「葉桜の季節に君を想うということ」をお読みになりましたか?
この本、
「このミステリーがすごい!」第1位。
「本格ミステリ・ベスト10」第1位。
と言う堂々の本なのですが、個人的にはミステリーかな?????
ウウウウムと思いました。
が、
最終的な感想は「面白かった、、、、やられた、、、、ははは」というものです。
そして、ようやく格調高いタイトルの意味がわかりました。
「葉桜の季節に君を想うということ」
なるほど、、、
いいじゃないですか。
それにしてもこの本、読まれた方全ての感想に有るように「映像、つまり映画化はできないよな、、、」ですね。
フムフム。
霊感商法との対決、なかなか臨場感があり、ドキドキしました、、、
本当はもっと書きたいのですが、ネタバレになるので、本の感想はここまでにします。
興味のある方は是非お読みになって下さい。


さてさて、それにしても自然には「色がいっぱい」です。
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楚々とさくスズラン。
やさしい風が吹いていました。

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スミレの花が「撮ってくれ」と声をかけてくれました。

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チューリップに虫が遊びに駆けつけています。

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八重桜は光たちと戯れていました。

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椿は十分な存在感でまわりを圧倒していました、、、、、


控えめにひかえめに自然は初夏へと移り行くようです。

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2011.04.25

花を愛で、撮ってみる

「人はなぜ花を愛でるのか」というタイトルの本を図書館で借りました。
「6万年ほど昔のネアンデルタール人の化石があったイラクの洞窟に花を捧げていた跡があった」と言う編者の前書きから始まり、以下のように各分野の専門家が文を書いています。
第1章: 「先史美術に花はなぜ描かれなかったのか」
第2章: 「六万年前の花に託した心」
第3章: 「花を愛でれば人間か?:人類進化研究に読み込まれた解釈」
第4章: 「古代メソポタミアとエジプトにおける花」
第5章: 「人が花に出会ったとき」
第6章: 「花をまとい、花を贈る ということ」
第7章: 「花を詠う、花を描く――文学・美術の中の花――」
第8章: 「花を喰らう人びと」
第9章: 「花を育てる、花を観賞する:花を愛でる美意識の歴史」

さて、それはそれとして、今、季節は初夏に移ろうということで、
自然界の花々、木々は鮮やかな色で私たちの目を楽しませてくれます。
柳の緑が本当に美しく、川べりにそよと立つ姿は大正ロマンの時代に引きこまれるようです。
また、花壇ではチューリップが愛らしく咲き、
ムスカリが地面にまでこぼれ落ちて咲き、
日増しに強くなる日の光をいっぱい、いっぱい浴びて元気に育っています。
と、言うことでカメラを手にちょっとパチリ。
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花そのものは美しく可憐なのですが、イザ写そうとすると、どこをどのように切取ってカメラに収めるかというのは、人それぞれです。
実際、いつも夫と同じものを撮っていても出来上がりは全然違うものになります。
またネットでの写真と用紙にプリントするとまた全然違った味がでます。
たとえば、この写真。
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ネットではかなり明るく見えたのですが、プリントすると藤原新也さん風のアンダーで抑え気味の暗い色調になりました。
これはこれでなかなか深みがあり、背景の雲の白さが際立ちました。
また、このチューリップの写真。
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ネットでみると、なんの変哲もないのですが、プリントにすると、背景の淡い色がなんとも言えぬ優しい雰囲気を出して、とても素敵な写真になりました♫

今朝は今朝で下の写真を100ミリマクロレンズで撮ってみました。
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これは実は紫色のチューリップです。
ちょっと斜め上から花びらの様子を撮ったのですが、柔らかく仕上がったと自分では思っています。
いずれにしても、
花は美しい、、、、、
と、思うこの頃です。

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2011.04.24

Jリーグ再開、広島VSガンバ大阪

Jリーグが昨日から再開しました。
昨日は仙台が劇的な勝利をおさめ、感動、感動でした。
そして、
今日は今日で我がサンフレッチェ広島がガンバ大阪に4−1と勝ち、嬉しい日曜の午後を過ごしています。
それにしても、いきなりのチュン君のゴール、凄かったですね。
まさか、キックオフ直後にあの早さで鋭いゴールが決まるとは、、、
その後、森脇浩司選手やミキッチ、後半は佐藤寿人が決め、
終ってみれば4−1.
鮮やかでした。

わが家も一つひとつの得点に嵐が渦巻き、歓喜で湧き上がりました。
とくにミキッチのゴールは嬉しかったの一言です。
いつも、後もうチョット、と言うところで、惜しいミキッチのシュートが、今日はスルリ、ゴールに吸い込まれ、
思わず、もう一度、ゴールのネットに転がっているボールをもう一度確認。
おおおお、、、
ゴールです。
ゴール。
本当にきれいなゴールでした!!!

と、言うことで、
今日からは本番のJリーグ。
一戦、一戦に心をこめ、熱い思いをこめ、
プレイしてください。
応援しています!
次節はジュビロ。
私も夫と応援に行こうと予定します。
また関東サポの方々とお会いできる事を楽しみに。

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2011.04.22

スーちゃん ありがとうございました

スーちゃんが亡くなったと言うニュースを知りました、、、
あの優しい顏を思い出します。
ご冥福をお祈り致します。


昨日の夜だったと言うことですね。
20年も乳がんを患っていたとは、本当に知りませんでした。
「ちゅらさん」では持ち味通りの優しさ溢れる演技をなさっていました。
スーちゃんが画面に映るとホッとしたものです。
実は昨夜、夫とWOWOWのCO 移植コーディネーター の第2話のビデオを観ていたのですが、
この話しはこれでとても重くて、また別の機会に書きたいと思うのですが、
それはそれとして、
脳死の母を「死」と決断する娘が、最期の母との分れに、母の好きだった歌を静かに、ほんとうに訥々と歌います。
それがキャンディーズ「春一番」だったのです。
そして、そして、その盛り上がりのさなかに、私の携帯がブィンブィンブィン。
緊急地震速報とともに揺れがザザザとやってきました、、、
千葉県沖、M6、0。
慌ててヘルメットを被り、火の元を確認にして、NHKに切り替えて、、、、と
バタバタしていました。
さて、やっと落ち着いて、もう一度ビデオに切り替え、途中だった歌のシーンから最後までを観ました。
その時はスーちゃんの「死」は知らなかったのです、、、
「春一番」の歌詞がジンワリと胸に響いてきて、その纏め方がとても印象に残っていたのですが、
が、
明けて今朝。
ニュースで田中好子さんの訃報を知り、
なんだか、胸いっぱいになりました。
最期まで「女優であり続けた」スーちゃん。
最期のさいごまで希望を持ち、
そして、東日本の被災された方々に思いを寄せ、
復帰を強く願っていたスーちゃん。
スーちゃんのそんな思いは、間違いなく私たちの心に届いています。
長い間、その優しい微笑みと歌声を届けてくださって、
本当に、ほんとうにありがとうございました。
今はやすらかにお眠り下さい。

♫泣いてばかりいたって 幸福(しあわせ)は来ないから
重いコート脱いで 出かけませんか
もうすぐ春ですね 恋をしてみませんか
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2011.04.21

「米原子力空母:GW、横須賀に帰港」と言うニュースから

米原子力空母:GW、横須賀に帰港 原発事故評価見直しで /神奈川 これに関しては<米原子力空母「ジョージ・ワシントン」等の安全性に関するアメリカ合衆国政府からの説明が外務省のホームページに掲載されています。
同ホームページには「在京米国大使館から,外務省に対し,口上書をもって」とありますから、
これはアメリカ側の一方的な口上書のようです。
中身は、
米原子力艦船について「福島第1原発の原子炉とは異なり、電力に依存せずに原子炉の物理的構造と水自身の特性のみで炉心を冷却できる」というもの。
ただし、原子力空母ジョージ・ワシントンの原子炉や核燃料の構造は公表していません。
本当に安全なのだろうか?????
この間、私たちは「安全」「安心」と言われ続けてきたもののかくも儚く無残な正体を東京電力の姿で見てきているのだから、、、

実際、松本外務大臣は「技術的評価はコメントできない」とした上で、「口上書」は「事務的に受け取った」だけで、安全確認などのやりとりは一切していないと認めました。
ウウウウム????????
信じられない。
今、原発問題でこんなに大きな注目を浴びているさなか、
原子力空母の安全性について、よくよく確認もしないで、唯々諾々と受け入れるなんて、、、、
本当に「事の重大性」がわかっているのだろうか、、、と首を傾げます。
少なくとも「安全」についてはもっと根拠を質すべきではないでしょうか。
なにしろ、この空母と同型のものが、。過去(1999年11月)に座礁し、冷却システムの障害で原子炉2基が緊急停止する事故を起こしています。
また、1980年代までの公開情報だけでも米海軍の核事故・事件が300件以上も発生しているそうです、、、、、、

ムムム。
ムムム。

事故が起きてからでは遅いことは、身をもって経験しているはずなのに、
なぜ、今、もっと安全に拘らないのだろうか?
こんな態度では、今後、予想されるありとあらゆることが、結局は「その場限り」でなんの見通しもない
やっつけ仕事で終始してしまいます。
今、政府がやることは「復興」もさることながら「予防」にも万全であるべきでは、、、と考えます。

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2011.04.20

ガンバレ、東日本。  掛川マラソンより

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この日曜日、静岡県の掛川に行ってきました。
震災復興へ走ろう 掛川新茶マラソンが行われたのです。
夫もランナーとして走る為にエントリーをしました。
私は応援。
上記記事にもあるように一時は大会中止も検討したようですが、
「早期復興を願い、被災者にエールを送ろう」(松井三郎市長)と、大会開催を決めました。
そして、「がんばれ東日本。元気になってもらうため、力強い足音を響かせてほしい」の大会委員長のとあいさつと共にランナーも応援の人々もみな東日本の震災復興への思いを新にしました。
会場の所々には義援金の箱やら受付があり、
大きな横断幕が掲げられ、
数多くのランナーが「がんばれ、東北」「がんばれ東日本」とプリントされたシャツを着て走っていました。


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さて、当日は天気がよくて、暑かったためか、
夫はかなり苦戦をしたようで、今年1月に勝田マラソンで達成したサブ4には今回は届かず、自己ワーストの記録でした。
と、言うことで本人は相当、悔しがっていました。
また来年も挑戦とかとか、、、、、
ただ、夫が言うには「掛川のスタッフの方々は本当にきめ細かい配慮でランナーに接してくれた」とのことでした。
途中の給水場や、あるいは軽食としてバナナなどの果物がふんだんに用意されていたそうです。
本人の記録はともかく、とても気持ちの良い大会だったそうです。
大会関係者のみなさま。
本当にありがとうございました。

応援している私も屋台の焼きそばやアイスクリームなどを食べているうちに、すぐ4時間は経ち、
退屈することなく過ごしました。

帰りは掛川駅のそばの居酒屋さんでちょっと飲んで、カンパァ〜〜〜イ。
そして、東京に向かいました。


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2011.04.19

参議院 復興集中審議から

想定外と言う言葉がまたぞろ飛び出しています。
そう、東京電力の福島原発問題。
昨日も参議院で集中審議が行われ、東電の清水社長が参考人として出席。
陳謝するものの、それはあまりに御座なりでその場限りのものでした。
「14〜15メートルの津波という今回の津波の大きさは、想定できなかった」に終始。
想定できなかった、、、、
と、言うことは今後も何が起きるか想定できないと言うことです。
現実に起きた事柄に対しても現状把握をしっかりと出来ない東電。
そんな東電が「今後、このようなことが起こらないように対策を講じる」と言い募っても、
これからどうして信用していけるというのか???
実際、共産党の吉井さんがもう何年も前から指摘しているのに、ヌラリクラリと逃げてきた挙げ句の人災。
これに関しては原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」とあるように学者は、その重大性をしっかりと認識しているので、自らの判断の誤りは認めています。
これに関してはやはり共産党の吉井さんのホームページが詳しいので興味のある方は是非ご覧ください。
しかしこんな事態を招いても、東電は人災とは認めようとしません。
想定外とまるで津波に責任を押し付けて、居直っています。

また菅さんも菅さん。
相変わらずです、、、、、
昨日の国会でも空白の10数時間について野党から詰められていました。
つまり、全電源喪失(11日午後3時42分)のため緊張を極めていた一番大事な時間に、現場視察のために政府内の対策本部を離れた菅総理と斑目原子力安全委員会・委員長。
この大事な時間に適切な決定を下していたなら今日の汚染はなかったか、あるいはもっと被害は少なかったかもしれないのに、、、、、、
菅さんはその空白をつくったのは、自分の不適切な判断であったと決して認めません。
この期に及んでまだ「現地を見て、話を聞いたことは、その後の対応につながった。対策を考える上で効果があった。」と国会で答弁しています。
おいおいおいおい、、、、、
その後の対応がまずかったから、こんな大事態になっていることを、菅さんは認識できないようです。
ムムム。
困ったものだ。
菅さんにしたら心のどこかで「自民党時代のツケ」と思っているのでしょう。
勿論、自民党時代の誤りの産物であることは言を待たないのですが、
3月11日からこちら、菅内閣の対応は「不適切」である。
と、言うことは間違いないと思います。
ご自分で原子力に詳しい、と豪語なさっているようですが、
昨日の国会の答弁を聞きながら「ええええ????どこが詳しいの、菅さん」と声を大きくだしてしまいました。
詳しいのなら如何に判断が甘かったか、、、誰よりもお分かりだろうに。

菅さんをみていると国民の生命や生活よりも、ご自分の延命がまず第一に見えて仕方がない。
自民党との大連立しかり、この期に及んで消費税を言い出すやら、やら、
そして、それを指摘されると開き直るだけ。
言い訳ばかりせず、まずは自らの誤りを認め、そこから今後の方針を打ち出していかないと、
ついていくものもいなくなりますよ、菅さぁあああん>


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復興支援に消費税率を上げるなんて、、、、、

 震災復興税、一長一短 消費税、被災者も負担/所得税、増収は限定的と言うニュース。
またまた消費税が俎上にあがっています。
とくに増税論者の与謝野さんにとっては震災が増税のチャンスとばかりでは、と疑うくらい頑張っています、、、
ウウウム。

勿論、この記事にもあるように多くの国民もこの大震災に対しては応分の負担はしようと思っています。
が、
が、
消費税ってのはなんだか震災復興税には無理があると思うのですが、、、
どうなんでしょう???

さて、与謝野さんは、この7日には開催された準備作業会合で、
「この二つ(震災復興と財政再建)は実は国民にとっては一番大事な政策の車の両輪のようなものである。震災対策もきちんとやる。社会保障・税一体改革もきちんとスケジュール通りやる」と述べました。
こうした与謝野さんの意向を受けてかどうか、「有識者」と言われる方々のヒアリングも、
「消費税をもし上げるのであれば上げて、当面は復興に使いながらも、時間をかけて社会保障に替えていくような形にしていかないと」
「震災は日本にとって非常に不幸な出来事であったけれども、これを次の新しい動きに結びつける形にできれば」
「復興財源に必要な金額次第では消費税もあり得ると思っている」などなどの意見が大方を占めました。

ウウウウム。

ウウウム。

また新しいところでは、14日に初会合が持たれた「復興構想会議」では、五百旗頭真議長が唐突に「国民全体で負担」する「震災復興税」の創設を打ち出し、テレビでも放映されました。

震災復興税に消費税増税。
と、言うことは、すでに多くの方(自民党、共産党などなど)が指摘しているように、
「被災者にも増税」ということですよね。
とくに被災者の方々は家を新築・購入していかなければならないし、新しく買いそろえるものも一杯あると思います。
そのときに大きな消費税を払うのだろうか???
勿論、震災のために減税処置とかとられるのだろうが、、、後で増税分は還元されることも考えているそうだが、
これも手続きが煩雑になるだけで、還元されるほうもする方の役所も大変です。
大体、被災地や被災者って言ってもどの辺りまで線引きするのだろうか???

昨日のテレビでは液状化で家が傾いた地域の報道をしていましたが、
液状化の場合は震災の手続きに当てはまらないとか言われていました、、、
役所もなんとか救済をはかるべく紛争している模様が映し出されていたのですが、
いろんな場合があり過ぎて、
被災者とか、被災地には「後ほど還元」なんて言う曖昧なやり方では、結局、購入の時にバァ〜〜〜ンと消費税を払わされておしまい、と言うケースも多発するのでは、、、と危惧します。

減税されても消費税で支払わされたら、なんのための復興支援なのだろうか???
また、復興支援にためには、多くの方が経済を活発化させるため、購入を増やすことも必要な時期だと思います。
今、消費を浮揚させることも政府の大きな役目です。
こんな時に、さらに消費税をあげれば、景気は冷え込むばかり。


やはり復興税と消費税は別のものとして扱うべきではと思うのですが、、、、、
少なくとも、復興を目的にして消費税率を上げることには反対です。

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2011.04.14

地震酔い

地震酔いという言葉があるそうですが、確かに私もそうです。
なんだかいつも揺れているようなそんな感じです。
ふと気がつくと電気のコードの揺れをみていたり吊るしてある折り鶴ランをみていたりと、、、

それでも、後片づけは少しですが進んでいます。
本棚の整理は当面はしないつもり。
余震ですぐに落っこちるのと、整理していても気が気ではないから。

そんな中、東日本大震災:「住めない」発言、批判続出 官房長官陳謝、松本氏注意へなんて記事を読むとガッカリしますね。
一体、この政府は何を考えているのやら。
一日も早い復旧をと現場は懸命の活動をしているときに、
なんだか永田町の住人は他人事のような気がして、
憤りを覚えます。
所詮、菅さんは菅さんなんですかねぇ、、、


また連日伝えられる原発問題も、この先、どうなるのか。
見えません。
「直ちに健康には害がない」と言う言葉だけが飛び交っていて、
それはまさに放射能のように頭の隅に沈潜していく毎日。
直ちに害はないが、いずれあるのか、、、とかとか心配は耐えないのですが、
いずれにしても、積算が問題ということらしいので、
なるべくは浴びないようにする努力をしつつ、
あまり神経質にならずに、自然放射能の許容範囲と比較しつつみていこうと思います。

さて、そうは言っても若い人たちには深刻です。
大人の私はそれでもなんとかいけるか、、、と思うのですが、
14歳の藤波心さんはもっと積極的にこの問題を捉え、鋭く批判しています。
実際、その通りで、次世代の人たちにどんな責任がとれるのか、
考えていく時期だとつくづく思います、、、、、
エネルギー問題を真剣に考えていこうと言う動きは震災前からもあったのですが、
今、本気で取り組む問題です。
じっくりと、ゆっくり考えていきます。
なにしろ、私たちは「当事者」なのだから。

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2011.04.13

小沢さんの見解とやらを読んだのだが、、、

小沢氏の見解と言う記事をみました。
ウウウウム。

どうして今、こんなことを言うのだろう???
小沢さん。

確かに今回の震災では菅さんの手際の悪さは明らかなのですが、
が、
今、私たちが望んでいる事は「菅さんが、、、」とか
「政府の責任は、、、、」
とかとか言うことではなく、
復興、復旧に向けて一丸になって「本気」で取り組んで頂きたいだけなのです。
小沢さんが本当に一兵卒となって国民のために汗水ながすと言われるのなら、
菅さんをアレコレと批判することの前にもっともっとやるべきことはあるのでは、、、、
と、思う私です。

大連立をちらつかせるしか能のない菅さんを、
小沢さんは支えればいいのに。
「おれならもっと良い手はいくつもある」なんて言うのなら、
菅さんにアドバイスをして欲しい。
聞く耳もたない菅さんだとしても、
今、内輪もめなんかしている「時」ではないのに、、、


先の選挙、民主党は完敗だったのですが、
これは小沢さんが分析したように「菅さんの無能力」もあるのですが、
小沢さんや鳩山さんにも「ノー」と言う意思表示ではなかったのだろうか???
執行部だけを責めても、なんだか「○○猛々しい」感がします。
そして、この期に及んでまだ政局にしよう、なんて「あざとい」ことを思わないで欲しいのです。
国民は「今」はそれどころではない。
本当に、
それどころではない。
もっと、国民の目線でみてほしい。
のですが、、、

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2011.04.12

防災袋

余震につぐ余震です、、、
一体、いつになったら収束するのか?地球さぁ〜〜〜ん>
ですね。


後片づけしようと思いながらも、
している間にも揺れるので、なんだか諦めてしまいました。

と、言うことで本当に遅ればせながら防災袋を作ろうとしています。
今さらながらと、思うのですが、この頃の余震を思うと、やはり必要だと感じています。
さて、防災グッズ。
何が必要か?????
人それぞれでしょうが、必需品は「水」。
ズバリ水です。
実際、知り合いはこの東日本大震災で「水」だけで3日間過ごしたそうです。
次に必要なものは食品。この時忘れてならないのはナイフと缶切り。

生命をつなぐものを第一として、次は情報。
ラジオと乾電池。また懐中電灯とローソクとライター。

さらに余裕があれば救急袋。
中身はなるべく軽く、使い捨てマスクとカイロ、救急絆創膏、爪切りくらいでOK。
また、更に更に余裕があれば衣類やレインコートなど。

と、ここまで来て、最後は貴重品。
つまり貯金とか印鑑とか現金。
これについては持ち出しのため防災袋に入れておきたいが、現実にはそうもいかないので、
身分証明のものを1つだけもって、後は番号を控えておくといいかもしれません。
番号控えといえば、電話番号も控えておくといいかも、、、

後はその人、そのひとにとって大事なものを。

だが実際、揺れている時は、ただただ立ちすくむばかり。
逃げるときに持ち出せるように玄関に置くのが良いと思います。
ヘルメットも用意しておかなければ。
それから、あれも。これも。と。
いやはや、災害は大変。
備えあれば憂い無しか???

と、言うことで今から防災袋の中身をつくります、、、

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2011.04.11

今日で一ヶ月

今日で震災から一ヶ月。

私も2時46分には黙とうをしました。
あれからいろんな事がありました、、、

が、
それはそれとして、夕方の余震。
凄かったです。
携帯がブッブッブと鳴り、またか、、、、と思いきや
グラグラ。ゆさゆさ。

慌てて逃げましたが、
いつまで続くのか???

やっと震災の後片づけも収束に向かっていたのですが、
また本棚の本がズボリとおちました、、、
やれやれ。


しかし、
本当に辛い思いをなさっている多くの型がいらっしゃる事を思うと、、、
胸が痛みます。
早く、ほんとうにはやく復興してほしい。
それに向けて一歩、一歩歩いている多くの方に心から敬意をあらわしながら、
書いています。

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