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2011.08.29

野田さんが新代表に

野田さんが新代表になりましたね、、、
つまりは、次の総理ということです。

私は、この間の民主党のアレコレをみながら「誰がやっても同じ」という閉塞感でいっぱいだったのですが、
いざ野田さんに決まると、これはこれで、
どうなることやら不安が募ります。
まずは増税路線まっしぐらか???
次に自公との大連立か、、、
ウウウウム。
果たしてどうなることか。
これからの動きに注目です。
まずは、野田新代表が今日、決まったということだけにして、、、

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2011.08.19

ムハ美術館

プラハから帰ってもう3週間が過ぎました。
その間、夫の釧路マラソン出場に付いて行ったり、お盆は京都で五山送り火をみたりと、
アレコレ、アレコレと忙しくしていました。
そんなわけで、なかなかブログも記事を書くことが出来なかったのですが、
その間、世の中、動いていますね、、、
これはこれでまた書きたいのですが、
プラハのことは忘れないうちに書いておきたいので、今日もまたプラハに拘って記事を書きます。

プラハに行って、いろいろと新しいことを知ったのですが、
その一つがアルフォンス・マリア・ミュシャのこと。
チェコではムハと呼ばれています。
従って私もムハと書きますが、
日本でも人気のある優しい女の人のポスターに代表されるアール・ヌーヴォーの画家です。
あの華麗な絵を書き続けたムハが実は不屈の精神の持ち主であり、チェコの人々にどんなに愛されているかをムハ美術館に行って知りました。
wikipediaによれば以下の通り。
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1939年3月、ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体された。プラハに入城したドイツ軍によりミュシャは逮捕された。「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」という理由からだった。ナチスはミュシャを厳しく尋問し、またそれは78歳の老体には耐えられないものであった。その後ミュシャは釈放されたが、 4ヶ月後に体調を崩し、祖国の解放を知らないまま生涯を閉じた。遺体はヴィシェフラット民族墓地に埋葬された(現在はヤンとラファエルのクベリーク親子と同じ墓石に埋葬されている[1])。
戦後、祖国は独立を果たしたが、共産党政権は愛国心との結びつきを警戒し、ミュシャの存在を黙殺した。しかし、民衆レベルでミュシャへの敬愛は生き続け、プラハの春翌年の1969年には、ミュシャの絵画切手数種が制作されている。また世界的にも、1960年代以降のアール・ヌーヴォー再評価とともに、改めて高い評価を受けている。wikipediaより
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確かに美術館に展示されている絵の中には鋭い目の子どもたちや、民衆が描かれているものもあり、
可憐な女性が花に囲まれてる優しい絵とは対称にあるような作品もありました。
美しい女性を描くことができる「平和」を願って絵筆を持っていた当時のムハの心情を想像しながら、
美術館を後にしました。

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2011.08.09

長崎平和宣言とプラハ演説と。

今日はナガサキの日
です。
今年は東京電力の原発事故などもあって、とくに注目を浴びたヒロシマ、ナガサキ宣言です。
私も6日のヒロシマの日には近所のお寺に9条を守る会の方々と「平和の鐘」一振り運動に参加してきました。
今年はアメリカからも初めて代表が参加ということでこれまた注目を浴びました。
「原発に依存しない社会」を目指して今日からさらに一歩、一歩前進です。

さて原発にからんで、オバマさんの「核兵器廃絶 プラハ宣言」が思い出されます。
全文の訳を改めて読みながら、
あのプラハ城のあの地でプラハから世界にむけて高らかに宣言したのだと思い、感慨に耽っています。
オバマさんは最後を以下のように結んでいます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
われわれが直面すべき世界には、暴力と不正義が存在します。私たちは、お互いにバラバラにではなく、自由国家として、自由な人々として、共にしっかり立って、世界に立ち向かわなければなりません。武器をとって立ち上がれという呼びかけは、静かに冷静でいようという呼びかけよりも、男たちや女たちの心をかき乱すことができることを私は知っています。しかしだからこそ、平和と進歩のためにする声を共に上げていかなければならないのです。
そうした声は今でもプラハの隅々に谺しております。それらは1968年の亡霊です。それらはベルベット革命の喜びに満ちた響きであります。それらは、1発の銃弾も放たずに、核兵器帝国を屈服させるのに預かって力があったチェコ人です。
人類の運命は、私たちが作りあげるものです。ここ、プラハで、よりよき未来に到達することによって、われわれの過去を名誉あるものとしましょう。われわれの分断に橋を架けましょう、われわれの希望を築きましょう、そしていま我々が見るよりもより繁栄し、より平和な世界と旅立つ責任を受け入れましょう。ありがとうございました。
(オバマさんの演説より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ウウウウム。
プラハの春。
そしてビロード革命と、続くチェコの人々の不屈の精神を思い出します、、、、、
彼らのエネルギーと誇りは静かな川、ヴルタバの流れに実に似ています。
ゆっくりと、滔々と流れ、枯らすことなく続く平和への願い。
それは不断の努力であり、当たり前の平静から培われるものなのでしょうね。

今日は長崎の日。
そして遠いプラハのことを思いながら、、、

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建築の博物館 プラハ

プラハは建築の博物館と言われています。
10〜13世紀のロマネスク様式。
12〜15世紀のゴシック様式。
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15〜16世紀のルネッサンス様式。
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さらに17世紀から18世紀のバロック様式。
そして19世紀に入り、
アールヌーヴォー様式、キュービズム様式、現代建築と続くのですが、
この小さな町の至る所にこれらの建築が仲良くバランスよく立ち並んでいます。
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個人的には高い天井と美しいステンドグラスで彩られているゴシック様式が目につきました。

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