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2011.08.19

ムハ美術館

プラハから帰ってもう3週間が過ぎました。
その間、夫の釧路マラソン出場に付いて行ったり、お盆は京都で五山送り火をみたりと、
アレコレ、アレコレと忙しくしていました。
そんなわけで、なかなかブログも記事を書くことが出来なかったのですが、
その間、世の中、動いていますね、、、
これはこれでまた書きたいのですが、
プラハのことは忘れないうちに書いておきたいので、今日もまたプラハに拘って記事を書きます。

プラハに行って、いろいろと新しいことを知ったのですが、
その一つがアルフォンス・マリア・ミュシャのこと。
チェコではムハと呼ばれています。
従って私もムハと書きますが、
日本でも人気のある優しい女の人のポスターに代表されるアール・ヌーヴォーの画家です。
あの華麗な絵を書き続けたムハが実は不屈の精神の持ち主であり、チェコの人々にどんなに愛されているかをムハ美術館に行って知りました。
wikipediaによれば以下の通り。
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1939年3月、ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体された。プラハに入城したドイツ軍によりミュシャは逮捕された。「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」という理由からだった。ナチスはミュシャを厳しく尋問し、またそれは78歳の老体には耐えられないものであった。その後ミュシャは釈放されたが、 4ヶ月後に体調を崩し、祖国の解放を知らないまま生涯を閉じた。遺体はヴィシェフラット民族墓地に埋葬された(現在はヤンとラファエルのクベリーク親子と同じ墓石に埋葬されている[1])。
戦後、祖国は独立を果たしたが、共産党政権は愛国心との結びつきを警戒し、ミュシャの存在を黙殺した。しかし、民衆レベルでミュシャへの敬愛は生き続け、プラハの春翌年の1969年には、ミュシャの絵画切手数種が制作されている。また世界的にも、1960年代以降のアール・ヌーヴォー再評価とともに、改めて高い評価を受けている。wikipediaより
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確かに美術館に展示されている絵の中には鋭い目の子どもたちや、民衆が描かれているものもあり、
可憐な女性が花に囲まれてる優しい絵とは対称にあるような作品もありました。
美しい女性を描くことができる「平和」を願って絵筆を持っていた当時のムハの心情を想像しながら、
美術館を後にしました。

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コメント

芸術も政治?の影響うけちゃうんですね。自由な芸術活動ていいなと思うんですが、「右翼な政治・社会」がなければゲルニカという作品も生まれなかったでしょうし。

愛国心も怪しい方向が多いけど、でも愛国心なければ「モルダウ」も生まれなかったでしょうし・・。

「右翼化」」せずみんなが生きれる・いい芸術作品が生まれるそんな世の中になっていければなあ~て思いました。

悲しい歴史かかえたプラハの町が素敵な町として豊かな文化育んでいけますように。

投稿: あゆ | 2011.09.03 11:32

あゆさん。
お久しぶりです。
いろいろバタバタしていて、頂いたコメントにお返事できなくてごめんね。
さて、お元気でしょうか???
台風はどうでしたか???
関西はかなりキツカったでしょう???
お見舞い申し上げます。


さて、芸術。
支配者、権力者にとって、最後に攻撃をかけるのが、芸術ですね。
ゆえに、私たち庶民は芸術を権力に明け渡してはいけないと強く思うこのごろです。
あゆさんや私がこうして書いているブログも、
芸術とまではいかないけれど、
それでも個人の願いや思い、心情ですから、
ひたすら書く事で、「守り」たいですよね。
いろんな大切なものを。
お互い、頑張ろうね!!!

投稿: せとともこ | 2011.09.04 15:47

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