今日は12月8日。
太平洋戦争開戦70年。
私たちは忘れてならない、伝えていかなければならないことがイッパイあるのですが、
今日もその一つの大切な日です。
今年は震災があって、
その事実の大きさに私はまだ戸惑いばかりなのです。
ブログも書こうと、思いつつ、
なんだか、なかなか書けないんですね、、、
現在進行形の「事実」にただただ翻弄されています。
が、
それでも伝えていかなければと思います。
今日、友人からのメールでヴィスワヴァ・シンボルスカの「終わりと始まり」という詩を紹介してもらいました。
この詩は池澤夏樹さんが新聞で紹介されたとか、、、
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戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなければならない
何といっても、ひとりでに物事が
それなりに片づいてくれるわけではないのだから
誰かが瓦礫を道端に
押しやらなければならない
死体をいっぱい積んだ
荷車が通れるように
誰かがはまりこんで苦労しなければ
泥と灰の中に
長椅子のスプリングに
ガラスのかけらに
血まみれのぼろ布の中に
誰かが梁を運んで来なければならない
壁を支えるために
誰かが窓にガラスをはめ
ドアを戸口に据えつけなければ
それは写真うつりのいいものではないし
何年もの歳月が必要だ
カメラはすべてもう
別の戦争に出払っている
橋を作り直し
駅を新たに建てなければ
袖はまくりあげられて
ずたずたになるだろう
誰かがほうきを持ったまま
いまだに昔のことを思い出す
誰かがもぎ取らなかった首を振り
うなずきながら聞いている
しかし、すぐそばではもう
退屈した人たちが
そわそわし始めるだろう
誰かがときにはさらに
木の根元から
錆ついた論拠を掘り出し
ごみの山に運んでいくだろう
それがどういうことだったのか
知っている人たちは
少ししか知らない人たちに
場所を譲らなければならない そして
少しよりもっと少ししか知らない人たちに
最後はほとんど何も知らない人たちに
原因と結果を
覆って茂る草むらに
誰かが横たわり
穂を噛みながら
雲に見とれなければならない
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詩を読みながら、
東北地方、とりわけ福島と重なります。
胸がつまります。
「原因と結果」の上に草がおいしげり、
やがて、
歴史の1つとしてだけ語られる時代が来る時、
それはそれで是であるのかもしれないし、
否とならないように、やはり「今」を生きる私たちが向き合う事が必要なんでしょうね、、、
と、言う事で今日は12月8日。
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