別あまと言う言葉ご存知ですか?
私も初めて知ったのですが、意味は以下の通り。
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総合テレビの一番スタンダードな朝8時に見るのは「朝あま」、昼の再放送で見るのが「昼あま」、子どもの保育園の送り迎えの前などに見て行く人は、BS早朝の「早あま」、逆にBS深夜に見るのは「遅あま」、BS土曜の1週間のまとめ放送で楽しむのは「溜めあま」、録画して好きな時間に見るのは「録りあま」。そして、家族全員で録画視聴しているにもかかわらず、自分だけ取り残され、帰宅後1人寂しく視聴することを「別あま」というんだそうな。
(サイゾーウーマンと言うサイトより)
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うううむ。
この分類によれば私は「何あま」だろうか???
つまり一日に何回も観ているから。
まず朝の7時15分、BSの「純情きらり」に始まり、「あまちゃん」「正平さん」。
そして総合にチャンネルを変えて8時から「あまちゃん」「あさイチ」。
昼も12時45分から「あまちゃん」「ニュース」「連続クイズホールドオン」。
こうして書くとテレビばかり観ているようですね、、、うう。困った。
しっかり腰を落ち着けているのはBSの時で、後は家事をしながらの「ながら見」ですが。
先日は海外出張の夫から国際電話で「あまちゃんをロケフリで観たいからなんとかしろ」と言ってきました。
あららら。
そこまでするかぁ、と言う事でこの願いは無視。
帰国してから録画を一人で観ていた「別あま」の夫でした。
さて、それにしても「あまちゃん」。
たいした人気ですね。
何回、観ても面白い。
ヒロインの爽やかさは言うに及ばず、脇を固める人々の強烈な個性や、時代背景、そしてガジェットなどの使い方が絶妙ですね。
勿論「コレって変よね」ってところはあります。
整合性のとれない箇所もあるし、「オイオイ、ソレはないよ」と言う所もあります。
あるんですが、
その「コレって変よね」と言うのは、現実と比較してとか、いわゆる常識と比較して「ありえない」って事ですが、
では、
「コレ」を全て常識とやらに照らし、現実とかに合わせたら、(そもそも常識ってナニという事はお・い・と・い・て)
実につまらないドラマになりそうです。
女子高校生の日常を、ただ時間軸を追っているような話になりそうです。
東京からやって来た高校生の女の子がわずかな間に海女さんになる、、、現実には「ないない」。
ほんのわずかの勉強と潜り実践で潜水士の資格をとる、、、ないない。
地元アイドルにいきなりなる、、、
東京に行って大女優の付き人になる、、、
東京のど真ん中で故郷で深い付き合いをしていた人(あんべちゃんと先輩)に偶然あう、、、
とかとか、リアルにある筈はない。
もしリアルに、こんな人生を歩んでいる人に出会ったら「まるでドラマのような人生ですね」と思わず言ってしまうでしょう。
そうなのです。
あまちゃんはドラマなのです。
主人公はどこまでも主人公補正で「ついているのです」。
ラッキーガールなのです。
そして、そんな「ついている主人公」を観ながら、軽く「ドラマだな」って笑うのが私には心地良いのです。
主人公は絶対に死なないハリウッドの「のり」でいいのです!
先日、あるブログで「あまちゃん批判」を読みました。
批判の主な内容は「主人公がKYで自分勝手」と言うものでした。
うううむ。
確かに主人公のアキちゃんは自分勝手でKY。自分の事しか考えていないと言う場面も多々あります。
しかし、
しかしです。
主人公が自分の事を押さえて、いつも他人の事を気にしていて、他人の幸せを願い、キラキラしているとしたら、
それはそれで気持ち悪い。宗教みたいになりそうですね。
そもそも、人は自分の事しか考えられないのだから、誰だって「自分勝手でKY」だと思います。
たまたま主人公だから主人公の「心のうち」がお茶の間に紹介されるので自己中心な奴めと思います。
が、周りの脇を固めている人々や、そこを歩いてるモブキャラの人たちの心に焦点をあわせれば、それなりに「自分勝手」だと思います。
アキちゃんだけが自分勝手でKYだと思いません。
たまたまアキちゃんがヒロインだというだけです。
こうして考えると先の朝ドラの「純と愛」の登場人物もみんな自分勝手だったのですが、
なぜ「あまちゃん」のアキちゃんと違うのだろうか?
と、考えてみました。
純ちゃんの場合は数重なる不幸にもめげず「魔法の国」を作るとガンバリ、周りをその夢に強引に合わさせようとする主人公。
一方、アキちゃんは思いつきのまま「あれもやりたい、これもやりたい」と言いながら、現場に無防備に飛び込み、それを手に入れて行くハリウッド的主人公。
自分の正義を画面を通して押し付けて来る純ちゃんに対して、「おら、楽しいからやっているんだ」と軽く言い放つアキちゃん。
純ちゃんの暑苦しさとアキちゃんのドライさの違いなのでしょうか???
さて。
あまちゃんはハリウッド的ドンパチ(別に銃撃戦と言う意味ではありません、展開のドラマティックさのことです)だけかと言うと、横糸として「家族の愛」と言う如何にも日本映画のような「しっとり」感も編み込まれています。
親子の情愛、夫婦の愛。そして人々の故郷を思う気持ち。
時にはそれは自分勝手なものだったり大人の理屈だったりするのですが、
その自分勝手さは当の自分自身が一番分かっている、
そして、どうにかしたい、と葛藤する。
それぞれがそれぞれの立場で己を肯定したり、否定したり、どうしようもないな、と自己撞着したり。
諦観と開き直りの人々の姿を「そのまま、ありのまま」に描きながら僅かに、ほんのささやかであるが成長して行く人々を辿る事で、そこに観ている私たち自身を投影し、ドラマは現実のものとして私たちに受け入れられてくるのではないでしょうか?
そこには、人間に対する限りない愛情を「やや照れながら」書き綴るクドカンさんの優しい目線を感じます。
ドカンと一発の縦糸とユラユラ揺れる横糸のバランスが微妙で巧妙。
実に「味のある」ドラマになっているのではと考えます。
いずれにしても、あまちゃんは「人間関係を含め、適度な距離感とドライさ」が軽く楽しく心に入り込み元気になれる朝一番のドラマだと思います!!!
私は(夫も)毎朝、楽しみにして観ています。
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