その2より
後半は落語中村仲蔵。
実在の人物です。
wikipediaによれば以下の通り。
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元文元年〈1736年〉 - 寛政2年4月23日〈1790年6月5日〉)は、江戸時代中期の歌舞伎役者。俳名は秀鶴、屋号は堺屋(のちに榮屋)。紋は中車紋・三つの人の紋。「名人仲蔵」とよばれた名優。
浪人斉藤某の子として生まれる(江戸平井村渡し守の子の説あり)。4歳の時に舞踊の師匠志賀山お俊の養子となり、門閥外から大看板となった立志伝中の人である。
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こうした立志伝中の人物ゆえ、落語の噺に取り上げられているのでしょうか。
落語あらすじ事典千字寄席に詳しいあらすじが書いてあります。
落語「中村仲蔵」の舞台を歩くのサイトを見ると「三遊亭円生の噺、中村仲蔵」というのがあって、そこには円生さんの描いた中村仲蔵の世界があります。実際に聴いていないので、志の輔さんとは違った中蔵がいるのでしょうね。時間を見つけてDVDでも探してみようかなぁ、、、
さて、志の輔さん。
まずは「お隣の歌舞伎の噺ですが、いえね、あちらはこちらのことをお隣なんて思っていないのですが、、、」と言って客の心を掴んでいきます。
歌舞伎と言う血統を重んじる世界で、どこの馬の骨ともしれない中村仲蔵が幼い頃(万蔵と言ったそうです)から頭が良くて、機転がきいて目がすゞやかな少年であったことから、噺は始まります。
目をかける人もいれば、出る杭を打つ人もいる。
そんな中で少年万蔵は「働き、稽古し、稽古し、働く」の毎日。
実際の人物のエピソードにはこんな箇所がありました。
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宝暦4年(1754年)、舞台に復帰する。はじめは4年のブランクに不振を極め、先輩同輩から「楽屋なぶりもの」にされるなどして、自殺未遂に至るほど苦しむが、奮起して一心不乱に芸を磨く。その有様を見て人々は、仲蔵を「芸きちがい」と呼んだ。やがて、その才能を四代目市川團十郎に認められてからは人気が上がり、明和3年(1766年)には『仮名手本忠臣蔵』五段目で、斧定九郎を現行の姿で演じ、大評判となる。
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今よりももっと徒弟制度、身分制度の厳しかった時代。
想像を絶する努力をしたのでしょうね。
そんな万蔵少年の成長を淡々とそして豊かに噺たあと、いよいよ前半が効いて来る仮名手本忠臣蔵の噺へと移ります。
出し物「仮名手本忠臣蔵」という歌舞伎が決まったが、みんなの妬みから、仲蔵に5段目の斧定九郎一役だけといういじわるをふった。
当時、5段目というのは弁当を食べる時間というくらい地味な話で、観客はみんな真剣に見もしない。
しかも役はさらに地味と言うか憎まれ役と言うか「斧定九郎」。
ここで仲蔵は自分が試されている事を逆手にとって、
この試練を乗り切ろうとする。
21日間の願掛け。
なんとか個性的な斧定九郎を演じたい。
だがしかし、どうすれば、、、という仲蔵の迷いや悩みがビビンと伝わってきます。
もう、会場中の客がそれぞれの仲蔵になっています。
そして、広重の有名な絵を思わせるようないきなりの夕立シーン。
そこで雨宿りに入った蕎麦屋での運命的な啓示。
これだ、、、
これだ。
と、驚喜する仲蔵はまさに会場の客です。
粋でいなせな斧定九郎の誕生秘話!!!
しかし、本番ではどうなるか。
その本番を志の輔は熱演します。
まず、朝、家を出るシーンでは内助の功の妻との会話。
つぎに楽屋での化粧の準備。
そして本番。
破れ傘をもって斧定九郎はタッ、タッ、タッ、タッと花道へ駆け出して行く。舞台で落語を演じている志の輔さんだが、まるど歌舞伎の花道が見えるようです。
弁当幕で客は誰も観ていないのだが、それでも真剣に演じる。
チョットやさぐれていいおとこの斧定九郎。
お軽の父が斬られる。バサッ。
熱演。
イノシシが走る。
熱演。
勘平が銃を撃ち斧定九郎が倒れる。
熱演。
舞台裏から三味線がなり、効果満点、鬼気迫るシーン。
口から血がだらりと流れ、首筋を赤い血が流れ、足下まで滴り落ちる。その血の海の中で斧定九郎は絶命。
実は口の中から出る血も工夫の一つだったのです。
うずらの卵に小さい穴を開け、中身を取りだし、代わりに溶かした紅を殻に注ぎます。
斧定九郎が鉄砲で撃ち殺される場面が近付くと、密かに紅入りのうずら卵を口に含み、そして鉄砲が放たれ、斧定九朗に命中すると、仲蔵は口の中の卵を食い破る。
紅が口の中に溢れ、それがポタポタと口から滴り落ちる。
観客は口から血を流していると思うに違いない。
しかも仲蔵が体を白塗りにしたのは、
紅の血が鮮やかに映える為の演出だったのです。
こうした演出は今でこそ、当たり前ですが、仲蔵さんがはじめて試みたそうです。
ここは見せ場。
どうだ、と思う仲蔵。
しかし、誰からも「栄え屋」と声が出てこない。
蹲る志の輔さん。会場は水を打ったようにシィン。
会場は咳一つ聞こえません。
やがて頭をあげて、
しくじった。
と、つぶやく斧定九郎演じる中村仲蔵。
観ている私も胸が塞がれました。
失敗かぁ、、、
舞台は失敗だった、上方へ行こう、もう死のうと決意して
妻との別れのシーン。
良妻、内助の功の妻との悲しい別れ。
江戸の町を歩きながらふと今日の舞台を観たと言う通の声が耳に入る。
「5段目の仲蔵はどうだった?」
と聞く兄貴分に答える弟分。
仲蔵がいじめられて5段目の斧定九郎役しかない、ということは江戸ではもう有名なことらしくて、雀たちの確乎の噂になっていたのです。どんな失敗をしたか、と期待に目を輝かせた兄貴に、
「みんな息する事すら忘れて魅入った」という話を弟分は聞かせます。
「えええ、そいつは聴きたかった。明日行こう」と答える兄貴分。その調子がまるで師匠の談志ソックリで、
私はそこに談志が降臨(?)したのかと思いました。
次の道筋では芝居好きの老人に知り合いが今日の芝居を尋ねている所。
「とっぁん、仲蔵はどうだった?」
「ヒッヒッ、ヒッ〜〜〜」と息も絶え絶えに話す老人。
「今まで、あんな斧定九郎は見た事がなかった。オラ、長生きして良かった」と言う老人に、
「そうか、そんなに凄かったか、じゃ、明日はオレも行こう」と答える知人。
「明日はもうないよ。仲蔵は死んだ」と老人。
そこで、観客全部がドキリとします。
ついさっき、死を覚悟して仲蔵は妻と別れたのだから、、、
えええ、この老人は透視能力、予知能力があるのか、と思いきや、
「勘平に撃たれて血を流して死んだ。犯人は勘平だ」と言うのです。
そこで会場は大爆笑。
今までの緊張がみんな解けます。
それを聴きながら涙する斧定九郎に私の目からもジーンと涙が出ました。
大勢の客も感動で胸いっぱいだったのでは、と思います。
私たちは虜にされました、、、志の輔さんに。
あの大舞台の歌舞伎が落語の中にいられてしまったのです。
絢爛豪華な舞台が、座布団一枚に上に座っている一人の噺家の噺から滔々と流れてくるのです。
凄いことです。
一人、ひとりの中に確かに巣食っている斧定九郎。
その斧定九郎が今、舞台の上で「日の目」を浴びている。
それはなんと正当な評価であり晴れがましいことだ。
歪にねじくれて息をひそめるように生息していた斧定九郎。
しかし、
ここに役者を通して、自分の生き様が見直され、こんなやくざな男にも一分の魂があったことを、
皆が分かってくれた。
こんな嬉しい事が斧定九郎にとってあるだろうか、、、
中村仲蔵によって生き生きと演じられた斧定九郎の魂さえ感じる事ができました。
取るに足りないまさに私。
しかし、中村仲蔵演じる斧定九郎の生き方が私に力を与えてくれたように思いました。
胸がいっぱいになりました。
「お前はできるのだ」と中村仲蔵に告げた師匠のあの言葉が遠い3階席にいる私にもズバッと響いてきました。
舞台の上に立つ志の輔さんの一つひとつの台詞が、自分に言われているように、
私自身を励ましてくれているように私には感じました!!!
落語は終わりました。
が、
私は、というか観客全てのひとが満足を顔に書いているように
充実の面立ちで席をたち、会場を後にしていました、、、
「芸の力」の凄さを私は見せつけられて気がします。
今までもいろんな落語を聴いてきましたが、
今回の中村仲蔵は、生きていくことを迷っている人、どのように在るべきかに悩んでいる人、
先が見えなくて苦しんでいる人、、、そんな人たちに「こんな生き様があるんだよ」と教えてくれたと思います。
それは、難しいことではありません。
淡々としかし信じて日常を暮らす市井の人々のしたたかで逞しい生き方こそが、
素晴らしいのだと心から思ったものです。
人に勇気と活力とちょっとした指針を人に与えながら、
一番人生で大切な「笑い」を届けてくれる落語。
これからの私たち2人には欠かせない趣味の一つです。
立川志の輔。
素晴らしい芸術家だと私は今、思っています!!!
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