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2015.07.09

埼玉の公聴会 「あすわか」倉持麟太郎弁護士の意見全文

埼玉の公聴会で、キレッキレ!と大評判だった「あすわか」倉持麟太郎弁護士の意見全文を書き起こして下さった方がいます。
全文を掲載しておきます(長文です)。

参考と言う事でご覧下さい。
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本日は、意見陳述の場を与えていただきまして、どうもありがとうございます。
さて、今回の意見陳述は、いわゆる安保法制についてということですが、私、現在、弁護士の特殊部隊として、平安委員会をウオッチして、本当に頭がくらくらしそうになりながら日々国会審議を検討しておりますので、その立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
まず、結論を二点申し上げます。
一点目は、政府は今回の法制で、いわゆる切れ目のない安全保障体制を目指すということですが、まさに本法案は切れ目のない違憲法案であると考
えられるということです。
この法制が実現すれば、武力行使の禁止、専守防衛、最小限度の武器使用、武力と一体化しない国際貢献等々、憲法第九条とそこから導かれる基本原則のもとで、従前、政府解釈等ぎりぎりのところで守ってきた合憲のラインをまさにシームレスに踏み越えて、解釈の限界を超えた改憲手続なき実質改憲が行われることになります。改憲手続を経ずに現行憲法に反する法制度を実現することは、もちろん違憲であります。
もう一点なんですけれども、これは特に本意見陳述で強調したいことですが、今回の安保法制の審議における政府による説明、答弁が余りにも不合理、不誠実、不十分であり、この法案成立についての民主的正当性は欠如しているということです。我が国の防衛がどうあるべきかについてはさまざまな価値判断があろうかと思いますが、これは価値判断の問題ではないですね。政府の説明は、価値判断以前に、論理的に破綻しているということでございます。以下、御説明いたします。
まず最初に、本法制は憲法論とは切っても切り離せないものですので、憲法との関係について意見を申し上げます。本法制を政府が基礎づけているのは、いわゆる政府の四十七年見解と砂川事件判決ですが、これがいずれもおかしい。
まず、お手元の資料なんですが、ちょっと分厚くなってしまったんですけれども、資料一をごらんいただきたいんです。
これは、いわゆる四十七年見解というものですが、その第一要件に、「外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」とあり、外国からの武力攻撃によって国民の生命等権利を根底から覆すかどうかを判断すればいいという構造になっております。
一方、新三要件では、資料一の下の段ですが、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」とあります。我が国と密接な関係にある他国が攻撃されて、これによって結果として我が国が存立危機事態になるというたてつけになっております。つまり、外国の武力攻撃事態は大したことがなくても、これによって我が国が結果としてどうなったかということで存立危機事態防衛が可能になるわけです。
例えば、政府がよく出しているホルムズ海峡の機雷掃海の場合なんですが、外国が機雷を敷設した、そういう行為そのものでは我が国に対して武力攻撃に当たらなくても、事後的に我が国が石油危機に陥れば、その機雷敷設行為は存立危機事態攻撃となり、防衛ができます。武力攻撃そのものではなく、我が国の状態によって防衛ができるかどうかが変わる。だからこそ、四十七年見解ではできないものが、新三要件ではできるようになっているわけですね。
しかし、考えていただきたいんですね。同じ事実を当てはめて別の結論が出るということは、規範自体、基本的論理自体が変わっているんです。数学の方程式として、式が一緒ならば、同じ数字を入れれば必ず同じ解が出るはずなんですが、同じ事実を当てはめても違う解が出るということは、それは方程式の式が変わっているんですね。これは、基本的論理が変わっているということです。それも、これまで自国への武力攻撃が武力による防衛の要件であったのに、それが変更になったということです。それにもかかわらず、なぜ四十七年見解と新三要件が、規範また基本的論理が変更されていないと言われているのか、私には全く理解できません。
お手元の資料二、一ページめくっていただいたものなんですが、ここで、内閣法制局長官自身が、旧三要件というか、四十七年見解の(一)と(二)の部分というのは憲法改正が必要だ、これを変える場合はですね、と言った規範を今回変更しているにもかかわらず、変更していないと言う。しかも、これは、例えば夕飯の献立がカレーからカツカレーに変わって、カレーという基本的論理は変わっていない、そういう話とは違うわけですね。国家の軍事権という国家権力最大の暴力についての話、しかも、政権がかわっても維持し続けられてきた規範、これを変わっていないと隠蔽するのは、欺瞞以外の何物でもないんじゃないでしょうか。
では、なぜ昭和四十七年見解が我が国への武力攻撃を前提にしていたか。それは、そう考えなければ違憲だったからだと考えられます。このことは、法律自体にも書いてあります。
我が国の防衛法制の中核をなす自衛隊法の第七十六条には、こう書かれています。「我が国に対する外部からの武力攻撃(以下「武力攻撃」という。)」つまり、この法律では、我が国への武力攻撃を防衛の対象となる武力攻撃と定義しています。なぜわざわざ法律にそのような限定した定義を示しているのか。これはまさに、そうしなければ違憲だからです。自衛隊法は、違憲性を免れるためには「我が国に対する」という限定を入れなければならなかった。九条という箱に入れられる自衛隊法の規定としては、この「我が国」というオーダーメードしかあり得ない、これはまさにジャストサイズだったわけですね。これは、手元資料の三を見ていただければ、今は取り上げませんが、歴代法制局長官の答弁からも明らかなはずです。このように、昨年七月一日の閣議決定に基づいて整備される本法案は、憲法改正を経ずに、我が国が自衛隊法を含む安全保障体制全体で形づくってきた規範の根幹を変えてしまうもので、内容的な正当性がないと考えられます。
砂川事件についても少し触れたいんです。
集団的自衛権行使容認について、政府が突然よりどころにしている、いわゆる砂川判決なんですが、かつて法律家であった政治家の方々が砂川事件判決の解釈を、歪曲と言ってもいいかもしれませんが、して、集団的自衛権の根拠として持ち出しております。
これについての答弁も、中谷防衛大臣はこの一カ月の間に、根拠になる、ならない、次に、なる、根拠になり得るというさまざまなバリエーションでお答えくださいましたが、現在、政府は、根拠になり得るということで統一しているのかなと思います。ぜひ、内閣法制局長官には、まだ、最後の最後で法律家としての魂を売り渡さないことを願っております。
次に、軍事権について規定する本法案が成立する前提として、十分な審議が担保されていることが本法案の手続的な民主的正当性を支えるんですけれども、国会審議をウオッチしていて、政府の答弁が余りに不誠実、不合理、不十分であって、手続面でも正当性がないと考えられます。その答弁をお手元の資料四にまとめましたので、ごらんください。ページでいうと五ページです。
一々挙げているとちょっと時間が足りなくなってしまうので、皆さんでごらんになってほしいんですが、例一は、これはもう矛盾している答弁ですね。次の六ページの例二は、これは論理的におかしいこととかですね。七ページは、非常におもしろいんですが、これは七ページの一番下に書いてある検索語、サイバー、パワーバランス、海洋、一国のみ、安全保障環境、グローバル、アジア、テロ、宇宙、ミサイル、十語、こんなに多くのワードを検索して複数ヒットするということはほぼあり得ないんですけれども、答弁が複数ヒットする、これぐらい同じ答弁を繰り返しているということ。
あとは、その後は、八ページは、絶対にありませんとか、全く的外れとか、一切変更しておりませんとか、言い切り型の答弁と、いささかも変更がないというような、こういう打ち消し、断定型の答弁で、細かい議論をされていないという指摘であります。これは読み物としてもちょっとおもしろいので、ぜひ後で御参照ください。
次に、法律自体の欠陥について意見を申し述べ
たいと思います。純粋な憲法論だけではなくて、今回の法案自体を個別に検討しても、さまざまな問題点が存在しております。その中でも、国会審議で議論されているものと議論されていないものがあります。これも、具体的に問題点を一つ一つ挙げていくともう九月になってしまうので、幾つか例を挙げて終わりにしたいと思います。例えば、今回、改正自衛隊法九十五条の二で規定されている、いわゆるアメリカ軍等の武器等防護についてです。これはお手元の資料五に一応まとめてあります。十六ページです。これもここでは細かくは説明はいたしませんが、この規定は、自衛官が単独で、自分を守る権利に基づいて、米軍等の航空機や船舶も防護するということになっているんです。これはちょっと私は理解できないですね。無理があると思います。
あとは、資料六には、捕虜に関する答弁等でもちょっと問題があるものがあるんじゃないかということで、挙げさせていただきました。これらの例を見ただけでも、今回問題となっている本法案は、施行されれば、全体として違憲な状態を生んでしまうことへの法的な歯どめが全く担保されておらず、平時から有事までまさに切れ目なく違憲へと足を踏み入れる危険がそこかしこに内在していることがおわかりいただけるはずで
す。
資料七、十八ページですが、この図を見ていただくと、白い四角で、幾つか、十個近く浮き上がっていますけれども、これは、今回できるようになったことで違憲の問題をはらむという論点がこれぐらいある、視覚的にわかりやすいようにこうしたんですけれども。まさにシームレスな違憲性への危険が一目瞭然ではないかと思います。これら、法律上の規定にかなり無理があったり、非現実的であったりするのはなぜかというと、これは簡単だと思います。集団的自衛権の一部行使を認めているにもかかわらず、憲法九条を変えずに、しかも憲法九条のもとでぎりぎりの解釈として認められてきた四十七年の政府見解と基本的論理は変えていないと強弁しているため、交戦権がなく、自衛隊は軍隊ではないという枠組みを前提とせざるを得ず、九条を踏み越えているのに踏み越えていないと振る舞わなければいけないために、おかしな結論と論理的不整合性を生んでいるわけです。これは、まるでパントマイムをしている人が滑稽なのと同じじゃないかと私は思うんですね。しかし、話はもうパントマイムでは済まない問題です。武力行使、軍事権の行使の問題です。これらのそごは重大であり、また、現場の自衛官等への負担が過剰にかかることになります。このような状況で本法案を強行的に採決するようなことがあれば、政権支持にも大きな影響があるのではないでしょうか。
実は、こういう議論されていない論点がまだまだ山ほどあるんですね。これは資料の最後、資料八として、最後のページにA3を折り畳んでくっつけております。これもとりあえず意見陳述をお受けしてからつくったので、まだまだ数えられるかもしれませんが、ここに挙げただけで、議論していない論点が四十個以上あります。それぞれにつきまだまだ議論が必要なのは明らかですね。そこに挙げていないものでも、憲法論に関するものですと、前文と平和的生存権についての議論などは一切触れられておりません。
にもかかわらず、強行採決の声が聞こえてきたりしております。もし、このまま、議論されていない論点をそのままにして強行採決をするようなことがあれば、それはこの法案の手続的な正当性を失わせるものとなるでしょう。先ほど申し上げたように、この法案は、実体、つまり中身の面でも民主的な正当性がないと考えます。重ねて、議論を尽くさぬまま採決するようなことがあれば、手続的にも民主的正当性を欠くこととなってしまいます。不十分、不合理、不誠実な答弁、審議のみで法案を成立させるということが、我々の代表者によって立法がなされるという民主主義の建前からいって、果たして民主的正当性を与え得るんでしょうか。政府には、見ていて頭がくらくらするような審議ではなくて、合理的かつ十分な審議を強く強く求めたいと思います。
最後になりますが、私は、日々、国会審議を精査するだけではなくて、町場の憲法論として、さまざまな方々と学習会とか、または憲法カフェなんて呼んでいますけれども、カフェなんかで気軽に市民の方々と話ができる場をたくさん設けて、憲法問題に今まで関心がなかった方や若い世代とも憲法について意見交換をさせていただく機会に多く恵まれています。そこで、皆さんは口々に、この政権の動きとの距離を語られます。つまり、何か自分たちの全く手の届かないところで物事が決められていくという距離について語られます。この距離は、まさに自分のことは自分で決めるという民主的正当性との距離をそのまま反映するものであり、先ほど来申し上げている今回の安保法制の審議状況や正当性の話と全く軌を一にしているのではないでしょうか。
私は、ここではイデオロギーの話をしているわけでもありませんし、安全保障についての議論を放棄しようと言っているわけでも全くございません。まずは、純粋に、法律家として、この法案のできが余りに悪いということと、にもかかわらず、国家権力担当者が、これを一度御破算願って、目盛りをゼロに戻して改善をするという勇気を持たずに、むしろ、問題点がないかのようなパントマイムを演じることで、国民に説明するということから逃げ、強行的に決定を推し進めようとして、その責任を全うしていないということを指摘したいのです。現政権には押しつけ憲法への嫌悪を感じますが、現政権が今しようとしていることは、まさに違憲な法案の国民への押しつけではないでしょうか。
ある法哲学者がプーボワールオブリージュという言葉を使っていました。ノーブレスオブリージュをもじったものですが、ノーブレスオブリージュは、貴族、高貴な者には義務があるといったような意味ですけれども、プーボワールオブリージュのプーボワールは、フランス語で、これは英語でいうとパワーです。つまり、権力を持つ者には義務がある、それを適正に行使する義務がある、すなわち権力担当者の節度を説いた言葉です。国民は既に権力者のパントマイムに気づいていると思います。立憲主義の核心は自律です。自分自身のよき生の構想は自分自身だけでしかできないということです。それが、今、権力担当者に決められている、そう実感しています。我々は、日本を取り戻すという前に、まず自律を取り戻さなければならないと強く叫ぶべきです。現政権にもまだ人間の尊厳への敬意と知性への良心が残っていることを願い、そして、プーボワールオブリージュ、その権力行使に対する節度を持ち、実体的にも手続的にも民主的正当性を欠いた本安保法制を廃案とすることを求め、意見陳述とさせていただきます。
御清聴ありがとうございました。

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コメント

話が長くて・・・。

投稿: あゆ | 2015.07.17 19:40

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