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2015.09.23

過去記事より「国家と憲法」

過去記事です。
2005年「国家と憲法」

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国家とは何か、そこにある憲法とは何かについて考えていきます。

今日は58回目の憲法記念日。
さわやかな五月晴れのもと、私たちの先輩たちも、誇りと夢と希望に胸膨らませ、58年前のこの日を迎えたのでしょうか
少なくともそうであった証の一人を私は知っています。
シロタ・ベアテ・ゴードンさんです。
彼女の尽力「男女平等」の精神が憲法に活かされ、今に続いています。
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第二十四条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。
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さて、この問題は次に譲るとして、今日は今、盛んに論議、討論されている憲法改正問題について考えていきたいと思います。
次の項目について考えていく事で論理を構築していきたいと思います。少々長いのですが、私たちをとりまく問題の多様性を考えるにあたり大切なことなので、どうぞお付き合いください、お願いいたします。
1、近代国家とは何か?(民主主義とは何か?)
2、憲法とは何か?
3、私たちが目指すものは何か?

1、近代国家とは何か?
近代国家については、
近代民主主義の歩みと共にその概念が発達してきたことは異論の無いところです。
一人、ひとりがバラバラで個人で生活するよりも、集団として生活する方が「得」である。ということがそもそもの国家の始まりでした。
例えば災害に対してや、教育やもろもろのサービスを「国」が国民に提供する方がより豊かで安全なものを提供できるという考え方。
さらに一人よりは二人、二人よりは三人、さらに大きい母集団になる方が「選択」に間違いを犯す確立が低いという統計的な考え方からも、「近代国家」はその存在を承認されて来ました。ただ、ここで忘れてはならないのは、「国家」は意思を持たないものであるということです。国民の総意の下に、国民の利益を還元する為のものです。
国家がある意思を持っていると言う考え方は近代国家にはなじみません。いまだ国体という言葉で代表される国家は、歴史を逆行するものであるということでしょうか?
例えば、日本。
私はこの国が好きです。
匂うように花が咲き、万葉のその昔から、歌に継がれ、またその以前から神々が宿ったその日本は好きです。
しかし、この風土が意思を持ち、さらにその意思が国民を縛っていくとしたらやはりなじめないものを感じます。
さて、次に国民とは何かについてもその概念の二義性がはっきりしないまま理論が組み立てられている事を樋口陽一先生は指摘しています。
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「イメージとして心に描かれた想像の政治的共同体」(B・アンダーソン『幻想の共同体』)という前提では、ネーションが、しばしば作られた神話でありながら「自然の所与として」提示される「『民族』=エトノスethnosを指すのか、それとも、社会契約という擬制によって説明されるような、構成されたものとしての『国民』=デモスdemosを指すのか」(樋口陽一『憲法 近代知の復権へ』)という根本的区別が曖昧にされたまま理論が組み立てられてしまう。
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なお、これに関しては、私の別の記事も参考にしてください。

日本国憲法
標榜するもの

さらに、民主主義との関係で述べるならば(これに関しては、また別に詳しく書きたいと思います)、民主主義を支えている考え方の基本は「多数決」と「人権」です。
多数決に関しては
多数決と民主主義
に多数決とは何か?、そのパラドックスについて書いてありますので是非ご覧ください。
次に人権。
これは難しい。
樋口陽一先生は『近代知の復権』 で以下のように述べています。
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伝統からも身分制秩序の網の目からも解放された個人が自分のことを自分で決める、その自己決定権は人権の一部だが、自己決定権の名において「何でもできる、ということになると、それは、人権のもうひとつの核心、人間の意思で手を触れてはいけない価値がある、という要請を否定することに」なる。人権を尊重するなら、この「背反的な二つの要素のあいだでの『知』の賢慮を、試行錯誤を含めながらくり返していく以外にない」(樋口陽一『近代知の復権』 東京大学出版会、2002年)
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遂行的矛盾=ある言明の意味内容と、その言明が実際におこなわれるときの条件の間の矛盾。ある決定の意味的内容と、その決定が実際に下されるときの条件の間の矛盾。
人が集まれば、その数だけ人権があるのです。
そこから以下に普遍妥当性を見いだしていくか、これまでも、今からも課題です。

2、憲法とは何か?
憲法典に詳しく概念が書いてあります。
ここで最も大切なことは、憲法のそもそもは、「国家権力を制限するために」出来た成文法であるということです。
宮台真治氏参照。
またこの考え方は一般に憲法学者や政治学者の共通の認識です。
しかし、この立憲主義と民主主義という二大双璧がぶつかることがある、と長谷部恭男氏は述べています。
長谷部先生は、この論議の行き着く先が「戦争か平和」、つまり憲法9条になることを、「憲法と平和を問い直す」で書かれています。
単純な粧いをしながら、実はその複雑な仕組みを詳らかに紹介しているこの本は、是非読まれることをお奨めします。
この中で長谷部氏は「憲法を変えることにはやぶさかではない」が、
何故、今憲法9条を変える必要があるのか、その疑問を述べています。
「憲法」とは宮台氏が言うように(長谷部先生も、ここは賛成)国家への規制です。
しかし、時代が変わり、状況が変われば、国家間の関係も変わるから、アプリオリに憲法を守ることにしがみつく必要は無い。
ただ、憲法というのは、何回も言うように国への規制、制限であって、国民の義務や生き方を教える指導書ではないわけです。
憲法9条を「原理」とするか「準則」とするか、
原理とするなら、「自衛のための最低限の軍備を保持するため」にこの憲法を変える必要性、現実性はない。
準則とするなら、まずその前に、根拠となる考え方から煎じ詰めていかなければならない。つまり国家間の対立とは何か、、から考えていかなけれならない。
現実に横たわっている対立に「武力」でしか対抗できないのか?
国家間の安全保障の枠組みを通じて世界平和を目指すプロジェクトが機能することが最も望ましいが、そうでない現実ではどうするか?拡大していく武力が果たして問題解決の最善か?
これらの問題を全て無理なく納得するのでなければ、いささか無謀の試みであり、
憲法9条が合理的自己拘束として存在しているという穏健主義の立場からすれば、準則ではない。と同氏は述べています。
したがって、今、憲法9条を変えることの意味は見いだせない、と長谷部先生は同書で書いています。

3、私たちが目指すものは何か?
「戦争か平和」かという二者択一の問題を、
改憲派の人に尋ねても「平和」と言います。
だれでも、平和がいいのです。
ただ、問題がそう単純でないことは、私たちの知るところです。
私たちが標榜し、目指しているのは「近代国家」と成熟した市民社会であることを以前書きました。
それについては異論のないものと思います。
ただ、それを目指す方法がそれぞれの人、立場によって違います。
当然のことです。
むしろ、みんなが同じである事の方が恐ろしい。
件の長谷部先生は以下のように述べています。
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立憲主義的憲法は民主政治のプロセスが自分で処理しきれない問題を抱え込まないように、民主政治で決められることを予め限定する枠組みである。
根底的な価値観の対立を公の領域に引きずり込もうとしたり、大きなリスクをともなう防衛の問題を目先の短期的考慮で勇み足をしないように、憲法は人為的な仕切りをする。
引かれた線が「自然」に見えないという指摘は反論にならない。憲法には自然な線などどこにもない。だからこそいったん後退すると踏みとどまることをしらない。
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私たちは、今、真剣に考えるときに来ていると思います。
様々な国際情勢や、経済問題については今後順を追って考えていきます。
現実の中で遅れているとか、実態に即していないとかとかく言われ続けている日本国憲法。
しかし、実態に即すものを憲法をとするなら、憲法はいつも変わり、私たちはその目まぐるしく変わる理念の中でどの様に生きていけばいいのか???
短期的なものの見方でなく、長期の展望に立って、「そのこと」の意味を考える時ではないでしょうか。
憲法を今、変えなければならない必然とは何か?
いまだ、私を納得させることの出来ない論理に私は肯くことができない。

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コメント

http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2007-10-25-1歴史の英知

ベアテさんおこと書いた日記見つかりました。

投稿: あゆ | 2015.09.30 09:06

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