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2017.08.15

「自分を知り、自分を変える」を読んで その10

「自分を知り、自分を変える」第10章
「自分の行動を観察して変える」
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自分のことを知るために他者の目を通すことも大切であるが、
もちろん、それだけでなく自分の行動を観察することも大切である。
自分がすることを注意深く観察することで自分のことを学び、知り、ひいては「なりたい自分」になることさえできる。
原因帰属を間違うと自分自身の創作物語を間違うことがある。
大切なことは単純に考えること。
機能的で適応的である、つまり性格であることが大切。
そして何よりも大事なことは、
「良い行動をすると良い物語が出来上がる」ということである」
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「自分を知り、自分を変える」を読んで その9

「自分を知り、自分を変える」第9章
「自分を知るために外に目を向ける」
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どのような自己物語を作るかのために「内部情報」ではなく「外部情報」も必要である。
人は案外、自分以外のものや環境から多くの影響を受けている。
例えばサブリミナル効果や無意識の偏見などである。
他者の目をとおして自分を知るということはかなりある。
他の人が自分のことをどう思っているかを知ることで自分のことを知る。
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「自分を知り、自分を変える」を読んで その8

自分を知り、自分を変える」第8章
「内観と自己物語」
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自分のことを知ることは難しい。
心の隠された場所をどのように洞察するか?
それはまるで洞窟に懐中電灯をあてるような作業か?
自分の心をずっとみていくことを内観というがそれ自体が実はストリーを作ることがある。
内観は無意識への魔法の扉を開くものではなく、無意識を自分流に推論し物語を作り上げるプロセスであったりする。
なぜ、こうしたのか?
なぜそう感じたのか?
などの理由を詮索しても仕方がない(わからないのだから)
大切なことは情報に基づいた直感を生み出すのに十分なだけの情報を集め、その際に生じた直感をあまり分析しないことである。
また悩んでいる時、あれこれと反芻してもそれはマイナスの結果にしかならない。
むしろ書くことが効果的である。
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「自分を知り、自分を変える」を読んで その7

「自分を知り、自分を変える」第7章
「「どう感じるだろうかを知る
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人の感情とは案外長続きしない。
愛する人を失う、あるいは好きなチームが負けると、人はどこまで感情が続くか、もう立ち直れないのではと思うが、実際は立ち直る。
愛する人が亡くなって悲しい、失って寂しい。
しかし、いずれその感覚は薄れて日常を戻す。
もちろん、何かの折には思い出す。
贔屓のチームが負ける。
悔しい、残念。
しかし、次の試合のことをもう考える。
このように人には回復力がある。
つまり、自分の性格にしても、感情や将来の姿などには限られたアクセスしか人は持たない。
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「自分を知り、自分を変える」を読んで その6

「自分を知り、自分を変える」第6章
「どう感じるかを知る」
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感情は意識的であり、それは自分でも納得、理解していると思われがちだが、
実は自分で思っているほど感情についてわかっていないらしい。
感情もまた無意識の領域に属している部分があるらしい。
つまり適応的無意識が感じているのだ。
自分では長い間「好き」だと思っていたものが、ある時、「そんなに好きではない、むしろ嫌いだ」と感じることがあったりと、人の感情はかなり不可解である。
そんなこんなで自分の起きた感情さえよく理解していないのだから、
ましてやこれから起こるであろう予測についてはさらに困難である。
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「自分を知り、自分を変える」を読んで その5

「自分を知り、自分を変える」第5章。
「なぜかを知る」
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ひとは何かを判断、行動した時、なぜそうしたのか?感じたのか?行動したのか?が曖昧な時がある。
自分がなぜこうしているのかす知るのは難しい。
高次の認知過程に対する内観による心へのアクセスは難しくほとんどと言っていいくらいない。
これは内観へのアクセスが制限されているからである。
自分がなぜこうしたかという自分自身への推論は、
実は他人の行動を見て「あの人は多分、こうであったからこうしたのだろう」という推論と同じほどの確かさしかない。
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2017.08.13

「自分を知り、自分を変える」を読んで その4

「自分を知り、自分を変える」第4章。
「自分を知る」
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人は自分が思っているほど自分のことは知らないようだ。
それを考える前にパーソナリティ心理学の現状について考察。
パーソナリティとはゴードン・オルポートによれば「その人の特徴的な行動と思考」のこと。
パーソナリティに対しての主要なアプローチとして
古典的な精神分析論と行動を観察していく行動主義的なアプローチ。さらにその中間として現象的アプローチがある。
近年は特性論的アプローチが主流。
適応的無意識と意識的自己の関係においてパーソナリティとは何か?
この2つの側面が、それぞれ独自の行動を生み出すとしたら他人が見る自分と自分が見る自分が違うのは当然か?
自己洞察の意味は何か?
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「自分を知り、自分を変える」を読んで その3

「自分を知り、自分を変える」第3章。
「責任者は誰だ」
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優れた適応的無意識の存在があるなら、
意識的な部分の働きとは何か?
意識と無意識のどちらに責任があるか?

そのそもこの2つの機能は2つの情報システムが進化してきたものではないか。
そして、意識は非意識的処理よりも後に獲得されたシステムではないか?
古いシステムは新しいシステムと比較して障害や損傷に強く、個体発達の早期に現れ、それはより多くの種によって共有されているのだが、この特徴は非意識的処理の特徴でもある。
では意識の機能は?
これは洞察と関係がある。
自己をどのように深く観察、みることができるか???
意識と適応的無意識の違いを簡単に表にまとめると以下のとおり。

適応的無意識の特徴
多重システム
オンラインのパターン検出器
「いまここ」の即時的視点
自動処理融通がきかない
はやとちり
否定的情報に敏感

意識の特徴
単一システム
事後的な事実点検出器
長期的視点
統制的処理
柔軟
ゆっくりと展開
肯定的情報に敏感

この二段構造が進化
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            おん

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「自分を知り、自分を変える」を読んで その2

「自分を知り、自分を変える」の第2章。
「適応的無意識」
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意識的経験は主観的ゆえそれを他人と本当に共有することは難しい。
たとえば私がみている赤色はあなたのみている赤色と同じか、、、という古典的な問題になる。
が、
無意識の分野はさらに難しい、、、なにしろ意識にのぼってこないのだから。
そこで、無意識を考えるために、「もし無意識がなかったらどうなるか」という問題を設定していく。
すると、人間は行動がまずできない。ベッドから立つためにまず足に意識を、手に意識を、そして外に意識をと、そこら中に意識をふりまき、なおかつ一瞬たりとも意識をそこから離してはならない。
そんなにんげんができあがる。
つまり私たちは無意識の中でなんと多くのことがらを処理しているのか。
そこで無意識とは。
「私たちの心の中にあって、ある特定の時点において意識的に気づいていないもの」と定義できる。
アクセスしようとしてもできない心の部分である。
非意識的な思考の進化による適応という意味で「適応的無意識」と命名。
環境に即座にそして非意識的に評価、明確化、解釈、行動を開始させる能力は生存に有利であり進化的選択がなされた。
私たちの五感は一瞬、一瞬に1500万要素の情報を取り入れているが意識手に処理できるのは40要素くらいである。あとは無意識の処理。そして私たちは無意識のうちにこの情報を有効に利用しているのだ。
無意識の処理には正確さとアクセス可能性と、「良い気分」であることが重要なポイント。
とくに良い気分であることは「心理的免疫システム」といわれ、人は良い気分であることを選択していくという普遍性がある。
効率的で洗練された適応的無意識をもっているがためにかえって人は「自ら」がわからなくなるという問題もある。
非意識的と意識的との違いはなにか、、、
さらに次の章へ」
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「自分を知り、自分を変える」を読んで

心理学の勉強をしていて、これがまた面白い。
ずっといろんなことが気になっていて、記事を書こうと思いながらも、
個人的にバタバタしていてなかなか記事が書けなかったのですが、
が、
いま、「自分を知り、自分を変える」という適応的無意識の心理学書を読んでいます。
著者はティモシー・ウィルソンという人です。
難しくて頭がこんがらがって、すぐに迷子になります。
そこで、「そうだ、、、本の感想というかまとめをここに書こう」と思いました。
備忘録です。
と、いうことで、第一章「フロイトの慧眼、フロイトの近眼」。

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この本の2つの目的について言及。
「なぜ人は自分自身をを十分に知らないか」
「どのようにしたら自分についての知識を高めることができるか」

人の行動の大部分は無意識である。
無意識といえばフロイトが有名であるが、
が、
ここでいう適応的無意識とはいわゆるフロイトが提唱した無意識とは違う。
もちろん、フロイトが無意識を提唱したことの意義は大きく、それ以前はデカルトに代表されるところの「心身二元論」が主流であった。
このデカルトの大間違いにも関わらずパスカル、ライプニッツ、シェリング、ヘルバルトなどが実験、観察などを通して無意識の分野を科学に持ち込んで来た。
・低次の心的過程は気づかれることなく生じる
・注意の分割
・思考の自動性
・偏見は非意識的な処理が関わっている
・気づかれない自分の感情
・非意識的自己

内面をみつめて適応的無意識を探ろうとしても意味がなく、
むしろ、目を外に向けて、自分の行動と他の人々がそれにどう反応するかに目をむけることで自らの行動と感情から意味ある効果的な物語を引き出すことが大切である。
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