「自分を知り、自分を変える」を読んで その2
「自分を知り、自分を変える」の第2章。
「適応的無意識」
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意識的経験は主観的ゆえそれを他人と本当に共有することは難しい。
たとえば私がみている赤色はあなたのみている赤色と同じか、、、という古典的な問題になる。
が、
無意識の分野はさらに難しい、、、なにしろ意識にのぼってこないのだから。
そこで、無意識を考えるために、「もし無意識がなかったらどうなるか」という問題を設定していく。
すると、人間は行動がまずできない。ベッドから立つためにまず足に意識を、手に意識を、そして外に意識をと、そこら中に意識をふりまき、なおかつ一瞬たりとも意識をそこから離してはならない。
そんなにんげんができあがる。
つまり私たちは無意識の中でなんと多くのことがらを処理しているのか。
そこで無意識とは。
「私たちの心の中にあって、ある特定の時点において意識的に気づいていないもの」と定義できる。
アクセスしようとしてもできない心の部分である。
非意識的な思考の進化による適応という意味で「適応的無意識」と命名。
環境に即座にそして非意識的に評価、明確化、解釈、行動を開始させる能力は生存に有利であり進化的選択がなされた。
私たちの五感は一瞬、一瞬に1500万要素の情報を取り入れているが意識手に処理できるのは40要素くらいである。あとは無意識の処理。そして私たちは無意識のうちにこの情報を有効に利用しているのだ。
無意識の処理には正確さとアクセス可能性と、「良い気分」であることが重要なポイント。
とくに良い気分であることは「心理的免疫システム」といわれ、人は良い気分であることを選択していくという普遍性がある。
効率的で洗練された適応的無意識をもっているがためにかえって人は「自ら」がわからなくなるという問題もある。
非意識的と意識的との違いはなにか、、、
さらに次の章へ」
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