「自分を知り、自分を変える」を読んで その5
「自分を知り、自分を変える」第5章。
「なぜかを知る」
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ひとは何かを判断、行動した時、なぜそうしたのか?感じたのか?行動したのか?が曖昧な時がある。
自分がなぜこうしているのかす知るのは難しい。
高次の認知過程に対する内観による心へのアクセスは難しくほとんどと言っていいくらいない。
これは内観へのアクセスが制限されているからである。
自分がなぜこうしたかという自分自身への推論は、
実は他人の行動を見て「あの人は多分、こうであったからこうしたのだろう」という推論と同じほどの確かさしかない。
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