2017.12.03

「女神は二度微笑む」を観て

「女神は二度微笑む」というタイトルのインド映画をビデオで観ました。
感想は面白かった。
ネタバレになったいけないのであらすじは次のサイトからの紹介を載せておきます。
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インドで消息不明となった夫を捜す女性をヒロインに、失踪(しっそう)と地下鉄テロの二つの事件にまつわる壮大な謎を、多彩な伏線を張り巡らせて描いたサスペンス。イギリスで暮らすインド人女性が、インドへ行ったまま連絡が途絶えた夫を見つけるべく、妊娠中の身でありながら壮絶な捜索劇を繰り広げる。主演は、ボリウッドを中心に活躍しているヴィディヤ・バラン。監督は『アラジン 不思議なランプと魔人リングマスター』のスジョイ・ゴーシュ。謎が謎を呼ぶストーリーと衝撃の展開に驚かされる。

あらすじ

イギリス・ロンドンに暮らすヴィディヤ(ヴィディヤ・バラン)は、インドへ行ったまま行方不明となった夫のアルナブを捜すためにコルカタにやって来る。しかし、宿泊先や勤務先にアルナブがいた痕跡はなく、やがてアルナブに非常によく似た男が国家情報局に追われていることが判明。ヴィディヤは危険を冒してでも、アルナブの行方を捜そうとするが……。
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インド映画といえば踊るマハラジャの印象が強いのですが、
この映画はミステリーでハラハラドキドキの新しいジャンルでした。
なにより主人公が美人。
素敵でした♪


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2017.12.02

この頃のワイドショー

このところ、連日連夜、テレビは日馬富士問題。
大相撲にジャックされたようですね。
うううむ。
どうにかしてくれ、、、と思いながらため息。
日本のテレビ局って「右に倣え」と各局、同じ番組を同じ内容で同じ評論家(コメンテータ)が解説するので、
見ている方は飽き飽きしてきます。
新聞にテレビラジオ欄をみると、本当に驚きます。
朝のモーニングショー、お昼のワイドショー、夜の報道番組。
みんな「日馬富士、、、、」の文字が踊っています。
しかも、連日ですよ、毎日ですよ。
この間、国会は開催しているのに、大相撲の方が国会よりも大事なのでしょうかねぇ???
そういえば、先の総選挙の時もそうでた。
小池百合子さんに始まり、小池百合子さんで終わりましたが、
どの局も同じ切り口でお茶の間に「情報」を届けているのです。
いきなりの新党立ち上げ、つぎに「排除します」発言、そしてご本人が総選挙にでるかどうか、、、などなどを毎日、毎日、予測と推測を伝えるのですよね、電波を通して。
新鮮味、鮮度0の情報、しかも同じことを何回もなんかいも、なんかいも。
あげくは何を食べたか、まで報道したり(選挙の時はさすがにこれはなかったか?)
同じ情報を同じ風味で報道しないとどこかから圧力がかかるのか?
なぁんて穿ってしまう私です。
報道のあり方について悩む私。

さて、それにしても、
大相撲。
いったい、どうなるのでしょうか?
大相撲ファンとしては気になるは気になるのですが、
さてさて。。。

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2017.01.30

「帰って来たヒトラー」を観てツラツラと

「帰って来たヒトラー」を夫と観て来ました。
ちょっと長いですが、公式サイトより映画のあらすじです。
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ギャップに笑い、まっすぐな情熱に惹かれ、
正気と狂気の一線を見失う―。
歴史上〈絶対悪〉であるヒトラーが現代に甦り、モノマネ芸人と誤解されて引っ張り出されたテレビの世界で大スターになるという大胆不敵な小説が2012年にドイツで発売。絶賛と非難の爆風をくぐり抜け、国内で200万部を売り上げた。その世界41カ国で翻訳、権威あるタイムズのベストセラーリストでも堂々NO.1に輝いた問題小説が、まさかの映画化!ドイツではディズニーの大ヒットアニメ『インサイド・ヘッド』を抑えて第1位を獲得した。
主役を演じるのは、リアリティを追求するために選ばれた無名の実力派舞台俳優。ヒトラーに扮した彼が街に飛び込み、実在の政治家や有名人、果てはネオナチと顔を合わせるというアドリブシーンを盛り込んだセンセーショナルな展開と、原作とは違う予測不能な結末は、一大ブームを巻き起こした。
1第二次世界大戦から70年が経ち、全てが変わった現代社会で、あの頃と変わらぬ思想とともに生きる男が繰り出すギャップに笑い、かつて熱狂的に支持されたままの、誰よりも愛国心に富んだまっすぐな情熱に惹かれ、正気と狂気の一線を見失っていく現代の人々の危うさ―。そうきっとスクリーンの前で笑っているあなたも。
モラルと背徳の狭間ギリギリの危険なコメディ、あなたの〈足元〉がグラつく。
(公式サイトより引用)
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2014年のある日、ヒトラーが甦る。初めはテレビ、あるいは映画の撮影だと思ってヒトラー役の「ものまね芸人」を笑って受け入れる。ある人は握手したり、一緒に写真を撮ったり、あるいはインタビューを受けてヒトラーの演説に「そうだそうだ、全く」と賛成したり、、と。
その中で次第に人々の心を掴んでいく過程が描かれています。
説明にもあるように主演の実力派舞台俳優オリヴァー・マスッチさんのこの映画に対して想いが述べられている記事を見つけました。
記事の中でもありましたが、ドキュメンタリー方式で道行く人々に声をかけたのだが、その好意的な反応に驚き、危険を感じたと述べています。
「外国人労働者に職を奪われている」
「アーリア人の純血を」
と、オリヴァー・マスッチさん扮するヒトラーが声をかけるとたくさんの人が賛意を表したというのです。
「選挙に出たら投票してくれるか」と尋ねたら「もちろん」と答えてくれる人もいました。。。
オリヴァー・マスッチさんは「今まで築いて来た自由とか民主主義とかが取って代わろうとしている」と危惧を表明しています。

さて私と夫の感想。
「怖い映画」でした。
笑ってなんていられません。
あまりにも現在の状況に酷似しているから。。。
2017年、1月20日、アメリカではトランプ大統領が誕生し、世界中が振り回されている昨今。
トランプさんの過激な発言に初めは「まさかあんな人が大統領になるなんて、、、」と高をくくっていました。
が、
なんと選挙が終わったらトランプさんが勝利。
アメリカ大統領になり、そしてついに就任。
選挙公約通り「メキシコに壁を」「テロ防止策として移民を受け入れない」などなど排外政策をドンドン実施しています。
その思想の背景は「アメリカファースト」であり「強いアメリカ」「アメリカ一強主義」です。
そして多くの(?)アメリカ人はそんなトランプさんの主張や実行を認め、高く評価して彼に期待をしているようです。
こうした現実を見ている私にとっては「映画は非現実でお話でフィクション」の物ではありませんでした。
まさに今、アメリカで繰り広げらている状況はヒトラーが求めていたものと酷似しているのでは、、、と思いました。

映画を観たあと、夫と感想を話し合いました。
夫は「人間は本来持っている残酷な面、排外的な部分は普段は理性やあるいは民主主義と名のつくもので蓋をかぶせているが、ちょっとその蓋を取り除いただけでそうした負の感情が出てくること、それは誰でもが持っていることで、いつだって起こりうること。何もヒトラーという特別の人間が必要なのではなく、次々とヒトラーが出てくることが実に怖い」と言ってました。
また「戦争と平和」とかそうしたオルタナティブの問いには人は「平和」を希求するというが、そのカテゴリーから外れた「民族主義とか排外的な思想」に今真剣に向き合う時期なのだ」とも付け加えていました。
私も賛成です。
私は心理学実験で有名なミルグラムの実験についてちょっと夫に説明したのですが、今度これを扱った映画も上映されるようですね。
「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」というタイトルです。
「人間はどこまで残酷になれるか」
と、映画の予告編は問いかけています。

社会心理学的には「状況の力」ということで、人はその状況に置かれたら善悪に限らずその状況に慣れ、受け入れていくことが述べられています。
以前「THE WAVE ウェイヴ」を観てというタイトルでブログに感想を書いたことがあります。
その時は2015年8月でまだアメリカではトランプ大統領が誕生していませんでしたが、
感想で私は以下のように書いています。
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「まさか、そんなことが」とか「自分だけは大丈夫」とかとか。
ところが、
この考えにこそ罠があるのでは、、、と感じます。
案外、人は縛られる事、規則に雁字搦めにされること、全体主義が好き、というか安心を感じるものかもしれません。
ナチスがそうであったように。
そうして多くの宗教がマインドコントロールをするように。。。
(以前の記事より)
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本当にそう思います。
まさか、いまヒトラーが。
まさか、いまアイヒマンが。
そして、
自分だけは大丈夫。
自分だけは中立で公平。
なんて、
それは小さな、小さな思い込みであるのでは、、、
と、
もう一度自分を振り返りました。

映画の中でヒトラーも言いました。
「自分を選んだのは国民なのだ」と。

この映画、
ぜひ多くの方に観ていただけたらと強く思いながら、
感想を縷々書きました。

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2016.10.16

話題の「シン・ゴジラ」を観てきました!!!

昨日、ようやく「シン・ゴジラ」をみてきました。。。
http://www.shin-godzilla.jp/index.html(公式サイトのURLです)

個人的には面白かったです。
政府や有識者やらがバタバタするシーンがかなり臨場感があって、
たぶん、3月11日の震災や原発のときもこんなだったんだろうな、、、とかとか思って見ていました。
不測の事態に対して、どう対応するか、冷静な判断をするかという危機管理。本当に大変なんでしょうねぇ。
全体のテンポがよくて、ポンポンと話がすすみ、問題が深刻なもの(たぶん)であるにもかかわらず私は軽快に見ていました。
さて、最後のシーンがネットでは話題になっているようですが、
私はあんまり気がつかなかったのです。
あとでネットでみなさんの感想をみて「あら、そうだったっけ」って感じ。
私はそれより、解決方法がちょっと安直ではと、思いました。
夫の感想は面白かったです。
「みんなで力を合わせて解決。力を合わせればなんとかなる、、、といういかにも日本的、おとぎ話的な終わりかた」と評していました。
なるほど。。。
そんな見方もあるんですね。
と、いうことで、話題の「シン・ゴジラ」を観てきました!!!

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2016.05.28

映画「64」を観てきました

映画「64」の前編を観てきました。
公式サイトは以下の通り。
http://64-movie.jp
あらすじはwikipediaに詳しく書いてありますので、興味がありましたらごらんください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/64(ロクヨン)

私は「64」は小説も読んでいて、
ハラハラドキドキ、最後は寝る間も忘れて読みました。
家族にも「面白いからよめ」「よめ」と進めていました。
ようやく読み始め、「面白かった、、、⚪️⚪️が」とか言い出すのですが、すっかり忘れていて「そうだっけ???」という始末。
そういうわけで、今日見た映画も初めての話のように新鮮でした。
と、いうことで感想は「面白かった」という一言。

原作ではもう少し主人公の家族との葛藤や警察内部での陰謀がらみの駆け引きなんかが丁寧に描いてあったのですが、映画はその辺りはスラッと納めて、
淡々と話が進んでいきます。

主人公を演じる佐藤浩市さんの演技が素敵で上手で見入ってしまったのですが、
佐藤さんは哀愁ある中年の男を演じると今や右にも左にも出る人がいないかも。。。
前に「終着駅〜ターミナル」http://www.terminal-movie.com
と、いう映画を見たときも、静かに淡々とそれでいてちから強く語りかける演技に引き込まれました。
今回の「64」も家庭に問題を抱え、未解決の殺人事件を胸に、今の仕事の組織と人間関係に振り回されと、どこに怒りを持っていっていいのか分からない中年の懊悩をスクリーンは描き出していたと思いました。。。

6月11日公開の後編。
どうなるか楽しみです!!!

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2016.04.01

「浪花節だよ人生は」古舘さんのあいさつより

報道ステーションが3月31日にて終わりました。
最後に古舘さんのあいさつが文字で起こされていますので、ここに紹介します。古舘氏「死んでまた再生します」/あいさつ全文というサイトからの引用です。
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私が大変気に入っているセットも今日が最後。04年4月に産声を上げ、12年の月日があっという間にたちました。私の古巣である、学舎であるテレビ朝日に貢献できればという思いも強くあって、この大任を引き受けさせていただきました。おかげさまで風邪などひとつもひくことなく、無遅刻無欠勤で12年やらせていただくことができました。これもひとえに、テレビの前で今、ご覧になっている皆様方の支えあったればこそだなと、本当に痛感をしております。ありがとうございました。

 私は毎日毎日この12年間、テレビ局に送られてくる皆様からの感想、電話、メールをまとめたものをずーっと読ませていただきました。お褒めの言葉に喜び、徹底的な罵倒に傷ついたこともありました。でも全部ひっくるめてありがたいなと今思っております。

 というのも、ふとある時気づくんですね。いろんなことを言ってくるけれども、考えてみれば私もこの電波という公器を使っていろんなことをしゃべらせていただいている。絶対誰かがどこかで傷ついているんですよね。それは因果はめぐって、自分がまた傷つけられて当然だと、だんだん素直に思えるうになりました。こういうふうに言えるようになったのも、皆様方に育てていただいたんだなと、強く思います。

 そして、私がこんなに元気なのになんで辞めると決意をしたのかということも簡単にお話しするとすれば、そもそも私が12年前にどんな報道番組をやりたかったのかということにつながります。実は言葉にすると簡単なんです。もっともっと普段着で、もっともっとネクタイなどせず、言葉遣いも普段着で、普通の言葉でざっくばらんなニュース番組を作りたいと、真剣に思ってきたんです。

 ところが現実はそんなに甘くありませんでした。たとえば、「いわゆるこれが事実上の解散宣言とみられております」と、「いわゆる」がつく。「事実上の」をつけなくてはならない、「みられている」と言わなくてはならない。これはどうしたって必要なことなんです。放送する側としても誰かを傷つけちゃいけないと、二重三重の言葉の損害保険をかけなければいけないわけです。そういうことをガチッと固めてニュースをやらなければならない。そういう中で、正直申しますと、窮屈になってきました。

 もうちょっと私は自分なりの言葉、しゃべりで皆さんを楽しませたいというようなわがままな欲求が募ってまいりました。12年やらせていただいたというささやかな自負もありましたので、テレビ朝日にお願いして「退かせてください」ということを言いました。これが真相であります。

 ですから、世間の一部で、なんらかのプレッシャー、圧力が私にかかって、辞めさせられるとか、そういうことでは一切ございません。そういう意味では、私のしゃべりを支持してくれた方にとっては、私が辞めるというのは、裏切りにもつながります。本当にお許しください。申し訳ありません。私のわがままです。

 ただ、このごろは、報道番組で開けっぴろげに昔よりもいろんな発言ができなくなりつつある空気は私も感じています。この番組のコメンテーターの政治学者の中島先生が教えてくれました。「空気を読む」という人間には特性がある。読むから、一方向にどうしても空気を読んで流れていってしまう。だからこそ反面で「水を差す」という言動や行為が必要だと。私、その通りだと思います。つるんつるんの無難な言葉で固めた番組などちっとも面白くありません。人間がやっているんです。人間は少なからず偏っていきます。だから、情熱をもって番組を作れば、多少は番組は偏るんです。全体的に、ほどよいバランスに仕上げ直せば、そこに腐心をしていけばいいという信念を私は持っています。

 という意味では、12年間やらせていただく中で、私の中でも育ってきた報道ステーション魂を、後任の方々にぜひ受け継いでいただいて、言うべきことは言う、間違いは謝る。激しい発言というのが、後年議論のきっかけになっていい方向に向いたじゃないかと、そういうこともあるはずだと信じております。

 考えてみれば、テレビの一人勝ちの時代がありました。そのよき時代に乗って、あの久米宏さんが素晴らしい「ニュースステーション」というニュースショーを、まさに時流の一番槍をかかげて突っ走りました。私はその後を受け継ぎました。テレビの地上波もだんだん厳しくなってきた。競争相手が多くなりました。そういう中でも、しんがりを務めさせていただいたかなと、ささやかな自負は持っております。

 さあ、この後は通信と放送の二人羽織、どうなっていくんでしょうか。厳しい中で、富川悠太アナウンサーが4月11日から引き継ぎます。大変だと思います。しかし彼には乱世の雄になっていただきたいと思います。私はこの12年の中で彼をすごいなと思ったのは、1回たりとも仕事上のグチを聞いたことがありません。そういう人です。精神年齢は私よりもずっと高いと思っています。どうか皆さん、3カ月や半年あたりでいいだ悪いだ判断するのではなく、長い目で彼の新しい報道ステーションを見守っていただきたいと思います。本当につらくなったら私に電話してきてください。相談に乗ります。ニュースキャスターというのは、本当に孤独ですからね。

 私は今こんな思いでいます。人の情けにつかまりながら、折れた情けの枝で死ぬ。「浪花節だよ人生は」の一節です。死んでまた再生します。皆さん、本当にありがとうございました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最後の浪花節、素敵ですね。
人の情けにつかまりながら、折れた情けの枝で死ぬ。「浪花節だよ人生は」
また再生なさることを祈りながら。。。

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2016.02.22

スターウォーズ、観ました

StarWarzを観てきました。
単純にエンタメとして面白かったです。

ただ、では何が面白かったのかと書こうと思っても実は「うううううん」と唸ります。

まぁ、次に期待ということで。。。
とにかく備忘録として「みたよ」とだけ、ここにも書いておきます。

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2016.02.19

いしゃ先生を観て

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昭和10年、出羽三山の主峰・月山の麓を、急ぎ歩く女性がいた。志田周子(ちかこ)、26歳。

故郷の父から『ハナシタイコトアリ スグカエレ』という電報を受け取った周子は、取るものもとらず帰郷したのだ。
山形の農村出身の彼女は、努力して東京女子医専(現・東京女子医大)に入学し、医者になったばかりだった。
——風が鳴く峠のてっぺんに立つ、周子。眼下に懐かしい景色が広がった。8年ぶりの美しい故郷だった。久しぶりの実家。
幼い弟たちは周子に甘え、母・せいが手料理でもてなす。温かい出迎えを周子は喜ぶが、父・荘次郎の様子がおかしい。
大井沢村の村長だった荘次郎は、周子の了承も得ぬまま周子名義で診療所建設の予算を通し、すでに建設が始まっていたのだ。
「頼む、周子。3年だけお前の人生を俺にくれ。その間に必ず代わりの医者を見つけるから」父に頭を下げられた周子は、
怒ることはできなかった。無医村のこの村に医者を置きたいという父の願いは、誰よりも理解していたから。
まだまだ未熟な自分が一人で診療所の医師などつとまるのか……不安を抱えつつ、周子は3年間だけ頑張ってみようと心に決める。
東京にいる想い人の存在を胸に秘めながら。
——自身に降りかかる数々の試練に耐え、過酷な運命にも負けず、昭和37年にこの世を去るまで、
たったひとりで村人の命を守った「いしゃ先生」の愛と勇気の物語。

(公式サイトより)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

物語は実在の人物のものなので、確かに静かに穏やかに、そして迫力がありました。

僻地、しかも未だ呪術を信じる村人を相手に地域医療に一生を捧げた主人公志田周子さん。この映画を観るまで寡聞にして知りませんでした。

このような人がいたこと、このような女性がいたこと。このように医療の現実を開拓しようとしたひとがいたこと。

知りませんでした。

そして、映画を観て、知って良かったとつくづく思う私です。

主人公志田周子さんは言います。「すべてのひとに平等に医療を与えることができること。ひとはだれでも命の前に平等であること」を強くしかも確信をもって訴えます。

本当にステキでした。

さてストーリはストーリとして、

演じていた平山あやちゃんが本当に美しかったです。

凛とした気品満ちたその佇まいに思わず「ステキ」と思いながら映画に見入ったのです。

全体に山形の自然が丁寧に映し出され、淡々とした映画だったのですが、

ストーリの展開として少々雑なところもあったかと思いました。

もう少し、主人公がこの無医村に残ることを決意したときの心境が描かれていたら良かったかな、、と思うのです。

また恋人の英俊さんを選ぶか医療を選ぶかという二者選択に立たされた時の主人公の心の動き、葛藤がもうちょっと丁寧に描かれていたら、より一層、共感できたのでは、、、と感じました。

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2016.01.31

「母と暮らせば」を観ました

母と暮らせばを夫と観てきました。
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小説家・劇作家の井上ひさしが、広島を舞台にした自身の戯曲「父と暮せば」と対になる作品として実現を願いながらもかなわなかった物語を、日本映画界を代表する名匠・山田洋次監督が映画化。主人公の福原伸子役を「おとうと」「母べえ」でも山田監督とタッグを組んだ吉永小百合が演じ、その息子・浩二役で二宮和也が山田組に初参加。「小さいおうち」でベルリン国際映画祭銀獅子賞(女優賞)を受賞した黒木華が、浩二の恋人・町子に扮する。1948年8月9日、長崎で助産婦をして暮らす伸子の前に、3年前に原爆で死んだはずの息子・浩二が現れる。2人は浩二の恋人・町子の幸せを気にかけながら、たくさんの話をする。その幸せな時間は永遠に続くと思われたが……。
(上記サイトより)
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静かに悲しい映画でした。
優しく、穏やかに哀しい映画でした。
淡々とそして、染み入るように切ない映画でした。

主人公を演じる吉永小百合さんの透き通るような美しさと、
亡霊になって母を見守りに来る息子を演じる二宮和也さんのカゲロウのような儚い風情が、
なんとも物語にぴったりでした。

自分が死んだことさえ知らない一瞬の出来事として生を断絶された若者と、
その母、婚約者が残された人生を支え合いながら生きて行くのですが、
その寂しさは決して口では表せるものではありません。
女優吉永さんはその背負って運命を背中で語り、
しかし、これは決して運命ではなく人間が犯した過ちであるから、
唯々諾々と受入れてはいけないんだ、納得してはいけないんだ、と
思いながら、
それでも、
遺された婚約者である町子さんの幸せは祈ってあげたい、祝福していかなければならない、
と、わずかな理性で感情を封じ込めていこうとします。
亡霊の息子も激しく抵抗していたのですが、やがて、自分の死と、生きていく人たちへの生きる讃歌を祈ることへと変容していく様が実に丁寧に美しく、そして悲しく描かれていました。
また、
生きている婚約者の町子さん(黒木華さん)が「生きていることの罪」を訴える場面はあまりに辛いものがありました。
さらに婚約者である町子さんがいずれ結婚するであろう若者を連れて来た時、母は静かに受け入れるんですが、
が、
が、
息子の亡霊に激しく声を上げ、嗚咽する場面はなんとも自然で、それはそれで本当に胸が詰まりました。
「なんで、あの子が生き残って、あんたが死んだの」。。。
それは子を亡くした全ての母の代弁でした。

死が美しいはずはないし、
ましてや、
国家のために命を投げたり、
あるいは、突然、戦火に巻き込まれ命を閉ざされる人があってはならないこと、
戦争は決してあってはならないことを、
静かに、強く、感じたものでした。。。

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2015.11.19

NHKBS「戦争を継ぐ 山田洋次84歳の挑戦」を観て

NHKのBS番組「戦争を継ぐ 山田洋次84歳の挑戦」を観ました。
これは山田洋次監督が12月12日公開の「母と暮らせば」のメーキング版とでもいう感じの番組です。
吉永小百合さんと二宮和也さん、黒木華さん主演。

二宮が演じるのは、原爆で亡くなり幽霊として母•伸子(吉永小百合)
の前に現れる青年•浩二の役です。
ニノは山田監督の映画は今回が初めてだそうで、
そのニノを中心に、戦争の真実を次世代に伝えたいという山田監督と、戦争を知らない世代のニノ、それから黒木華ちゃんが、どんな風に戦争に向き合うかをテーマに撮影に挑む山田組の姿が映し出されていました。

さて、先日、私は夫と映画を観に行ったのですが、映画って始まる前の宣伝がやたら多いではないですか。
で、
「母と暮らせば」も勿論、宣伝していました。
夫と「これ、良さそうね、観ようね」と言ってた矢先の番組。
と、いうことでとても興味深く観ました。

山田監督がこの作品に寄せる並々ならぬ思いは、
実は亡くなった井上ひさしさんからの熱い思いのバトンだったのです。
「父と暮らせば」という本を書いた井上ひさしさん。
本の紹介は以下の通り。
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世紀が変わってもヒロシマを忘れない。

「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」愛する者たちを原爆で失った美津江は、一人だけ生き残った負い目から、恋のときめきからも身を引こうとする。そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」をかってでて励ます父・竹造は、実はもはやこの世の人ではない――。「わしの分まで生きてちょんだいよォー」父の願いが、ついに底なしの絶望から娘をよみがえらせる、魂の再生の物語。
(上記サイトより)
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ヒロシマを風化させてはいけない。
語り継がねばならない。
が、
越えなければならない。
そんな二律背反の中で日常を送る被爆者の方々の代弁者としてこの本はあります。
戦争の悲劇を笑いの中に昇華させて、
生きていく人々の胸のうちにうず高く積もっている自責の念。
「なんで、自分が生きているんだ」「申し訳ない」という死者へのひたすらな謝罪。
実はそれは違うんだよ、とどんなに他人が言っても当の本人は受け入れようがない。
責めて、せめて、責め抜いて自分の幸せを拒み続けて生きていった人たちがどんなに多くいたのだろうか。
戦争の傷は点ではなく線であり面積であり、体積のように時とともに大きく深く抉っていくものであることを、
井上ひさしさんは演劇で訴えます。
そして、ありきたりであろうが、
「あなたは悪くない、幸せになっていいんだよ」と伝えることが、実はありきたりどころか、大きな一歩であることを観ている人たちに語ります。

その精神を継いで、バトンを受け取った山田監督。
「母と暮らせば」というのは、井上さんがタイトルだけ決めていたのですが、残念ながら世に出なかった脚本だったのです。それを受けて、
想像に想像を重ね、寝る暇も惜しんで、山田監督は一つの映画「母と暮らせば」を作ったのです。
その過程をカメラは捉え、
時々で監督やニノや華ちゃんや小百合さんの苦悩、戸惑いを映し出します。

私たちも、それをみながら、
「映画ってなんてすごいものか」と改めて感動しました。
そして、その伝えるメッセージの大きさに、今、ここにいる責任をともにしなければと、
強く思ったものです。

戦争は何もうみださない。悲劇以外は。
と。

映画を楽しみにしています!!!
また感想は後ほど、書きますね。

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