2008.06.14

EUフィルムデーズを終えて

「EUフィルムデーズ」が5月16日から6月初旬にかけて東京でおこなわれていました。
ヨーロッパ映画の多様性と質の高さを紹介する、ユニークな映画祭と銘打たれ、
今年で6回目。
2008年の「日・EUフレンドシップウィーク」の一環として開催される本映画祭では、EUの加盟27カ国中19カ国の選りすぐりの映画21本が、毎日2 回、3週間にわたって東京国立近代美術館フィルムセンターで上映されました。
他の映画祭のように華やかな授賞式などはありません。
しかし、誰でも気軽に格安の入場料で映画を鑑賞できる映画祭です。
私個人はとても興味があったのですが、残念ながら観ることはできませんでした。

今、日本で劇場公開されている映画で、
観ようと思っている作品は幾つかあります。
映画が好きな私にとって、普段観ることが出来ない映画が、観ることが出来るなんて夢みたい。また、いつか機会があればと、、、と願っています。

それにしても、当たり前のことながら映画作りってお金がかかります。

文化であると同時に、投機の対象になっている映画界の現状を考えると、
なかなか難しいものがあります。
最近のハリウッド映画の興行収入と数百億円という製作費をかけて圧倒的な宣伝力で世界の映像市場を支配し、1000億円以上の興行収入を稼ぎ出している映画界。
その資金源は、勿論、投資ファンド。

ところが、
最近の金融異変でハリウッドからも投機的マネーが流出し、資金調達には苦労していると言うことで、ここでもアメリカの直面している問題が立ちはだかっているようです。
アメリカは映画界でさえ、
「新自由主義」のグローバル化と自由化路線によって拍車をかけてきました。
 映画や音楽も完全に自由化すべきというアメリカ。
一方、EU諸国は、
「文化は自由貿易とはなじまない」と主張。
発展途上国も、市場原理にまかせると、資本力で民族的な文化が破壊されると反対。

2005年、
こうしたWTOでの「文化と自由貿易」をめぐる対立を背景を受けて、
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の第33回総会)で、「文化の多様性」条約(文化的表現の多様性の保護および促進に関する条約)が提案されました。
この時、当然、
アメリカは、激しく抵抗。
反対はアメリカとイスラエルの2カ国だけ。
賛成148カ国(ほかに棄権4)という圧倒的多数で採択され昨年の3月に正式に発効。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「文化的表現の多様性を保護し、及び促進することは、すべての文化(少数民族及び原住民に属する者のための文化を含む)の平等な尊厳及び尊重の認識を前提とする」

「国家は、…自国の領域内で文化的表現の多様性を保護し、及び促進するための措置及び政策を採用する主権的権利を有する」
(「文化の多様性」条約より)。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

札束でほっぺを叩くようなやり方では、
文化は守れません。
全ての文化の平等と尊厳。
これらを守り表現の自由を保障。
そこから生まれる数々の名作。
今後も、楽しみです!!!

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2008.05.16

ナルニア国物語り カスピアン王子の角笛

ナルニア国物語りの第二章、カスピアン王子の角笛が、もうすぐ劇場公開。
アメリカでは明日からでしょうか、、、


ワクワクしながら公式サイトを見ています。
楽しみです。

大好きなナルニア
さてさて、どんな風に映画になるのか、、、
ライオンと魔女は原作に忠実に描かれていました。
今度は、原作風味とは少し違うというウワサが流れていますが、どうなんでしょう?
それにしても、
カスピアン王子、ハンサムですね。
いよいよ登場のリーピチープ。
私の中では十二国紀の楽駿とかぶるキャラです。

どうなるか、、、
今から待っています。

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2008.05.10

母べえを観て

母べえを観てきました。

夫と二人で雨の中、行ってきました。
この映画は、夫と一緒に観て本当によかった。
何気ない日常の幸せ。
当たり前のように受け止めている大切な者を確認することができる、
上質の映画でした。


さて映画は、
時代と人々。
がテーマなのでしょうか?

背景である戦争への告発と平和の尊さ。
それを守る為に命を賭した人、その家族の愛。
それは夫婦の愛であり親子の愛であり、親戚の愛であり、隣人の愛であり、淡い憧れにも似た愛であり、、、
様々な人々の「思い」が愛と言う形で淡々とセピア色に流れていきます。

戦争と言う暴力に屈する事なく誇り高く命を閉じた人。
好むと好まざるとに関わらず徴兵され、戦地に赴き、命を散らす人々。
そして残された人々。
その残された人々こそが生き抜き、生き抜き、生きていく、、、
いろんな物を抱え、心に封じ込め。
戦争は終わってなんかいない。

時代は流れて、時は移り、、、

母べえは今際の際に言う。
「あっちに行っても父べえにはあいたくない。
生きてあいたかった」
と。

一年、二年、三年、、、そして十年、何十年。
母べえは夫、それも生きている夫を待っていたのでしょう。
心に生きている夫を描き、生き抜いてきた一人の女性の生き様,その最期が語る物は、
愛する者を失う悲しみ。
以外のなにものでもありません。

そんな悲しさ、切なさが全編に漂っていました。
悲しく、辛く、やっぱり救いはなかった、、、

救いはなかった。

それでいいのだと思います。

人は生きていく者です。
立ち、歩む者です。
そして、
愛する者を誰よりも大切に丁寧に生きていく者です。
だからこそ、
理不尽な形で愛する者を奪われることは救いがない。

救いがないからこそ、
これからこんな事が再び起きる事のないように、
人は生きていかなければならないのだと思いました。
かけがえのない人が、
理不尽にも、もぎとられるような残酷な日が誰にとっても起きる事のないよう祈りながら。

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2008.04.04

フジテレビからBPOへの回答

「FNS27時間テレビ「ハッピー筋斗雲」について」というニュース。
霊能者タレントの江原さんがBPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会から「倫理に反する」と指摘を受けていた問題のまとめという観点の記事です。
江原さんが一般市民を“ドッキリカメラ”的手法で霊視するというもので、物議をかもした事は有名です。
尤も私はこの手の番組は見ていないのですが、、、
友人は好きでしたねぇ。
電話で話しているとよく言うんですよ「江原さんが○○と言っていたとか」。
あらあら。
でした。
さて話は戻り、
これに関して、フジテレビが報告書を提出。
一般人の出演者に対する細心の配慮が必要だったと総括。
そして、
「番組制作ハンドブック」に、「『サプライズ』という演出手法を一般人に用いる際は、十分な裏付けを取る」などの項目を追加。
番組プロデューサーへのアンケートや勉強会も実施とのこと。

 
しかし、
事の本質は、
「一般人出演者」や「ドッキリカメラ的手法」への配慮に関してだったのだろうか?
もしそうなら、
一般人でなければ許されていたのか?
と言う事になります。
そうじゃないでしょう>フジテレビさん。

私たちが本当に危機を持ったのは、
「江原さん垂れ流し」についてです。
(私は江原さんに敵対する者ではありませんが、
江原さんがなさった事は社会悪だと私は思います)

この報告の中でも、
清水英夫さんは「残された問題」として以下のように書かれています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本件報告書は、いわゆる「サプライズ」という演出法、特に一般人を起用する際の留意点が中心となっているが、さきのアンケート回答にもあったように、一番の問題点は、スピリチュアル・カウンセリングと称する非科学的、荒唐無稽な霊視を番組の中核に置いたことである。日本民間放送連盟が定めた「放送基準」は、その第54において、「占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない」としている。たしかに、本件番組は、「断定したり」「無理に信じ込ませ」るような取り扱いにはなっていないが、全体として霊視を肯定的に扱っているとの批判は免れがたいようだ。これは、バラエティ番組だから許される、大目に見られるというレベルの問題ではないことを付言しておくとともに、「放送基準」が骨抜きされないよう望みたい。

(上記サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そうなんですよね。
一番の問題点は、
「非科学的、荒唐無稽な霊視を番組の中核に置いたこと」なんですよね。
作り物としては面白いかもしれないし、
現実に霊がいるともいないとも言えないことを逆手に取って、好き放題「嘘」や「でたらめ」を流した罪は大きいと考えます。

こうした考えが流布されると、
責任を「霊」に転嫁するとか、
科学的な思考をストップさせるとか、とか。
言ってみれば、「思考の退行」を促す役割を担うことにもなります。

日本民間放送連盟が定めた「放送基準」には、「占い・運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない」とあります。
無理に信じこませないのは当たり前の事です。
だがしかし、
毎週、このような番組が無防備な視聴者に垂れ流される「罪」は広く大きいということを、
フジテレビはしっかりと反省していく必要を感じます。

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2007.09.19

シッコを観て

本当はもっと早く書くはずあったのですが、
先週は安倍さん辞任、さらにそれに引き続くゴチャゴチャで書けなくなった記事があります。
記憶の隅に埋没する前に書きたいのだが、ちょいと鮮度は落ちたかも、、、

話題の映画シッコがそれ。
この映画、ご覧になった方もそうでない方もアメリカの医療の現実を訴えた映画であるということはご存じではと思います。
またアメリカの凄まじい医療の現実は来るべき日本の姿であるとも想像されます。
あの映画を観て多くの方は「年取ったらいい国に行きたい」と思われたのではないでしょうか。
実際、私も先行き不安な日本の医療を考えると出来るものなら日本脱出を試みたいと思ったものです、、、

さてそんな映画のメインテーマは別にして私の心にひっかかったのは、
アメリカ人とフランス人の政府に対する考え方、と言うか政府が国民をどの様に支配(?)しているかということでした。
フランスでは「政府は国民を怖がっている」そうです。
一方、アメリカは「国民が政府を怖がっている」とのこと。
その違いが国民の諸々の生活に反映しているのでしょうか?
福祉。
教育。
医療。
国は国民に与える物なのか。国民が当然うけとるものなのか。
この正反対の意識が映画の画面いっぱいに映し出されています。
そして観る私たちは誰だって「日本はどうだろう、、、日本人はどうだろう」と思うのです。
すると、やっぱりみんなここ最近の政府の過酷なまでの税金の取り上げに福祉の切り捨てを思わざるをないわけです。
「日本はアメリカのようにいずれなる、、、」と思う背景は、
日本の医療が将来(今でも十分)新自由主義に侵されていくと言うよりは、
日本人が政府に唯々諾々と従わされている現実を見ると言う方が的確ではと思います。
映画は言うのです。
「国民を支配するには教育と健康と希望を奪えばいい」と、、、

なるほど、
教育。
やっぱり、
医療。
そして
希望。

次第に私たちの生活から消えていっているのでしょうか???
「愛国心」とか「美しい国」とか「国際社会」とか、そんな言葉にかき消されていっているのでしょうか?
そんな不安がフツフツと沸き起こる実に問題作品シッコでした。

「国民を支配するには教育と健康と希望を奪えばいい」。
教師から教えることの喜びを奪い、
医師から病気克服の使命感を奪い、
国民から気骨を奪う。
そんな国が待っているのだろうか???
いや、そんな国にしてはならないと思います。

余談ながら先日から愚樵さん papillon9999さんとも話題にしている医療と心。
papillon9999さんは詳細に医療の現実分析と将来のあり得るべき姿も示されています。
またトラックバック下さったポチさんも日本の医療の実態について危惧を表明していらっしゃいます。

まだまだ私たちは赤ひげを手放してはなりません。

過去の記事です。
お時間がありましたらご覧ください。
医療制度改革の意味すること
医療制度改革の意味すること その2
医療制度改革の意味すること その3
医療費と消費税

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2007.09.18

芙蓉鎮を観て

劉暁慶 りゅう・ぎょうけい主演の芙蓉鎮を昨日、観てきました。
映画の内容はネタバレにならないように感想のみを記しておきます。
時代は文化大革命前とその最中の中国を舞台に、
権力という暴力に翻弄される一人の女性の物語です。
墨絵のような中国の自然と雑駁な村の様子。
そこに生きる人々のしたたかさ、素朴さが実に克明に描かれているのですが、
うるさく押しつけてこないのです。
淡々と流れていくのです。
主人公の悲劇は当時、至る所で見られた光景だったのでしょう。
誰が敵で、誰が味方か?
誰を信じていいのか?
誰の庇護に下れば安泰か???
人々は昨日も、今日も、明日もひたすら耐え忍ぶ。
「これはおかしい」
「これは間違いだ」と少しづつ気がつく人が増えてくる、、、
そしてやがて悪夢は去り、
中国は「元」に戻ろうとする、、、何事もなかったように。
しかし、
しかし、
人々の失ったものは大きかった、、、
が、
が、
得た者も同様に大きかった。
愛する者のために、
自分の信じるものを守るために、
「生きること」「生き抜くこと」
「牛のように、豚のようにでも生き抜くことの大切さ」を映画は伝えてきます。

この映画は涙がボトボト落ちてたまらない、というような泣かせる映画ではないのですが、
気がついたらやっぱり泣いているんですね。
悲しい涙だったり、嬉しい涙だったり、、、
ハラハラ・ドキドキ。
来る日も来る日も道路掃除をする光景が、
時間の長さを思わせます。
貧しく猥雑な町で生きる人々のしたたかさと活気は、力では抑えきることができないと映画は伝えます。

どんな時代であろう、
どんな所であろうと、
人は生きなければならない、、、

そんなメッセジーをもらい、映画が終了したときはもう5時近く。
「うわっ〜〜〜3時間も見ていたのかぁ、、、」
時が止まっていたのかもしれません。
それくらい、いつのまにか映画に入り込むことができます。
まだご覧になっていない方は是非ご覧ください。


それにしても主人公の劉暁慶。
いいですね。
その後の生き方がまさに映画の「米豆腐店」胡玉音。

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2007.06.19

ニュー・シネマパラダイス

ニュー・シネマパラダイス
昨日、観てきました。
ちょっと前の映画なので、もうご覧になっている方も多いと思います。
実にイタリアらしい映画でした。
青い地中海のイタリアの村を背景に映画しか娯楽がない時代。
主人公の少年と映画技師との心の交流を縦糸に、
美しい少女への恋心や親との葛藤、青春の悩みなどを横糸にして実に美しく織り上がった映画でした。
猥雑でエネルギッシュでそれでいて淡々と流れていく場面に、
いつの間にか私も、あの白い石畳の町の、「とある」劇場で映画を見ているような気分になりました。

映画、、、

私が幼い頃は町に二つ小さな映画館がありました。
東映と、もう一つは個人名の映画館です。
小さな脇道をそれたところにケバイ看板とともに薄暗く建っていました。
なんとなく気だるい雰囲気の映画館。
子どもの私は映画を観るなんてそんな娯楽の恩恵を受けることなんて、
年に二回だけ。
夏休み学校から貰ってくる映画鑑賞券を片手にPTA推薦のマンガとか怪獣物を友達と見に行くのが一回。
あと家族と「その時の話題作」を見に行くことがありました。
四谷怪談とか番町皿屋敷、牡丹灯籠(こうしてみると思い出すのは怪談ばかりだね、よっぽど子ども心にインパクトがあったのか)とかとか、、、
コワイコワイと言いながら、
ドキドキして見ていました。
こう言うときに限って途中でトイレに行きたくなるのです。
映画館のトイレはそれでなくてもコワイのに、ここはさらに薄暗くコワイ〜〜〜〜〜
母についてきて、と頼んでも、夢中で見ている母はウンウン言うだけでいっこうに腰を上げてくれない。
仕方がないので一人でトイレに走り込んだとか、、、

とかとか。

そんなむか〜〜〜〜しの思い出が甦ってきました。

映画。

人それぞれの思い出をのせて、
暗い劇場で想像力の限を使い果たしたあの頃。
観る方も作る方も必死なそんな時代でした。

何も胸打つシーンや心ある言葉が鏤められてなくてもいい。
映画その物も勿論だが、その情景は私にとって懐かしく美しい。

そんな思いがクルクル、グルグルと走馬灯のように駆け回った二時間でした。

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2007.05.09

笑う大学を観て

WOWOWでこの連休中に三谷さんの笑いの大学スペシャルがありました。
ご覧になった方も多いと思います。
私もビデオに撮って、
先日、映画版の方を見ました(舞台版はまだ観ていません)。

「笑いの大学」

あらすじは、
===戦時体制が強まり、庶民の娯楽すらも制限され始めた時代。腹の底から笑ったことがないという厳格な検閲官は、目を通す芝居の台本のことごとくに容赦ない上演不許可の判を押し続けていた。 ある時、そんな彼のもとに新作台本が持ち込まれる。台本を読み終えた検閲官は、神妙な面持ちの作家を前に、「このままでは上演不許可だ」と言い渡した。だが初日の迫った公演を中止するわけにいかない作家は、何度でも書き直すと食い下がる。そのときから、台本から一切の笑いを排除しようとする検閲官となんとしてでも笑いを忍ばせようとする作家の静かな戦いが始まった…。(WOWOWの公式サイトより)===


まず検閲官の役をした役所広司さん、脚本家の役を演じた稲垣吾郎さんの素晴らしい演技にいつのまにか私も映画の中の登場人物になっていました。
舞台になる警視庁のとある一部屋は、私がまだ幼かった時、町にあった公民館と同じような(つまりその時代、どこにでもあった建物)高い窓にクリーム色と茶色の二色で塗り分けられた壁。
懐かしいです。
さて、テーマは言論統制、しかもそれは民衆のエネルギーである「笑い」についてです。
内容を余り書くとネタバレになるので、
ここまでにしておきますが、
それにしても、ラストシーンはジィ===ンときました。
如何に戦争が文化を摘み取っていくものか、と思いました。


さて、タイトルの「笑いの大学」から容易に連想できる本として飯沢匡の「武器としての笑い」があります。
私も早速、本棚から取り出して読み直しました。
まぁ、この本、タイトルから想像するほど面白い内容のものではありません。
飯沢さんは、本を書くより舞台がいい。
そう言えば笑いの大学の脚本家の三谷さんもWOWOWで今回のスペシャルについて語っていたのですが、
それを見ながら私は「三谷さんって、こんなに素敵な脚本を書くのに、話すことはなにやら普通」と思いました。
そこでハタと思ったのです。
「それでいいのだ」と。
三谷さんも飯沢さんも脚本家なのです。
舞台をみれば十分、彼らの伝えたいことが伝わるのです。
さらに、それを本人に説明なんてさせる必要はないのです。

音楽家は音楽で。
画家は絵で。
作家は小説で。
自分を表現すればいいのです。
そこから何かを感じるのは、
その人、それぞれなのだから、、、

自分を表現する手段は、一体なにか?
そんなことを自問自答したものです。

舞台版、笑う大学を観たら、また感想を改めて書きます。

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2007.01.26

ハケンの品格

今、テレビドラマの「ハケンの品格」が面白い。
篠原涼子さん扮する大前春子さんのスーパーなこと、スーパーなこと。
第三回はついに「鮪ショウー」までやってのけました。
そんな大前さんの履歴書がまたカッコイイィイ。
特技「教えません」 
趣味「絶対教えません」  
資格「多くて書けませんが何か?」
健康状態「余計なお世話です」
自己PR「お時給分は働きます」 
自分の長所「雇えばわかります」 
自分の短所「ございませんが何か?」 
性格「ほんとうは不器用です」 
座右の銘「石の上にも3ヶ月」

ウワッ===。
一度は言ってみたい。
大前さん!!
と、言うことではまっています「ハケンの品格」。

しかし、現実問題として考えると「派遣社員」の待遇やさらに正社員との関係などなど、いろいろ考えさせられます。
友人の津村さんが技術系サラリーマンの交差点と言うご自分のブログで〜〜分析屋と「格差社会」〜〜と言うタイトルの記事を書いています。
それこそ格差というテーマに関してご自分の経験を詳細に分析。
高度のテクニカルが要求される職場でのルーチンワークについて紹介している記事を読みながら、考え込んでしまいました。
誰もが大前さんのようなスーパーでないから、
技術を身につけるまで時間がかかる。
高度な技術、プロの仕事に関しては派遣や外注の方に仕事の最終責任を任すことは、なかなか難しいなぁ〜〜〜と思うのです。
結局、慣れた正社員が自分でやった方が早いこともあるだろうし、、、
う===ん。
難しい。
ところでドラマのなかで小泉孝太郎君が「正社員と派遣が仲良くするためにはどうしたらいいか???」なぁんて悩んでいるのですが、オイオイキミねぇ。
キミのお父ちゃんだろうが、規制緩和とか自由競争とか、とかとかアメリカのマネだけして、
正社員から仕事をとっぱらい、さらにはニートや派遣社員を増やしたのは。
と、一人でつっこみをいれていました。
ところで孝太郎君って母親似?

さて私も以前、子どもが小さいとき、ほんのちょっと出版社の校正の外注をしていたことがあります。
あの時も校正のやり方が発注先によって違っていたりと慣れるまで大変でした。
また、大手予備校の小論文の添削もしていたことがあります。
その折もなかなか大変でしたね〜〜〜
と、言うことで「ネコの手」にもならなかった私です、、、

先の津村さんは山田昌弘「希望格差」を挙げていますが、
同じ著者の〜〜希望格差を超えて〜〜とサブタイトルにつけている「新平等社会」を読んでも、
私には一向に見えない。
構造的な仕組みを打開するにはどうしたらいいのか???

と、言うことでドラマ「ハケンの品格」はどの様に今後展開するのか、
楽しみです。

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2007.01.23

戦争と女性

戦争は人の人生を狂わせ、
戦争は人から尊厳を奪う。
しかし、
そんな戦争に翻弄されながらも人の尊厳を失わなかった人々の生き様は心の深いところに染み渡ります。

ヒトラー~最期の12日間
真実のマレーネ・ディートリッヒ
白バラの祈り-ゾフィー・ショル、最期の日々

同時代を生きた女性たち。
ナチスの支配するドイツにあって戦争という体験を日常として強要されていた時代。
ある者は諦めひたすら時の過ぎるのを待つ。
またある者は理想のために命を賭して向き合う。
そんな人生が横たわり流れていったことを映画は伝えます。
ヒトラーの女性秘書トラウデル・ユンゲの手記をもとにヒトラーの狂気とそれを支えた周囲の真実を描いたヒトラー~最期の12日間。
誰もが実は自由と正義を信じて、
誰もが初めは善意からの出発であったはずの第三帝国。
しかし、いつのまにか軌道はずれ、ずれ、ずれ、、、
やがて自己修復する能力しを失い滅んでいく様を客観的に描写。
心ではみんなが「どこか狂っている」と思っているが流されていってしまう現実が、如何に罪深いか。
そして自らもその一員であったことの十字架を背負ってユンゲは戦後を生き抜いたのです。
多分、ゾフィー・ショルという女子学生の人生があったことを反芻しながら、、、

一方マレーネ・ディートリッヒの人生も戦争に翻弄され、戦争と共にありながら、
しかし彼女はどんなときでもマレーネ・ディートリッヒその人でありたかった、、、のではと映画は伝えます。
人が人らしく生きていくことはどの様なことか、
雄々しく立ち向かうマレーネ・ディートリッヒは今もどこかで私たちを見つめているのかもしれません。

そして、
そして、
やはり胸打ち涙なしでは考えられないゾフィー・ショル。
彼女は「自由」を求め、
ナチスに果敢に立ち向かっていきました。
いずれ人民が開放される日が来ることを信じて彼女は処刑台に上りました、、、
「自由」と言う言葉が重い。

今、私たちはここにある自由が空気のように感じることができるのは、
自由を求めて闘った多くの先人たちのおかげと改めて思います。
映画は、ゾフィー・ショルがどうして命を賭して闘うようになったかは描いていないので、
彼女の真実の感動の生き様を描ききってはいません。
しかし、
たんたんと進むストーリーから光のようにかがやいてくる自由が感じ取れます。

戦争に翻弄されながら、
精一杯生ききった普通の人々、しかし気高い人々の話は、
今、生きることの責任を強烈に訴えかけるように思います。

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2006.08.29

ゲド戦記

話題のゲド戦記を観てきました。

駄作ではないが失敗作と言う夫。
力はあるがまだ経験不足の学生の論文のようなものかとも言ってました。

私はと言えば、いろいろ不満はあるが原作とは別の作品と言うところで納得の感がしました。
あらすじを書くとネタバレになるので、
ザッと感想だけ書きます。
原作そのものが哲学的なテーマがあちこちに鏤められているので、
誰を主人公に、
何を主体に切り取っていくかは作り手の力量に追うところが多い作品です。
そう言う意味では今回の映画は欲張り過ぎたのでしょうか???
ちょっと曖昧になったかな、、、

いずれにしても原作をもう一度読み直し、
じっくりと向き合って行きたいと思いました。


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2006.08.21

映画が描くヒトラー

ナチス親衛隊所属の過去告白、ドイツのノーベル賞作家と言うニュース。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ドイツのノーベル文学賞の受賞作家、ギュンター・グラス氏(78)は11日、地元紙の会見に応じ、戦中にヒトラーを支える組織としても知られた、ナチス・ドイツの親衛隊(SS)の武装部隊の一員だった過去を自ら明かした。「この過去が重荷になっていた。明るみにする時が来た」などの心境を語っている。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さぞかし重いだろうと、その心中をはかるに難くありません。
彼が世に生み出した作品の数々はナチス告発である背景はこうした事情によるものだったのでしょうか。
ナチスについての作品は、文学、映画と多いのですが、
ヨーロッパの人々においては、ヒトラーが行った罪と、その購うべき罰に対しての思いは、
歴史をひっさげて「今」に息づいているのでしょう。

ヒトラーの映画と言えば、先日、
ヒトラー最後の12日間真実のマレーネ・ディートリッヒと二本を立て続けに観ました。
「ヒトラー最後の12日間」の方はご覧になった方も多いと思いますが、
映画の語り手のトラウゲル・ユンゲが書いた『私はヒトラーの秘書だった』は、その原作の一つであるということは既に知るところです。
独裁者ヒトラーの人間としての部分を目の当たりに見てきたユンゲ。
そこには、一人の偏狭な独裁者が迷い堕ちていく様と、
その周りにいる者たちが、それぞれの思いを独裁者に重ねながら、ひた走りに走る狂気を止める事が出来なかった必然が克明に描かれています。
ゲッベルスは言う。
「ヒトラーを選んだのは国民なのだ。
国民が望んだのだ。」と。
そう。秘書ユンゲの告発は、「独裁者は一人にしてならず」と言う事なのでしょう。
ヒトラーは悪い。
しかし、彼の狂気を止める事が出来なかった周りも悪い。
さらに言えば、結局ヒトラーを認めた国民の非も同じ罪であると言う事を明らかにする必要性を感じたのではと思います。
ヒトラー一人に「悪」をおいかぶせることなく、潔く「悪」を受け入れることで、
次に続く人々が同じ過ちを再びすることがないようにという祈りが伝わってくるのです。
ゆえに彼女はヒトラーの秘書であった事を生涯にわたり恥て静かに暮らし、暮らしながらも自らの経歴を明らかにしました。
自分自身の罪の重さも同様であると判断したのでしょう。
そして、彼女の見た真実は、今に新しい。
独裁者は何も一人で生まれるものではないと。

一方、対局に生きたのはマレーネ・ディートリッヒ。
彼女はナチスを憎み、アメリカへと亡命。
そして戦場で戦う兵士たちを慰問することで、戦争終結を訴え平和を願い歌い続けます。
戦場での彼女の歌声は敵も味方も区別する事なく兵士たちの心の深いところに滲みわたります。
「ドイツの人々は決して戦争を望んでいない」とマレーネは語る。
誰にも真似する事の出来ない激しくも気高いマレーネの生き方は死んでなお人々の心に揺さぶりかけ語りかけてきます。

ヒトラー。
その人を巡るあまりに多くの光(?)と影。

今を生きる私たちが次代に何を伝えるべきか、
真剣に考える時の到来を感じています。

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2006.08.20

四日間の奇蹟

昨日、WOWOWで放送された「四日間の奇蹟」のビデオで撮っていたものを、やっと見ることができました。
感想。
ジ===ンときました。
あらすじを書くと、まだご覧になっていない方にはネタバレになるので、
なかなか書き進めないので公式からあらすじを抜粋。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
測の事故で夢を断たれたピアニスト・如月(きさらぎ)敬輔。
心に固い殻を持ちながら音楽に天賦の才を持つ少女・千織。
2つの孤独な魂は、ある日、家族を失いながらも島の療養センターで
明るく働く1人の女性・岩村真理子に出会い、響き合う——。
突然の落雷が真理子と少女を見舞った、その時。
咄嗟に少女をかばった真理子に、何が起きたのか?
コーラル・グリーンの海辺に立つ小さな礼拝堂が、
彼ら3人に舞い降りたひそやかな〈奇蹟〉を見つめていた。

人は誰もが「今」を生きることしかできない。
けれど、そうと知りつつ過去にとらわれてしまうのも、また人。
失った日々に、かつて手にしていた何かに……心砕くのはもうやめて。
小さな島での4日間が教えてくれた。
「今」の自分を愛する、愛し方を。
大切な人を支える、柔らかで強い愛を。
壊れてしまった心の欠片(かけら)を繋げるのは、ただ真っすぐな“想い”だけ。
それは、人を信じるところから生まれくる——。
(公式サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

それぞれの人が、それぞれの経験に照らし合わせ、
「過去」と「現在」と「未来」に向き合ったのではないかと思う映画でした。
いつの間にか、演じている方も観ている方も一体化してしまいます。
過去、それが取り返しのつかない残酷な物であればあるほど、
人はどうにかしてその呪縛から逃れたいと思いながら、
過去に絡めとられていく自分。
しかし、
過去を乗り越える事は出来るんだよ。
未来へ力強く踏み出す事は出来るんだよと、
静かにゆっくりと映画は伝えてくれます。
「人をも、自分をも信じる事」で。

いつのまにか、観ている方も己の「奇蹟」を感じてしまいます。
とても素敵な映画でした。

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2006.03.30

ナルニア国物語 観てきました

ナルニア国物語を観てきました。
感想は、
おもしろかった!!!
です。

ナルニアが映画になると聞いた時から、半分楽しみ、半分は「はずさなきゃいいが」、、、と心配でした。
しかし、映画ナルニア国物語は原作を忠実に再現しながらも、
テーマがより鮮明に表現されていたように思います。
もともと「ナルニア」は子ども向けの本だから、
内容は単純です。
予告編で大袈裟に言っているような「壮大なドラマ」でも「ロード・オブ・ザ・リングを越える」ようなものでは、そもそもありません。
作者が子守歌代わりに作った優しい冒険物語です。
正義と悪が戦うという縦糸と、
横糸には兄弟愛や、ワクワクするような冒険ロマンがあっちこっちに鏤められているおとぎ話です。
私も我が子が幼いとき、ナルニアを読みきかせていました。
「その世界」に入り込み、迷い、悩み、抜け出すという冒険を主人公たちとともに出来るという「等身大」のおとぎ話です。

映画は、その辺りをしっかりと伝えていたように思います。
成長していく子どもたち。(子どもたちの演技、とても良かったと思います)
伏線も控えめに上手に張ってあります。
衣装ダンスのそこは別の世界。
ナルニア。
誰でもが覗きたくなる世界です。
しかし、そこは冬。
悪しき魔女に閉じ込められている世界。
が、
予言通りアダムとイブの子らによって、
その世界に春が、平和が、豊かさが戻ってくる。
その喜びがスンナリと胸におちてきます。
美しい映像技術に支えられ、
音響もノーブルに仕上がり、
そして何よりも魔女の迫力ある演技が最高でした!!!
魔女、カッコよかった!!!
おかげで、リアルなナルニアの世界を感じることが出来ました。

もう一度原作を読み直そうと、
本棚の中を探しながら、
次作が楽しみです!!!

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2006.03.07

レイチェル・ワイズ

レイチェル・ワイズさんがアカデミー賞の助演女優賞に輝きました。
おめでとうございます!!!
レイチェル・ワイズさんの出演作品で私が今までに観たのはハムナプトラシリーズ
ニューオリンズ・トライアルの三つです。
知的な役も元気な役もセクシーな女性も演じることができる幅の広い女優さん。
これからの活躍が楽しみです。
さて「ハムナプ」の方は、いわゆるB級というのだろうかアクションでドンドンバタバタ。
「失われた砂漠の都」は最初の作品で、これはなかなか面白かった。
古代エジプトの神秘がなんとも怪しげでいつの間にか作品の中に引き込まれました。
二作目は、うううう????でした。
とくにスコーピオンキングには参ってしまった〜〜〜〜
ハリウッドらしい大味な結末でした。

一方ニューオリンズ・トライアル。
これはよかった!!!
映画の内容を余り書くとネタバレになるので、
感想に留めておきます。
息もつかないスリリングな展開にアッという間に時間が過ぎました。
最後のシーンもとても素敵。
良い映画を観たという満足感とお得感でいっぱいになりました。
日本には馴染みがない陪審員制度。
しかし、今後日本にもやってくるというその制度。
いまだその問題について想像もできないのだが、映画を観て、
なるほど、そう言うことが起こりうるのか?と、
新しい問題が浮かび上がってきた気がします。
陪審員制度を扱った映画は、
おもしろい!
そこには生の人間が描かれているから。

と、いうことで、また新たな感動で数々の映画を思い出しました。

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2006.03.06

作品賞に「クラッシュ」 

作品賞に「クラッシュ」 米アカデミー賞が決まりました。
私も11時頃からテレビをつけっぱなしで観ていました。
いつもながら紀香さん、キレイ。
今年のオスカーは誰が手にするか???
私の関心は、
「ハウル、、」とナルニアがいけるかどうか?
ドキュメンタリー部門は何か?
それとミュンヘンは、どこまでいくか、、、
というところでした。
結果は、
作品賞が、「クラッシュ」。
監督賞に、「ブロークバック・マウンテン」のアン・リーが決まりました。
私はまだこれらの映画は観ていないので、
参考に衝突の連続漂う「本音」と言うサイトであらすじと見どころを確認。
今度、映画館にまで足を運ぼうと思いました。

それにしても、今年のノミネートは社会派作品が多いと前評判がありました。
映画をはじめとして、
芸術は社会を鋭く映し出す鏡なのでしょう。
これからも、
ドンドン、「良い映画」がでてくればいいなぁと思います。

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2006.01.04

滅びの美学を超えて

『新選組!!土方歳三 最期の一日』を見ました。
感想は、月並みですが、
「良かった」の一言です。
テーマは「生きる」ことだと脚本家の三谷さんも述べていますが、
確かに、生と死との狭間で揺れ動く人々の気持ちが丁寧に描かれていました。
今までの土方像と言えば、死場所を求めて戦った新選組最後の人という印象が強く、その様に後々まで語り継がれています。
その壮絶な死に際に、
人々は哀しみと嘆きと、そして一つの時代の終焉を見てきました。
つまり人はそれを
「滅びの美学」と称します。
哀惜とともに若者たちを思う時、
生き様よりは死に様を賞賛したものです。
しかし、今回のドラマはこうした視点を覆すものでした。

時代に翻弄され、
時代の流れに追われる若者たちが、一人ひとり散っていく。
そして、ついに土方、一人が残る。
仲間達は既にいない。
遠い、とおい彼方で待っている。
ならば自分も行こう、そこへ。
と、逸る気持ちを押さえながらも、
自分たちが生きていた証だけは、
しっかりと残していきたい。
残さねばならぬ。
いつでも死ぬことは出来る。
が、今やることは戦うことだ
と、決意して榎本武揚のもとに向かう土方。
土方にとっては、まだこの時は「死は華やかな勲章」。

そして榎本、さらには軍師大鳥とのやり取りの中で、
すでに人生を諦めた三人が、それぞれの思いで、
再び「生きる、しかもより良く生きる」ことへの執着を持つようになる。
新選組があった証は死ぬことではない。
新しい豊かな時代を作ることである、、と確認。
土方は強烈に生きることを願う。
また、榎本も大鳥も自分を活かす道は自分で切り開くことであると得度する。

生きることは、
偶然ではない。
必然である。

そんな当たり前のことをもう一度三人は噛みしめる。

生きるという希望と目標に包まれ、
土方はその最後の充実した一日を突っ走る。
駆け抜ける。
そして死ぬ。
土方は死んだ。

近藤さんが、仲間が待つ彼地へと逝った。

ドラマは、壮絶で迷わず、しかし揺れ動く一つの時代の終焉。
美事なまでに描かれていました。

人は、これからは土方を思うとき、
哀愁と懐かしみと、飽くなき生への執着を思うに違いないのではと思いました。
それは、滅びの美学を超えて、、、
なかなかに明けなかった夜を明けさせた男たちの物語として、思い出します。

さて、物語の縦糸たるあらすじは、死から生へでした。
そして横糸はキャストです。
土方さん演じる山本さん。
素敵でした!!!
もう、彼以外の土方はない、、、と思うくらいはまっていました。
まっすぐな目がいい。
視線の向こうには、未来がある。
そんな熱くてなお涼しい目がいい。
山本さんは、本当に好演なさっていました。
また榎本を演じる愛之助さん。
あの鷹揚さと風格。
一朝一夕のものではありません。
大鳥役の吹越さん。
科白以上に顔、表情が物を言う素晴らしい演技を見せてくれました。
さらに回想シーンも煩くない程度のほどよいバランスで、みんなの顔を見ることが出来て懐かしく思いました。


全ての人に、
それなりの事情があり、
その中で精一杯に生きていく様を見ることで、
改めて自分自身の日常を振り返ることも出来たように思います。

本当に素敵なドラマでした!!!

なお、
新選組!を見たときの感想を書いた以前の記事を載せておきます。
お時間がありましたらご覧下さい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
時代を駆け抜けた男たち
滅びの美学
最後の武士

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2005.12.24

茶の味

茶の味という映画のビデオを観ました。
作文を教えていた高校生が、
将来、映画監督になりたいと言うのです。
映画が大好きで、いろんな映画を観ている彼が、
この夏、感動した映画を観たと、大感激していました。
その映画の名前が「茶の味」です。
ビデオが擦り切れるくらい何回も観たと言っていました。
「いいすっよ==茶の味。
絶対、観てください。
映像技術が何といっても大胆でいい。
音楽も、いいし、ストリーもジワッとくるんです。
とにかくみんないいんです。
日本映画っていいなぁ」と。
その時は私はまだ観ていなかったので、
何とも評価はできませんでした。
私も日本映画は好きなので、話は盛り上がりました。
私は彼に、
秘密がいい」と勧めていました。

その後、すっかり忘れていた「茶の味」。
ところが今月のWOWOWで放送される。
と、いうことで早速ビデオ録画。
忙しくて、なかなか観ることができない私のまえには、
録ったビデオが山のようにあるんです。
いつしか何を録ったか忘れて上書きする なんてしょっちゅなのですが、
が、
今回は彼との約束があるので、しっかり観ました。

なんだか前振りが長くなりましたが、
茶の味の感想。
ズバリ。
面白かった!!!
う〜〜〜〜ん。これはなかなか面白かった。
まだご覧になっていない方がいらしたら、是非、ぜひご覧ください。
と、いうわけでネタバレにならない程度に感想を思いついたまま書きます。

全体がやさしく懐かしい田園風景。
淡い色使いと大胆な構図。
思いもかけない展開。
時間の流れにメリハリがあって、間の取り方がうまい。
と言った技術面でも優れているのですが、
話の縦糸、横糸を績ぐ人々の言い難き可笑しみが笑いと静かな感動を誘います。
およそ人が持っている悩み。
主人公たちもそれぞれに抱えています。
そして、どこか自分の抱える悩みを斜に見る事で、
自己と他との境界をユラリ、ゆらりと揺れ動くアンバランスが危なっかしげで、
観ている方はハラハラ。
どの人物もみんな真面目で、普通じゃない。
そこが、非現実的な場面展開と、とても良くマッチしています。
最後まで、この映画はどこへ行くのかと不安と期待に包まれながら終わります。
終わったあとの充実感を考えると、
この映画のテーマは、

だと私は思います。
家族の愛、
男女の愛、
自分への愛、
そして全てを受け入れる愛。
が、テーマではと私は思います。

茶の味。
渋くて、さっぱりとして地味な茶の味。
そして親しめば親しむほど味わい深い茶の味。
観た後、
爽やか気持ちで一杯になりました。

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2005.12.13

ゲド戦記 映画化

スタジオジブリが新作『ゲド戦記』発表と言うことで、
来年7月に劇場公開。
楽しみです。
ゲド戦記は、子どもが小さい頃、読み聞かせをしていた本の一つです。
私は何故かゲド戦記というと、夏至と冬至を思うのです。
日本民話の八郎とか三コとかぶるのです。
影絵の雰囲気と背景の素朴さ、自然と人間と神との融合の時代設定が重なるのでしょうか。
また、本棚から出して読み直そうとイソイソとしています。
どんな風になるのかな?

そう言えばナルニアはアメリカで公開。
評判はまずまずのようです。
日本では来年3月。
ワクワク。
テレビ版のナルニアを見たことのある私にとっては、
映画のキャスト、とくにルーシーは気になるところ。
一応、予告編では、イメージ通りの可愛い女の子のようですね、、、

ファンタジーがドンドン映画化され、
夢と希望と、冒険が子どもたちの心の中に、
すんなりと入っていったらいいなぁ〜〜〜と思いながら、
劇場公開を首長くして待っています。

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2005.12.12

義経最終回

昨日11日、大河ドラマ義経の最終回。
一年間、お馴染みになったタッキーの義経。
タッキー、マツケン、その他のみなさん。
お疲れ様でした。

さて、一年間を通して見た私の感想。
「浅かった、
めめしかった。」
です。
全体が浅い。
登場人物の多くがめめしい。
何故か?
それは、脚本家が、人物を捉えるときの視点が、
感情にドップリと漬かり過ぎているからでは、と思います。
そして、全ての人物が、一度思い込んだ感情にズット振り回され続ける。
平清盛。新しき国を作りたい(ただ、それだけ)
院。  自分を守ることだけ。
頼朝。 武士の世を作る。徹底的に情を排除したいが、できない。
義経の部下。 何も考えず、疑わず御曹司についていく。(一人ひとりに物語がない)
そして、
義経。
ひたすら、ひたすら、ひたすら、
新しき国を目指す、
ひたすら、ひたすら、ひたすら、
よい人。
そして、物語は美しく単調に進んでいきました。

うううう〜〜〜〜んんん。
人物像、感情の浮き沈みの描き方が甘い。表面的。
どうして自分の感情をトコトン、トコトン掘り探らないのだろう?
徹底的に、頼朝を恨み、罵り、己の悲運を嘆きながら、
落ちていく義経がそこには描かれていない。
ひたすら美しい、御曹司がいるだけ。
何かと言えば「新しき国」と言う御曹司が。

頼朝についてもそれは言えているよう思うのです。
情に捉えられ、情に絡まれ、情に溺れていく、
そんな弱さを、最終回、頼朝の涙で表したいと脚本家は思ったのだろうか?
しかし、それは、ドラマのテーマをさらに曖昧にしたと思います。
「あんたね、、、泣くくらいなら、義経を討ったりなんかするなよなぁ」って感じで、
私は、頼朝の最後の涙には怒っていました。
あれは蛇足だと思います。
視聴者を泣かせようと、
感動的に作ろうとし過ぎたのでしょうか。
視聴者が泣く前に、当事者たちが泣いてどうすんねん!と思っていたのですが、、、

全体に、中途半端な装丁で最後まできた感がします。
全国あちこちに散らばっている義経伝節に拘りすぎたのか?
ならば、徹底的にオカルトチックにするとか、
あるいは親子、兄弟、男女の愛を詳らかに描くとか、、、
はたまた怒涛のように動く時代に奔流されていく人々の「国造り」物語にするか、
いろんな切り方はあったろうに。
この全てをとろうとして、
全てが半端でした。

そんなわけで、
感動も中ぐらいでしたが、
ただ、一人ひとりの俳優さんは、みんな迫力があり、
好演なさっていたと思います。
それだけに、
脚本の持っていきかたが残念だった、、、
と、私は思います。
これは、
あくまで私の感想です。

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2005.09.19

モーターサイクル・ダイアリーズ

THE MOTORCYCLE DIARIESと言う映画を夫と観てきました。
〜〜〜〜〜〜〜〜
中古のバイクで雪のアンデスを越え、マチュピチュ遺跡、そして密航してアマゾン河へ・・・伝説の革命家チェ・ゲバラの無鉄砲で情熱的な青春の日々を「セントラル・ステーション」の名匠ウォルター・サレスが描くロードムービーの傑作!
本年度カンヌ映画祭正式出品作品。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、いうことで映画はチェ・ゲバラが、若き日、冒険を通して人々の貧困、民族の問題などを考えていく、そして後の革命家の礎が出来るまでの過程を友情を通しながら描いています。
私は、今までチェ・ゲバラと言う人は名前くらいしか知らなかったので、「へぇ〜〜〜〜こんな人だったんだ」と改めて感激。
話は実話から採っているにもかかわらず漫画チックでロマンチックでファンタジックで、そしてやはりリアルでした。
アンデスの山脈が美しい。
南アメリカ大陸の広大な大地にゆったりと流れるアマゾン。
そこをポンコツのバイクで走り、走り、やがてバイクは壊れる。
仕方がない二人は歩き、ヒッチハイクをしてひたすら目的地へと進む。
その間、多くの人々に出会い、考える。
抜けるようなアンデスの空に、人々のうつろな眼差しが対比して悲しい。
そして、ゲバラが考えるきっかけになった出来事はいっぱいあった。
が、
私には、「ハンセン氏病」の患者たちとの交流が、印象的でした。
当時、ハンセン氏病は伝染病ではないとわかりつつも、やはり患者さんは隔離され差別されていました。
そこへ医療のボランティアとして訪問した若きゲバラ。
手袋はしないで握手する。
抱き合う。
サッカーをする。
ごくごく普通に彼等と触れ合う中で、今までの医療チームや修道女までが変わってくる。
偏見がなくなる。
その様が実に淡々と平凡に当たり前に描かれていたことです。
やはり、
違う。
違うのですね。
「事をなした人は」。

感動と共に、
では自分が出来るか?
ひたすら、ひたすら献身的に人のために生きることに意義を見いだせるかと言われれば、
答えは、「難しい」としか言えません。
また、彼が行おうとした革命についても、私は今は勉強不足なので、
その評価を下すことは出来ません。
しかし、
ゲバラは、確かに貧しい者、弱い者の味方であったと、私はこの映画を通して知りました。
私自身は、ゲバラのようなスーパーな生き方はできません。
が、
それでも、自分ができる僅かなこと、小さな事をしていきたいと思うのです。
それは、
ほんの些細なことでも、日常の中から喜びと楽しみを見つけていくことでは、と考えています。
感動し、想像し、作っていく事の大切さを、子どもらに伝えていく仕事。
ここに私は私の意義を認め、これからもずっとしていきたい、、、と改めて思わせるよな清々しい映画でした。

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2005.08.16

クラブ進駐軍

終戦記念日を迎えた昨日。
テレビや新聞ではいろんな特集が組まれていました。
私もNHKの討論番組を見ながら、色々考えました。
「アジアの中の日本について」。
そんな中、今日は、ちょっと前の映画この世の外へクラブ進駐軍について書きます。
(実は、昨年この映画を見たとき書こうと思いながら、つい書きそびれたので内容の詳細については、多くの方が書かれているのでご覧ください。個人的にはオダギリ・ジョーが良かった(^.^))
この映画は、簡単にいえば
終戦後の混乱の中、音楽を通して成長、復帰していく若者たちの生きざまを縦糸に、
勝者のアメリカにも、アメリカの抱える憂鬱があり、日本には日本で傷の癒えないまま生活に追われていく現実を横糸にして作られています。
ジャズが淡く、哀しく観ているものの心に染み入ってきます。
登場人物全てが暗い過去を背負っています。
それぞれの人生がアンソロジーのように描かれ、そのいずれもが悲しい。
当時、誰もがそうであったように。
そして、終戦を迎え、人々は今までの価値観を全て捨て、
敵と思っていたアメリカを受け入れ、アメリカの文化を認めていく。
そこには、
逞しさとともに喪失の大きさが描かれていました。
「ラッキーでストライク」から出来たバンドの名前が自らの生きざまを揶揄しているようで、それがまた観ている者の胸に迫ってきます。
そして、矛盾は解決されないまま、アメリカ軍はまた朝鮮戦争への道を進みます。
新たな喪失へと向かうわけです。
私は、この映画を観ながら、
鳴り響くジャズ「ダニーボーイ」とは別に、映画「愛と悲しみのボレロ」のあの何度も繰り返されるメロディーを思い出しました。
人は、同じ過ちを再びするものなのか、、、この映画は強烈に人々に訴えてくるようです。

人は、一人ひとり違うこと。そして国が違っても理解しあえること。
そして、歴史の大きな流れの中で揉まれながら、のたうち回りながら、
それでも生きていくためには、
何を誇りとし、何を生きがいとしていくかを切々と訴えてくる映画。
戦争がもたらすものは悲劇と喪失しかないことを、メッセジーとする
「クラブ進駐軍」。
昨日60回目の終戦記念日を迎え、
ふと以前観たこの映画を思い出しました。

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2005.07.22

グッバイ、レーニンを観て

2003年ドイツ映画グッバイ、レーニンを観ました。
ご覧になった方も多いと思いますが、
あらすじは、以下のとおり。(ネタバレにならない程度に)
〜〜〜〜〜〜〜〜
ベルリンの壁崩壊前の東ドイツ。主人公アレックスは、母と姉との3人家族。実は、父は家族を残し、「西側の女性」のもとへと去っていた。
その為、母はショックで心神耗弱になり、病院へ。
しばらくの療養後、母は帰ってくる。
そして変身。
優秀な社会主義者として。
しかし、時代は流れ、歴史は動く。
ある日、アレックスは反社会主義デモに参加して捕らえられた。
そんな彼を見た母親は、ショックで心臓発作を起こしてしまう。
そして、意識不明、昏睡状態になる。
奇跡的に蘇生した彼女。
しかし、医者は言う。
次に心臓発作を起こしたら命の保証はないと。
母にショックを与えてはいけない。
しかし彼女が眠っていた8ヶ月の間にベルリンの壁は崩壊。
東西ドイツは劇的に変化する。
このことを知ったら母の心臓は持つまい。
そこでアレックスは考える。
「今はベルリンの壁崩壊以前の東ドイツなのだ」と母に信じ込ませることを。
こうして、アレックスの奮闘が始まり、物語はいよいよ本章へと移っていく。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

では私の感想。
優しい映画でした。
全体が、淡く曖昧にゆったりと流れていく中で、
人々の思いが軽く、重く伝わってきます。
「時」を逆行させるためにアレックスが奮闘する様は、ちょっとしたスパイ映画を観ているようにハラハラドキドキ。
取り残された母への思いと、生活に追われる「今」とが複雑に交錯している様子が、BGM のように静かに語られています。
母の友人たちの「現実」と「昔」とのギャップの中で揺れ動く心理が、さりげなく伝わってきます。
偉人と憧れた宇宙飛行士の変身は、したたかでありながら、さわやかでもありました。
そして、アレックスを支える恋人と友人。
ひたすら、母を思い、母を愛する主人公が周りを次第に変えていく。
そして主人公本人も。
母のために再現しようとした「東ドイツ」。
しかし、時を戻す作業をしていくなかで、いつのまにか、アレックスは、
見て、実感して、考えていきます。
「歴史を動かす大きなエネルギー」を。
そして、その時代を生きた証を、確認することになります。
時代は流れ、動くことを横糸にしながら、
大きな一本の縦糸は、アレックスの「母への思い」であることは言うまでもありません。
母は死んだ。
幸せに。
東西の統一を知らずに。
と、アレックスは思っている。
しかし、しかし、事実はどうか。
母は知っていた。
グッバイ、レーニンを。
知っていながら、最後までアレックスにつき合った、その母の慈愛に満ちた眼差しが、
涙を誘いました。
淡々とした描写の中で、親子の愛情が押しつけがましくなく心に滑り込んで来る、とても素敵な映画だったと私は思いました。

私がベルリンを訪れたのは1993年の春。
東西統一から3年半。
未だ混迷の様子が色濃く伺える時期でした。
ブランデンブルク門を正面から見ることができる。
それがどんな意味を持っていることかは、ドイツ人なら誰でもが知っています。
そのブランデンブルク門前には、多くの露店が並び、観光客相手に「東」のものを売っていました。
また旧ソ連のものが多く並んでいたことが、とても印象的でした。
そして、ベルリンから約30分。ブランデンブルク州の州都であるあの有名なポツダムに行きました。
駅を降りると、周りには畑があって、ネギやらレタスが植えられていました。
西ベルリンから来た私には、あまりの田舎に、ちょっとビックリ。
サンスーシ宮殿を見て、なんとなく東ベルリンの誇り、ドイツ人の誇りを感じたことを思い出します。
まだトランバットが路上あちこちに駐車されていて、思わずカメラをガチャリ。
あれから、さらに10年以上年月を重ねましたが、その後どうなっているのだろうか???
映画を見ながら、懐かしく思い出しました。

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2005.07.09

見てきましたSW

見てきました。
見てきました。
待望のスターウォーズを。
今日から劇場公開。
早速行って来ました。

さて感想。
うううう〜〜〜〜んんん。
ネタバレになるから書いていいのか?
いえいえ、いいんです。
だって、スターウォーズエピソード4,5,6の時から、ネタはばれているのだから。
(それって、ちょっと強引じゃないか?)
例えば、誰だってアナキンがダースベーダになるとか、
アナキンがルークとレイアの父親であるとか、、、
まぁ、知っているからいいかぁ。
では、感想。
アナキンがダークサイドに堕ちていくその様の愚かさが悲しかった。
なぁんか、
涙が出てくるのですよね。
一つひとつ真剣に生きようとしながら、
愛する者を守ろうとしながら、
しかし、
しかし、
堕ちていくその必然がいたましい。
愚かと思いながらも、絶対に感情移入はできないが、、、
愛する者を失うことへの執着が如何に人を狂わせていくかが哀しく描かれていました。
そして、それは人間なら誰でも持っている弱さでもあり良さでもあります。
さて、
オビ・ワンはカッコよかった。
最初から最後まで。
信念と情熱と正義にひたすら忠実である彼の姿が対極になって、堕ちていくアナキンがなおさら際立っていました。
最後の二人の対決。
迫力ありました。
オビ・ワン、強かった!!!
そういえばヨーダも強かった!!!!
あんなに強かったのだ〜〜〜〜
皇帝は大したことなかったけれど、人の心の暗黒面を捉える力は凄かったように思います。
もっとも、ダークサイドにおちていくアナキンの迷いやゆれがもっと欲しい気もしましたが、、、
堕ちるところに堕ち、さらにオビワンを恨み、罵るアナキンの愚かさが心にグサリと突き刺さります。
その愚かさゆえになんとも言えぬ憐れみと情けをかけるオビワン。
彼のその背中が全てを語っているのでしょうか?
無間地獄に堕ちていき、しかも愛する者全てを失ったアナキンから、何を学ぶべきか?
考えさせられました。
全てが終わり、
そして新たな始まりが次に続く。
最後のルークとレイアの愛情と光を浴びながらのシーンが希望へと繋がりました。

まだまだ謎はあると疑問も深まりましたが、
やはり良い映画でした。
全六巻。
監督ルーカスその人が本当に伝えたかったのは何か?
もう一度本やらビデオを見直そう〜〜〜っと。

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2005.07.04

御曹司と愉快な仲間たち

大河ドラマ義経も、いよいよ前半の6ヶ月を終え、後半に突入。
毎回、眉目秀麗な義経を楽しんでいます。
「義経」の生まれながら持っている薄幸な運命は、日本人好みというか、なかなか泣かせるものがあります。
遠く平泉に落ちていくまでの義経主従の話は、知っていながらも、
何回見ても、その都度新しい視点で描かれていて興味深いものがあります。
さてさて、そんな中、この頃妙に気になりだした事。
それは、このドラマの「人間の描き方」が浅い、という事です。
先週の話は「義仲最期」でした。
旭将軍と言われた木曽義仲の最期。
それは、それで胸うつものがありました。
しかし、幾つか「?」と思ったセリフがあるのです。
「あの時