2009.07.10

ほおずきの話

今日は4万6千日。
この日、観音様に詣でると126年分の祈りをしたと言われる日。
そして、浅草では「ほおづき市」で賑わい、夏の風物を感じる一日です。
残念ながら私は一度も行ったことがないのですが、機会があれば行ってみたいです、、、

さて、夏の花ばなと言えば、ひまわり、朝顔、そしてほおずき。
ほおずき、、、
あの提灯というかブルマーのような形をしたかわいいオレンジのほおずき。
皮をむいて、中の実をだして、皮を口に含んでキューキューと笛を作った思い出があります。
幼い頃は、ほおずきやオシロイバナと言った野の花がまだいっぱい咲いていました。

ところで、このほおずき。
漢字では鬼灯と書いたり、中国では“酸漿”と書いたりするそうです。
鬼の灯ですかぁ、、、
なかなか風情がありますね。
赤い袋の空洞に御霊が還ってくると信じられ、日本では別名“燈籠草(とうろうそう)”とも言われているそうです。
お盆には仏前に供えたり、ホオズキの提灯で霊を迎えたりもするそうですが、
花言葉は、
「心の平安」「不思議」「自然美」「私を誘って下さい」「頼りない」「半信半疑」「いつわり」「欺瞞」
などです。
うううう〜〜〜ん。
なかなか一筋縄ではいかない花言葉ですねぇ。

さて、ほおずき。
日本には随分古くに渡来したそうです。
源氏物語や枕草子にも出てきます。

と、言うことで今日はほおずきの話しをちょっと書きました。

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2009.07.07

今夜は七夕

うれしさや 七夕竹の 中を行く       正岡子規

先日、正岡子規の幻の自筆選句集 が見つかったと言うニュースがありました。
未発表というか、いままで知られていない句も見つかったとか、、、
あるいは、知られている句も微妙に違うものがあったりと。
子規の作品に寄せる思いや、創造する苦しみや、いろんなことが、新しい発見とともにさらに明かになるかもしれません。


さて、今日は七夕。
上に載せたのは子規の俳句です。
なんだか、♪さぁさぁの葉、サラサラと口ずさんでしまいます。
いろんな願い事を書いた短冊の下を、楚々とくぐっていく作者のやさしさが伺えます。

七夕と言えば、以前、「かささぎの渡せ橋」について記事を書いたことがあります。
今夜は全国的に曇りということですが、ほんのちょっとでも、天の川にかささぎが渡ることができたらいいな、、、と願いながら、夜空を仰いでみようと思います。
Astro Artsに彦星と織り姫の見つけたの説明があります。
また七夕の民族と星と言うサイトには古来から、人は如何に星を愛し、人を愛し、
そして、生きることへの希望に近づけたかがわかります。

と、言うことで、今日は七夕。
ワクワクする一日です!!!

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2009.06.27

しそ味ペプシ

しそ味のペプシを飲んでみました。
期間限定ということで,毎年面白い味を出すということで有名な商品。
今年はしそ味でした,,,
夫はカレンダーにまで記入して,楽しみにしていました。
さて,
感想はうううう,,,,んです。
まずくはない。
決して飲めないことはない。
が,
想像とは違います。
そうそう,色も緑色ですが,もっと深い色の方がいいかな???
しその味は,飲んだ直後だけで,あとは炭酸飲料です。
でも,案外,くせになるかも,,,
と,いうことで,飲んでみました。しそ味。

今,すごく忙しくて,書く時間がないのですが,
臭覚,味覚と遺伝子について今度書いてみます。

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2009.06.26

マイケル・ジャクソンさん死去

マイケル・ジャクソンさん死去 ロス郡検視局が明かすと言うニュースが今朝飛び込んできて、
ビックリ。

死因はなんだったのでしょうか???

いずれにしても、残念です。
あの独特の顔を思い出しながら、この記事を書いています、、、

3万5千年前の笛発見=ワシ骨やマンモス牙製、独の洞穴で−音楽のある社会築く
と、言うニュースがつい先頃配信されました。
「ドイツ南西部ウルム郊外にある洞穴の約3万5000年前の地層から、シロエリハゲワシの骨やマンモスの牙で作った笛を発見したと、独テュービンゲン大研究チームが25日、英科学誌ネイチャー電子版に発表した。約20万年前にアフリカで出現した現生人類が欧州に進出してドナウ川上流域に定着し、音楽のある豊かな社会・文化を築いていたことを示すという。」

と、言うことで、3万年以前から人類は豊かな生活の糧として音楽を築いていたのでしょう、、、
マイケル・ジャクソンさんも、いろいろ、いろいろ、、、いろいろありつつも。
その優れた音楽で多くの人々の心をとらえ、
一つの文化を築きました。

まだまだ、、、と思いますが、
「お疲れさまでした。やすらかにお眠りください」とお祈りいたします。

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2009.06.15

人間ドックを受けてきました

今、人間ドックの検診から帰ってきました。
結果はまだ分かりませんが、
私は血圧が高いので、生活習慣病に気をつけなければ、、、
気をつけようと、普段から思いながら、
昨日は検査前日というのに晩酌をしていまいました、トホホ。
「水分は夜9時からだから、まだいいよね、、、」なんて言いながらゴクゴクと飲んで、
そして、、、
もう一度検査の諸注意を読んだら、あららら、、、「前日は飲酒は控えましょう」と、書いてあります。
あらら、、、
まぁ、控えましょう、だから、いいかぁ、と納得。
????
ですね。ははは


それにしても思うのは、
アメリカの「シッコ」
医療の現場を訴えたマイケルムーアの作品で日本でも大ヒットでした。
また、今年の4月にはクローズアップ現代「オバマの100日」からと言うタイトルでエントリーを挙げたのですが、、、

こうした民間の保健制度導入をみるにあたり、
強く強く思うことは、
日本をアメリカのようにしてはいけない。

本当はもっと書くつもりですが、
今からまた出掛けるので、医療の問題について、今度書きます。
と、言うことです。

予防こそが、実は最善の医療費節約です!!!

そんなことをツラツラ思い、検診を受けてきました。

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2009.06.11

シシュフォスが運ぶもの

お掃除するシシュフォスと言う内田さんの記事を読みながら「そうかぁ、、、お掃除・家事はやはりシシュフォスか、とため息。
とにかく際限がない。
やりだしたらキリがないので、いい加減な私は、とにかくいい加減なところで切り上げて、見てみぬことにしています。
内田さん言うところの
「家事というのは、明窓浄机に端座し、懸腕直筆、穂先を純白の紙に落とすときのような「明鏡止水」「安定打座」の心持ちにないとなかなかできないものなのである。」と言う境地にはなかなか至らない。
ムムム。
明窓浄机かぁ。
ふと窓に目をやれば、、、うっうっ。
机。
ぎゃっ、、、
ですね。
明鏡止水。
そうか、、、そんなくもりの無い心境でこそ掃除が出来るということですね。
思えば、
確かに、禅でも掃除は大切です。
老典座と道元の逸話が語るまでもなく、
ひたすらに、一心に、そして無心に掃除をすることは、心の塵を払うことなのでしょうか。
「心に草は無けれども、迷いの草は生い茂る」と、言うことで、
掃除は自分自身の修行と言うことでしょう。

さて、
冒頭のシシュフォス。
内田さんはカミュから引用していますが、
J.モノーの「偶然と必然」の初めにもカミュのシシュフォスの神話の一部が書かれています。
「人間が自らの人生を振り返ってみりあの精妙な瞬間、シシュフォスは自らの岩のほうへ戻りながら、今や彼の宿命となった、この脈絡のない行動のひとつひとつを思い起こす。」
と始まり、
「われわれはシシュフォスが幸福であると想像しなくてはならない。」
と書いています。
なるほど。
掃除のみならず
「生きる」と言うことはシシュフォスなのか、、、と思った次第。
何を運ぶか、何に向き合うかはその人それぞれ。

「あらゆる人間的なものの起源が人間的足らざるを得ないことを確信し、、、、常に前進をつづける。ふたたび、岩は転がり落ちる。」

なるほど、人が生きるとは、まさに「シシュフォスそのもの」なのでしょうか。

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2009.06.09

70年ぶりのライチョウから外来生物までツラツラと

白山で70年ぶりにライチョウ確認=乗鞍岳などから移動の可能性もと言うニュースを見ながら、
なんとか、ライチョウの生息地域の環境が整えばいいな、、、と願っています。
このライチョウは、はるばる乗鞍からやってきた可能性もあるということですが、
今は、ほんの僅かの地域にしか生息していないとのこと。
子孫を残して、定住できたらいいな、、、と思いながら、
先日、沖縄や琉球の絶滅危機の植物を救うための展示を見てきました。
係りの方の説明を聞きながら、そして展示を見ながら、
本当に知らないことばかりとため息です。
興味深いことばかりでしたが、とくに大東諸島は面白いな、、と思いました。
「古くは「ウフアガリの島」と呼ばれ、はるか東にある無人島として古くから知られていたらしい。「ウフアガリ」とは琉球語で「東の涯て」を意味し、「大東」の漢字表記は「ウフアガリ」に該当する意味の漢字を当てたものである(これを音読みにして「だいとう」)。ニューギニア近海にあった島が徐々に移動し、現在の位置まで移動してきたと考えられている。現在でも年間に約7cm北東に移動していることが確認されている。」とのこと。
そうかぁ、、、今でも動いているんですね。
ひょっこりひょうたん島です。
生態は独自の流れで保護されてきたということです。

さて、ならなしとりと言うブログで外来生物問題をテーマに、時々の問題にも鋭い筆を振われる梨さんのエントリーを、この頃拝見しています。
今まで外来生物と言う言葉。
耳にしながらも漠然とした印象しかありませんでした。
が、
梨さんの記事や、さらにリンク先の記事などを読み、
新しい発見をしています。

私は引っ越し族なので、いろんな場所で、その地の植物や小動物にあいます。
実は、昨年は、窓にクモが這っていたのですが、今までの知っているクモと形が違うような気がして、慌ててクモについて調べました。
その時セアカゴケグモについて色々調べました。
尤も我が家のクモは普通のクモでしたが、、、
特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律と言う法律があることもその時知りました。
が、
身近に考えるということは余りありませんでした。
環境と一口に言う前に、もっと知ることがいっぱいあるんだと、思いました。
梨さんのおかげで、
その実態や、今後の在り方などなどをしっかり、キッチリと考える必要があることを思うものです。


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空からおたまじゃくし

ファフロッキーズ現象かと言われている石川県のおたまじゃくし騒動

なかなか自然というのはユーモアがあるんですね。
空からおたまじゃくし。

本当の原因はいまだ不明ということですが、
このニュース、最初に聞いたときは「海辺のカフカ」を思い出しました。
フゥ====ム。
いくら、今、村上文学が話題でブームとは言え、
本当に魚、ならぬおたまじゃくしが空から降ってきた、、、のかぁ???
と、キイナ風に言ってみます。
キイナ、そうあのキイナです。不可能犯罪捜査官のキイナ、第一話が空から降る魚でした。
これは、竜巻が原因でしたが。

以前、血を流すマリア像と言う不可思議な現象について、チラリと書いたのですが、
この現象はその後、どうなったのかは知りません。
マリア様、いまだに泣かれているのだろうか???

こうした現象、不可思議で面白く、また興味もわくのですが、
やはり「面白さまでで」止めておくことが肝腎でしょうね。
例えば、
こうした現象に「いろんな解釈」をつけると、
なにやら、怪しい、あやしい、、、、迷路に入っていきます。

と、言うことで、
先のおたまじゃくし、原因は何かは未だ分かりませんが、
いずれにしても自然はお茶目ですね!!!


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2009.06.04

小さな娘が思ったこと

小さな娘が思ったこと

小さな娘が思ったこと
ひとの奥さんの肩はなぜあんなに匂うのだろう
木犀みたいに
くちなしみたいに
ひとの奥さんの肩にかかる
あの淡い霧のようなものは
なんだろう?
小さな娘は自分もそれを欲しいと思った
こんなきれいな娘にもない
とても素敵な或るなにか…

小さな娘がおとなになって
妻になって母になって
ある日不意に気づいてしまう
ひとの奥さんの肩にふりつもる
あのやさしいものは
日々
ひとを愛してゆくための
  ただの疲労であったと


茨木のり子

=================

日々の積み重ねの中に、いつのまにか気がつかず積もったやさしさ。
それは、
愛すると言うことも、もう意識はしない相手ではあるが、
本当に深いところで愛していると言う美しさが、
ただの疲労という言葉で描かれています、、、
「ひとを愛してゆくための
  ただの疲労であったと」
最後の部分、
何回も声にだしてください。

実はそこには、
やっぱり揺るがない信頼が見えてくるようです、、、、、

私もそんな肩を目指したい、、、
ですね。
ははは、、、

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2009.05.22

インフルエンザ問題から

インフルウイルス:増殖酵素の構造解明 横浜市立・筑波大と言うニュース。
上記ニュースによれば、
「インフルエンザウイルスが、自分の遺伝子を増やすのに使う酵素「RNAポリメラーゼ」の構造を解明。」
そして、この構造に基づいて、ウイルス増殖を抑える2種類の化学物質の候補が見つかり、その上、酵素の構造は人や鳥のさまざまなウイルスに共通すると言うことで、ウイルスの変異に関係なく効果のある薬剤開発に役立つ可能性があるという嬉しいものです。
今後の研究に期待。

さてさて。
それにしても、インフルエンザ。
国内での感染が急激に広まり(?)、社会生活にいよいよ影響が出てくるのだろうか???
と、危惧している私ですが、
いつものように内田さんのブログを読みに出掛けたらゾンビの教訓と言うエントリーが挙がっていました。
いつもながら軽妙な語り口で内田節が炸裂。
こうした話題では、内田節が頭にスンナリの私です(経済に関しては、些か疑問があるのですが、、、)。

内田さんは、今回のアタフタ騒動を、詰まるところは、
〜〜「公衆衛生」か「経済活動」という比較考量しがたい二者択一を迫られるような機会がときには訪れる。〜〜
と、分析。
そして、こうした局面で、マニュアルは存在しないが「物語」を人は創出する。
ここでタイトルのゾンビが登場。
つまり、
「ゾンビも怖いが、死なない兵士も捨てがたい、さて、どちらを取るか」となる。
内田さん自身はいずれをより好むかと、言えば、解答は自らも答えず、相手へも多分、不問に付すのだろうが、
結論はなかなか味わい深くて面白い。
〜〜〜「我が身の安全よりも、利益を選んだ人間はたいへん不幸な目に遭う」ということである。
私はこういう種類の説話原型の含む人類学的知見に対してはつねに敬意を以て臨むことにしている。〜〜〜と。

一方、きくちさんは機内検疫、水際防疫と言うエントリーで、
機内検疫偏重(に見える報道)の実質的効果についての疑問と、そこから浮かび上がるも発想は、
「防災よりも地震予知」とか「ゼロリスク幻想」に通じるのではないかと、書かれています。
なるほど。
確かに当初の舛添さんの意気込みは「ゼロリスク信仰」とも言えるような意気込み(?)ではありました。
また、その意気込みゆえ、
各地の自治体や教育機関の対応が今日に反映されているのかとも思います。
今後もますます拡大していくであろう感染者数と、感染者が出たとされる自治体。
結局、当初の政府の取った対策では、
ウィルスには対応出来ないということでしょうか???

パンデミックと言う耳慣れなかった言葉が、
今では流行語になった気がします。
輸送能力の発達で、以前は見られなかった病気が、またたくまに広がる危険性を伴いながら、
私たちは経済活動を行い、生活を営んでいるのだと、改めて思うものです。
先の内田さんが言われるように、人類の知恵として編できた物語を片手に、
同時に、きくちさんの言われるように片手に握っていたゼロリスクという幻想を放り出し、
進んでいく、、、
そんな時代が来たのだと思います。

さて、
今日、5月22日は国際生物多様性の日
地球環境の変化で生物界にもいろんな変化が出て来ています。
生物の特有の性質が失われたり、
あるいは変異したりと、、、

生態系の変化とともに、
予想される諸々の一つにパンデミックもあるわけですが、
今、私たちは大きく試されている時期では、と思います。
絶滅していくものと生まれてくるもの。
多様な生物と共存していくために、何が出来るのか???
何をすべきか???
その行方を丁寧に見ていくことを感じながら、
今回のインフルエンザ蔓延が意味することを見ていきたいと思います。
同時に、現在感染されている方の一にも早いご回復を祈りながら、、、
この記事を書いています。


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2009.05.13

竹酔日

今日は竹酔日。
竹を植えると良い日だそうです。
尤も旧暦なので、本当なら6月の23日頃だそうですが、、、

降らずとも竹植うる日は蓑と笠と詠んだのは芭蕉です。

古代より馴染みのあるは、
生活のいろんな場面に登場。
今ではバイオ燃料としても注目されています。
一見では同じように見える竹でも実は多くの種類があるそうです。
日本では150種類もあるとか、、、

京都は竹が多いのです。
嵯峨野の竹が有名ですが、山科や宇治あたりにも竹林が多くあります。
京阪宇治線に乗って、黄檗あたりまで行くと車窓から竹林がドンドン見えてきます。
そんな時、必ず思い出すのが水上勉「越前竹人形」。
京都にまで竹を求めてやって来た情景が思い浮かびます。

スクスク、ドンドン、と伸びる竹に、人は自身の成長の姿を重ねたのでしょうか?
目でたき物と、親しまれている竹。
旧暦の5月13日は、そんな竹を植えるといいとされた日です。
ところで、竹って酔うのですか???

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2009.05.05

しばらく更新できません

今日は子どもの日と言う記事を書きましたが、
子どもである私は親孝行をも、と考える日でもあります。
と、言うことで、
普段は遠くに離れている夫の両親の顔をみるため、帰省します。

しばらく出かけますので、ブログは更新できません。
また、頂いたコメントやトラックバックも反映できないと思いますので、
よろしくお願い致します。


では、いってきまぁ〜〜〜す♪

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子どもの日に

今日は子どもの日です。
鯉のぼりが五月の空に意気揚々と泳ぎ、
子どもたちの成長を願い、寿ぐ日です。
「日本においては、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。すなわち、端午は元々女性の節句だった。宮中では菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い天皇から薬玉(くすだま:薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜った。かつての貴族社会では薬玉を作りお互いに贈りあう習慣もあった。宮中の行事については奈良時代に既にその記述が見られる。」
と、wikipediaにはあって、もともとは女性の節句だったのですね。
面白い!!!

いずれにしても、子の成長を願う親の思いがいっぱい詰められた日です。
このごろ、子どもに関して悲しい事件が多く、胸が痛みます。
また、貧困や戦争で犠牲になるのも子どもたちが多いと思います。

一朝一夕では、解決できない問題であると知りつつも、
私は願うしか出来ないことを知りつつも、
やはり、ここで大きく声を出したいわけです。


「次代を担う子どもたちを守りたい」と。

そして、最後に子どもと言えば、やはり山上憶良と言う事で、子どもの歌を詠んだ憶良を紹介しているサイトをここに挙げておきますので、お時間がありましたらご覧下さい。
素敵なサイトです。

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2009.05.01

5月です

「せちは 五月にしくはなし。菖蒲蓬などのかをりあひたるもいみじうをかし。九重の内をはじめて、いひしらぬ民の住家まで、いかでわがもとに繁くふかんと葺きわたしたる、猶いとめづらしく、いつか他折はさはしたりし。 」
枕草子36段より。

清少納言が「せちにしくなし」と書いた五月は今日からです。

今日はメーデー、
3日は、憲法記念日、
5日は端午の節句と続きます。
また各地ではこのゴールデンウィークにいろんな催しが企画されているものと思います。
清少納言は「葵祭」の記述を残していますが、
季節的に一番清々しい候ゆえ、昔からいろんな催事があったのでしょうね。

古今和歌集巻11の詠み人知らずの歌には五月(と言っても旧暦ですが)の自然の状況と重ねて恋の苦しさ、切なさを詠んだ歌があります。
「郭公 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな」。

と、言うことで青葉若葉の5月です。
  

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2009.04.25

草なぎさん謝罪会見からツラツラと

「大人として恥ずかしい行動」 草なぎさん謝罪会見と言うことで、ここ2〜3日話題を振りまいたこのニュースも落ち着きました。
個人的は草なぎさんに同情しています、、、
飲みすぎたんだろうな、、、

酔ったら止まらない?!お酒の失敗談教えて!という企画を草なぎ騒動に先んじて、たまたまniftyが行っていたんですが、
それをチラチラと読むと、皆さん剛の者ですね、なかなかに。

私もお酒は嗜む程度に頂くのですが(ウソツケ、、、と言う家族の声が聞こえたりして、、、ははは)

以前、家族同士の付き合いということで、クリスマスに友人宅に行って子ども達中心のホームパーティをやりました。
プレゼント交換や隠し芸やと、子どもたちは盛り上がり、大人はひたすら飲んで、、、と。
私も楽しくて、飲んで、しゃべって、飲んで、飲んで、、、、
ふと気がつくと、友達の家で寝ていました。
きゃっ=====
慌てて起きて、まだ隣の部屋では宴たけなわ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
と、謝って輪に入ったのですが、皆の言うこと「お酒、弱いんだね、、、」
「はぁぁ、、、、」

その後、みんなはまだ飲み続けていましたが、お酒に弱い私はジュースを飲んで、冷めるのを待ったのですが、
子どもの寝る時間が来たので失礼をしようということで立ち上がったら、アララ、、、
足がもつれて、
「大丈夫、、、」と心配する皆をよそめに
「大丈夫、大丈夫」と元気よく、いの一番に玄関を後にして自転車に乗ったら、
あらら、、、自転車ごと転んでしまいました。
ははは、、、と照れる私に呆れる皆。

その後しばらくはクリスマスが近づく度に歌になります。
♪それはクリスマスの夜        
  ヨッパライのおばさんが
  軽いカバン 肩にかついで
  ソロリ自転車に  乗ったら    
  ハンドル、ヨロヨロと
  難しく回転して
  見ているまもなく  
  ころがった
  でも                                    
  そのヨッパライはママ


ははは、、、

それ以来、お酒は余り飲みません(ウソツケと声が聞こえそう、、、)

と、言うか、多分そんなに強くないんだろうな、と自分では思っています。
今は歳もとったので夫と軽く晩酌かな。


そうそう、
お酒と言えば大伴旅人のお酒にまつわる歌は有名ですね。
「あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む」
意味は「 ああ醜い。賢そうにして酒を飲まない人を、よくよくみたら、猿(さる)に似ているようだ」です。
これは、有名ですが、ちょっとここまでは、、、というものですね。

と、言うことでなにはともあれ、
お酒にまつわる話でした。
草なぎさん、これを機にさらに一回りも二回りも大きくなって、さらなる活躍を期待しています。

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2009.04.09

「文明の同盟」の第2回フォーラム

異なる文明・宗教間の対話と相互理解を目指す「文明の同盟」の第2回フォーラムが4月6,7日、トルコのイスタンブールで開かれました。
このフォーラムには6カ国の政府首脳、36カ国の外相など1500人以上が参加。

開会のあいさつに立ったパン・ギムン国連事務総長は、
世界的な経済危機のもとであまりにも多くの人が失職し、飢え、怒りに駆られて人種的憎悪の対象を求めているとし、「きわめて危険かつ致命的な問題だ」と警告したとのこと。

そして、
「異なるコミュニティー間、宗教間、グループ間の真の協力精神がなければ、どれほど多くの平和維持軍も停戦・人権監視団も永続的な平和をもたらさない」とのべ、「文明の同盟」の取り組みを激励。

「寛容と尊重の共通の家」
「野心を満たすためではなく、共存をもたらすことに役立つ」ものだと指摘したのはこのフォーラムの提唱者であるスペインのサパテロ首相。

オバマさんも
トルコ政府が主催した6日夜のレセプションに参加。

今回のフォーラムは、
「社会と宗教」
「異文化間の対話と協力」
「教育を通じた青年雇用の促進」
「多様性を学ぶ」など興味深いテーマで議論が交されたようです、、、、


この成果が実効有るものとして、多くの国に定着していくといいなぁ〜〜〜〜〜と願っています。

 文明の同盟 「異文明・文化間の共存」を掲げ、「西側世界とアラブ・イスラム世界の間にある相互否定的な認識を正す」ことを目的とした国連のプロジェクト。二〇〇四年九月の国連総会でスペインのサパテロ首相が提唱。その後、トルコのエルドアン首相が共同発起人となり、〇五年に国連プロジェクトとして公式に発足。これを支持・実行する「友好グループ」には日本を含む百十カ国・機関が参加しています。

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2009.04.08

潅仏会

今日は潅仏会ですね。
釈迦誕生日です。
あちこちのお寺では、花に囲まれた釈迦の像に、甘茶をかけ、願をかけていることと思います。
どんな願いをかけ、
どんな思いを釈迦に伝えているのだろう、、、

春爛漫。
花の季節にふさわしい行事の一つ潅仏会。


と、言うことで今日は京都の桜の写真をお届けします。

IMGP0871

これは哲学の道に咲いていた桜です。

IMGP0869

疎水を背景に一枝の桜を撮りました。
この後ろには、たわわに咲き、アーチをつくる桜がそこここにあるのです。

京都、銀閣寺から哲学の道にかけての桜を紹介しました。

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2009.04.01

エイプリールフールサイト

エイプリールフールはやっぱりコレですかね。
ウルトラマンで有名な円谷プロの78ちゃんねるまとめサイト
去年は随分楽しみましたが、今年も健在。
まだ、ご覧じゃない方は急いでください。
あと3分で消えちゃいますよ!!!
ピコピコピコ。


さて、
今年の話題としたら、やはりあの人。
ヨッターマン

笑っちゃうね。


さて、さて。
アイシェアが発表したアンケート結果が載っていました。
「アイシェアが3月31日に発表した、20代~40代のネットユーザー380人に聞いたアンケート結果によると、ネットでエイプリルフールネタを見る人は37.9%、ネット上で嘘の書き込みや嘘のコンテンツ公開をしたことがある人は7.6%だった。」

うむむ。

やっぱり、自分で嘘を書き込む事やコンテンツ公開ってのは、かなりエネルギーがいるんでしょうね。
見て楽しむのがいい。

今日のような日にもクレタ人は嘘をいうのだろうか?
「クレタ人は嘘つきだ」、、、、
と、クレタ人が言った。

??????????

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2009.03.24

相変わらずバタバタしています

今日も漏電点検で、何人かのかたが見えたり、とバタバタしています。
うちの、となりのとなりの中国人の先生のお宅も、漏電したそうです。
相変わらず、屋根の上は、ガァ〜〜〜〜ンと響いていますが、、、
はやく、キッチリと対応してもらいたいものです。

と、言うことで、書きたいことは山ほどなのですが、、、
まず
野球、よかったですね!!!

それからサッカー。
ウウウウウウウ=====ン。
でした。
残念。
実は鹿島スタジアム行って来たのです。
その道中記も書きたいのですが、、、、


それから、それから、
テレビドラマも何本か書きたいのだが。


もうちょっと落ち着いたら。
また書きます。

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2009.03.22

漏電事件の顛末

3月19日の木曜日、午前、突然、電気がピチッ、と切れました。
うわっ、、、、
電気の使いすぎかぁ、、、と慌ててブレカーを上げにいくと、
漏電ブレカーが落ちていました。
つい先日もい、このブレカーは落ちていたので、「あっ、また上の振動か」とため息つきながら、ブレカーをあげようとしたのですが、あがりません。
ムムム。
月曜日は、すぐにあがったし、その次の火曜日には電力会社のひとに調べてもらったのに、、、
ううううう〜〜〜〜ん。
悩んでいる頭の上から、相変わらずドドドドド〜〜〜〜〜
ガンガン
とんとんとんだだだだ〜〜〜〜〜
きぃいいいいいいいん
と音が響きます。
実は、屋上の改修工事ということで、10日前から業者が入って、屋上をバンバンと直していたのです。
もう、その音の凄さと言ったら、ちょっと表わせないのですが、
地下鉄とか、飛行機とか、そんな感じでしょうか???
とにかく、体にまで響きます。


なにしろ、古い宿舎だから、雨漏りなんかして、大変だったのです。
あれ、今日って晴れているのに、なんで漏ってくるの???と不思議に思いながら天井を見上げていたのです。
そんなこんなの宿舎だから、少々煩くても我慢していたのですが、、、

内蔵まで揺れている感じの騒音にはまいっていたところ。
うわっ〜〜〜〜〜
どこかに避難しようと思った矢先、のプッツン。
人間が切れる前に電気が切れました。

と、言うことで漏電の顛末を書きます。
3月16日月曜日、午前、漏電ブレカー、落ちる。が、すぐに復帰。
業者に伝えると、「電気、使いすぎていませんか?」と言われる。

3月17日火曜日、電力会社、安全のためブレカー、チェック。「今は大丈夫」」と言われる。

3月18日木曜日、午前11時頃、突然、電気が切れて、漏電ブレカーの落ちている事を確認。
ブレカーが上がらない。そこで、家に配線されている4つのブレカーを上げたり、下げたりしながら、1つの配線がダメなことを発見。それは居間にきている電気でした。幸い、冷蔵庫やトイレ、風呂は大丈夫だったのですが、台所の電灯や換気扇は使えません。
電話もダメなので、管理協会にも私から連絡できない。
仕方がないので、仕事中の夫に携帯で連絡をとり、夫から電力会社と管理協会に連絡。

3月18日、木曜日午後12頃。電力会社の人がきて、漏電を確認。
問題の箇所を調べるため、電気がきていないところのコンセントをみんな抜いて、「犯人さがし」。
だが、見つからない。電力会社はここまでしかできないということで、サヨウナラと言って帰る。

3月18日、木曜日午後2頃、管理協会の人がきて、事情を話す。
管理協会の人が、この宿舎を建設した業者に電話。結局、今、屋根の改修工事で、屋根を洗浄したから、電気の回線の一つが濡れ、漏電しているのでは、、、と言われ、回線が乾くまで「待て」と言われる。

その日は、夕飯は作れず、家族で外食。
家に帰っても、居間はマックラ。

3月20日金曜日。
雨。
電気はこない。キャンプ生活突入。
朝はパン、昼と夜はお弁当。
居間は電気がこないので、使っていない、下の部屋を大掃除。
こちらは電気がくるので、私の仕事関係のものをみんな移動して、結局、部屋はスッキリと片づく。

3月21日、土曜日。電気はこない。
業者に電話すると、午後に来るということで、午前中に買い物。
午後1時過ぎ、業者が来る。
漏電を確認。
問題の居間の電灯の配線をチェック。
「すぐにみつかるといいですね」と言いながら、一番めの電灯をはずす。
「あっ、これですね」と見つけ、おおお、、、よかった。
すぐにブレカーに確認に行ったのですが、上にあがってくるなり、
「おかしいですね、、、これはべつにところに続いています」
と、言って、二番目、三番目、と電気をはずしてチェック。
もう一つ予備の配線もチェック。インターホーンもチェック。
結局、
結局、
「こんな漏電、見たことないのですが、ひょっとしたら上の工事と関係あるかもしれません。」
と、言うことで説明。
電気の配線は屋上にある配管を通って、家にやってくるのだが、
今回の屋上洗浄のさいに、その配管のどこか(多分、うちに居間にくる電気の配線のどこか)にアンカーをあててしまったのではないか、、、ということ。
「非常に珍しい、、、あてようとしてもあたらない」とのこと、、、

「雨漏り工事をしていて、代わりに電気が漏れた」のですぅううう。
うわつ〜〜〜〜〜

うわっ=====
です。

それで、その後は工事の人がくるは、建設業者がくるは、、、、、で、大変。
結局、原因は分からなかったの、月曜日に、この宿舎の管理者と、協会と、業者で、今後を決めるとのことで落ち着く。
「きっちり、緊急対策しましたので、もう大丈夫」と言って、
対策を施してくれ、
居間に電気が通じるようになったのは4時頃。
それからまたまた大掃除。

こうして、
やっと普通の生活に戻る、、、、
ことができました。
よかった!!!


尤も、月曜日に、またいろんな業者がくるんだろうが、、、
まだまだ続く、、、、
ふぅううう。
それにしても、こんなことってあるんですね。

夜「黒部の太陽」を見ながら、電気の大切さが身に浸みました。

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2009.03.13

北朝鮮が人工衛星

北朝鮮「4月4〜8日に発射」 日本列島飛び越える軌道と言うニュース。
気になりますねぇ〜〜〜
 

「宇宙開発はわれわれの自主的な権利」
「平和的な科学研究活動」と言うことですが、、、、

が、、、
が、、、、
テポドンの時をうっすらと思い出しますねぇ、、、

フゥム。

今のところ、情報がないのでなんとも言えませんが、
ちょっとばかり、これからその動向に注目していこうと思います。

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2009.03.12

道頓堀川からカーネル・サンダース人形

道頓堀川からカーネル・サンダース人形を24年ぶりに発見と言うニュース。
よかったね。
カーネルおじさん。
実は、まだ発見されていなかったのか、、、と驚きながらニュースを聞いていたのですが。
道頓堀って深いのですね。

それにしても笑っちゃったのは、G大阪遠藤はカーネル発見を聞かれ困惑と言う記事。
うんなぁ、こと聞くなぁと、思わず笑っちゃいました。
そりゃ、、、聞かれても困るよね。
そんなことあったのなんて知らないだろうし、、、

ちなみに私は、その頃は野球ファンだったのでバッチリ覚えています。
神戸生まれの友達は熱烈な阪神ファンでいつも「六甲おろし」を歌っていたことを思い出します。

多分、記者は「良かったですね!これは励みなりますぅ」なんて言葉を期待したのだろうが、、、

いずれにしても、よったね。カーネルさん。
綺麗に洗ってすっきりしてください。
と、言うことで
なんとも微笑ましいニュースでした!

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2009.03.03

ニセ科学と社会

このところ忙しくしていたのですが、今日は久しぶりにTAKESANさんのエントリーニセ科学批判の効果についてとか色々をゆっくりと読みました。
そしてリンク先の記事なども拝見して、とても興味深くもあり、面白くもあり、考えさせられました。

改めて思うに、根が深い問題ですね。
どうして、こんなに根が深いのかと言われれば、
その底に静かに潜んでいるのは、ある意味での「社会」の意思かもしれないからでは、と思うのです。
一人、ひとりの個人としての思いではなく、
「社会の要請」としての「ニセ科学の意味」。


そうした折り、ふとニセ科学を信じる脳の部位と言うタイトルでultraviolet さんと言う方が昨年書かれていた記事を思い出して、読み直したり、、、していました。
ultraviolet さんは記事の中で最近はやりの脳科学論者について以下のように書かれています。
==============
「だいたい今時「脳」を前面に押し出して話をするような輩は、例えば茂木健一郎も養老孟司も川島隆太も、まずは眉に唾をつけてかかるべきと私は思うちょります。この三人にはどうにも科学者としての良心、つまり「わかっていないことを率直にわかっていないと言う素直さ」が決定的に欠けている、と私には見えます。養老孟司が受けてる理由って、何でもスパスパ言い切るあの歯切れの良さでしょ。それってニセ科学が信じられてしまう理由と全く一緒ぢゃん。ぶーぶー。」
==============
と。
その後、内田さんにもチラリと言及。
養老さんや茂木さん、川島さん、そして内田さんなどの方々は、聞くものの耳にあたりよく、心地よく響くのでしょうか???

そんなこんなで、色んな所に登場する脳科学と、ニセ科学。
科学って言葉が、なんだかよく分からないけれどアカデミックな雰囲気を醸し出しているのだろうか???

それはそれとして、こうした記事を前にして思うのは、いつもコメントを頂く技術開発者さん。
きっと開発者さんなら、このように言われるだろうな、と思うのですが、如何でしょうか・開発者さん>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「もともと社会には「いい加減なことを言う」という人なんかを嫌悪する雰囲気が有ったハズなんです。でもね、そういう嫌悪感ってのは「社会がまともに動く」ために必要なんで、個人にしてみると直接にはあまり嫌悪すべき必要性は無いわけです。でもって、個人が「まともに動く社会の中で生きる」という意識があればそういう嫌悪感は道徳観とか倫理観と結びつくんだけど、皆さんはもう既に「社会の中で生きている」なんて気持ちは無くいのだから、社会がどうなっても「自分は自分で生きている」訳です。だからそんな嫌悪感を持つことの必要性は無くなっている訳です。
(poohさんのブログより引用させていただきました。
私のブログでも同様の趣旨のコメントを頂くのですが、今、時間がないので探していません。
と、言うことで失礼いたします)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私も同感です。

ニセ科学を信じる人々が沢山いらっしゃる、
あるいは、耳あたりの良い評論家が蔓延すること、
などなど、を考える時、
こうした現象で「得」をするものは誰か?と、思いは突き進みます。

ちょっと横道にそれます。
生物の生態を勉強していると必ず個体群という言葉に出会います。
個体群の個体数がある程度以上になると、これは専門用語で言うなら個体群密度が高くなると言いますが、
集団は相変異をします。
例としては、一番多く挙げられるのはトノサマバッタです。
普通は単独で孤独相と言われ、体色は緑色。
原っぱと同じ色です。
が、個体数が増すと、群生相と言って茶色で移動しやすく変ります。
幼虫の時のフェロモンの関係で、どちらの相になるかが決まります。

閑話休題。
人間の社会も、
生き延びるために集団の知恵ってあるんでしょうね???
それがなになのかは、集団の中にいる私には全体は杳として掴めないのだが、、、
だが、、、
掴めるように大局的な見地でいたいなぁ、、、と常に望んでいます。
これ、あくまで希望ですので、、、
ハハハ。


で、結局何が大切かと言うと、、、
なんなのだろう???
リテラシーになるのか、煎じ詰めれば「教育」か、なぁ???
と、思うのです。

いずれにしても、
今、はやりのニセ科学にしろ、脳科学(茂木さんあたりの提唱の脳科学)、あるいはオーラーの人々などなど、
はやりすたりは、あるものの、時の権力にとっては都合のいいものではあるんでしょうね、、、
個が個であることを放棄するという意味において。
ゆめゆめ、黙らせられてはなりません。
と、思った次第。
今後もしっかりと注目です。大きな目で。
おっ、そう言えば今日は「みみの日」ですね。
ついでに耳もダンボにしておきましょう〜〜〜

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2009.03.02

3月になりました

もう3月ですね、、、
早い。
別名弥生のこの月は、草木の芽吹く意味です。
「いよいよ」「ますます」。
今よりもっと寒く暗い冬を、背中をまるめてじっと耐えていた昔の人々にとって、
暖かい日差しが戻り、木々が芽吹き、花が開くこの季節は、
躍動と希望に満ちていたものと思います。

そんな弥生。
私たちにとって、この「やよい」と言う言葉は、3月の異名とともに、
桃の節句を連想させたり、
あるいは、弥生時代を思い出したりと、
結構、身近な言葉です。

さて、つい先頃、
弥生人はウルトラマン似? 京都・与謝野町で人面土器と言うニュースがありました。

フゥ====ム。
弥生人の一般的な顔はウルトラマン似だったのか????

と、思わず微笑みながら記事を読みました。
本当のところはどうなのでしょうか?
いずれにしても、
季節はいよいよ春。
個人的は半ば嬉しく、半ばはハアァクッションと憂鬱。
が、
やっぱりイキイキと謳う自然の声を楽しむことにしましょう、、、

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2009.02.26

時代の力

今日は2月26日です。
2.26事件を思い出すのですが、
アメリカでは1869年に黒人にも投票権が初めて与えられた日でもあります。
が、形式的なもので実質的には無かったに等しいものでした。
法律、州法で保証された権利も別の法律で骨抜きにされていたようです。
文盲テストなどがあったり、投票税のようなものもあり貧しい黒人狙い撃ちで、投票の権利が現実には奪われていました、、、

が、
時代が変わり、今オバマさんが大統領。
時代の力を感じます。
感慨深いものがあります。

うううう〜〜〜ん。

それに引き換え、
なんだか悲しいのが我が国の二世三世議員。

やっぱりこれは国民に大きな責任があるのでしょうね。
いつ選挙があるか分かりませんが、
よぉ〜〜〜く考えて投票しなければと思います。

参政権その他については、今度、もっとゆっくり書きます。
今日は簡単に紹介まで。

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2009.02.24

2〜3日更新できないかもしれません。

2〜3日更新できないかもしれません。
なるべく書きたいと思いますが、、、

この間、コメントを頂いたら場合、反映が遅くなるかもしれませんが、
宜しくお願いいたします。

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2009.02.17

血液型性格判断は世界でも通用する?

血液型で性格判断は世界でも通用するか?と言うトピックをココログニュースが挙げていました、、、
内容はまずつかみの部分でアメリカ人は血液型と性格に疑問を持っているらしい、として以下のように書いています。
「アメリカ大手通信社AP通信が報じた「日本では、人は血液型によって決まる」という話題が米国人の間で反響を呼んでいる。その記事には「たった4種類に人間の性格が分けられるはずがない」、「日本人はなぜ血液型に固執するの?」といったコメントが寄せられているという。」

が、
この記事を書いた記者さんは、
「でもでも、野球選手はぁ〜〜〜〜」
とかとか書いて、かなり血液型と性格に肯定的。
最後の締めは、
「これを機に世界に広まることはないのだろうか。例えば、ハリウッドスターや世界の著名人などを血液型で分析した結果が発表されたら、少しは世界の反応も変わるだろうか?」
と、期待をこめて書かれています、、、


フゥ=====ム。
コマッタノォ。
と、言う感じ。


血液型と性格。
うんなもん相関性があるわきゃないよ。
と、私の中に流れている○型の血液が言う。
大体、私自身今まで初めての方の、だぁ〜〜〜〜れにも血液型当てられたことがないんですよねぇ。
血液型を知っていることは絶対大切ですが、
性格分析のためでは断じてありません。

大体血液型性格分析といっても4種類。
(法医学の知識を駆使して一人ひとり特定していくまで精度を挙げている血液性格判断なんて今のところ見たことがないなぁ)
せいぜいで星座12と組合せて48種類。
男女に分けて96種類。
それを12765万人を96に分類しても概算で100万人以上同じ性格がいるということかぁ〜〜〜〜

ふっ=
これって、どんな意味があるのかな???
と、悩む次第。

さてさて、先の記事。
「世界に通用するだろうか?」
と締めるのではなく、
「どうして日本人は、こうも信用しるのだろうか?」とした方が良かったのではないだろうか???
実際、話題の途中には、
「実際、『血液型自分の説明書』シリーズ(文芸社)がベストセラー入りしたり、血液型による性格分析が日常の話題になることも自然に受け入れられている日本。」とあります。
まさに、この問題を突き止めていくことが、大切だろうと思います、、、

たとえば女性の血液型でチョコの本命度を検証しようなんて記事が堂々と載っている国、日本。
ウウウウウウウ〜〜〜〜〜ンです。
なぁんていうのか、
こういうのって、自分で考えることの放棄なんだが、
うううううう==ん。
こまった!


〜〜血液型による性格分析が日常の話題になることも自然に受け入れられている日本〜〜
そもそも性格分析って外国の国々はしているんでしょうか?
寡聞にして知らないのだが、、、
占星術ってのはあるようですが、あれは性格分析ではないですよね???

まずもって性格分析って、他人に簡単に決められるものなのかなぁ???
どうなんでしょう???

以前血液型ハラスメントと言う記事を書いたことがあります。
行きすぎた行為は、あるときは差別や嫌がらせにもなったりします、、、

大切なことは、
血液に尋ねることではなく、
生まれの星座に聞くことでもなく、
自分自身の感覚と理性に判断を仰ぐことでは、と私は思うのですが、、、

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村上春樹さん 素敵でした!!!

村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判と言うニュース。

感想第一番。
カッコイイ。
です。
個人的は村上春樹さんの作品、いつも挫折です。
置いてけぼりになるんですね、、、
とは言え作家の力量と言うエントリーを以前挙げたのですが、そこでは村上春樹の筆力について感嘆したことを書きました。
ところでエルサレム賞の受賞者にクンデラがいたのですね。
実は大好きなのです。
クンデラが、、、

さてさてニュースを見ていくと、、、

「イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレムで開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。」
と言うリード文。
そしてニュースはガザの現実と作家村上春樹の賞授与、そして授賞式の模様について以下に述べます。

「ガザ攻撃では1300人以上が死亡し、大半が一般市民で、子どもや女性も多かった。このため日本国内で市民団体などが「イスラエルの政策を擁護することになる」として賞の返上を求めていた。
村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。」

壁ですか、、、
卵と壁なんてくると、なんとなく不思議の国のアリスを思ったりして、、、
「ハンプティ・ダンプティが 塀の上
ハンプティ・ダンプティが おっこちた
王様の馬みんなと 王様の家来みんなでも
ハンプティを元に 戻せなかった」

あっ、横道です。
むしろこの場合は村上さんの想定は嘆きの壁かもしれません。
私は行ったことはないのですが、夫は仕事でイスラエルに行って、
この壁を見てきたことがありましたが、その時はまだ平和な時だったので、文字通り「祈りの壁」でもあったそうです。
歴史を振り返れば、壁には辛く悲しい「時」が刻まれています、、、

さて、村上さん。
彼が語った壁は「分離壁」の事です。
村上さんは「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と壁について語っています。

壁かぁ〜〜〜〜〜
人と人を切り離し、
思いを断ち切り、
人の前に厳然と立ちはだかる壁は、
本来は村上さんが言われるところの守りのためにあったのだろうが、、、
村上さんが言われるのは、
攻撃の砦にもある壁。
それは今、現実に分離壁と言う名で立ちはだかっています。


うううううう〜〜〜〜ん。
難しい問題がいっぱい、いっぱい絡み合って、からみあって、
こんがらがって、
今はどうしようもないくらいになっているんでしょうか???
イスラエルと近隣の国々。

なんとか、なんとかお互いが一歩でも二歩でも歩み寄ることができたら、と願うしかできない私です。
が、
村上さんの演説には力が湧きました!!!
壁なんかなくて、
壁の中の人々が平和で暮らせて、
壁の外には潰される卵もなくて、
と、
そんな時代がこないだろうか、、、
と、窓に目をやると天使が横たわっています。
IMGP0565
この天使。
イスラエル人の友人が京都に遊びに来たときお土産で頂いたものです。
すごく陽気で素敵な女性でした。
あの時は、ポルトガル人と中国人の友人も一緒でしたが、
言葉も違って外国語の英語で話していました。
お互いに「花ってポルトガル語ではなんというの?」
とか、
「水って中国ではどう言うの?」
とかとか、、、
違った文化を理解しようと懸命。
楽しいひとときを思い出します。


どこの国であろうと、
誰であろうと、
本当はみんな楽しく笑って過したいし過すために平和であることを望んでいるのでは、と私は思います。

と、言うことで最後にもう一度。
村上さん。
カッコヨカッタ!!!

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2009.02.16

電子申告 ううううう唸っていま〜す

今日から確定申告受付です。
上のニュースにもあるように「e—Tax」。
私も今年は挑戦しようと頑張っています!!!
我が家はMacなので無理かと思ったのですが、Macにも対応していたのでラッキー。
それなら、やはりやろう。
なにしろ、
「初めて利用した際に最高5000円の税額控除」と言うこと。
で、
まず国税庁のホームページをひらいて、
それからサイトの指導に従い、手順を踏もうと思ったのですが、
これが難しい!!!
難しい上に、ICカードリーダライターなるものやら住基登録やら、なにやらかにやらと事前にやることがあります。
う〜〜〜〜ん。
これなら今までのように自分で計算して郵送しようかとも思ったのですが、
取りあえず、
ICカードリーダライターも購入(一番安いもの)して、
市役所も行って、
と、ここまでやりました。

最初は面倒でも、いずれ使い慣れればラクラクになると信じて、、、
思えばETCもそうでした。
初めは「あんなもの」とか「公団の人件整理かぁ」とか思ったのですが、
使ってみれば確かに渋滞の解消に役に立っているのは本当かな、、、と思っています。
だから、
だから、、、
今回の「e—Tax」もいずれラクになることを願いながら、今はパソコン前で唸っています。
全部、できたら、また顛末を記事にします。

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中川財務相、記者会見

今朝から何回も見ていますが中川財務相、記者会見関連報道。

フゥ====ム。

「人只一念貪私、便銷剛為柔、塞智為昏、
変恩為惨、染潔為汚、壊了一生人品」(菜根譚より)

意味は、
「人というものは、激しい欲望で頭がいっぱいになっている状態では、
強固な意志は骨抜きとなり、澄んだ理性は曇り、愛情は残酷に変わり、
潔癖が恥知らずとなり、人格の全てが台無しになってしまう。」
と、
言うことです。

先の中川さん。
ここまでは言わないが、、、
言いたくはないが、、、
それでも、
飲んでいたのかな???
酒という欲望に抗することは出来なかったのだろうか???
やっぱり、
「一生の人品を壊し了る」と言うくらいショックな映像ではありました。

噂されているように健康に問題があるのかもしれませんが、
それはそれで心配です。
ただ、今回の記者会見後の言い訳が「風邪薬」ってのは、変だと思います。

さてさて、中川さん。
「汚名返上」「名誉挽回」なるか、、、

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2009.02.13

脳は「他人の不幸喜ぶ」「ねたむ」

「他人の不幸喜ぶ」「ねたむ」脳の場所特定 放射線医研と言うニュースが出て、読みました。
面白い実験ですね。
「人をねたむ感情と人の不幸を喜ぶ感情をつかさどる脳の場所がそれぞれ特定」されたそうです。
まぁ、特定場所はともかく実験方法が面白い。
報道によれば、
「物語には、被験者に加え、ABCという3人の学生が登場する。被験者と同性のAは、進路や人生の目標がほぼ一緒のライバルだが、成績優秀で裕福、異性にもてる。Bは異性で優秀だが、進路や目標は重なっていない。Cは異性で普通の成績で進路は関係ないという設定だ。」
と言うこと。
そして、そのシナリオを読んで感情移入した被験者がどのように反応したかで、
先の実験結果となるのだそうです。


フゥ====ム。

「幸福であるだけでは十分ではない。 他人が不幸でなければならない。」
「人は自分が幸福であるだけでは満足しない。 他人が不幸でなければ気がすまないのだ」
「幸福――他人の不幸を眺める事から生ずる快適な感覚。」
とかとか、、、
昔から他人の不幸は蜜の味と言う感覚はあったのでしょう。
その感覚を司る部位が特定できたというのが今回の実験です。

さて、それならば、小説やマンガ、映画やテレビのシナリオをつくる時は、こうした「脳」を喜ばせるようなものを作ればいいのだろうか???
フムフムと納得。
実は私、
これぞ少女マンガっていうのが大好きです。
少女マンガの王道。
健気でかわいくて、優しい主人公に、
もうイケメンの王子様。
そして意地悪な仲間達。
苛められて、いじめられても負けない主人公。
そして最後は大団円。
これぞ、王道。

と、いうことで今は「メイちゃんの執事」にはまっています。
ハハハ。

ところで、
ところで、
茂木さんはこの研究、どのように評価なさるか楽しみですね。

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2009.02.11

ありのままについて考えてみたが、、、

“あるがまま”を観ることと言うエントリーを愚樵さんが挙げています。
NairFessさんも「あるがままに」と言う記事を書かれています。
お二人の書かれたものを何回も読ませていただきました、、、

「あるがまま」。
なんとも深くて広くて凄い問題です。
NairFessさん言われるところの「口に出した途端にスルスルと指の合間から消えて、既に「あるがまま」ではなくなるのかもしれません。
愚樵さんの書かれているように「これは何だろう?」と観察や分析をすれば、既に「あるがまま」ではないのかもしれません。

「あるがまま」。

お二人のブログを拝見しながら思い出したのは芭蕉との俳句とテニスンの詩について書いていた鈴木大拙を思い出しました。

「よく見れば ナズナ花咲く 垣根かな」芭蕉です。
これに対してテニスンはひっそりと咲く一つの花を以下のように詠みます。

「壁の割れ目に 花咲けり 
 割れ目より汝を 引き抜きて
 われはここに 汝の根ぐるみすべてを
 わが手の うちにぞもつ
 おお、小さなる花よ

 もしわれ 汝のなんたるかを
 根ぐるみ何もかも 一切すべてを 知り得し時こそ
 われ神と人との なんたるかを知らん」

フゥ〜〜〜〜ム。
芭蕉とテニスン。
鈴木大拙は、この二人を比較して西洋と東洋の「物の見方」の違いを語っています。

あるがままと言えば、そこにひっそりと咲く一つの花をそっと愛で、
それはそれでそのままが、「あるがまま」「ありのまま」自在であるということなのかもしれません、、、
が、
私の中では「あるがまま」は「受け入れる」ことと同義であったりします。
「受け入れる」あるいは「赦す」とかまたまた或いは「放つ」とか。
そして、そんな言葉の裏には、やはり強烈な感情が潜んでいなければ本物にはならないのだろうと、思っています。

そう、端的に表わしてくれているのが茨木さんの詩かな???と思ったりしています。
以前にも記事にしたことがあるのですが、もう一度載せておきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
怒るときと許すとき

 女がひとり
 頬杖をついて
 慣れない煙草をぷかぷかふかし
 油断すればぽたぽた垂れる涙を
 水道栓のように きっちり締め
 男を許すべきか 怒るべきかについて
 思いをめぐらせている
 庭のばらも焼林檎も整理箪笥も灰皿も
 今朝はみんなばらばらで糸のきれた頸飾りのようだ

 噴火して 裁いたあとというものは
 山姥のようにそくそくと寂しいので
 今度もまたたぶん許してしまうことになるだろう
 じぶんの傷あとにはまやかしの薬を
 ふんだんに塗って
 これは断じて経済の問題なんかじゃない

 女たちは長く長く許してきた
 あまりに長く許してきたので
 どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
 生めなくなったのではないか?
 このあたりでひとつ
 男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
 アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
 女のひとのやさしさは
 長く世界の潤滑油であったけれど
 それがなにを生んできたというのだろう

 女がひとり
 頬杖をついて
 慣れない煙草をぷかぷかふかし
 ちっぽけな自分の巣と
 蜂の巣をつついたような世界の間を
 行ったり来たりしながら
 怒るときと許すときのタイミングが
 うまく計れないことについて
 まったく途方にくれていた
 それを教えてくれるのは
 物わかりのいい伯母様でも
 深遠な本でも
 黴の生えた歴史でもない
 たったひとつわかっているのは
 自分でそれを発見しなければならない
 ということだった

茨木のり子・・・詩集「見えない配達夫」より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「たったひとつわかっているのは
 自分でそれを発見しなければならない
 ということだった」
と、言うことで私にとって「ありのまま」とは、
強烈に生きる、「ソコ」にあること。
それをまさに自覚することかなぁ、、、と今の私は思っています。
もっと歳をとれば、
道元禅師の「眼横鼻直」には達することができるだろうか???
と、思う次第。

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2009.02.10

麻生さん  今日はどこまでいくんだろう???

麻生さん  今日はどこまでいくんだろう???
Sum02

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2009.02.09

そろそろですか、花粉飛散

あああああ〜〜〜
今年もやってくるんだなぁ、春が。

いつからだろう、こんなに春が憂鬱になったのは???

あああああ。

花粉がこれまでの「100分の1」「少花粉スギ」大規模植林始まるなんて心強い情報をみると、飛びつきたくなります。
今年は「やや多め」の予測がされていますが、、、

さてさてさて。
もうすぐ花粉が飛散、
本当に悲惨ですぅ。

と、言うことで「早めの対策」としてマスクと薬を用意しておきます。

最後にもう一回。
あああ〜〜〜

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2009.02.04

春です

立春です。
春めく光と風に揺られ、花々の季節。
重なった木々からも風のゆらぎとともに、光がザワザワと届きます。
そんな季節がやってきました。
IMGP0559


さてさて私は朝から掃除。
そうです、昨年も書いたように玄関に散らばった豆を集めていました。
昨年は仙崖和尚に登場頂いた立春でしたが、今年はやっぱり風狂の一休さん
一休さんについては何回か書いたのですが、
私の中では、やはり水上勉さんと重なります。
ご自身の著書の帯に一休について以下のように書いています。
=============
間はなぜ瑣事に悩み、色に惑うのか。
悩み、惑い続けながら、なぜ「生」に執着し「色」に執着するのか。
自ら煩悩の熱い炎に焼かれ身悶えしながら、なお人間の真実に迫ろうとする水上勉が、一筋の光明を求め、「心経」を一休和尚に問い、正眼国師に質す。
その苦悩の果ての悟りとは、、、、、
(水上勉、般若心教をよむ、の帯)
==============
水上勉は一休が好きでした。
またその生き様は、そうであらんとしていました、、、

一休さん。
なかなかに食えない和尚。
そして魅力あるその生き様に人は己の煩悩を重ねるのでしょうか?
「仏といふも、さとるといふも、名はかはれども、おなじみちなり。我が本心をさとる人を、すなはち、仏となづくるなり」
なんて殊勝な一休さん。
が、
あるときは、
「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」
なんてイカニモとポンと膝を打つ様なすぐれものがあったり、
その他、まぁ色々、イロイロ、あるんです。

そんな一休さん。

正月には有名な
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし 」
と、言う歌を残しました。
正月は一つの通過行事。
迎える事ができた喜びと、未来への様々な思いが交錯して、
結局「今」が大事と言う事でしょうか。

と、言う事で今日は立春。
新しい季節と出会いの第一歩の日です!
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2009.02.01

2月を迎え

今日から2月です。
月の経つのは本当に早いなぁ、、、と思います。

2月の空は星が美しい。
空気がピィ==ンと張っていて、遠い空からの光の届ものは、
ひときわ際立ちます。

♪冬の星座
木枯らしとだえて
さゆる空より
地上に降りしく
奇(くす)しき光よ
ものみないこえる
しじまの中に
きらめき揺れつつ
星座はめぐる

ほのぼの明かりて
流るる銀河
オリオン舞い立ち
スバルはさざめく
無窮(むきゅう)をゆびさす
北斗の針と
きらめき揺れつつ
星座はめぐる


先日、友人がこの歌をコカリナで吹いてくれました。
とても澄んだ美しい音を出すコカリナ。
私も早速、やってみようと、購入。
家でちょっと吹いてみました。
難しい、、、
ウワッ、
ウワッ。
とコカリナならぬ汗吹き吹き、やっています。
夫からは「その曲、なぁ===にぃ」と聞かれ、
「故郷」と憮然と答える私。
「えっ???
あっ、そう、、、」と夫。
この返事がまた腹ただしい。

とかとか、言いながら、今、コカリナ、やっています。

今日から2月。
冬の暑い着物を脱ぎ、春の装いをするように、
私も軽やかに、と願いながら。


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2009.01.29

濡れ手であわ?

さっき6時のNHKニュースを見ていました。
その一つに鳩山総務相、日本郵政の回答を一蹴 「かんぽの宿」売却でと言う話題がありました。
そして鳩山さんが記者に囲まれて会談の模様を話していたのです。
私は何気なく見て、何気なく聞いていたのだが、、、
だが、、、
鳩山さんのコメントの一つに、目をぱちくり。まさに鳩に豆鉄砲(?)
次にお腹を抱えて笑い転げました。

本当はブログに書くのはやめようと思ったのですが、
麻生さんばかりが漢字を読めないと報道されたらお気の毒。
なので、鳩山さんには、やっぱりここに登場してもらおうと、パソコン前に急いで座ったのですが、
でも、やっぱり可笑しくて涙目、、、

あっっ、書きますね。
前ふりはやめて。

鳩山さんは、
日本郵政が保養・宿泊施設「かんぽの宿」70施設をオリックス不動産に売却することについて、「待った」をかけているのですが、
ニュースにもあるように
「契約は生きているという前提が分かっただけだ。相変わらず国民の理解を得られない出来レースを認めるつもりは全くない」と言うここまでは良かったのです。
が、
が、
次に、
「こんなことは許されない。
濡れ手であわという言葉があるが、これは濡れ手どころか風呂で濡れたまま全身であわをつけるように大儲けするようなものだ」
と、言うような内容を言われたのです。

濡れ手であわ。
あわわわわ===
先に書いたように、私は思わず目をパチクリ。
開いた口はしばらく閉じることが出来ず、
その後、笑いの洪水が押し寄せて、困ったのですが、、、

そう言えば、今思い出すと、NHKの字幕も途中で消えていました。
困っただろうね、字幕を作るスタッフは。

それにしても、
それにしても、
鳩山さん。
濡れ手に泡を掴んで、どれくらい儲かるんですか?
風呂上がりで全身を濡らして、泡をつけて、どれくらい儲かるんですか?
鳩山さん>


さて、ここで「濡れ手であわ」について。
誤字等No.128に詳しく説明があります。
正しくは「濡れ手で粟」。
「苦労せずに利益を得ること」です。
このサイトでは、
粟を実際、見ることが少なくなった現代人にとって、粟は泡でも可、としよう。
これも言葉の進化か、、、と書かれています。

確かに。
そう言う意味で鳩山さんの言葉をもう一度見ると奥が深い。
濡れ手に泡ならぬ
全身でバブルです!!!
フムフム。
と、思った次第。

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2009.01.17

阪神淡路大震災14年目

今日で14年目を迎える阪神淡路大震災

あれから14年が経ったのですね、、、

============
被災した兵庫県内12市の人口は震災前と比べて1.9%増加し、約367万人に。神戸市ではおよそ3人に1人が震災後に生まれたり、転入したりした「新市民」だ。5市18地区で進められた復興土地区画整理事業は、神戸市長田区の新長田駅北地区が残るのみとなった。
被災地の地域内総生産は震災前の94年を100とした数値で平均105.9に上昇したが、淡路島3市では同87.9にとどまる。県営復興住宅の高齢化率は47.8%に達し、全体の約4割は高齢者のひとり暮らしだ。
(上記ニュースより)
=============

最高で350万円の援護金は06年で完済の予定でしたが、まだ3割近くが未返済だそうです。
復興に未だ遠い現実があります。
さらに昨年来の景気悪化は追い打ちをかけているものと思います。

またニュースにもあるように復興住宅の高齢化も気になります、、、

いつ、どこで起きるか分からない災害。
確かに自然の引き起す天災かもしれないが、その後の支援策、対応策は政治、行政のものです。
「安心、安全」を謳う政府ですが、
こうした面にこそ、その安全と安心を図ってもらいたいと強く願うものです。

今年も1月17日を様々な思いで過す多くの方々の思いが、一日も早く叶えられるように、、、、、
私も心から願っています。

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2009.01.08

著作権

読者と書籍購入者と言うタイトルの内田さんのエントリーを読んで考え込みました。
ううううう〜〜〜〜ん(考え込み中)。


内容は著作権に関しての日本文藝家協会の趣旨に「果たしてそうか?」と疑問を呈している内田さんの思いが書かれています。
私も内田さんの「思い」には賛成です。
「思い」と括弧をつけたのは、つまり一人の著作者としての内田さんの書く姿勢に対して是としているからです。
〜〜もの書く人間は「購入者」に用があるのか、「読者」に用があるのか。〜〜
と問いかけ、読まれてこそナンボだと内田さんは言う。
私もそうだと思います。
本を読む手段が立ち読みでも図書館でも借りても良い。
とにかく読んでくれることで作者と読者が共通の世界に入り込み、時には共有、ときには批判しながらも、
読んだ後、何かを(たとえマイナスであっても)得ることができる。
そんな経験の第一歩、そして二歩、三歩、、、、と続くなかでいつのまにか、読者は買う人になり、
何回もその本を読む人になる。
それこそが、書き手の真骨頂ではないかと、内田さんは言う。
私もそう思います。
広く、ひろく、どこまでひろく裾野を開発することが、いずれ大きな山になることは、
読書もそうだし、スポーツもそうだし、芸術もそうだし、、、
あるいは学業や産業もそうだと思います。
「そんな一文にもならない無駄だ」って事は実はないのではと思います。
ちょっと閑話ですが、
私は【300文字小説】が大好きです。
日常のさりげない風景を切り出す中に、作者の豊かな経験や深い思い、鋭い感性が描かれていて、私は毎回ワクワク、ドキドキしながら読んでいます。
この【300文字小説】なんかは絶対、ネット社会の産物であろうと思います。
こうした敷居の低さが「書き手の裾野」を広くしているものだと思うのです。
あああ、私も書いてみようかな?
と、手軽に書くことが出来る。
書くことを志すと、物の見方や捉え方が、以前とは違ってくる。
そして調べる。
調べれば面白くて、もっと世界が広く深まる。
こんな良き循環が用意されているのではと、思うくらい、「書くこと」が手に近くなることは嬉しい限です。


さて閑話休題。
私も以前著作権改定法案の時は、チョットこの法案について記事にしました。
また盗作事件雑感と言うエントリーで画家の盗作疑惑についても書いたことがあります。

さてさて、ここからが内田さんの考えと袂を別つところです。
著作権って、書くこと以外に音楽や映画、絵画や彫刻、また舞踊、、、、などなど芸術全般に関わってくるものです。
そして、著作権に関わるその第一は「新しく生み出す」という事だと思うのです。
今まで世界になかったものを、
生み出す。
それは音楽でも、映画でも、絵画でも、、、、
そして言葉を紡ぐことでも。
とにかく「生み出した」そのことへの敬意と言うか、そのことへの保障はなされるべきではと思うのです。
先の内田さんの言われる協会も、
作品の是非をお金に換算して著作権に「物申し」ている事半分、後の半分は生み出すことへの保障であることは言うまでもないのではと考えます、、、
ところで内田さん>
もし、あなたが大学の職を解かれ、書くことが本職になったとして、先のような気概でもって、著書を書かれるのですか???
内田さんが本職の作家なり著述家になったとき、初めて先の協会に「物申す」ことが出来るのではと思います。
大学教員という身分とお金が保障されている中で、著作の権利を述べても、それは「半分の真実」でしかないと思うのです。

またまた話は変るのですが、研究者にとって論文はまさに著作権です。
お金に即関わりませんが、世界で誰よりも早く、そのことを見つけたか、考えたかは研究者の命です。
そのために日々、血のにじむ思いで研究しているのだから。
作家も、そうだと思います。
芸術家も勿論そうです。
血のにじむ思い、地べたを這いずり回るようにして「産みの苦しみ」にのたうち回っている人々に、
その敬意と保障は然るかたちでなされることが望ましいと、私は思います。


いずれにしても、
著作権。
ネット社会になり、ますます希薄になってくる意識の中で改めて考え見直す問題と思いました。

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2009.01.07

七草粥と七草爪

今日は七草粥の日です。
いよいよお正月も7日ともなると、新しい年に馴染む頃、
少し疲れた体を労る日です。
また、今日は七草爪と言って、その年の初めての爪を切る日でもあるそうです。
初めてこの七草爪と言う風習を知ったときは「なんじゃコレ」なんて思ったりしたのですが、
考えてみれば、昔は爪切りって、かなり大変な事だったのでしょうね。
今のように優れた爪切りもなければ、明かりもない。
オッカナビックリでソロソロと切っていたものでしょうね。
「夜は爪を切ってはいけない」とよく母親に言われたものです、、、

私も幼いときは、母に爪を切ってもらいました。
切る方も切られる方も緊張の一瞬です。
パチン!
ホッ。

たいていは上手く切れなくて切り残しがあるのですが、
切られる方は深爪なんかされたくないので、絶対に指を出さない。
「もういいよ、、、」
「もっと切らなくちゃ」
とかとか。
こんな些細なやり取りをしながら親子の語らいをしていました。

そして、自分が母になったときも、我が子が赤ちゃんの時、柔らかな爪をおそるおそる切っていました。
フッ=====と一切り事にため息をついて。
いやぁ、、、
爪切りも大ごとです。

爪というのは人間の体の中でほんのささやか部分で、しかも一週間かそこらで切られてサヨウナラという運命にある器官(とも言えるかわからないほど小いのです)。
切ってしまえば、もうそれは自分とは違った物になるのですが、切る前は明らかに自分だった物。
自分の指先を保護してくれた大切な物。
思えばなんとも愛しい。

そう言えば、
またまたアキラさん登場。
「その“手”はどうなのか?」(シンクロ その3)と言う記事を読ませていただきながら、小さなちいさな器官を通して感じる自然への思いに深く広く思いを馳せました。
その「手」は高村光太郎のそれか。
聖アンナと聖母子 のそれか、、、
いずれにしても、
その手の先にあるのは「ひと」であることをジィ===ンと感じさせる素敵なエントリーです。

と、言うことで、今日は七草粥と七草爪の日です。

最後に
「 春日野の 若菜つみにや 白妙の 袖ふりはへて 人のゆくらむ 」
と言う古今集、 紀貫之の歌を詠みながら、
貫之の袖振る手の先に思いを寄せています。

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2009.01.06

知っていることと識っていること

今日6日の午後、実家から帰ってきました。
お正月のラッシュには無関係かと思いきや、子どもたちの冬休み明け直前と言うことで、
電車もバスも飛行機もみんな混んでいました。
やっと家に着いた頃はヘトヘト。
ちょっと家の中を掃除したりとアレコレして、、、
電話もかけてと一応の仕事をしたその後、ネットを開いてアチラコチラとROMしていました。
「あああ、、、日常に戻ったなぁ」と言う実感が湧いてきます。
私もまた大いに書こうと思っていた矢先。
ブログで親しくさせていただいている愚樵さんのエントリーがあまりに面白くて何回も読んでしまいました。
タイトルは知識
この記事に触発されたごんさんの記事やアキラさんのエントリーがまたまた面白い。
人のつながりって、こうして確かな形で広がるんだと新年早々思っています!

フムゥウウウウ。
とため息。

そもそもの世界は、
これは、もう愚樵さんならではの世界。
そして、
その世界をちょっと覗かせていただき、さらにそこから我に返り、今度は自分の世界に還元ということでしょうか。

フゥウウウム。

と言うことで私もまた、
愚樵さんの記事を拝見しながら、荘子を思い出しました。
荘子外篇(6)天道(てんどう)篇 車大工がそれ。
とても短い文なので、以下に掲載しておきます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
世の人々が道を学ぶことで尊ぶのは書物である。書物は言葉を書き連ねた物に過ぎないが、言葉には意味内容という尊いものがある。しかし意味内容のもとずいたものは言葉では伝えられないということがある。ところが世間では言葉を重視するため、書物を尊重している。世間がいくら尊重しても、尊重するに値しないものもある、真実尊いものでないからだ。
 目で見えるのは物の形と色であり、耳で聞こえるのは物の呼び名と音声である。悲しいことに、世間の人達はその形や色、呼び名や音声で、それらの実情が充分に把握できると思っている。形や色、呼び名や音声では、到底事物の実情を把握できない。してみると、ことわざにもあるように「本当に知っている人は、それを言葉で説明しようとせず、言葉で説明する者は実は知っていないのだ」ということになる。それなのに世間では全くその事実を知らないのだ。

 斉の桓公が堂の廊下で書物を読んでいた。廊下の下では職人が車の輪を作っていたが、職人は槌と鑿を置くと堂に登り、桓公に話しかけた「お尋ねしますが、殿様のお読みになっているのは、どんな言葉ですか」。桓公は答える「聖人の言葉だよ」。職人「その聖人は生きていますか」。桓公「もう死んでしまわれた」。職人「それなら殿様の詠まれているのは、古人の残りかすですねえ」。
 むっとした桓公は「わしが書物を読んでいるのに、車大工ふぜいが余計な口出しをするとは。申し開きが出来ればよいが、出来なければ死罪にするぞ」
 職人は臆せず答えた「私は自分の経験に照らして考えているのです。車の輪を作るのに、削り方が甘いと支え木がゆるくて締りが悪く、削り方がきついと窮屈で上手くはまりません。甘くも無く、きつくも無いという程度は手加減で会得して、心にうなずくだけで、口では説明できません。このコツは私はそれを子供に教えることも出来ず、子どももそれを受け継ぐことが出来ません。そのために七十歳になってもこうして車つくりをしているのです。
 昔の人もそうした人に伝えられない物と一緒に滅んでいきました。してみると、殿様が読まれているのは、古人の残りかすということになりますね」。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最後の文が有名な諺「古人の糟粕」の語源でもあります。
「本当に知っている人は、それを言葉で説明しようとせず、言葉で説明する者は実は知っていないのだ」と荘子は言う。


知っていることと識っていること。
考えさせられます、、、、、、、、

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2009.01.03

しばらく更新できません。

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またまた出掛けます。
今度は私の実家に行って来ます。
パソコンは無いので、しばらく書くことも読むことも出来ませんので、
コメントやトラックバックを頂いた場合は失礼を致します。
(6日か7日には書くことが出来ると思います)

では飛行機に乗って行って来ます♪

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2009.01.02

初詣

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初詣はもうなさいましたか?
私はまだです。
今年は年末から正月にかけて夫の両親の待つ実家に帰省しました。
母と一緒に料理を作ったり(殆どが母の手作り)、
父や母とテレビを観たりと楽しいひとときを過しました。
健脚でいつも山登りをしている両親は元旦は、初日の出詣でに朝早くから出掛けました。
夫もカメラを片手に一緒に出掛けたのですが、私は布団の中でグゥグゥ===。

と、言うことで「一年の計は元旦にあり」なんて言うのだが、
今年もまた「良く眠れるのか」なぁ、、、はははです。

さて、それはともかくWikipediaで初詣を見てみると、
初詣の歴史はじつはそんなに古いものではないのですね。
「元々は「年蘢り」(としこもり、としごもり)と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に蘢る習慣であった。やがて年蘢りは、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、元日詣が今日の初詣の原形となった。」
とのことです。
そして、そもそもの年蘢り形式は運輸や情報の発達とともに変遷。
氏神様や恵方の神社だけではなく遠方にまで詣るようになり、テレビで報道されているような有名な神社に詣の行列ができるようになったそうです。
また、Wikipediaには「初詣の期間と回数」と言う項目には以下のように書かれています。
「一般的に、正月三が日に参拝するのを初詣といっているが、1月中に参拝すれば特に問題はないともいう。また、回数に関する規定はない。多数の神社仏閣に参詣すれば色々なご利益があるという説もあり、その場合神社・仏閣を特に問わない。日本人が基本的に宗教に寛容である為に、特に定められた規定はない」

なるほど。
日本人の宗教に対する寛容ですかぁ。
フムフム。
以前神仏混合と言う記事を書いたことがあります。
大晦日から正月にかけて神仏混合大忙しの自分のスケジュールを笑いとため息混じりで書きました。

と、言うことで今年も頑張ろう〜〜〜
折節の行事のアレコレを楽しみに。

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明けましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます。
初日が山から輝くばかりに出てくる様と重ねて、
今年があなたにとって素敵な年であることをお祈りいたします。

今年も宜しくお願いいたします。

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2008.12.30

帰省します

年末で大忙し。
大掃除やら買い物屋良やら、、、

やっと見通しが経ち、これから帰省します。
今年、また記事を書くことができたら書きたいなと思いますが、、、
もし書くことができない場合を想定して、早々にご挨拶。
今年はお世話になりました。
来年も宜しくお願いいたします。


なお、コメント頂いていますが、バタバタしてるので、また機会を改めて書かせてください。

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2008.12.26

冬支度

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2008.02.10の記事より


今朝は関西地方は雪。
と,言う事でテレビに雪の金閣寺が映っていました。
いよいよ冬本番ですね、、、
北海道は大雪とか。
関東は晴天に恵まれるも風が強い。

これから年末年始にかけてお出かけの多い時期。
車での遠出には絶対冬タイヤ。それも古くないタイヤに変えて下さい。
以前、年末に関西から東北に出かけるのに冬タイヤをはき、車も全輪駆動。
出かける時から雪はチラチラと降っていました。
滋賀辺りからいよいよ本格的に降り出し、福井、金沢、富山あたりで、高速も除雪が間に合わないくらい積もりだしてきました。
それでも、
スキーに行くつもりでラクラクと走っていたのですが、
が、
が、
突然、タイヤが轍にはまり、ハンドルがとられ、
アッというまにクルクルと回りだし、
回りだし、
うわっ〜〜〜〜〜
と、声を上げる間もなくバーに直撃。
止まりました。

あの時は凄かった。
もう駄目かと思うくらいどうしようもありませんでした。
まるで車の上で誰かが車を握りながら動かしているように、どうしようもないのです。
ふっ======
幸い、スピードを出していなかったので全員怪我もなく、車がかすった程度でした。

また、ある時は四国の剣山。
車で上り始めた時はそんなに天気も悪くなかったのですが、次第に黒い雲が沸き、あたりは暗くなってきました。
食べ物やトイレのためにどこかで休もうとしたのですが、
途中、冬はお店屋さんがみんな閉まっている事に気がつき、引き返しました。
この時も、ドンドン暗くなる冬の道を走ったのですが心細かったです。
ようやく、
ようやく人家の明かりが見えた時は、どんなに嬉しかったことか。

と言う事で、
あれ以来、冬の遠出はどんなところに行くにも万全の準備をしていくことにしています。
山道や雪国でなくても備えは必要かもしれません。
まず冬タイヤとチェーン。
車の中には食べ物と毛布。
あとまさかのときの脱出用ハンマー。
などなど。
携帯があるから大丈夫とか思わないで備えは万全にしてください。

あらあら。
雪の金閣寺の話がなんだか随分ずれました。
いずれにしても、
これから本格的な冬です!

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2008.12.22

冬本番を迎え

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冬になりました。
昨日は冬至。
「ん」の付く食べ物、召し上がりましたか???

カボチャの別称、ナンキンは冬至カボチャとして広く知られていますが、
実は、それだけでなくニンジン、レンコン、ギンナン、キンカン、カンテン。それにうどんの古い呼び名の「ウンドン」などを冬至の日に食べると健康と運に恵まれるそうです。

これからは日一日と太陽に力が増して来るものの、寒さは本番に向かいます。
お風邪などひかれないようにお気をつけください。
とくに受験生は体力が最後の決め手。
心して健康に留意してください。

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2008.12.13

おでん3日間食べて思った事

おでんを3日間、食べ続けました、、、
ふっ===
さすがに飽きた私。
2日目は味がしみてなかなかなものだったのですが。
3日目はちょっと煮詰まった感じ。
それと練り製品がボテボテとおなかにきますねぇ。

いえね。
家族が一人下宿したのに、去年までの積もりで、作ったのです。
が、
やっぱり多かった。
作った責任で、一人で朝から昼、そして夜とおでんを食べていました、、、
それでネットで検索をかけてみたら、やはりいるんですね「3日間おでん」組が。
なんだか共感を覚えたりして。
で、
30日間おでん、という剛の者もいたりして。
やはり世の中広い!!!

さて、
昨日、テレビでおでんのネタが高騰というニュースを報道していました。
ちくわ、こんにゃく、練り製品。
みんな昨年より2割は高いそうです。
今やおでんは「高級品」だそうです。
飽きた、なんてもったいない事は言っていられません。
それにしても、いろんなところにジワリジワリと物価の値上がりを感じますねぇ。
ふっ〜〜〜〜
です。

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2008.12.11

葵ちゃんが一位

赤ちゃんの名前ランキング
世相を反映しています。
今年はやはり女の子は葵ちゃん。
大河ドラマの影響なんでしょうか???

それにしても今年の大河ドラマ
大河とは言いがたいが面白かったですね、、、
12月14日は最終回70分と言う事で、今から楽しみしています。
ホームページを見ていたら、
明日12日午後4時5分から「無血開城」の再放送をやるとか、、、
そうかぁ、
やっぱり好評だったんですね。
私個人は第49回「明治前夜の再会」が胸に沁みました。
天璋院が大奥を去る事。
瀧山との最後の別れ。
そして、瀧山が見送る中、城を去っていく天璋院。
そして襖が閉じられ、、、
一つの時代、それも営々と続いた徳川の幕が閉じた事を表していました。
動く歴史の中でもがき、揺れそして散っていった大奥の女たち。
150年くらい前、嵐の様な時代を生き抜いた人々の「生きる」姿がその背中には語られていたように思います。
以前、作者の宮尾登美子さんの話を読んだ事があります。
宮尾さんは、大奥を去る時の「掃除」にとても興味を引かれたそうです。
一説には瀧山が3日間で江戸城を明け渡す際、奥女中たちにその功労に合わせて拝領物を与え、大奥の最後の幕引きをしたとありますが、近年、その説に異論が出ているそうです。
多分、事の真偽は後者の方だろうと思うのですが、
それでも、大河ドラマ篤姫の瀧山役の稲森いずみさんには、そんな堂々とした雰囲気が漂っていて素敵でした!!!

と、言う事で今年の赤ちゃん名前ランキング一位は「あおいちゃん」。

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2008.12.03

ネットってアゴラですね

ネットてアゴラのようなものなのですね、、、
いつも巧みな譬えと丁寧なまとめを下さる技術開発者さん。
私もこんな風に書く事が出来たらいいなぁ〜〜と感心しきりです。
昨日は、ネットでの討論でつい勝ち負けに拘るとか、相手を折伏させるようなやり取りを見受けることについて、こんなコメントを頂きました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>討論では、直接の対話の相手ではとくにネット上では噛み合ないもどかしさをお互いに感じ、ついには物別れが多いように思うのです。
>討論する時、なぜか勝ち負けや折伏させよとするように感じることがままあります。
↑ここまでが私。
↓以下が開発者さん。

私はネットの議論というのにこんなたとえ話をしたことがあります。街のあちこちに出入り自由な会場があって、そこのステージでパネリストが自分の意見を述べている訳ね。でもって、観客はただ意見を聞いて居るだけでも良いし、ステージに上がってパネリストになっても良いわけです。でもってパネリスト同士で意見が合わなければ議論にもなるんだけど、それは他に人が居ないところで議論しているのとは違って観客の前の議論だという事ですね。だから、観客が「こっちの人の言っている事の方が筋が通っているな」と思ってくれたら、別にその討論相手のパネリストが納得しようがすまいが関係ないのじゃないか、なんてね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

確かにそうだと思います。
ネットでは、直接の討論相手とは意志の疎通がはかれないことや、
「アアーーー言った」「こう書いた」と言うところに目が行き、
議論が迷路に入ると言うか小さくなってしまう事ってありますね。
もったいない事です。
存外、第三者の方が冷静にしっかりと見て、読んで、理解なさっているのでしょうね。
自分が書く記事については感情に流される事無く、丁寧に書く必要があるんだと今更ながら思っています。
以前、華氏451度と言うブログの管理人の方に「あああ、ここは無印良品ですね」って言ったことがあります。
いや、本当は無印なんてトンデモナイ。
賢明なブログ主で有名なところなのですが、そういう事ではなく堅実に書かれている姿に思わず「無印良品」って思ったのです。
自然体で、けれんみがなくて、あんな文が書けるといいな、、、と羨ましくさえありました。
(華氏さん、このごろお忙しいのかしらん)
お玉さんなんかも、素直で伸び伸び。
でもこちらにズドンときます。

で、
で、
またまたで恐縮ですが、ニセ科学関連。
この問題で親しくさせていただいているブログの数々。
恒常的にニセ科学の流布に対して粘り強く、警告、告発なさっています。私個人は多いに啓発されまた敬意を表しています。
が、
そうした論の末と言うか、枝葉に付いて回るのがいつでも「批判」批判です。
私自身も批判のあり方や方法には関心があるのですが、
結局、直接の相手ではなく討論を見ている方々が如何に思うかが結構、重要なんだと思っています。
この間もいくつかのブログでアレコレのやり取りがあり、
私も拝見。
その中で一番感動したのは『digital ひえたろう』 編集長の日記★雑記★備忘録と言うブログ。
ちょっとの前の「ニセ科学と大衆(何か見逃してる?)」と言う記事です。
フムフム。
フムフム。
むむむ====と、言いながら読みました。
記事の一部を引用。
「専門家とそうでない人の間には、かけている情熱や覚悟やリソースという面で圧倒的な差がある。
にもかかわらず、その人が積み上げてきたものへの敬意とか、かけたリソースへの想像力といったらいいのか、そういうものが全くない。知識人は知識人として、単にそこにできあがってると思ってる。
そういうものは「わたし」という個人には無力であり、「わたし」の思いつきはそんなリソースをかけた人の結論以上の価値があるのだと。」

ううううう〜〜〜ん。
含蓄ある言葉。
襟がただされます。
専門家のそれこそ血を吐き出すような思いで積み上げているものへの敬意なしに、
どうして私たち素人がそれを理解することができようか、想像する事ができようかと、、、
深く思いました。
さらに先にすすめば、私自身はネットを通して知り合った方々のそれまでの経験・体験も敬意を込めなければ、、、

私はまだ「大衆の反逆」と言う本を読んでないのですが、今度図書館で探してみようと思いました、、、

ネットって、本当に学ばせて貰える機会がそこここに鏤められていますね。
得した気分。

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裁判員制度前に

昨日のきっこさんの日記人を裁くということと言うエントリーを読んでずっと考え込んでいました。
内容はきたる裁判員制度にたいしての疑問と危惧を表明してのもので、
私もおおいに頷くところ大でした。
が、
死刑制度については、チョイトチョイトそうかな???
と、考え込んだのです。
死刑制度についてはネットでは以前から大きなテーマの一つとして討論・議論されています。
来春から導入される裁判員制度を前にして、また多くの意見や考えが噴出するものと思います。
私自身の今の立場は「死刑廃止」です。
理由は以前も書きましたが、刑事立法の厳格化はいずれ国民を縛っていくものであると言う原則に依っています。
先に書いた記事をもう一度ここに掲載します。
なお、この記事は2006年、共謀罪について討論されていた頃のものですが、
基本的な考えは変わりません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今、時代は「立法動乱の時代」を迎えています。
1945年、天皇制治安立法廃止。
1947年、不敬罪、姦通罪廃止。地方分権的警察法制定。
1948年、現行刑事訴訟法制定。

その後、90年代に至まで、刑事立法の大がかりな動きはありませんでした。
しかし、90年代に入ると、激震が法曹界にも走っているということです。
1999年、通信傍受法。
2000年、少年法改正。
2004年、裁判員制。
そして今、問題になっている共謀罪。

一連の動きの中で、犯罪が凶悪かつ増大したという理由が一番大きいものでありました。
被害者の状況は極めて悲惨で、同情に値するもであることは言うまでもありません。
犯罪者への憎しみは人として当然の感情であります。
これ自体にはなんら問題はありません。
また、犯罪により乱された秩序を取り戻すべく、犯罪者への刑罰を必要とすることも当然です。
しかし、刑罰が重くなり厳しくなるということが、即犯罪を無くすことには繋がらない現実の前に、
人は動揺します。
そして、次第に徐々に刑事立法化が一つ、二つと増えてくるという一方の現実があります。
いつの間にか、処罰や警察への権限拡大について鈍感とも言えるような状態が作り出されたのかもしれません。
権力の濫用・弊害への警鐘があまりになされなかったのでしょうか。
市民の安全を守るために信託した権力は、決して市民を侵害してはなりません。
自由・独立・平等の理性人として本来あるべき権力の担い手となり、
市民生活を自らの手で守ることこそが近代民主主義が標榜してやまない「国家と市民との関係」だと思います。
刑罰は重くなるほど一方に権力が集中するという事実に対して、
私たちは必要性と危険性、双方を視野に入れて考える事の大切さを改めて思いました。
この問題、さらに考えていきたいものです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

まず、法が国民を管理統制していく流れを歴史に見て、
そうした流れのもとは「国家とは権力である」という確認をしました。
そして、犯罪罰則の名の下に次第に厳罰化していくことへの危惧を表明しました。
そして最後の結びとしてもう一度ここに書きます。
「権力の濫用・弊害への警鐘があまりになされなかったのでしょうか。
市民の安全を守るために信託した権力は、決して市民を侵害してはなりません。
自由・独立・平等の理性人として本来あるべき権力の担い手となり、
市民生活を自らの手で守ることこそが近代民主主義が標榜してやまない「国家と市民との関係」だと思います。
刑罰は重くなるほど一方に権力が集中するという事実に対して、
私たちは必要性と危険性、双方を視野に入れて考える事の大切さを改めて思いました。
この問題、さらに考えていきたいものです。」

勿論、凶悪な犯罪は罰してしかるべきです。
決して許してはなりません。
絶対に、許さない。
被害者の気持ちを思えば、むべなるかなとは思います。
さらに憎しみの連鎖がつらないために如何にすべき、、、とは思うものです。
だが、
だが、、、
こうした凶悪な犯罪を言質にとって、国民を厳罰化することが可能な法律を成立させる、制度かすることには危惧を表明するものでもあります。
今はまだ私の中では、
国家と言う権力集中の一つのかたちが現死刑制度であるのです。

きっこさんではないが、
裁判員制度導入もさることながら、
今一度、制度そのものの見直しと更に加えて「死刑制度」についても真剣に討論や議論をする時期なのかと思っています。
この問題、あまりに深いの今後も考えていきます。

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2008.12.02

「あなたとは違うんです」は受賞辞退

新語・流行語大賞、「あなたとは違うんです」は受賞候補者辞退だそうです。
まぁ、そうでしょうね。
受賞するとしたらどなたが式に出るのか興味のあるところでしたが、、、
金賞だったのに。もったいない事だ。

と、言う事で受賞は以下の通り。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
受賞語 受賞者 備考の順です。

あなたとは違うんです 受賞辞退
アラフォー    天海祐希   年間大賞を受賞
居酒屋タクシー 長妻昭
上野の413球  上野由岐子   審査員特別賞を受賞
蟹工船(ブーム) 長谷川仁美
グ〜!      エド・はるみ  年間大賞を受賞
ゲリラ豪雨    ウェザーニューズ社
後期高齢者    山崎英也
名ばかり管理職   高野広志
埋蔵金      中川秀直

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いかがですか?
世相反映しているでしょうか???

私はやはり埋蔵金が気になりますね。
09税・財政:財政審「埋蔵金」容認 「健全化」なし崩しと言う事で混迷を深めている政府財政審。
今後の景気対策注目です。
また「後期高齢者」については、今更と言う感も若干しないではないと言うのが正直な所。
言葉はともかく、制度そのものの不備については、随分前から論議されていること。
庶民の願いをふみにじってのスタートでした。
これについては、今からでも廃止のためにさらなら呼びかけが必要かと思います。

さてさて。
こうして見ていっても、やはり秀逸なのは(?)
「あなたとは違うんです」
ですね、、、、、
もう一度思いだすなら、
これって、全総理の辞任の際の言葉でしたよね。
ふうううむ。

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2008.12.01

師走になりました

IMGP0154

今日から12月。
師走です。
早いですね。
でも、私のいる所は小春日和です。
ホカホカと太陽の暖かさが伝わり、
窓からはまだ冬になりきらない雲が見えます。

さて、上に載せたのは西田幾多郎の歌碑です。
哲学の道から法然院へ上がる道の角に、あまり人に知られる事無くひっそりとある小さな歌碑です。
「人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり」。
と書かれています。
私はこの哲学の道はしょっちゅう歩いたり、自転車に乗ったりと愛用している道ですが、
哲学者西田幾多郎が何を思い、何を考えて疎水沿いを歩いたのか、
ふと目にした歌碑を見ながら、遠くに見える大文字を見れば、
師走の気ぜわしさも、なんだか悠久の流れに溶けていきそうです。

哲学の道。
まだそここに秋が残っています。
ゆっくりと時間が流れる疎水のほとりです。
IMGP0153

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2008.11.21

新型インフルエンザ対策関連情報

新型インフルエンザ対策関連情報が今年も出ました。
子どもや高齢者の方、また受験生の皆さんは、早めのワクチン接種をなさってください。
さて、
予防については以下の通りです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
外出後の手洗い、
マスクの着用、流行地への渡航、人混みや繁華街への外出を控えること(不要不急の外出の自粛)。
また、十分に休養をとり、体力や抵抗力を高め、日頃からバランスよく栄養をとることも大切。
インフルエンザは容易に人から人に感染するため、他人にうつさないことも重要です。インフルエンザに感染して症状のある人は、病気の悪化や周囲への感染を防ぐために、自宅で休養することが重要。
他人に接しなければならない場合は、咳やくしゃみをする際にはティシュで口元を覆うか、マスクを着用することが重要。
新型インフルエンザが流行して、外出を避けるべき事態となり、物資の流通が停滞することを想定して、普段から食料品や日用品を備蓄。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

と言う事で、
まずは手荒いとうがい励行から始めていきましょう。

それにしても、ウイルスとの戦いは続きます。

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2008.11.14

流星の季節

今年もまたしし座流星群の季節です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
11月17日の18時ごろ、しし座流星群の活動がピークになる。月齢19の大きな月が一晩中あるため条件は良くないが、月のない方向を眺めるなど工夫して観測してみよう。2001年の流星雨ほどの活動が見られる可能性は低いが、明るく痕を残す流星もあるので、念のために注目しておきたい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とのことです。
今年は天気はどうなのでしょう?
予報ではあまりよくないのですが、、、
尤も17日以降も見る事ができるので、まぁ、機会を見つけて是非ご覧下さい。

毎年、この季節にはしし座流星群で胸躍らせ、
ちりばめれた宝石の様なすばるに胸轟かせていたのです。
が、
が、
今年はやっぱりコレですね。
そう、流星の絆です。
毎週、ワクワク・ハラハラ・ドキドキ・げらげら、、、見ています。
2回目か3回目のとき、家でハヤシライスを作ったくらいハマッテいます。
初めは本格的に作ろうと、夫と生協に買い物にいったのですが、
いつのまにか、市販のハッシュドビーフの箱を購入。
はっはっは。

家に帰ってから、
二宮オニィのつもり(?)で夫がのりながら(?)作ってくれました。
「あっ、これおいしいよね!!!」
と、満足げに食べる私に夫は複雑な顔。
ハヤシライスと言えば、独身の時、料理学校で作った事を思い出します。
ルーから時間をかけて、かけて、丁寧に作ったのです。
そう、オニィくらい情熱をかけて(?)。
学校でみんなで作ったノリで家でもやってみました。
マニュアル片手に、一生懸命に。
で、
やっと出来上がり、家族に食べてもらいました。
感想は「あんなに時間かけていたのに出来たのはハヤシライス?」。
ガック。
そうなんですよね、、、
なぜか、ハヤシライスって豪華にならない。
手が込んでいる割には。
と、思っていたのですが、ドラマのおかげで、今、ハヤシライスが旬の味とか???


と、いうところで閑話休題。
これからは星空が美しい季節になります。
昔の人は長い夜、明かりもないままに輝く星空を見続けていたのでしょうか???
頭の真上で輝く秋の四辺形
うお座の1等星フォーマルハウト。カシオペヤ座。そしてアンドロメダ座。
さらに
あのプレアデス星団(すばる)。
木星に金星。
一晩中、星々のおしゃべりがきこえそうです、、、
ね。

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2008.11.11

世界平和記念日

今日は世界平和記念日です。
1914年にはじまった第一次世界大戦が1918年11月11日に、 ドイツが連合国軍に無条件降伏して大戦が終結した事を受けて、このような戦争を再び起こさないようにと祈りを込めて、11月11日を世界平和記念日に制定したそうです。
wikipediaを見ると、今日は欧米諸国で、第一次世界大戦終結にちなんだ祝祭日が多く見られます。
=======================
戦没将兵追悼記念日 (Remembrance Day)、ポピー・デー (Poppy Day) - イギリス
退役軍人の日 (Veteran's Day) - アメリカ
休戦記念日 (Armistice Day) - フランス、ベルギー。英米での旧称。
独立記念日 (Narodowe Święto Niepodległości) - ポーランド
世界平和記念日
1918年11月11日に第一次世界大戦が停戦したことに由来。
なお、世界平和記念日 (International Peace Day, International Day of Peace) は9月21日を意味することが多い。
ポーランド独立記念日はかつてはソ連がポーランド国民解放委員会を設立した(1944年)7月22日だったが、民主化後に変更された。
=======================
私たちの先輩は、先の戦争、さらにもう一つ先の戦争への反省から、
再びこの様な愚を於かす事がないように、との思いで、折りに触れ「記念日」を設けて、自戒と祈りを新たにしています。
そんな記念日の一つの今日。

さて、
同じ今日は田母神前幕僚長が改憲主張 参院委で参考人招致がありました。
テレビ放送はなかったので、私はお昼のニュースで断片的に発言内容を知っただけです。
が、
が、
なかなかだったようですね〜〜〜
フゥ〜〜〜〜ム。

持論の一つ、憲法改正も述べたようで、
ちょいと「跳ねっ返り」がすぎるようですね。

今後、さらに波紋を呼びそうな発言ゆえ、
私も、もう少し調べてから、また記事に挙げたいと思います。

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2008.11.10

筑紫哲也さん

今日は朝から筑紫哲也さんの追悼特集を見続けていました。
筑紫さんの足跡をたどり、
願ったものを語り、
遺したものを伝える番組をみながら、
今更ながら「大きなジャーナリストを失った」という思いです。
筑紫さんの歩んだ道には敬意を表し、
平和への思い、平和を守る事、
そして言論を守る事を改めて思います。
その目指したものの尊さと、続くことが私たちの責任と強く思います。

いつもコメントやトラックバックを下さるhamhamさんは、
ジャーナリズムの使命を「社会の木鐸」「警世の木鐸であれ」と言われます。
今、
木鐸の一つ、木鐸として在った方が消えた、、、
亡くなった、
と、言う事をしみじみと実感しています。


時代は動き、揺れ、そしてその合い間でひしめく庶民。
そんな私たちが、
これからするべきことは何か。
時代は何を求めているのか、
そして、
どうする事が次代に受け渡たすに足ることか、、、
思いを駆け巡らせながら、番組をみていました。

最後に筑紫さん。
本当におつかれさまでした。
そしてありがとうございました。
静かに、しずかにおやすみください。
と、思いながら、、、
ご冥福を祈っています。

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2008.11.07

高村光太郎と智恵子

今日は
いよいよ冬です。
冬と言えば思い出すのは高村光太郎。

茨木のり子さんの本を以前、読んで、
改めて光太郎と智恵子の美しく儚く、そして凄まじい夫婦愛を思った事があります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あの頃

人を信ずることは人を救ふ。
かなり不良性のあつたわたくしを
智恵子は頭から信じてかかつた。
いきなり内懐(うちふところ)に飛びこまれて
わたくしは自分の不良性を失つた。
わたくし自身も知らない何ものかが
こんな自分の中にあることを知らされて
わたくしはたじろいだ。
少しめんくらつて立ちなほり、
智恵子のまじめな純粋な
息をもつかない肉薄に
或日はつと気がついた。
わたくしの眼から珍しい涙がながれ、
わたくしはあらためて智恵子に向つた。
智恵子はにこやかにわたくしを迎へ、
その清浄な甘い香りでわたくしを包んだ。
わたくしはその甘美に酔つて一切を忘れた。
わたくしの猛獣性をさへ物ともしない
この天の族なる一女性の不可思議力に
無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

光太郎と智恵子。
詩人茨城のり子は,時代に翻弄されながら揺れ動いた夫婦を、
冷徹に、そして限りない敬愛をこめて描いています。
戦争賛美に走った光太郎の思いを描き、
戦後、自分を責めにせめた詩人の姿を書き、
心の底にも表面にも、襞にも、あらゆるところに智恵子が生きずいている彫刻家であり詩人の光太郎を、
羨望で表しました。
私も、この本を何度も読みながら、
あの阿武隈川や安達太良山に思いをはせたものです。

心の深い、ふかいところで結ばれた、こんな夫婦があったことは、
本当に嬉しい限りです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜元素智恵子

智恵子はすでに元素にかへつた。
わたくしは心霊独存の理を信じない。
智恵子はしかも実存する。
智恵子はわたくしの肉に居る。
智恵子はわたくしに密着し、
わたくしの細胞に燐火を燃やし、
わたくしと戯れ、
わたくしをたたき、
わたくしを老いぼれの餌食(ゑじき)にさせない。
精神とは肉体の別の名だ。
わたくしの肉に居る智恵子は、
そのままわたくしの精神の極北。
智恵子はこよなき審判者であり、
うちに智恵子の睡る時わたくしは過(あやま)ち、
耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい。
智恵子はただ々(きき)としてとびはね、
わたくしの全存在をかけめぐる。
元素智恵子は今でもなほ
わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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2008.11.04

内田さぁ〜〜〜ん、何が言いたいのですか?

このところ訪問していなかった内田さんのブログ、
またまた内田節、全開、ブイブイ言わせています。
人を見る目と言う直近のエントリーがソレ。
読んでの感想は「あらあら、、、内田さん」と、いつものソレでした。
が、
が、
このところ、学校道徳に水伝や、あるいは以前、ちょっと取りざたされた江原さん大学講義やらやら、
教育の現場に「見えないもの」を有り難がたがろうと言う流れがある中での、
今回の内田さんのエントリーはチョイト危惧を覚えます。
と、言う事で、
久しぶりに内田さんにお付きあいさせていただきましょう。

まずつかみとして、山形浩生さんが毎日新聞に書いた文章を引用。

「ノーベル賞に比肩するような世界的な賞を作ってみてはどうだろうか?」と提案しつつも日本では賞が絡むと政治(ロビイング)が絡むから無理だろうし、それ日本の抱える問題である」と言っているようです(原文をまだ読んでいないので内田さんの引用文から要約)。

さて、ここからが内田節の展開となるのです。
山形さんを受けて、すぐに内田さんは以下のように書く。

「私たちの社会のたいへん深刻な問題のひとつは「人を見る目」を私たちが失ってしまったということである。」と。

ううううううう====ん。
山形さんは「人を見る目について云々」しようと思ったのだろうか?
百歩譲って、山形さんが「人を見る目」を話題にしようと思ったとしても、
それは、内田さんが後から展開するソレとは違うでしょう。

山形さんは、
科学の功績に対して、評価を下す立場の人間は、科学に通じていなければならない事はもとより、水面下のロビイングにも確固とした態度を保つ事が必要であると言われているのではないでしょうか?
決して、内田さんのように、「個人の力量や能力を計る為の「人を見る目」(内田さんの言葉を借りて)が養われていない事を憂いている」のではありません。
と、言う事で、
まず引用の山形さんの文に関して、内田さんと袂を分ちながら、、、(保留として)
では、次に進みましょう。

内田さんは、
人が以前は持っていたであろう「人を見る目」がアメリカン・グローバリズムの到来とともに消失したと述べます。
ここで、内田さんはまず「グローバリズムとは何か」を説明。
その定義は、
「誰にでもわかるもの」を基準にして、すべての価値を考量することであるそうです。
そして、
〜〜「わかる人にはわかるが、わからない人にはわからない」ようなものは、グローバリズムの風土では「存在しないし、存在してはならない」のである。〜〜と断言。

うううう〜〜〜〜ん。
アメリカン・グローバリズムとは、
「わかる人にはわかるが、わからない人にはわからない」ようなものは、グローバリズムの風土では「存在しないし、存在してはならない」ものであるとのこと。
初めて知りました。
ええええ???
本当かよ???
いえいえ。違うでしょう。
ただ、本エントリーはここはサラリと流してあるので、私もこれにはあまり拘らずに次へと進みます。

内田さんの説によれば「グローバリズムの到来で、存在しないものを感知する能力が欠落。形あるもの、数字で表されるもののみが意味を持つようになった」と述べています。
そして、
「evidence で基礎づけられないものは「存在しない」と信じ込むのは典型的な無知のかたちである。」と述べ、
顕微鏡のミクロの世界へと私たちを誘っていきます。
「見えないものでもあるんだよ、、、と言う態度が科学的態度であり、そこから現代科学は開けた」とも言います。
そして、
そして、、、
この後に続く文が、ダンダンと怪しくなってきます。

「私たちの現在の自然科学では、「未来はわからない」ということになっている。」
↓(順接)
「「人がなしたこと」については評価は可能だが、「人がこれからなすこと」についての評価は不可能であるということになっている。」
↓(逆接)
「「人がこれからなすこと」については現に高い確率でそれを言い当てている人が存在する。
「人を見る目がある人」というのは、まさにそのような人のことである。」
↓(順接)
「「『超能力』や『霊能力』のようなものは現に存在する」
とここで閑話が入ります。
この閑話がまたスゴイ。
頭クラクラします。
内田さんって大学教員だったよね???
と、思わず確認している私。

閑話休題後、
内田さんは、
「超能力や霊能力」を「推理する力」と言い、
それは何も超自然ではないと述べます。
そして、あろうことかホームズを例に挙げています。

あらあら、、、
内田さん。
分かっているんですね。と思う私。
つまり、
人を見る目とは、未来を見ることが出来る力ではなく、
与えられた材料から押しはかる力であることを内田さんご自身が言われています。

と、言う事でツラツラとここまで見ていくと、
これだけを言う為に何も大仰にノーベル賞や自然科学を持ち出す必要はない。
にも関わらず、
そうせざるを得ない所が内田さん。

内田さんにかかっては、未知の領域はすべて「存在するもの」「仮定」としてありうるものになるのですね、、、
思い出します「おむつ論争」
あの折りも、未だ確立していない三砂さんのおむつ論から始まり、フェミニズムにまで走りましたねぇ〜〜〜〜
唖然・呆然でした、、、
まぁ、
ここまでくるとやはり「内田節」。
本気でアレコレ言う事も無いのかもしれません。

が、

やはり、最後の結論にはもの申す必要ありかな、、と感じます。
内田さんの結論をそのまま引用。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「「見えないはずのもの」が私たちには現に見えている、ということである。
その「直観」の構造を解明しようとして、先人たちはたいへんなご苦労をされてきた。
私はその先哲の偉業を多とし、せめて「人を見る目」の涵養プログラムくらいは学校教育に取り入れたいと念じているのである。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


うううううう〜〜〜〜〜ん。
これは、ちょっと、ちょっとですね、内田さん。
ここで言う涵養プログラムとは具体的にどのようなものをイメージしているのでしょう?
少なくとも先に「人を見る目」とは推理であると言いながら、
直感に逃げ込み、さらにその直感を鍛えよ、と言う内田さん。

あらっ〜〜〜〜〜
一体、この文の流れはどうなっているんだろう?????
と、結論のあまりの唐突さに「今までのアレコレはなんだったのか?」と思いながら首を傾げます。
ガック。
ご自分で、ご自分の考えて来た論理の流れをメチャクチャに壊して、
最後の結論が、
「山形さんの悲観的見通しに与するならば、これもまた不可能な企てのようである。」とは。

山形さんもダシに使われたようですね。
山形さんが仰りたかったことは、
先にも書いたように「評価・判断する側の能力向上」であり、それは、科学にも通じていくものです。
山形さんが言われると言う「みえざるもの」を判断する力は「あるもの」なのですよね。(本当に山形さんがそのような意向をお持ちかは引用文を何回読んでも未だ分からないのですが、、、)
つまり、
人を判断する材料として、それまでの経験とか、それまでの考えとか、あるいはその人の将来に対しての考え方とかとか、、、評価するものはちゃんと存在しているのです。
一方、
内田さんの結論は一見、学問の装いをしながら直感に逃げ込み、神秘に場を譲るもの、
つまり「科学」を閉ざすものであり、180度違うものではないかと危惧を表明します。


とは言え、
内田さんの雑で乱暴な意見から離れて、
私は個人的には、人の潜在能力に関しては一考するべきものとは考えています。
ヒトから人間へと高度に精神を鍛え発達して来た私たちは、
複雑で巧妙な「暗示と被暗示」の構造を作り出し、社会空間を作ってきました。
宗教(宗教は教えであると私は思うのです)や哲学、倫理学など社会科学が、学校教育の中で丁寧に重層的に接する事ができるならば、それはそれで是と考えます。
未知のものを神秘や霊に置き換えることではなく、
人の潜在力としての「未知を感じる力」に対しては否定する者ではありません。
だがしかし、教育の現場で殊更に取り扱うものでは無いだろうと思います。

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2008.11.03

盛田選手おすすめラーメンを食べました

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盛田選手と言えばラーメン、
ラーメンと言えば盛田選手(これはちょっと言い過ぎかな?)
と、言うくらいラーメン蘊蓄の盛田選手おすすめのラーメンを昨日、食べました。
天皇杯4回戦のスタジアムは都営三田線沿い。
と、云う事で、巣鴨や西巣鴨を通るではありませんか。
それならば、
盛田選手お薦めの千石ラーメンを食べにいこう、、、と夫と前日から計画。
そして、昨日、西巣鴨店に試合前に行って食べてきました。
おいしかった!!!
本当においしかった!!!
ギトギトでギラギラのスープにもかかわらず、
臭みがなくて、まろやかでこくがありました。
お薦めのわけ、十分に理解したものです。
ラーメンと言えば、京都では天一に代表される様なコッテリを思うのですが、
昨日のラーメンはコッテリと言うよりは、シットリ・ギットリでした。
それから、いつも思うのですが「所変われば品変わる」ですね。
私はネギが大好きなので、ネギをトッピングで注文。
京都のように九条ネギが山盛りにくることを想像していたのですが、
出されたラーメンは白ネギがとても謙虚(?)につつましやかに隅にコソリとのかっかっていました、、、
「あらっ〜〜〜〜〜、これがトッピング?」
と、思いつつ、夫から関西と関東の食の違いを聞かされて納得。
フムフム。
とは言え、
とても、おいしいラーメンを頂いてきました!!!
盛田選手、情報ありがとうございます。
(山形の龍上海もとてもおいしかったと思い出しています)

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2008.10.31

ハロウィン

ハロウィンですね。
日本でも随分定着したようで、9月の末頃からいろんなお店では、
カボチャや魔女やコウモリやらお化けや、、、とにかく可愛い小物が並びます。
私も子どもが小さい頃は近所の友達たちとハロウィンを毎年していました。
黒のゴミ袋で何やら工夫して仮装(?)してくる子どもたちにキャンディーとか缶バッチとシールとかあげていました。
懐かしく当時を思い出しています。

今、住んでいる所では、
先週あたりの土曜日に子どもたちがハロウィンをしていたようです。
そこはそれ。
さすが日本人。
別に10月31日に拘らないところが面白い。
そもそもは、ケルト人の信仰からきています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。601年に法王1世が宣教師にケルト人へキリスト教改宗の策として、「ケルト人の信仰法である木の伐採は行わずに、木の真上にはキリストの神様がいてそのために木を信仰し続けなさい。と広めなさい」と言ったのがいまのハロウィンになったきっかけでもある。
(wikipediaより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
妖精たちの夜と言うタイトルで夏至の日にエントリーを挙げた事があります。
それは、ケルト人の死生観をも含めて「神」について書きました。
ちょっと引用。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
==妖精はどこからきたか?==
「妖精は単なる空疎な想像上の生き物ではない。その淵源を民間伝承や神話伝統の物語にたどっていくと、過去から長い時間をかけて人間が培ってきた文化や風習、そしてその時のその生活の場となった土地の風土が深く関係していることが自ずと分かって来るからだ。」
と、初めに書かれています。
そしてその起源は6つ。
1、元素・自然の精霊
2、自然の擬人化
3、卑小化した古代の神々
4、先史時代の精霊、土地の霊
5、堕天使
6、死者の魂

1は「地・水・火・風」の精霊です。
名前はお馴染みの「ノーム」「ウンディーネ」「サラマンダー」「シルフ」。
後世の数々のドラマに出てきます。

2、自然の擬人化については、世界各国共通の「もの」を感じます。
日食、月食、災害に対して基本的・科学的知識がいまだ明らかでない時代。
人々は原因不明の「悪」にはドラゴンや魔女を。
恵みや幸には太陽神や穀物神を信じました。
物活論(アニミズム)や汎神論(パンセイズム)です。
これが妖精誕生の起源の一つであろうと推測することは難くありません。

3、卑小化した古代の神々
4、先史時代の精霊、土地の霊
については、ケルト神話やアイルランドに今も残る先史時代の遺跡などから、推察。
妖精が超自然の力を持つようになっていった歴史や言い伝えがあります。

5、堕天使としては、キリスト教と民間信仰とのゆるやかな共存が伺われます。
イエイツは「ケルトの薄明」と言う本の中で次のように述べているそうです。
「人々の想像力は、むしろ幻想的で気まぐれなもの中に住んでいる。そして幻想も気まぐれも、もしそれが善なり悪なりと結びつけられることがあれば、それらの命の息吹であるところの自由さを失ってしまうのだ」と。

6、死者の魂は極めて日本的です。
つまり「霊魂不滅・転生思想」です。
この考えは興味深いものがあります。
ケルトでは、死者の魂は蝶や蛾の姿をとると言われています。
ピクシーはまさにそうです。
死者と妖精の境目ははっきりしていないようです。
妖精はハロウィーン日、「死者の国の「十分の一税」を納め、
その夜、丘で死者と手を取り合って踊ると言い伝えられています。
(以前の記事より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ケルトでは死者の魂は蝶や蛾になり、そして妖精になる。
そして今晩、妖精たちは踊り明かすそうです、、、

この夜は人間たちは仮装をして、妖精たちや死者の魂に負けないように、
過ごしたのでしょうね。
とは言え、妖精たちをこよなく愛したケルト人。
妖精が見えやすい日は、妖精界の扉が開いて人間界と交流すると信じ、
5月1日のメイ・デイ、6月24日の聖ヨハネの祝日(夏至前夜)、10月31日ハロウィーンと一年に3回もお会いしていたようです。
妖精が見えやすい時間は日暮れどき、真夜中、日の昇る直前、太陽が頭の上にきて影が消えるほんの一瞬です。
この一瞬に、遠い祖先の魂と厳しい自然に住む現実との交流を図る事で、
ケルト人は、より宇宙へと広く大きく深く進んでいったように思います。
なん素朴で素敵な思いだった事でしょう、、、

日本人である私とは、その死生観や神への信仰は違うだろうが、
それでも去来するものは同じ様なそんな気がします。

と、言う事で今晩はハロウィン。

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2008.10.30

秋は夕暮れ

さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮(寂蓮法師)
心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ澤の秋の夕ぐれ(西行法師)
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ(藤原定家朝臣)

有名な秋の三夕です。
つまり、寂蓮の槙立山、西行の鴫立沢、定家の裏苫屋、
とくに定家の歌は利休が好んだそうです。
茶の世界の侘び、さびに通じたのでしょうか?
さて、
「秋と言えば夕暮れ」と言ったのは清少納言ですが、
良暹法師の「さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづこも同じ秋の夕暮れ」が「秋と淋しさ」を結びつけて詠んだ初めの頃の作と言われています。

同じ百人一首には「村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ」と言う 先に登場の寂連法師の歌があるのですが、やはりこの歌も寂しい。
なにしろ作者の名前まで寂しい。

秋の寂しさ、
探せばゴソリとあります。
が、
秋は寂しいのか???
そうだろうか?
いや、実りの秋、黄金の秋、成熟の秋も、またその季節のイメージを膨らませるのは十分な要素です。

そもそも秋とは、
あき(秋)であって、
[aki]の[a]は主体を表し、[k]は食[ku]う行為を表すそうです。
つまり[ak]は人が食べる事に関するさまざまの言葉の根幹をなすと言う事。
また、[i]は「いる」、あるいはその状態になることを意味するそうです。
また、
[ak]は、赤、明け、空き、商い、などに通づるものだそうです。

いろいろと本にあたったのですが、秋を寂しいと感じる感傷は古今集以降とのこと。
つまり「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき」などの登場を待つ訳です。

実際、百人一首にも、
「山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば」と言うように冬もこれまた寂しかったのです。
あるいは視点を変えて、秋は月、と言う事で、そこから夜。
そして恋。
と言う事で、秋と恋の歌もこれまたゴッソリとあります。
まぁ、たわわに実る田圃に、真っ青な空に、流れる雲。
そして儚い虫の声に、
ハラハラと散る葉っぱ。
これだけ、あれば、もうそこはロマンの世界ってものでしょうか。

さて、こんな物思いに耽る季節。
ですが、、、
ですが、こんな都々逸、ご存知ですか?
「欄干(てすり)にもたれて化粧の水を何処に捨てうか虫の声」
と言う有名な都々逸があるのですが、これは今、人気の大河ドラマ篤姫に出てくる小松帯刀の作と言われています(確かではないのですが)。
私はこの都々逸を初めて見たとき、ナンと言っていいかわからず、
何回も詠んでいたものです。
ううううう〜〜〜〜ん。
なんとロマンチックもへったくれもない歌。
かろうじて言えば、何処に捨てようかと迷っている姿に、ふんわりと読み手の優しさが伝わるかな、、、と思ったのですが。
そこはそれ。
まぁ、もともと都々逸だから洒落ているのでしょう。

いずれにしても、先人はそれぞれの思いを、この季節に感じて、
詠ったのでしょうね。

一年中で一番、自然を感じるこの季節。
都会は都会の、
田舎は田舎の、、、それぞれの秋を、
どうぞ、こころゆくまでお楽しみください。

おっと、、、と。
と言う事で最後に私の秋。
それは、虫との戦い。
それも、例の虫(カメムシ)とか、カマキリ(これは別にかまわないのですが、、、、)
まったくロマンチックではありません。
なかなかに良寛さまの境地には達しそうにも無いなぁ〜〜〜
ヤレやれ。
それでも、やはり
秋はいい。

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2008.10.28

麻生邸見学ツアー逮捕劇  さらに感じた事

先に書いた記事不当逮捕ではないでしょうか?に関して、さらにネットでいろいろ調べてみました。
渋谷署警察官との事前打ち合わせ@ハチ公前と言う動画。
これは主催者が渋谷警察官と麻生さん宅見学ツアーについて諸注意を受けているところで、
警察官も主催者もお互いに納得、合意していたようです。
が、
突然、公妨逮捕事件に発展したのですが、
この2つの動画の間に、一体何があったのだろうか???

記者会見/「麻生太郎邸拝見ツアー」参加者3名不当逮捕
と言う参加者の記者会見を見て解説を仰ぎました。
雨宮さんの歩いただけで逮捕!!と言う記事を読んだり、
あるいは、この問題に関心をお寄せの方々のエントリーを拝見しました。

そもそも、なぜ麻生さんのお家見学?
と、疑問に思ってもうこうなったら麻生の家に行くしかない!!の巻と言う雨宮さんがマガジン9条に書いた呼びかけ記事を見ました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
で、今回は2回目。ツアーのサブタイトルは「62億ってどんなだよ。麻生首相のお宅拝見!」。以下、チラシの告知文だ。

 「第2回のツアー目的地は、このたび『かしこくも』内閣総理大臣に就任された麻生太郎首相のお宅です。45年間にわたり一着30万円のスーツを年間10着仕立てるおしゃれな首相。たった1日で大卒初任給の2倍の弾を撃ちまくって鍛えた射撃はオリンピック級の腕前。敷地だけで6200000000円。大久保利通、牧野伸顕、吉田茂に連なる『華麗なる一族』の東京宅を見に行きましょう」

(雨宮さんの記事より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうかぁ、、、
このツアー、2回目なんですか。
1回目は、グッドウィル折口宅と「過労死は自己管理の問題」と言い放ったザ・アールの奥谷宅ツアーだったそうです。
この時はなんのおとがめもなし。
だが、今回は総理だったから、警戒も強かったのでしょうか?
ううううう====ん。


私も今回のことで初めて、主催者の方々のことを知ったのですが、、、
前後して、麻生さんが秋葉原で若者たちに「女にもてたいなら正規職員に、、、」なんて内容の事をズラズラと言われていた事と重なります。
誰だって、みんな正規職員になりたいですよね。
ならないのではなく、なれない現実をもっと見てほしいものです、、、


まぁ、それにしても主催者側の事前の準備が万全ではなかったのかもしれません。
が、
やはり「いきなりの逮捕」はやり過ぎではないでしょうか?
注意勧告でいいではないですか。
「ほらほら、5人までだゾウ、約束だろう、、」
とか、その風船は駄目だぞうううう、、、とかとか。

この事件、今後どのようになっていくか注目です。
それにしても、
本来、市民を守るべき警察が、市民をなぎ倒すように引っ張りだして、逮捕していく様は、
やはり「力」の威嚇ですね、、、


麻生さんは、その旨として「若者の味方」ではなかったのでしょうか?
ねぇ〜〜〜〜
麻生さん。
家を見たいと言うなら「どうぞどうぞ」でいいではないですか?
フリーターや派遣の味方になると言い放った麻生さん。
なら、膝を突き合わせて話せば良いのでは???
ねぇ、、、麻生さん。
これじゃ、あまりに「器が小さい」ってもんじゃないですか???

いずれにしても、
逮捕された3人の方々が早々に釈放されることを願っています。

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2008.10.16

カメムシの季節がきました、、、フッ〜〜〜

洗濯物を取り込んでいたら、
あっあの、、、臭い。
まぁまさか!!!
と、おそるおそる見たら、みたら、、、
ああああ〜〜〜〜いました。
いました。
いました。
3匹も。

ああああ〜〜〜〜
また、その季節がやって来たのだ。
ふっ〜〜〜〜。

スカッとした秋晴れ。
洗剤の宣伝みたいに、空高くシーツやらシャツやら洗濯物を干せると、
楽しみにしているのに、、、
ああああ〜〜〜〜あ。
またコソコソと臭いを嗅ぎながらのつつましい洗濯干しの日々かぁ。

と思いながら以前のカメムシとの格闘のアレコレの記事を再度読んでみました。

今年も キタッ〜〜〜〜
IQテスト

まぁ、分かっているんだけれどね。
人間の勝手であることは。
「お前の臭いが嫌じゃ〜〜〜〜」なんて言っても、
カメムシにはカメムシの都合ってものがあることは。

ああああ〜〜〜ああ。
これからまた、自然を感じる日々が始まるかぁ。

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2008.09.16

旅先の味

夫の父母が住んでいる家。
私たち家族が車で出かけると、父は自分の車を別の駐車場に移して、
私たちのために車庫をあけて待っていてくれます。
まずは、そうした心遣いから歓迎をうけて、
次に私たちのために部屋を掃除していろんなものを細々と用意してくれています。
どんな時間に行っても、食べ物をいっぱい作って待っていてくれる父と母。
夕飯も普段の我が家の二倍もある品数で、どこから食べていいのか、、、
私もお嫁さん業で、母と二人で台所に立ち、
いろんなことを教わります。
自分流の簡単、手頃なやり方ではなく、きっちりと教わりながら、
料理のお手伝い。
「家に帰ったら、まずは掃除からしなくちゃ」と思いながら、奇麗に整頓された台所に立っていました。
整頓されていると無駄がないんですよね、、、
私は、アチコチにものを置くので、何かするとき、まずは探し物から。
無駄なことしています。

主婦業歴○十年。
ベテラン主婦の母から学ぶ事はしっかり学んで、真似して。

そして帰りは帰りで、
なんだかいっぱい(乾物とか漬け物とか、果物とか布巾とか、、、、)を持たせてくれるのです。
ありがたい事です。

父と母の家を後にして、私たち家族はいよいと山形路へと向かいました。
山形って、ガイドブックで見ると、いっぱい、いっぱい食べ物があるんですね♪
山形の人ってラーメンが大好き。
おいしいラーメンがあると言う事で、まずはお薦めの龍上海というお店を目指しました。
本店は赤湯温泉。
11時半から開店ということで11時前に着いた私たちは、時間調整にコンビニ前で待っていました。
そして11時半が過ぎたので、いよいよお目当てのラーメン屋さんへ、、、、と向かいました。
ちょっと車で走ると狭い路地があって、
なぜか、
なぜか、
人の列があるのです。
しかもその列が長い。
「うううううう〜〜〜〜ん、もしや」と思ったら、
その「もしや」でした。
ウワッ〜〜〜〜〜〜。
こんなに人が並んでいるぅううううう

うわっ〜〜〜〜〜
これはこれは。
とため息。
どうしよう????
これじゃキックオフに間に合わなくなるかも。
と、言う事で諦めて、山形に向かいました。
スイスイと走りながら、
アチコチと見ていたら、龍上海の別の店が見つかり、
「じゃ、、、ちょっと見よう」ということで覗いてみました。
確かに人は並んでいるのですが、本店ほど並んでいなかったので、
折角だから、ここにしようと。
と、決めて、少々待ちましたが、
お目当てのラーメン、食べる事ができました。
自慢の辛みそラーメン。
おいしかった!!!
スープは魚介からとったのでしょうか、ちょっとカニ風味。
そして辛みそが上に乗っていて。
辛みそが次第にスープに溶けて、溶けるたびにスープの味が変わってくるような、そんな感覚のする「楽しいラーメン」でした。
京都人もラーメンにはこだわりがあるのですが、
ちょいと違った感じの新鮮な味を楽しむ事ができました。

後から、タクシーの運転手さんに聞いたところ、「各店によって味が違う」とのこと。
機会があれば別の店も行ってみたいものです。
それから、コンビニでカップラーメン「龍上海」も買い込みました♪

その夜は天童温泉に宿をとったのですが、
そこでもおいしい料理を頂く事ができました。
山形って、おいしい食べ物が盛りだくさんなのですね。

いつもの事ながら、
知らない事って多いなぁ〜〜〜〜と思う事ばかり。
母からも沢山学び、
旅先では新しいものに触れ、
充実の3日間。
新しく知った事に喜びを感じいています。
機会があれば、また足を伸ばそう、、、新しい出会いを探しに。


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2008.09.09

重陽の節句にアレコレと

今日9月9日は重陽の節句です。
以前の記事ではその謂われなどについて触れたので、今日はなぜか芭蕉について書きます。
〜〜山中や 菊はたおらぬ 湯の匂 〜〜
奥の細道の山中温泉で詠んだ歌です。
この歌の前に那谷寺で詠んだ有名な「石山の石より白し秋の風」があります。
この俳句、大好きです。
特に声に出して読むと、ますます石山の白と秋風の白が重なり、
その上、芭蕉の心にソッと吹くすきま風がなんとも白く孤高を感じさせます。
那谷寺と言えば、
随分前に兄嫁の祖母に是非行きたいと言われ、
母と兄嫁、兄嫁の母に祖母、そして私と5人で訪れました。
あの時の様子は全然、覚えていないのですが、そのとき着ていたベストスーツの色と緑の蛇の形をしたボタンを鮮明に覚えています。
その服、実は裁縫の苦手な私が這々の体で作ったものなのです。
多分、お世辞とは思いながらも、みんなに褒めてもらって、喜んでいたことが私の中での那谷寺です。
当時、90歳を超え、なおかわいいお顔のおばあちゃん。
亡くなって、既にひさしくなります、、、、
思い出す事も供養なら、今、おばあちゃんのこと、思い出しながら、
菊の節句、長命の節句に、あの瑞々しかった面影を思い出すとしましょう。

さてさて、
それはそれとして、
次に山中温泉で芭蕉が詠んだのは上に挙げた「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」。
ううううう====ん。
いいですね。
「菊はたおらぬ 」から「湯の匂」に一気になだれこむところが慌ただしくリズミカルです。
温泉の喧噪と静かさ、そして長寿の菊に頼らなくても効用あるといわれる泉質に、
芭蕉は10日以上逗留したそうです。

山中温泉。
古き良き温泉です。
北陸本線を京都から金沢まで旅する事が多い私にとって、
沿線沿いの温泉は、どれも耳に親しいものです。
この道をはるか昔、旅人芭蕉は歩き、そして歌に詠んだと思えば、さらに旅の情緒は深まります。
(尤も、たいていはボッと乗っている私ですが、、、もったいない事ですね、思えば)

さてさて、もう一度さて。
それにしても芭蕉の俳句、どれをとっても唸ります。
17の文字に、あらゆる思いを乗せ、
広く深くそして羽ばたくように、また凍るように、言葉を操った芭蕉。
生涯で詠んだ俳句は約千句。
蕪村が三千に一茶に至っては二万近くあるそうです。
芭蕉が「推敲の人」であったことは広く知られています。
推敲に推敲を重ね、なお推敲する芭蕉。
そこには「言葉」に対する思いと、
己の心の中を観察する力とがあったのでしょうね。

残っている句の中にも数多くの推敲の後があります。
「雪薄し白魚しろき事一寸」。
有名な句です。
これは後に「あけぼのやしら魚白きこと一寸」となります。

あるいは、
「何とはなしになにやら床し菫草」
が、
「山路来て何やら床しすみれ草」になります。


芥川龍之介、正岡子規に滅法評判が悪かった芭蕉。
同時代の人々からも、疎んじられたり、
あるいは、同門でのいざこざなど、、、、
いろいろありつつも、
やはり芭蕉は芭蕉。
作為を嫌い、ひたすら言葉自身に命を吹き込もうとした、その作風は、今に新しいと私は思います。

さてさてさて。
何度もブログで書いていますが、
私が一番好きな句はこれです。
「よく見れば なずな花咲く 垣根かな.」
です。
読めば読むほどイイ。
観察の喜び、自然の何気なさ。
そして溢れるのは生への讃歌。
およそ芭蕉らしくない私個人の読み方ですが、
それはそれで良いとして。

よく見れば なずな花咲く 垣根かな.。
つくづく思うに、
対象からは「よきもの」を見つけ出していきたいものです。

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2008.09.08

ビジテリアン大祭から賢治をちょっとだけ見ると、、、

9月の初めともなるとベジタリアンウィーク(9月2日から18日まで)。
「私は昨年九月四日、ニュウファウンドランド島の小さな山村、ヒルテイで行われた、ビジテリアン大祭に、日本の信者一同を代表して列席して参りました」で始まるビジテリアン大祭(宮沢賢治)の本がその発祥です。
温暖化防止へ肉食減らして IPCC議長が提言なんて記事もありますが、
畜産業から発生する温室効果ガスの削減については以前から論じられています。
果たしてどうなのでしょう?
さて、それはそれとして、本について。

ビジテリアンと言う事で勿論テーマは菜食主義について、
菜食主義者と、そうでない人との考え、主張をディベート方式で書き連ねている本です。
縦糸は菜食主義。
横糸は宗教観。
なかなか読ませます。
まだご覧になっていない方は、青空文庫ですぐに読む事ができるのでお薦めします♪
最後にどんでん返しなんかもあって、ちょっとお茶目な作品です。
さて、賢治。
よだかの星と しあわせ切符という記事を以前、書いたことがあります。
戦う者の内的心情と言うエントリーでは「烏の北斗七星」と言う本について触れました。
賢治の作品の多くがどこが切ないと思う私ですが、
このビジテリアン大祭は明るくて陽気で笑える作品。
ついうっかり最後の罠にはまって、
「ははは〜〜〜」
で終わってしまいそうですが、
だがしかし、
そこはやはり賢治。
彼が対峙していた「自己」、それもあくまで透明で自己犠牲を是とし、罪多い自分が人間で生まれた事を恥じ、
それでもなお人間を愛した賢治が脈々と流れているのです。
「討論や議論なんてそんなものさ」と、ディベートを揶揄する中に討論や議論で分析して積み上げていかなければおれない己の性をも揶揄しているのでしょうか???
「そんなものなりたい」と詩では絞り出すように書き連ねたが、
そんなものになりきれない自分を見つめ、喘ぐ作家(詩人)賢治。
烏の北斗七星あたりには、賢治の焦燥が映し出されています。
「注文の多い料理店」でも、自らが「食べるもの」ではなく「食べられるもの」として描かれつつも、最後は紙くずの顔になりつつも「生きる」人間を描いています。
「よだか」では星になりました。
一連の作品を読むにつけ、賢治の「救いを求める声」がしてなりません。
さて、彼は春と修羅と言う詩の中で心象スケッチという詩を残しています。
いかにも賢治らしい「序」だけ以下に紹介しておきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
心象スケツチ
 春と修羅


わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

大正十三年一月廿日
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

夜空が美しくなる秋。
宇宙を愛した賢治は、その中に虚無をみたのでしょうか?
未来への憧憬と今、生きる事の責任がシンシンと伝わり、
そして思いは、たわわに実っています。
そんな賢治を、今日はちょっと偲んでみました。

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2008.09.05

福田総理 最後のメールマガジン

龍蛇無鱗。
福田総理のお好きな言葉だそうです。
意味は、「龍には数十万枚ものうろこがある。しかし、その中にたった一枚でもヘビのうろこがあれば、それは本物の龍ではなく、ヘビが龍に化けたニセの龍である。」だそうです。
私はこの言葉、初めて知りました。
と、言う事で少し調べてみたのですが、出典はどこなのでしょうか?
ご存知の方がいらっしゃったらお教え頂けると嬉しく思います。
それにしても「龍蛇無鱗」を「龍に蛇の鱗なし」と読ませるのですか?
これまた疑問。
この言葉に似た感覚としては、空海の言葉があるそうです。
(http://r-ac.okwave.jp/qa1877744.html)
〜〜〜〜『般若心経秘鍵』に曰く「龍之蛇鱗有るが如し」<龍に蛇の鱗があるからといって両者が同じでないように、般若心経と大般若経に同じような文面があるからといって、同じ物とはいえない>)〜〜〜〜〜
ちょっと福田さんのソレとは違いますね。
この言葉についても、私自身は知らなかったので、機会があれば図書館ででも調べてみます。


さてさてさて、そんな出典やら言葉のアレコレはともかくとして、福田さん。
「本物の龍ではなかった」と自ら認めたということでしょうか?
ゴチャゴチャ、パサパサと鱗がいっぱいありましたねぇ〜〜〜
農水相の疑惑。大きなウロコでしたね。
サミットやら、ガソリン国会やら後期高齢者医療制度やら、やらやら。
またテロ特措法やら、
なぁんかいっぱい、いっぱいありますね。
ウロコが。

結局は、
「画竜点睛をかく」
の方がピッタリだったのか、、、なぁ?福田さん。

また、最後のメールマガジン
「永遠の今」でした。
うううううう〜〜〜〜〜〜ん。
なぁんというか。
================
「過去のものは古いと蔑み、今のものは新しいと愛でる、しかし今の新しさが真に新しければ、その新しさは必ず時間を貫いて、いつまでも新しい。」

1万年前の人類は、今と全く同じ太陽を見ています。海辺へ打ち寄せる波は一つとして古いものはなく、常に新しい波です。千数百年前の日本人と今の日本人は、今も昔も変わることのない、常に新しい伊勢神宮を見ています。

太陽と海と伊勢神宮、この三つは、宇宙、自然、人が創ったもの、この違いはありますが、永遠の今です。

福田総理メルマガより一部引用)
=================

ここで私は悩んでしまうのです。「うううううう〜〜〜〜ん???????」
伊勢神宮って、たしか「太陽神=蛇信仰」だったのでは????

なぁん〜〜〜て。
まぁ、いいかぁ。
このさい、気にしないでおこう。
きっと、福田さんご自身も気にしていらっしゃらないだろうから。

いずれにしても、福田さんの最後のメルマガジン。
国民目線ではなかったように思います。

さてさてさて。
これからどうなることやら、総裁選。
4人の方が現在立候補なさっているとか。
目が離せません。


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2008.09.04

対人距離 とりとめなく

電車内で、端っこの席が空いたら移動する?と言う記事を読みました。
フムフム。
やっぱり似ている人は多いと言うか、同じようなことを感じている人って多いのでしょうか?
実際、私もたいていは電車の端っこに移動します。
夫は移らないので、しばし離ればなれに座っています。
端っこの方が落ち着くのと、降りるとき楽なのが理由です。

そう言えば、
対人距離 (interpersonal distance) についての研究ってありましたね。
早速、wikipediaをみると、ありました。ありました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
E. T. ホール (Hall)[1] は動物と人間との観察にもとづいて人間がつぎのような対人距離に関する意識をもっていると主張している。
密接距離 (intimate distance) - 15 ~ 45 cm。愛撫、格闘、慰め、保護の意識をもつ距離。
個人的距離 (personal space) - 45 cm ~ 1.2 m。相手の気持ちを察しながら、個人的関心や関係を話し合うことができる距離。
社会的距離 (social distance) - 1.2 m ~ 3.6 m。秘書や応接係が客と応対する距離、あるいは、人前でも自分の仕事に集中できる距離。
公衆距離 (public distance) - 3.6 m 以上。公演会の場合など、公衆との間にとる距離。
各距離はさらに近接層と遠隔層とにわけられ、あわせて8通りの分類がなされている。 具体的な距離範囲は民族や動物の種類などによってことなるが、距離が4通りまたは8通りに分類できることは共通しているという。
上記wikipediaより。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


また、
西出和彦さんという方も研究しているようで、その結果は以下の通り。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
西出[2]は対人距離をつぎのように分類している (松原ら[3]から引用)。
排他域 - 50 cm 以下。絶対的に他人を入れたくない範囲で、会話などはこんなに近づいては行わない。
会話域 - 50 cm ~ 1.5 m。日常の会話が行われる距離である。 このゾーンに入ると会話することが強制的であるような距離圧力を受ける。すなわち会話なしではいられない。もし会話がないときは何らかの「居ること」の理由を必要とする。
近接域 - 1.5 ~ 3 m。普通、会話をするためにこのゾーンに入るが、会話をしないでこのゾーンに居続けることも不可能ではない。距離圧力としては微妙なゾーンであり、しばらく会話なしでいると居心地が悪くなる距離である。
相互認識域 - 3 ~ 20 m。このゾーンでは、知り合いであるかどうかが分かり、相手の顔の表情も分かる。普通、挨拶が発生する距離である。特に、3 ~ 7 m の距離では、知り合いを無視することはできない。

(上記wikipediaより。)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

なるほど、
対人距離から相手との関係を類推することって出来るのですね〜〜〜〜
先の電車の中では、空いている場合は、公衆距離を保ちたいのだが、満員電車はそうもいきませんね、、、

そういえば、「京都の賀茂川沿いのアベックの距離」。
見事ですよ。あの等間隔。
もう名物になっています。
京都検定にも出たりして(嘘ですよ♪)

なんというのか、
お互いに暗黙のうちに「プライベート距離」を見いだしていくところが、
野性的です。
例えば、ここに一組、アベック(今はカップルというのでしょうか?)が参入したら、
自然に、みんなが、同じ間隔だけ動いて、
5分後にも何事もなかったように、距離は等間隔。
凄いですよ。
見事です。

私は三条大橋からじっと見ているのではないのですが、、、、
(そんな暇ではないと言いつつ、)

もし、京都にお出かけのことがあれば、ぜひ一度はご覧になってください。
なんというのか、川辺にとけ込み、それ自体が、とても心温まる風景ですよ。

と、言う事で「対人距離」、面白いですね。
ところで、ブログでの距離って、あるのかしらん???

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2008.09.01

九月です

今日から九月。
長月と言われる九月は、人の気持もさることながら自然さえも「秋」を感じているのかと思うくらい昨日までのそれと様子が違ってきます。
まず蝉。
昨日までは確かにミンミンミンと鳴いていました。
勿論、今朝も鳴いているのですが、妙に静かになりました。
次に雲と風。
もう秋ですね、、、
二年前の9月1日には蕪村と一茶の俳句を紹介しました。
山鳥の 枝踏みかゆる 夜長哉  蕪村
夕汐や 艸葉(くさば)の末の 赤蜻蛉  一茶

さて今日は、枕草子風についてを紹介させてください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
風は嵐。こがらし。三月ばかりの夕暮にゆるく吹きたる花風、いとあはれなり。

八九月ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨のあし横ざまに、さわがしう吹きたるに、夏とほしたる綿絹の、汗の香などかわき、生絹の單衣に、引き重ねて著たるもをかし。この生絹だにいとあつかはしう、捨てまほしかりしかば、いつの間にかうなりぬらんと思ふもをかし。あかつき、格子妻戸など押しあげたるに、嵐のさと吹きわたりて、顏にしみたるこそいみじうをかしけれ。
九月三十日、十月一日のほどの空うち曇りたるに、風のいたう吹くに、黄なる木の葉どもの、ほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。櫻の葉、椋の葉などこそ落つれ。十月ばかりに、木立多かる所の庭は、いとめでたし。
(第188段より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
八九月ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。
とありますが、これは旧暦なので今の9月10月頃です。
「雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。」とありますが、清少納言の頃の雨は長雨で細々と繭の糸のように静かに降っていたのでしょうか?
このところのバケツをひっくり返すような雨ではないのでしょうね。
尤も次に「雨のあし横ざまに、さわがしう吹きたるに、夏とほしたる綿絹の、汗の香などかわき、生絹の單衣に、引き重ねて著たるもをかし。」と書いているので、作者はジャンジャカ降る雨が好きだったのかもしれません。
「この生絹だにいとあつかはしう、捨てまほしかりしかば、いつの間にかうなりぬらんと思ふもをかし。」
というところに清少納言のちょっとした洒落を感じて、私はこの下りは好きですね、、、

そして枕草子の作者は次に「野分の又の日こそ、いみじう哀におぼゆれ。」と続けるのですが、
この文は有名です。
台風って、ドキドキ・ハラハラするも、そのダイナミックな有り様に思わず見とれてしまうことってあります。
作者が表わす頽廃の美、欠けた美しさ、綻びこぼれる美しさは源氏にも共通のものがあります。
(夕霧が野わけの翌朝、紫の上に見る美しさ)

が、
が、、、
やはり現在にあって野わけはダイナミックでエネルギッシュで魅入るものと同時に、
できれば防ぐものとなりました。
今日、9月1日は「防災の日」。
備えあれば憂いなし
今、一度、お手元の防災グッズの見直し、周りの防災チェック、批難場所などの確認をする日でもあります。

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2008.08.31

8月も終わりかぁ、、、

アッという間に8月も、もう今日が最後の31日。
はやぁい、、、

皆さんは、この夏はどの様にお過ごしでしたか?
オリンピック?
高校野球?
サッカー?
スポーツが満載の嬉しい夏でした。

一方、悲しく辛い出来事もありました。
アフガンで犠牲になられた伊藤さん。
ニュースに接した時は声もありませんでした。
「なぜ?どうして?なんのため????」
頭の中を声にならない声、思いにならない思いが駆け巡り、どうしようもありませんでした。

やっぱり、
なぜ?

そして、
こんな事態を二度と起こさないためにどうする?
と、考えは巡ろうとするのですが、やはりガランドウのように空しいです、今の私にとってこのニュースは、
本当に辛いものです。

遅くなりましたが、伊藤さんのご冥福、心よりお祈りいたします。


さて、もう一つの夏は「大雨」。
これは、いったいなんなの?
と、いうくらい、各地に被害を出しています。
熱帯のような雨がジャンジャン、バンバン、ドシャドシャ降ります。
それも、急に、ドカッとやってきます。
鳴り物入りで、ピカピカ・ドンドン・ジャラジャラ・ざざ========
です。

こんな夏。
私はリアルが大忙しでネット環境にいなかったのですが、
また、パソコンの前に戻ってきましたので、
これから思いつくままに、
思いつく限りを、
そして、
思いに願いを込めて書きたいと考えています。

と、言うことで第一弾は、そりゃサンフレッチェから。
次の記事は水戸戦です。
では、、、、

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2008.08.18

秋の田の

万葉集巻ニ
但馬皇女が高市皇子の宮にありながら、穂積皇子を思ってお作りになった歌一首
114 秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母
読みは、
あきのたの ほむきによれる かたよりに きみによりなな こちたくありとも
意味は、
秋の田の稲穂が一方に偏って靡くように、私もあなたに寄り添いたいわ。人の噂がうるさくとも。


先のエントリーでも書きましたが日本の風景としての田圃を詠んだ歌は65首。
秋の田が16首。
田が10首。
田居が8首。
早稲田が5首。
その他、小田、山田などなどがあります。
秋の田と言えば、天智天皇が有名です。
〜〜秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ〜〜
まぁ、百人一首の一番めだから、すぐに覚えるお馴染みさんです。
と、言うことで今日は天智天皇には失礼をして、
但馬皇女が主人公。
但馬皇女。
なかなか恋多き人だったのでしょうか?
万葉集では上の歌に続いて2首があります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
穂積皇子が勅命によって、近江の志賀の山寺に遣わされた時、但馬皇女がお作りになった歌一首
115 遺居而 戀管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢
読みは、
おくれゐて こひつつあらずは おひしかむ みちのくまみに しめゆへわがせ
意味は、
ひとり残って恋いこがれていないで、あなたを追って参りましょう。道の曲がり角に道標をつけておいてくださいね、愛しいあなた。

但馬皇女が高市皇子の宮にありながら、密かに穂積皇子と通じ、その事が露見した時にお作りになった歌一首
116 人事乎 繁美許知痛美 己世尓 未渡 朝川渡
読みは、
ひとごとを しげみこちたみ おのがよに いまだわたらぬ あさかはわたる
意味は、
人の噂がうるさく煩わしいので、これまで渡った事のない朝の川を渡ることですよ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、言うことで人妻でありながら恋したう人に熱き思いを素直に伸び伸びと詠った但馬皇女。

その後、巻8では穂積皇子の歌も載っています。
これでは、夫の高市皇子があまりに可哀想な気がするのですが、
実際の所、高市皇子と但馬皇女が夫婦だったかどうかは定かではない、養女だったのではという説もあります。

いずれにしても、折々の自然がもたらす妙と、
自分の中の内在する思いを巧みに表現する万葉人の歌に接する度に、驚きと感嘆で一杯になります。


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2008.08.07

草木染め

今日、友達数人と草木染めをしました。
たまねぎ生葉藍染めに挑戦。

沢山のタマネギの皮をボールに入れてフーフー言いながら煮だしたり、
藍の生葉をジューサーで砕いてから絞ったりと、、、、
なかなか楽しい体験でした。

出来の方は、みんなそれぞれ個性的。
でも自分の作品っていうのは嬉しい。
ワイワイ言いながらスカーフを首に巻いてゴキゲン。
自然の色というのはやさしくて上品で艶やかだと改めてみんなで感心しました。

今までは何気なく見ていた藍染めですが、自分で染めてみて、その手のかかることを体験して、
初めて、そのありがたさがわかった次第。
やっぱり「ものつくり」は大切に守り次代に伝えることが必要だと思いました、、、

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2008.08.04

夕暮れの蝉の声を聞きながら

やがて死ぬけしきは見えず蝉の声

芭蕉が死ぬ一ヶ月前に詠んだ歌。
辞世の句とも言われていますが、果たしてどうなんでしょう?
それにしても私の住んでいるところは蝉が凄い。
蝉時雨とかそんななまやさしいものではありません。
朝から夜まで、
ミィ〜〜〜ンミンミン。
ジィ〜〜〜〜ジ。
凄いです。
確かに芭蕉ではありませんが、やがて死ぬとは思えないくらい元気に鳴いています。
でも7日の命。
と、言う事でその鳴き声を聞く人が儚さや無情を感じ、味わい、
そして己に引き当てたりするのでしょう、、、

だがしかし。
蝉はそんなの関係ねぇ〜〜〜
ではないかと思うのです。
ただ「ありのまま」なのだろうと私は思います。
ただありのままだから、
古来より蝉は歌に詠まれているのか???
(尤も空蝉として詠まれたり、羽の薄さで情を詠ったりとされていますが、、、)

源氏物語1000年。
源氏の中にも空蝉は出てきますね。
モデルはひょっとしら紫式部その人か、、、と言われている空蝉です。
====うつせみの羽(は)に置く露の木(こ)隠れて忍び忍びに濡るる袖かな=====

切ないですね。

と、言う事で元気に鳴いていても、抜け殻になっても、なにやら物悲しい蝉。
夏の真っ盛りに、陽中の陰を思わせます。
これまた自然の深い計らいか、、、

いずれにしても、
移り変わる自然とともに人もまた変わります。
歳々年々変わりゆくのなら、
あたり前を当たり前に受け入れるそんな生き様に憧れながら、
夕暮れの一段とせわしい蝉の声を聞いています。

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2008.08.03

赤塚不二夫さん

がんなんかに負けないニャロメ 知人が語る赤塚さん
赤塚不二夫さんが亡くなりました。
ご冥福をお祈りいたします。

赤塚不二夫。
私にとっては「天才バカボン」と「おそ松君」「ひみつのアッコちゃん」ですね。
「テクマクマヤコン テクマクマヤコン ○○になれ~」を一生懸命に覚えていた事を思い出します。

それとトキワ荘。
随分前にNHKで「まんが道」がドラマ化されたとき、
多くのまんが家が出てきました。
その中に赤塚さんもトキワ荘の住人として登場。
赤塚さんにとっても漫画家人生で大きな影響を得た時代だったのでしょう。

「テクマクマヤコン テクマクマヤコン ○○になれ~」
今、赤塚さんは天国で、何になろうとしているのだろうか???
思えば思うほどさびしくなりますね、、、

こうしてまた一人の天才が逝った。

心からご冥福をお祈りいたします。

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2008.08.01

暑い夏

今日から八月。
葉月です。
葉の月という事で、たけなわの木々を連想するのですが、実は木の葉が紅葉して落ちる月「葉落ち月」「葉月」であるという説が有力だそうです。
旧暦では、すっかり秋だから、どうしても今の感覚とずれてしまうのでしょう。
稲の穂が張る「穂張り月(ほはりづき)」という説や、雁が初めて来る「初来月(はつきづき)」という説、南方からの台風が多く来る「南風月(はえづき)」という説などもあるということですが、いずれも秋ですね。

ところで南風と書いて「はえ」。
これは東風を「こち」と読むのと同レベルによく知られています。
〜〜〜白南風の夕浪高うなりにけり   芥川龍之介〜〜〜
白南風は「しろはえ」と読み、梅雨開けた夏の南風を言います。

やっぱり季節は夏。
暑い日がまだまだ続きます。
==============
夏日題悟空上人院 
三伏閉門披一衲 
兼無松竹蔭房廊 
安禅不必須山水 
滅却心頭火自涼
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夏日悟空上人の院に題す
三伏門を閉ざして一衲を披る
兼ねて松竹の房廊を蔭う無し
安禅は必ずしも山水を須いず
心頭を滅却すれば火も自ずから涼し

==============
うううう、、、、ん
心頭を滅却しても、熱いものは熱い。暑いものは暑い。
くれぐれも無理をせず熱中症にご用心。
この夏を乗り切ってください。


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2008.07.24

芥川龍之介

今日は河童忌。
2年前も記事にしましたが、
私は龍之介が好きです。
なんと言うか、、、
あの壊れるような繊細さと、抜けるような知性が好きです。

つい先日「わが子等に」芥川龍之介の“幻”の遺書4通発見と言うニュースがありました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「わが子 等 ( ら ) に」と題した遺書では、「一 人生は戦ひなることを忘るべからず」と記した後に、「死に至る」という言葉を「戦ひ」の前に挿入するなど、生涯最後の 推敲 ( すいこう ) の跡がありありとわかる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、言う事でいかにも。
と思います。

それにしても、
人生は戦いかぁああ〜〜〜〜
ううううう〜〜〜〜ん。
ちょいと辛いね。

芥川が、その短い一生で掴んだ物は、戦いという人生だったのだろうか???
いまだ人を惹き付けてやまない芥川龍之介。
今日は河童忌。

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2008.07.22

大暑

今日は大暑と言う事でいよいよ夏も本番。
暑いです。
私はこのところ、大忙しでネット環境にもいなかったのですが、
久しぶりにパソコンの前に座っています。
座っているだけで暑い。
動けばもっと暑い、、、

朝(あした)咲き夕は消(け)ぬる月草の消ぬべき恋も我はするかも
(http://www2.wbs.ne.jp/~ichiro/shiki/natsu/natu1.htm)
と言う事で、万葉の人々はこの暑さも、涼しげに詠んでいます。

蛍の時期でもあります。
夏で蛍と言えば、枕草子。
「夏は夜。月の比はさら也、やみも猶ほたるの多く飛びちがひたる。又、ただ一つ二つなどほのかにうちひかりて行くもをかし。」
蛍か、、、
以前、住んでいたところは、蛍やふくろうや狸や狐、そしてムカデと、
自然がいっぱいのところでした。
今頃、蛍がいっぱい飛んでいるのだろうか、、、

が、
やっぱり暑い。
くれぐれも熱中症にはご用心。

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2008.07.09

ラッセル・アインシュタイン宣言を思う

今日7月9日はラッセル・アインシュタイン宣言の日。
過去にも書いたのですが、
何度読んでもこの宣言を行った科学者の熱い思いが伝わってきます。
宣言は言う。

「ここに私たちがあなたがたに提出する問題、厳しく、恐しく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか? 人々はこの二者択一という問題を面と向かって取り上げようとしないであろう。というのは、戦争を廃絶することはあまりにも難しいからである。」と。

戦争廃絶は困難な作業であると認めながら、
それでも、人類は如何にあるべきか?
更に宣言は言う。

「戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかしおそらく他の何にも増して事態の理解を妨げているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。人々は、危険は自分自身や子どもや孫たちに対して存在し、単にぼんやり感知される人類に対してではないということを、はっきりと心に描くことがほとんどできない。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争は続けてもかまわないと思っている。」

そして、それは「幻想である」とも指摘する。

「この希望は幻想である。たとえ水素爆弾を使用しないというどんな協定が平時に結ばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるや否や双方とも水素爆弾の製造に取りかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側は必ず勝利するに違いないからである。」

そうした現実に対して、人はなお「何が出来るか?」
大部分は感情的に中立ではない、ということを踏まえながら、、、

「私たちの大部分は感情的には中立ではない。しかし人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が誰にでも――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――可能な満足を与えうるような何らかの仕方で解決されなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。私たちは東側においても西側においても、このことが理解されることを望む。
 私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識と知恵の絶えない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、その代わりに、私たちは死を選ぶのであろうか? 私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へ向かって開けている。もしできないならば、あなたがたの前には全面的な死の危険が横たわっている。」


私たちは何を選ぶのだろう?
何を選ぶべきなのか???

50年以上前に宣言した科学者たちの警告と願いは、
今、どのように活かされようとしているのか???
振り返るに、
それは、遅々としてはいるが確かな重みを持っていることも、また事実であると私は確信しています。

最後に決議を掲載して、、、

「決議

 私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、次の決議に署名するよう勧める。
「およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続を脅かしているという事実から見て、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然と認めるよう勧告する。従ってまた、私たちは彼らに、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段を見出すよう勧告する。」

マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞)
アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞)
L・インフェルト教授(ノーベル物理学賞)
F・J・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞)
H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞)
ライナス・ボーリング教授(ノーベル物理学賞)
C・F・パウェル教授(ノーベル物理学賞)
J・ロートブラット教授
バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞)
湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞)」

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2008.07.04

7月、あれこれと思う事を

バタバタしているうちに、もう7月。
リアルが忙しくて、忙しくて、、、
とにかく忙しくてネット環境も遠のいていました。
ふっ〜〜〜〜
と、落ち着いてみると、
今年も半分がすぎました。
7月かぁ〜〜〜〜
京都では祇園祭の月です。


さて、
今日7月4日はアメリカ独立記念日。
7月14日はパリ祭。
と、学生時代には世界史で暗記しました。

随分前に「7月4日に生まれて」と言う反戦映画を観ましたが、
帰還兵は心も体もズダズダになって帰ってきます。
それはイラク戦争でも例外ではありません。

アメリカの人々の中でも次第に先のイラク戦争への不信が出ている中、
2006年の住民投票で、ブッシュ大統領とチェイニー副大統領の弾劾要求を可決したサンフランシスコ市で、新たな住民投票の動きが起こりました。
それは、なんと、
ブッシュ大統領の「功績」を残そうと、市内の下水処理施設に「ジョージ・W・ブッシュ」の名前を冠するというものです。
今年の11月日の大統領・連邦議員選挙にあわせた住民投票の実現を目指して署名集めをしているのは、住民グループ「大統領記念委員会」。
ブッシュ氏の八年にわたる政治を「米国史上に前例のないもの」として後世に伝えるため、次期大統領が就任する「2009年1月2日」から下水処理施設を改名すると説明。

「50年後の公民の授業で、生徒たちはリンカーン記念館やジョージ・W・ブッシュ下水処理施設を学ぶだろう。生徒たちはすぐに、なぜと問うだろう。そこでイラク戦争や開戦にいたる話を議論することができる。人間は悪い歴史の記憶を忘れたいものだが、そうさせないようにするのが私たちのやり方だ」と説明。

ふぅ〜〜〜〜む。
50年後の子どもたちは世界史で、
イラク戦争のなんたるかを下水施設の名とともに学ぶと言うとかぁ〜〜〜〜

さてさて、
住民投票の行方に注目です。

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2008.06.25

六月  茨木のり子

六月

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける


どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
鋭い力となって たちあらわれる

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
茨木のり子さんの「六月」です。

茨木さんが好きだから、
「わたしが一番きれいだったとき」
ぎらりと光るダイヤのような日
倚りかからず
と、エントリーで取り上げたことがあります。

もう一度(何度でも)読んでも、やはり「いい」。
これだけの感想しか出てきません。
「いい」


最後に「大人になるということは何か」、、、
考えさせられる、茨木風の詩を載せておきます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
汲む —Y・Yに—    

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとして
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました

たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそりと汲むことがあるのです

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喜撰法師

昨日はUFOの日でした。
UFOと言えば昨年、国会UFO談義が真剣に取り沙汰されていましたが、その後どうなったのでしょう?
で、
UFOと聞くと何故か思い出すのが竹取物語と喜撰法師と言う歌人。
この喜撰さん、残されている資料が少ないため、よく分かっていないそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(生没年不詳、伝不詳)は平安時代初期の僧・歌人。六歌仙の一。宇治山に住んでいた僧であるという事以外は不明で、下に掲げる二首の歌以外はなんら今日に伝えるところがない。なお、紀貫之の変名という説もある。古今和歌集仮名序には、「ことばかすかにしてはじめをはりたしかならず。いはば秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし。詠める歌、多くきこえねば、かれこれをかよはしてよく知らず」と評されている。
(wikipediaより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

と、言うことで分かっていないところがいい。

百人一首の歌や六歌仙としては有名な方。

「わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり」。
「木の間より見ゆるは谷の蛍かもいさりに海人の海へ行くかも」。

この2首しか伝わっていない。
本当は紀貫之、、なんて説も在る。
だがしかし、立派な六歌仙。

「世を宇治山と人はいふなり」
この句に歌人はどんな思いを込めたのだろうか?
達観?
諦観?
あるいは焦燥???

「木の間より見ゆるは谷の蛍かもいさりに海人の海へ行くかも」
に、しても、世を宇治山と同じく見える情景をそのまま、さりげなく歌っている歌ですね、、、
木の間より見る、、、というからには、歌ったときは山にいるのでしょう。
遠い海の漁り火が、谷の螢と相交えて、
静かな情念が沸き立つ歌ですね、、、
この歌を見ると、
喜撰法師が達観していて、ついに仙人になったとは、あんまり考えられないのですが、、、

その俗物的なところが、いい。

うううう〜〜〜ん。
知れば知るほど興味がわきます。

と、言うことで以前、私は喜撰洞を訪ねようとしたことがあります。
結局、行くことはできなかったのですが、、、

最後は仙人になったと伝えられる喜撰法師。
雲にのって 行ってしまったのだろうか???
夢は膨らみます。

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2008.06.23

「hitoriyogari さんのひとりよがり人生」

いつもコメントを下さるokachinの辛口エッセーの管理人のhitoriyogari さん。
経済に詳しく、音楽を愛し、そしてご家族をとても大切に思われているhitoriyogari さん。
そんなhitoriyogari さんが、ご自分の辿ってきた経験の数々を、コメント蘭にて御教えくださっています。
多くの方にも読んで頂けたら素敵だな、、、と思い、hitoriyogari さんにお願いしたところ、快くお返事を頂きました。
と、言うことで、このエントリーは「hitoriyogari さんのひとりよがり人生」と銘うって、
貴重な体験や経験をコメント形式で頂くコーナーと致します。
最初の書き出しは、
先ず、「はじめに」があり、目次をつけて、第一章 我が愛しの故郷、第二章 青春時代、第三章 転職癖、引っ越し癖、第四章 家庭生活と苦難、第五章 独立独歩、第六章 第三の人生、「おわりに」という構成だそうです。

既に以前に次のようなコメントを頂いていますので紹介します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は1936年(昭和11年)に大阪の此花区(現在は福島区)で生まれ、三歳のとき、父が結核の病で倒れ、出身地の網野町へ帰り、養生している間、京都の親戚で母親と過ごしました。
 親元は典型的な小作農家で、父は長男でありながら祖父の反対を押し切って、尋常小学校を卒業するやいなや、京都の東山中学へ進学、今のアルバイトと奨学金を貰い、同志社商業(現、同志社大学商学部)へ進み、苦学の上肺結核になってしまいました。卒業と同時に大阪の和光証券へ就職、そして京都の女学校にいた母と結婚、二児をもうけましたが弟は死産に終わり、私が四歳の時に亡くなりました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

続きが楽しみです。

と、言うことでこのエントリーのコメントは、「hitoriyogari さんのひとりよがり人生」を続けていきたいと考えていますので、
hitoriyogari さんだけにコメントを絞らせていただきます。
ご感想など頂けることがありましたら、直近のエントリーでお願いいたします。

では、、、

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隣の学年は仲が悪い?

「隣の学年同士は仲が悪い」と言われる理由と言う特集を読んで、一人で笑っていました。
確かに、小学校中学校のときって、一つ違いって「なまいき」って感じましたが、、、

みんな、思うことは同じなのでしょうか???

こう言うことを本気で研究する人がいたら面白い結果が出てくるかもしれません。

変な学術研究と言う本があって、
当の研究者は至極真面目なのだが、傍目からは笑い話にしか見えないという涙ぐましい研究の数々が紹介されています。
すぐに読むことができます。
「13日の金曜日」。
人が如何に迷信に振り回されるかの研究。
「侮辱の教授」
侮辱の言葉とは、相手との信頼関係に由来する、ゆえにその言葉が侮辱か否かは、言われた方の反応をみればすぐに分かる。

などなど、、、

とにかく、思わず笑い転げてしまいます。

と、言うことで話を元に戻すならば、
「隣同士の学年は仲が悪い」も立派なテーマになりそうな予感がします。
どうなんでしょう???

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2008.06.20

雨と八木重吉

雨の季節です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
雨の日

雨が すきか
わたしはすきだ
うたを うたおう
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

と歌ったのは早世の詩人八木重吉。

雨と歌
と言えば、八木重吉の「雨」という歌があります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
♪雨のおとがきこえる
雨がふってゐたのだ
あのおとのようにそっと世のためにはたらいてゐよう 
雨があがるようにしづかに死んでゆこう
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

美しく静かで、語りかけるようなこの歌。
歌う度に胸が熱くなります。
「あのおとのようにそっと世のためにはたらいてゐよう 
雨があがるようにしづかに死んでゆこう」

詩人八木重吉のつつましやかでささやかな願い。
それは「そっとあること」でした。

妻を愛し、子を愛し、
そして、信じるものを守ろうとした重吉。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ある日

こころ
うつくしき日は
やぶれたるを
やぶれたりとなせど かなしからず
妻を よび
児(こ)をよびて
かたりたわむる
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

こころうつくしき日は、
穏やかでたおやかで、ただそのままが嬉しい、と詩人は歌います。

私は
「母をおもう」と言う詩を学校で習ったことがあります。
あの時はよく分かりませんでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
けしきが
あかるくなってきた
母をつれて
てくてくあるきたくなった
母はきっと
重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうです。
あの時は分からなかった親への気持、子への思い。
今は分かります。
「母はきっと
重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう」
今は、
分かります。
母の思い、子の思い。
背中に染み込む母の思いを感じながら詩人重吉は、どんなにか「命」「続く者」を思ったことだろう、、、

やさしくそぼ降るように降る雨もあれば、
すべてを押し流すように降る暴れ雨もある。

それら、すべてを含めて「雨」が好きである、と詩人は歌う。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

雨は土をうるおしてゆく
雨というもののそばにしゃがんで
雨のすることをみていたい
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


そして詩人は静かに逝った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
無題

神様 あなたに会いたくなった

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

信仰の深さが静かに伝わります。
もう一つ無題を載せます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夢の中の自分の顔と言うものを始めて見た
発熱がいく日(にち)もつづいた夜
私(わたし)はキリストを念じてねむった
一つの顔があらわれた
それはもちろん
現在の私の顔でもなく
幼(おさ)ない時の自分の顔でもなく
いつも心にえがいている
最も気高(けだか)い天使の顔でもなかった
それよりももっとすぐれた顔であった
その顔が自分の顔であるということはおのずから分った
顔のまわりは金色(きんいろ)をおびた暗黒であった
翌朝(よくちょう)眼(め)がさめたとき
別段熱は下(さが)っていなかった
しかし不思議(ふしぎ)に私の心は平らかだった

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ふしぎにこころが平らであったと言う。
思いは怒涛のように有り、
押してはかえすものが、山のようにあったに違いない。
しかし、
重吉は、
ふしぎと心平らに今は在る、と歌う。

読む私はハラリとくるものがあるのですが、、、
読む私はこころ平らに詩人の魂を読み込むことはまだできないが、、、

だがしかし、
今、
雨は降っている。
そっと、そっと、、、そして強く、
雨は降っている。
生きている者のやることは、
おしつけがましくない「よのためにはたらくこと」なんだと教えてくれるように、、、

と、言うことで
雨と言えば八木重吉。
最後にもう一度、雨を。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

窓をあけて雨をみていると
なんにも要(い)らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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2008.06.19

桜桃忌

今日は桜桃忌です。

昨年はさくらんぼと言うタイトルで太宰の「御伽草子」について書きました。

太宰治かぁ、、、

ガラスのような印象の人。
朽ちて行く者の限りない美しさを感じさせる人。
哀しい人。

まぁ、私の中ではいろんな面をキラキラと見せてくれる作家の一人です。

実は「走れメロス」が嫌いでキライで、
教科書に載っているのを見るたびに「噴飯物」と声に出していたことがあります。
なんだか「偽善」。
人間失格は「偽悪」。
と、勝手に決め込んでいたのです、、、

が、
年齢を重ねるうちに、作家太宰治の破天荒でグチャグチャで、
それでいて心の襞を一つひとつ丁寧に掬いとるような小説の数々が好きになっていました。
件の「走れメロス」。
かなり知られたエピソードは壇一雄によるものです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は後日、『走れメロス』という太宰の傑れた作品を読んで、おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた。あれを読む度に、文学に携わるはしくれの身の幸福を思うわけである。憤怒も、悔恨も、汚辱も清められ、軟らかい香気がふわりと私の醜い心の周辺を被覆するならわしだ。
「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」
と太宰の声が低く私の耳にいつまでも響いてくる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

うううう〜〜〜ん。
グッときますね。
「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」。

いつも夫を待ちながら「待つ身」の私。
いつも夫を待たせるのもやっぱり私。

さてさて、、、
どっちも辛いですぅ。

と、言うことで今日は「桜桃忌」。

 

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2008.06.17

幸せ

私のブログ界隈で「愛」が充満。

愛ねぇ〜〜〜〜〜

仏教では愛より慈悲を教えているようですが、
愛は執着に繋がるという事を読みました。

数限りない「愛」について語ることは今日はしません。
が、
ふと思い出したのは三木清。
「人生論ノート」です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「今日、愛については誰も語っている。誰が怒について真剣に語らうとするのであるか。
怒の意味を忘れてただ愛についてのみ語るといふことは今日の人間が無性格であるといふことのしるしである。
切に義人を思ふ。義人とは何か。怒ることを知れる者である。

人生論ノートより
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さてさてどうなんでしょう?
この「怒」は時代(戦争前)への怒りであることは、ここに付記しておきます。

と、言うことで、今日はもう少し三木清に拘ります。
私の中では三木清と言えば、幸福感です。
それだけのことと言う記事を以前書いたことがあります。
「幸福」です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもつて彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが倒れてもなお幸福である。」

「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福は常に外にあらわれる。
歌わぬ詩人というものは真の詩人でないごとく、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではない。
幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外にあらわれて他の人を幸福にするものが真の幸福である」

(人生論ノートより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

何回読んでも嬉しくなります。
幸福なら人は自然に微笑む、歌う、躍る。
そして、
真の幸福は周りさえ幸福にする。
そんな弾むようなものだと、
三木清は言う。

私は幸せでありたい。
だから、
まずは幸せを表現することから始めようか、、、
と、ついそんな気に今はなっています。

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2008.06.15

不可能図形

このエントリーを読んだときから「書こう、、、書こう」と気合いを入れていたのですが、
いつのまにか忙しさにまぎれ、頭の片隅にいってしまいました。
と、言うことで、
今日は頭のお蔵に入る前にヨッコラサと引き出して。

で、
その記事は【種】不可能図形を説明する、描く
渋谷の亀さんと六さんのブログの記事です。
いつもながら面白い!!!
「種」だから、私もタネとして読ませていただきました。

亀さん経由でなまらリンクと言うユニークなブログを知ったのですが、
世の中って楽しい方が多くて今更ながら嬉しくなります♪

私は「フシギ」が大好き!
金子みすずではないけれど。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
わたしはふしぎでたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。

わたしはふしぎでたまらない、
青いくわのはたべている、
かいこが白くなることが。

わたしはふしぎでたまらない、
だれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

わたしはふしぎでたまらない、
たれにきいてもわらってて、
あたりまえだ、ということが。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
最後の誰に聞いてもみんな笑って答えてくれないことがふしぎでたまらない、という少女みすずの
まっすぐな思いがジィ〜〜〜ンと伝わります。
本当は、
誰だってふしぎでたまらないことがいっぱいあって、
その一つひとつを大好きだと私は思います。

と、言うことで安野光雅福田繁雄の作品をあかずに見ていた頃があります。
勿論、エッシャーやマグリッドは大好き。
以前、心象風景と言うエントリーで、あの絵の持つ魅力を書いたことがあります。

自分では絶対正しいと思っていても存外、人は騙されるものです。
その騙される危うさを認識ながら、
騙される楽しみを味あうことで、世界がまた一つ広がったら、
これはこれで楽しい!!!

そんなことを思いながら亀さんの不可能図形を見ていました。
亀さん、ありがとうございます!

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2008.06.12

出口のない状況

悲しくて心痛む事件がありました。
社会的に大きな問題ゆえ、皆さん、いろいろこの記事について書かれていらっしゃいます。
ゲーム脳に関して危惧を表明してるTAKESANさんはTAKESANさんらしい切り口で。
お玉さんはずっと拘りつづつけている「死刑問題」で。
死ぬのはやつらださんは派遣問題について言及。
それぞれの視点からこの問題が考えられています。

私は、今のところ、考え中です。
皆さんのご意見やその後明らかになるであろう事柄を待っています。
今、
なんとも、なんとも言葉に言い尽くせない思いで一杯ではありますが、、、亡くなった方々への哀悼の意を表わすことしか出来ないのです。
今後、この様なことが起きないように、
と、言うことで法律(銃刀法)が変えられたり、教育の見直しなんて叫ばれたり、、、
いろいろと社会に影響を与えるのでしょうが、
それでも亡くなった方々は帰らない。
胸がつまります。
記号的な殺人と喪の儀礼についてと言うタイトルで内田さんがエントリーを挙げています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
無差別に人を殺すことを決意した人間の中にある、私たちの理解を超えた「闇の部分」について何もわからないままに、あるいはそのようなものが存在しないかのように処方された「再発防止」策は、闇を隠蔽し、拡げるだけだと、私も思う。
私はこういう事件のときに語られる社会心理学的なあるいは精神病理学的な説明に対してはいつもambivalent な気持ちを感じる。
それらの説明はたしかに出来事の一部分については妥当する。
なるほど、そうか、と思うこともある。
けれども、どこか「説明過剰」になっているような気がするのである。
その理屈では説明できないし、説明すべきでないことまで説明してしまうことによって、説明されることによって生成した局所的秩序を上回るような無秩序がそこに増殖してしまう。
そういうことがある。
(内田さんのブログより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、内田さんはその後、知的負荷の回避が全国民的に「知的マナー」として定着している社会というものへの警告を発していきます。
その例として、「言葉の解釈」論が展開されます。
「私たちはメッセージを適切に解読するために、実際にはたいへん面倒な手続きを踏んでいる。
と内田さんは言う。
そして、
この面倒な作業をシンプルにするために人は「記号化」という新手の力業を手に入れたと内田さんは言います。
とりあえず、人は脇において、
「記号」として、、、処理する。
他人も自分も見ていく、その脆弱であり堅牢でさえある考え方の蔓延を伝える。
最後に内田さんは以下のように締めます。
「記号に読み替えられたことで死んだ死者たち」については、私たちもまたそれを「記号として扱う」ことを強いられるということである。
私たちは記号的に殺された死者たちをもう一度記号的に殺すことに「加担」させられることなしには、この事件について語ることができないという「出口のない状況」に追い詰められているのである。」
まさに出口のない状況です。
出口はない、、、

出口はない。
出口のないところに詰め込まれているのは私たちみんななのです、、、
つまり私たち全てが「かおなし」としてペルソナをかぶる以外に、この問題を考えることは出来ないと言うことなのでしょうか?
人に引き寄せては、何も解決策は出てこないということなのでしょうか?
出口のない社会にひしめき合っている私たち全ての責任と言うことかぁ〜〜〜

ならば入り口は何だったのか???

入り口は何かは内田さんは語っていません。(本当はわかりにくく語ってはいるのですが、、、
つまり分かり合うという面倒な手続きを割愛していく社会というものが入り口だと内田さんは言っているのだが、、、)

私は、入り口は、格差社会の本格的な幕開けではないかと考えます。

人が人としての尊厳を失わされ、
物のように扱われる社会において、
自分をも含め「記号」として処理していかなければならない社会が、すぐそこに来ている(いや、もう来ている)のかと考えます。

この事件、
いまだ、闇のままですが、
それでも、私たちはしっかりと考えていく必要があると強く思います。
人は人である。
記号なんかじゃない、、、
と言う強い思いを抱いて、これからもこの問題を追っていきたいと考えています。

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2008.06.10

「時」について思ったこと

花無心招蝶    花 無心にして蝶を招き
蝶無心尋花    蝶 無心にして花を尋ぬ
花開時蝶来    花 開く時、蝶来り
蝶来時花開    蝶 来る時、花開く
吾亦不知人    吾れも亦人を知らず
人亦不知吾    人も亦吾れを知らず
不知従帝則    知らずして帝の則に従う

良寛の有名な詩です。
自然のはからいは無心であり「時」がくれば、
すべては、そのはからい通りになる。人はそんな自然のなすがままをただ受け入れ、
そして従いながら、己を見いだそう、、、

そんな良寛の思いが伝わります。

この思想はコヘレトの言葉に相通じるものがあるのでしょうか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。(3:1~3:8)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。と言うコヘレトの言葉。

一方、同じ自然の生業を認め受け入れながらも積極的に「今」に関わった人、と言えば、
やはり道元禅師、その人です。
〜〜〜而今の山水は、古佛の道現成なり。ともに法位に住して、究盡の功徳を成ぜり。〜〜
山水経にある有名な言葉です。
私は道元が好きで「正法眼蔵」となぜか「菜根譚」がすぐ手元にある日常です。
道元の「而今」は「今」であり「只今、ここ」です。
ただただ、感じる今を大切にと詠いながらも、
良寛と相通じるところがあり、コヘレトにも通じます。
「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいゆくとき、ちからをもいれず、心をもついやさずして、生死をはなれて仏となる」と。

あるがままに、、、
ひたすらに、、、

そんな達観はまだまだ望めそうにはありませんが、
それでも、
そんな境地を目指すことが出来れば、、、
と、願っています。

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今、やることは?

日本書記」の天智天皇10(西暦671)年4月25日。
「置漏尅於新臺。始打候時動鍾鼓。始用漏尅。此漏尅者天皇爲皇太子時始親所製造也云々」
(漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なりと、云々(うんぬん)。
と、あることから、
今日6月10日は「時の記念日」。
日本初の時計が鐘を打った日と言うことです。

過去の記事では、時の記念日
Carpe Diemと言うエントリーを挙げたのですが、いずれも釈迦の中部経典を書いています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
過去を追うな。
未来を願うな。
過去は既に捨てられた。
そして、未来はまだやってきていない。
だから現在の事柄を、
それがあるところにおいて観察し、
揺るぐことなく、動ずることなく、
よく見極めて実践せよ。
ただきょうなすべきことを熱心になせ。
(中部経典)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

分かっているんですよね、、、
「今」が大切って。
が、
過去に引きずられ、
未来に憂う自分となかなか訣別できないんだよね〜〜〜
過去ってのは、もう過ぎてしまって、
それは、取り返しがつかない。
後悔やら慙愧が押し寄せてくる。
のだが、、、
なんだか変に安心なところがあるのでしょうかね、過去に浸っている時って。
既に分かっているから、、、
またまた未来。
これは、もう何がなにやらサッパリで不安や焦りがドンブラドンブラと打ち寄せてくるのです。
が、
が、
これまた、何か考えている気になるのかな???
未来を思うということは。

で、結局、何が一番苦手って、
「今」と向き合うこと。
なんだよね、、、
実際、私の周り1メートル以内にやらなければならないことが、文字通りに山になっていて、
その山を見たら、もうため息。
ああああ〜〜〜
フッ〜〜〜〜〜

やるしかないんだよね、、、
わかっているんだよね。
「今」片っ端から片付けるしかないんだよな、この本とチラシの山の仕分けを。

と、言うことで、
私の「時の記念日」はまずは掃除からです、、、

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2008.06.02

水無月

昨日から6月。
早いものです。
本当にアッという間に過ぎました。

水の月である水無月。
もう梅雨入りした地域もあります。
今年はどんな梅雨が用意されているのだろうか?
願わくば災害がありませんように、、、

と、言うことで今日は京都で有名な「水無月」というお菓子について書きます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
6月30日は夏越の祓(なごしのはらえ)の日で、京都の神社でも鳥居の下や神社の境内に大きな茅の輪を立て、参拝者がそのなかを潜る茅の輪くぐり、という息災を願う季節の行事が行われます。

この日に「みな月」を食べると厄払いが出来ると言い伝えられています。
(上記サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本当は6月30日に食べるのですが、
京都の和菓子屋では端午の節句が終わるか否やで、もう店頭に並びます。

「昔は冬の間に自然に出来た氷を、地下などの涼しいところを利用して作った「氷室」という天然の冷蔵庫で保管しておき、それを宮中に取り寄せて食べていたそうです。一般市民は高価な氷を取り寄せることができないので、氷の形に似せて作ったこの「水無月」を氷のかわりに食べたということです」
と言う由来のように、見た目に涼しいお菓子です。
口に入れるとたっぷりの小豆が歯触り良く感じられ、
とても美味しいお菓子!
昔の京の人々は、
夏越しを向かえ、無事に過すことが出来るようにという願いを込めて、このお菓子を頂いたのでしょうか。
この後、すぐに続くのは祇園祭。
とかく忙しい京です。

さて、私は幼い頃は7月1日に「氷室の饅頭」を頂いていました。
由来はこの「水無月」とほぼ同じです。
地方によって、いろいろではありますが、
出自は一つ。
「何事もなく平穏に日一日を過すことが出来ますように」と言う庶民の素朴な願いです。

とかく自然の災害が大きいと感じるこの頃、
今年は何事もなく「自然の摂理」が回っていきますように、、、
水無月を頂きながら願いましょう。

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2008.05.29

晶子と源氏物語

今日は白桃忌です。
ブログを書き始めてから、5月29日に晶子のことをいくつか挙げて書きました。
君  死にたまふことなかれ
やっぱり晶子と言えば

と、言うことで今日は源氏物語と晶子について、ちょっと書きます。
源氏物語1000年と言うので、今、京都は静かな源氏ブームを呼んでいます。

晶子と紫式部。
なんとも艶やかな取り合わせです。
与謝野晶子の歌で読む「源氏物語」と言うサイトをみると、
晶子のあの官能的な歌の数々に源氏の魂が宿っているのか???と思います。

桐壺は「紫のかがやく花と日の光思ひあはざることわりもなし」です。
香気立ちこめる品が伺えます。

帚木は「中川の皐月の水に人似たりかたればむせびよればわななく」

空蝉「うつせみのわがうすごろも風流男に馴れてぬるやとあぢきなきころ」
なるほど。

夕顔、若紫ときて、そして末摘花
「皮ごろも上に着たれば我妹子は聞くことのみな身に沁まぬらし」
泣けてくるんだよな、、、この人には。

ずっと、ずっと続いて、
早蕨「早蕨の歌を法師す君に似ずよき言葉をば知らぬめでたさ」
いいですね。
浮舟は「何よりも危ふきものとかねて見し小舟の中にみづからを置く」

そして最後
夢の浮橋
「明けくれに昔こひしきこころもて生くる世もはたゆめのうきはし」


私の好きな橋姫は「しめやかにこころの濡れぬ川霧の立ちまふ家はあはれなるかな」です。

男女の愛をきめ細かく描写しながらも、時代という軋轢の中で喘いでいた紫式部の息遣いが、
あるときは妖怪に、またあるときは化けものように大きく、強く感じられる源氏物語。

みじか夜の中で晶子は「われと歌をわれといのちを忌むに似たり恋の小車絃さらに巻け」と、ほとばしるような情感を謳っているのですが、
一方で、
「春の夜を化物こはき木幡伏見相ゆく人に宇治は弐里の路」とも詠んでいます。
うううう〜〜〜〜ん。

歌人の戦く思いと、
昔の佳人の溢れんばかりの才が、交錯して化け物のように宇治の旧街道を走ったのでしょうか???
想像するだに身の毛がよだちます。
「物語をつくる」「歌を詠む」。
二つの芸術は、地を這うように出来上がったのだと私は思います。

今日は白桃忌。
与謝野晶子の命日です。


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2008.05.28

故郷に帰ること、なんといいますか?と言う記事

故郷に帰ること、なんといいますか?と言う面白い話題が載っていました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
オリンピック代表○○選手 帰鹿」
ちょっと前に屋久島に行ったとき、テレビのローカルニュースでこんなテロップが流れた。「帰鹿」ってなに、と頭の中がしばらく「???」となったのだが、ニュースの中身はといえば、鹿児島出身の北京オリンピック代表選手がゴールデンウィークに里帰りした、という内容。「鹿児島に帰る」を略して「帰鹿」と書くらしい。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
記事は、まず冒頭で前振りが述べられていて、
その後、各県、各地の検証にあたります。
そして3つのパターンがあることを紹介。
「次の3つのパターンがあることが分かった。
1つ目は、鹿児島のように「帰」+「最初の一文字」と書くパターン。帰札(札幌)、帰仙(仙台)、帰福(福井)、帰宮(宮崎)など。
2つ目は、「帰」+「最後の一文字」というパターンで、帰沢(金沢)、帰阪(大阪)など。帰京(東京)もこのパターンだ。
そして3つ目は、「帰」+「昔の名前」というパターン。帰洛(京都)などである。いずれも会話では使わず、書き物で使う。読み方がはっきりしない場合もあるようだ。」

なるほど。
貴方の故郷は、どのパターンですか???

私は自分の実家へ帰るときは「おさとばぁちゃんち」(父は他界しているから)
夫の両親が待つ故郷へ帰るときは「おじぃちゃん・おばぁちゃんち」
と、子ども目線で呼んでいたのですが、
確かに土地と言う意味で故郷を捉えたら、
2つ目のパターンになりそうです。


それにしても、ふるさとかぁ、、、
いいですね。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」
であり、
「ふるさとの 山にむかいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな.」
でもあります。

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2008.05.18

ことばの日

朝 FMを聞いていたら、今日5月18日は「ことばの日」だという話していました。
5月18日で、「こ・と・ば」。
語呂合わせです。

言葉かぁ〜〜〜〜

言葉ねぇ〜〜〜〜

あまりに大きなテーマなので、どこをどのように斬っていけばいいのか見当もつきませんが、
この頃、私がROMしているブログ界隈で「言葉、ことば・コトバ」がバンバンと行き交っています。

ううう〜〜〜ん。

言葉ね。

以前、智恵子抄の「あどけない話」を参考にちょっと今日的国会を描いたことがあります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本当の言葉
 
私は国会には言葉が無いと思ふ、
ほんとの言葉が聞きたいと思ふ。
私はがっかりしながら国会中継を見る。
ビザンチィン様式の建物の中に在るのは、
言っても言い尽くせない
むかしから伝えられ続けている嘘とごまかし。
どんよりけむにまく答弁のぼかしは、
うすら笑いしながらの口と心のしめりだ。
私は遠くを見ながら思ふ。
山に畑に町にそして海に
毎日出て働いている人々の言葉こそが
私はほんとの言葉だと思ふ。

私のなんのことはない戯言ではあるが、、、

(以前の記事より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この時は2005年の10月。
時の総理は小泉さん。
言葉がやけに軽くなった気がしたときです。
それから2年半。
今や言葉だけが軽いのではない、
存在のあまりに軽い総理が、
数だけを頼みに悪法をドンドン押しつけてきます。
あの折は「なんのことはない戯言」だったのだが、
今や、
「山に畑に町にそして海に
毎日出て働いている人々の言葉こそが
私はほんとの言葉だと思ふ。」
と述べた、そんな人々の本当の言葉さえ失われつつあるのでは、と思います。


恒例のサラリーマン川柳のベスト10が先日発表されました。
今年の一位は、
「「空気読め!!」 それより部下の 気持ち読め!!」
でした。
ふむふむ。

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2008.05.13

友人のブログ紹介

life---生まれてきて良かったと感じられる社会にと言うブログは、いつもコメントを下さるネット友人のayuさんのブログです。
副題が、
--苦悩の狭間-- ☆  一人一人を大切にして見捨てない社会に。みんなが自分らしく生きれますように♪
なんてついています。

私も訪問するたびに
目からウロコを一枚、二枚と落としています。
昨日は医療の現状を書いた記事を紹介していただきました。

21世紀の文明国・日本にあって、
その貧困な医療行政を詳しく説明した記事は、思わず唸りました。
私も、参考にさせていただき、また医療に、それこそメスをいれたいものです。

ayuさん、これからもいろいろ書いてくださいね。
私にとっても励みになります。

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四川大地震

四川大地震、心配です。
いまだ生き埋めで救助をまっていらっしゃる方も大勢。
一刻も早い対応が求められています。


それにしても先日のサイクロンといい、
なんだか災害が多いですね、、、

言葉にならない思いです。

いずれにしても一刻も早く救助がおこなわれることを願っています。

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2008.04.25

あれから三年

あれから三年が経ったのですね。
福知山線脱線事故
あの時、ひたすら驚き、テレビに見入り、悲しみ、そして日常に潜む危機に対する備えのない恐怖と戸惑いを感じた事を今も覚えています。
その思いを以下のように記しました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
何と言っていいのか、、、
言葉もない。
亡くなった方の無念を思い、残された家族、知人の方に心からお悔やみ申し上げます。
朝、手を振って行ってらっしゃい、、、と送り出す。
いつもの光景。
一日の経験を重ねて帰って来る。
そんな当然と思っている日常が切り裂かれた、、、
突然。
なんの前触れもなく。
今まで生きていた証を確認する事もなく、もぎ取られていく命。
日常を残したまま、、、逝ってしまった人々。
なぜ?
どうして?
一人ひとりの命と思いを乗せて、いつものように走っている電車が、いきなり宙に舞い、ちぎれていく車体とともに、
遠く帰らぬ人になるなんて、、、
いったい誰が思うだろう。
だれが、そんなことを思いながら毎朝、家族を送り出しているだろう、、、
朝の途切れる事のない忙しさにかまけて、時には声を荒げ、あるいは せかして追い出す日常。
保証されていると思っているのに。
安全だと信じているのに、、、、
なぜ?
どうして?
どこへ この気持ちを持っていけばいいのか?
やりきれない。
亡くなった方、残された者。
それは他人事ではない。
いつ、どこで、だれに起きるのか、、、
改めて日常とは何か。
そこに潜む危険をえぐり出された気がする。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
二度とこのようなことが起きませんようにと言う祈りを込めて書きました。
そして、
事故から一年経った時、
未だ癒えない方々の思いと行政に対して、感じたままの思いを記事に挙げました。

そして、
そして、
もう三年の月日が流れたのですね。
癒やされない遺族や被害者の方々の心と体の痛み。
いかほどでしょう。
亡くなった方の遺族とJRとの補償の話し合いも、昨年末までで示談が成立したのはわずかに二割を超えた段階とききます。
確かに遺された方々にとって、交渉のテーブルに着くことさえためらうものではありますが、
それでも自己責任者はそれにのっからず、積極的に手をさしのべていただきたいものです。
 
また、当時から問題になっていた事故原因。
国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会は昨年6月、スピードの出しすぎなど直接的な事故原因に加え、乗務員への懲罰的な「日勤教育」や無理なダイヤ編成、新型ATS(自動列車停止装置)の設置の遅れなどを事故の背景として指摘した最終報告書を発表しました。
やはり、という思いです。
利益優先で安全を二の次とするJR西日本の異常な経営体質が関係者の方を始め、多くのマスコミや機関から批判されたことを思い出します。
「安全」よりも利益優先が浮き彫りになりました。
この大事故は人災であったこと、しかも経営の側の責任が大きい事は明らかにも関わらず、
責任の所在はいまも判然としません。
そんななか、
昨年から今年にかけても、感電事故、除雪作業員の触車事故、塗装作業員の墜落事故などが発生。

昨日のアメリカ輸入肉といい、
マンション耐震偽装といい、
なんだか「信じていた安全」が次第にボロボロになっていく、そんな予感がします。
福田さんのポスター「暮らしに安心」がなぜか寒々しい。

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2008.04.24

寒の戻り日

今日は寒の戻りの特異日です。
4月6日もそうです。
特異日と言うのは、その日に「そのような気候」になることが統計的に多いという日なので、
同じ気候(雨とか晴れとか、台風とか)の特異日が一年に何度かあります。

そのせいか、私の住んでいるところでは、今日は心なしか肌寒い気がします。
花冷えという美しい言葉が当てはまる時期は、どちらかと言うと4月6日ごろ。
今は、季節の花は紫や緑。
それでも、肌に触れる風がひんやりと感じるならば、
大好きな佐保姫は、未だ、まだかと錯覚しそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
佐保姫

ねむれる春ようらわかき
かたちをかくすことなかれ
たれこめてのみけふの日を
なべてのひとのすぐすうち
さめての春のすがたこそ
まだ夢のまの風情なれ
 

ねむげの春よさめよ春
さかしきひとのみざるまに
若紫の朝霞
かすみの袖をみにまとへ
はつねうれしきうぐひすの
鳥のしらべをうたへかし
 
(若菜集 島崎藤村)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


季節は行きつ戻りつ、
戻りついきつ、、、、
そんな繰り返しの中で、
ゆっくりと慌てる事なく、やってくるのでしょうか?

人もまた同じなのではと思ったりします。
喜んだり、怒ったり、
失敗したり、成功したり、、、
そんな繰り返しの中で時は移ろうのでしょうか?
以前、法演について記事を書いた事があります。
その折、結びで書いたまとめが、
「繰り返す季節」を思いながら、なんとなく浮かびました。


法演の四戒より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1,福を受け尽くすべからず、
   すなわち必ず禍殃をいたす。
2,勢いを使い尽くすべからず、
   勢い尽くすときは、すなわち定めて欺侮に遭う。
3,語言は説き尽くすべからず、
   説き尽くせば、すなわち機密ならず。
4,規矩は行い尽くすべからず、
   行い尽くすときは、衆とどまりがたし。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
中国宋時代の高名な禅の僧、五祖法演の言葉で、
「法演の四戒」と、世には知られています。
4つの順番は、書物によって違うようですが、
意味は、
幸福を求めすぎること、
勢いがありすぎること、
言葉で説き尽くしすぎること、
行いが厳格すぎることを戒めているものです。
「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」
という意味でしょうか。
自分の「幸福、損得」を求めすぎない。
自分の価値観を振り回しすぎない。
他人に対して、
「及ばないこと」ばかりに目をやり、
キリキリと相手を追い詰め、
析伏させようとしない。
自分への厳格さを通り越して、
他人にも忠誠を求めすぎない。
「つい、やりすぎになる態度」への戒めです。
含蓄溢れる言葉。
自分自身への自戒をこめて、
「人がひとを判断すること」の難しさを考えてしまいました。

(以前の記事より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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2008.04.22

判決

重い判決が出ました。
光母子殺害の判決が今日言い渡されました。
当時18歳の少年は今は27歳。
9年の歳月が流れました、、、
彼らの中で、この9年という年月はどの様に流れたか、
私はわかりません。
時間は、傷を癒してくれるはずがない、
時は罪を贖ってはくれない、、、
と、言うことでしょうか。
私も過去にこの事件についてエントリーを挙げました。
また時計じかけのオレンジ 再考と言う記事を2006年の7月に書き、その中でもこの事件について語りました。
結びとして、以下のように書きました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
監督のメッセジーは何か
犯罪者が人権を保障されるとき、私たちも、その社会で人権が守られる。
キューブリックは、この映画で時代に問題を投げかけ、
そして問うた。
答えを出すのはその時々の「我々」です。
今、私たちは問いを投げかけられています。
主人公のような人格さえ認める社会と、
犯罪者は徹底的に洗脳・精神的な去勢する社会といずれが健全な社会かと。

この様に、たたみかけていると私は思いました。

あなたは、どう思われますか?

私は、社会が守るべき者は「すべからく」人権ではと考えます。
犯罪者になんの人権ぞと思う社会は、
一般人の人権にも冷たいと思います。

法律は罪は裁くが人は裁けない。
ならば、社会そのものが、子どもからお年寄りまで人権を守り、敬意を表する、そんな時代を作ることに努力していけたらと、、、と願いながら。
(過去の記事より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


今日、
原告本村さんの最後の言葉が、ますます重くのしかかります。
=================
本村 決して喜ばしいことではないと思っています。厳粛な気持ちでこの裁判所の判決を受け止めています。遺族としては当然、応報感情を満たされたわけですから、報われる思いはありますが、社会にとってみれば、私の妻と娘、そして被告人の3人の命が奪われる結果となったわけです。これは社会にとって不利益なことです。

 私はこの事件にあってからいろいろ考えておりますけれど、やはり刑法っていうものは社会秩序を維持するための目的を達するための手段だと思っています。死刑という大変重い判断が下されましたが、これで終わるのではなくて、私たち遺族もこの重い判決を受けて真っ当に生きていかなければいけないと思いますし、社会のみなさまにも、どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています。死刑の存廃等の問題が騒がれるようになるかもしれませんけど、刑罰はどうすれば私たちが安全な環境を作れるかということを考える契機にならなくてはいけないと思いますので、そういった方に社会が向いていくことを望みます。

(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「刑罰はどうすれば私たちが安全な環境を作れるかということを考える契機にならなくてはいけない」。
本当に。
本当に、、、
安全な環境を作るために私たちはどうすればいいのか???
それは決して刑罰に頼ることだけではないのだろうと、今は漠然と思います。

それにしても、この判決。
いずれの場合であっても辛かった。

今、やはり辛い。

間違いないなく私に出来ることは、
亡くなった方のご冥福を祈ることと、遺る方々が今後、幸せに(本当にはやく)なっていただくことを願う事。
もう一つは、
死刑の是非をも含め、安全な社会を作るために如何にあるか、何ができるかをこれからさらに考えていくこと。
この二つです。

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2008.04.11

表現、言論の自由と稲田議員

一年前に「国会議員は選良」と言ったあの人が、またまた話題の中心人物です。
そう、その話題とは映画「靖国 YASUKUNI」です。
中心人物は稲田朋美さん。
この問題に関しては、お玉さんをはじめとして、発端からそうそうに多くのブログで取り上げられています。(今は有村さんが話題をかさっらていますが、、、)
私も当初から関心を持って、いろいろ拝見しながら学ばせていただいています。
とくにお玉さんは時系列で、時々の話題や課題を展開して下さいます。
エントリーもさることながらコメントもいろんな立場の方から寄せられていて、考えさせられます。
さて、この映画。
本来なら明日12日劇場公開だったそうですが、
延期になり5月に「とある劇場」(名前は未定)で公開されるそうです。
昨日は昨日でリ・イン監督、田原総一朗らが抗議「靖国 YASUKUNI」緊急記者会見などがあったようです。
これに先立ち稲田さんもご自分のホームページで「お知らせ」として、映画「靖国」の助成金問題について書かれています。
稲田さんは稲田さんの立場、つまり政治信条として今回の映画「靖国」の助成金問題について税金投入はおかしい、、、と考え、それを問題にした、との事だそうです。
上のお知らせの冒頭は以下のように始まります。
「表現の自由、言論の自由が保障されているわが国で、どのような政治的、宗教的宣伝意図のある映画を制作し公開しようと自由である。日本は政治的圧力により映画の上映を禁止し、書物を発禁にするような非民主主義国家ではない。」
本当にそうです!!!
そうです。
そうです、稲田さん。
もう一度、おさらい。
「日本は政治的圧力により映画の上映を禁止し、書物を発禁にするような非民主主義国家ではない。」
日本はそんな国ではありません。
また、そんな国にしてはなりません。

途中、稲田さんはお知らせの中で、映画「靖国」に対するご自分の評価を縷々述べられます。
これは、稲田さん個人のものですから、私はここでは検証と言及はしません。
が、
最後に稲田さんは次のように締められています。
「私は弁護士出身の政治家として、民主政の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。
中略
表現や言論は自由であり、最大限尊重されなくてはならないのは当然だが、そのことを理由に税金の使われ方の妥当性を検証する政治家の言論の自由を封殺しようとすることは背理である。」
と。

ここへきて、私は稲田さんが「表現の自由」「言論の自由」を乱打することへの違和感がモクモク、ワクワクと湧いてくるのです。
およそ似つかわしくない言葉。
「言論や表現の自由」。
いえね。
他の人がそのように言われるのなら、軽く笑えるのですが、
稲田さんが言われたら、私は凍り付きます。

一年前、私は貴女の夫婦別姓論議
夫婦別姓論議 その2と二回にわたり貴女の論理について書きました。
ここでは私は貴女から言論や表現の自由という考えを一切よみとることはできませんでした。
むしろ表現や言論の統制、国家への吸収という考えしか浮かびだせなかったのです。
そんな貴女が今、言う。
「政治家の表現の自由を規制していいのか」と。
もちろん、いけません。
いいはずがありません。
だがしかし、
同様に国民にも言論や表現の自由はあります。
夫婦別姓。
これは表現の自由ではないのでしょうか???
稲田さん>


さて、
今回の問題に立ち返るならば、
稲田さんはお知らせでも言われているように、あくまで税金の問題として、
映画「靖国」を上映する方向に積極的に行動なさればいいのではと考えます。
されば、皆、「あっっ、稲田さんは純粋に税金だけを問題にしていたのだな、、、」と思います。
税金の使途については、国民としても、おおいに国民のために税金を使っていただきたいと願っていますから、
映画云々だけでなく、道路特定財源やら、消費税やら、医療費やら、やらやら国民の声を聞いてください。
ぜひ、選良としてご活躍ください。
ところで、もう一度確認。
選良とは?
優れて優秀な人々、国会議員のことです。
しつこく、もう一度。
優れて優秀な人々、国会議員のこと。


いずれにしても、
稲田さんのお知らせの冒頭はありがたい。
「表現の自由、言論の自由が保障されているわが国で、どのような政治的、宗教的宣伝意図のある映画を制作し公開しようと自由である。日本は政治的圧力により映画の上映を禁止し、書物を発禁にするような非民主主義国家ではない。」
含蓄のある言葉です!!!

さてさて、
表現や言論の自由とは何か???
本当に考えさせられる今回の問題。
今後の成り行きに注目です。

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2008.04.10

女性の日

今日は女性の日です。
戦後初の総選挙が1946年の4月10日に行われ、初めて婦人参政権が行使されました。
このとき89人の女性が立候補し39人が当選したそうです。
参政権と一口に言っても、その権利を獲得するまでに長い道のりが必要とされました。

日本で普通選挙が実現したのは、1925年(大正14)です。
しかし、参政権が付与されたのは男性のみ。
平塚らいてうの青鞜社結成を機に、
平塚と市川房枝、奥むめおらによる新婦人協会(1919(大正8)年)の誕生。
ガントレット恒子、久布白落実らによる日本婦人参政権協会などが婦人参政権運動を展開。
そして、
婦人参政同盟(1923年・大正12)、婦人参政権獲得期成同盟会(1924年・大正13、後に婦選獲得同盟と改称)が結成、さらに運動は進みます。
が、事態は容易には進まず、、、
1931年には婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過するが、貴族院の猛反対で廃案に追い込まれたりと一進一退。
その後、太平洋戦争へ突入。
そして、ようやく日の目を見たのは、
第二次世界大戦後の1945年10月10日幣原内閣で婦人参政権に関する閣議決定がなされた時です。
その前後にも市川さんをはじめとして多くの先輩たちの努力により、
1946年(昭和21)4月10日の戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生する運びになったのです!!!。
今日4月10日はそんな日です。
そしてこの日を「婦人の日」としましたが、1998年から「女性週間」と名称が変更されました。

婦人も参政権を要求すと力の限り訴えた与謝野晶子。
晶子が好きで、友人と何回も読書会をしました。
晶子の人生はあまりに華やかで激しくて真摯で、私は触れるたびにクラクラするのです。
が、
女性の権利を考える時、いつも思いだすのです。
晶子が求めてやまなかったもの。
山が動くこと。
なのでしょねぇ、、、

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そぞろごと
山の動く日来(きた)る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。
一人称(いちにんしょう)にてのみ物書かばや。
われは女(おなご)ぞ。
一人称にてのみ物書かばや。
われは、われは。
額(ひたい)にも肩にも
わが髪ぞほつるる
しおたれて湯瀧(ゆだき)に打たるるこころもち、
ほとつくため息は火の如く且つ狂おし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまた譏(そし)るらん。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

一人称で物をかくこと。
参政権をえること。
そして、男性同様に社会に貢献していく権利や社会から与えられる諸々の評価を得る事、、、、
などなど、歌人は力をこめて、言葉にしました。
今、よみかえすに、
すぐれて新しい。


私たちは先輩たちの熱い思いと、努力を次代の子らに受け渡す必要があります。
まだまだ、働く女性の権利は確立していない。
さらに生む性である母性についても十分な環境にはありません。
女性が女性として、
男性が男性として、
そして人間が人間として品位が保障されるそんな社会を目指したいと新たに思う今日4月10日。
「女性の日」。


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2008.04.08

自灯明

今日はお釈迦様の誕生日と言う事で、
花祭り。
過去の記事を見たら、灌仏会
花祭りと言うエントリーを挙げていました。
淡いピンクの花と霞につつまれ、なんと時間がゆったりと流れるような春八日の今日。
釈迦と言えば私が思い出すのはやはり「自灯明 法灯明」です。
この言葉、釈迦入滅の最後の言葉と言う事で、誕生日の今日には似つかわしくないのですが、
そこはお釈迦様に勘弁していただいて、
「自灯明 法灯明」についてつらつらと今日は書きます。

意味は字の如くです。
「ただみずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすること」。

読めば読むほど心にしみ入る言葉です。
〜〜〜ただみずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず〜〜〜〜
ううう===ん。
何か大きな壁にぶつかるとオロオロになって、自分の判断に自信がなくなり、
人に相談したり、人の言う事に無条件に従う。
そんな人間の当たり前の弱さを釈迦は弟子たちに戒め、
自分を信じろ、自分の思いや理性や感性を信じろと励ましたのです。
そして、
それが些か思い込みにならないように理法とともにありなさい、と教える事も忘れませんでした。

私は今、この言葉の持つ意味が大きい時代になっていると思います。
いろんな意味で、価値観が揺れ動き、
何を判断の基準にすればいいのか見えにくくなり、
ともすればしゃがみ込んでしまいそうな時代。
簡単で手軽で甘い言葉がすぐそこにあったら、迷わず身を投げ入れてしまいそうな時代。
自分で考えるより、誰かに考えてもらって、インスタントコーヒーのようにお手軽においしいところだけ頂こう、、、
とかとか。
そんな時代でも、やっぱり最後は自分。
自分の頭で考えて、自分の心で感じて、自分の足で立つ。
拠り所は自分です。
最後はそれしかない!
自分なんだよ。
決して霊や占いや、そんな何かではなくて、自分の人生を支配するのは自分だということを釈迦は教えているのでしょうね。

生きて行くという事は、そう単純ではなく、正しいかそうでないか、
今は分からない保留のことって山ほどあります。
だから、自分の思いや感性だけにしがみつく事は、これはこれで危険であることは言うまでもありません。
釈迦はそこで法灯明を教えています。
理に適うということを、理に従うという事を大切にしなさいと。
今なら、「科学」という言葉に収斂される学問のあれこれでしょうか。
そこには偽物のはいる余地はありません。
偽物????
そうですね。
人が人であるという前提を失わせるものが偽物だと私は思います。
水にありがとう、、、もそうです。
血液型性格判断もそうです。
水や血液や、霊に判断を仰ぐという考えは、
人間から考える事を失わせるものと私は思います。

人は人であるために、
己の判断を自分以外の物に譲り渡してはならない。
と、釈迦は言われたのではないでしょうか?


ともあれ、
今日は花祭り。

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2008.04.05

桜の春

やっぱり桜は美しい。
満開の桜を見れば心がワクワクと踊ります。
先日も哲学の道沿いのあの関雪桜の並木を見ながらため息をついていました。
以前は桜よりも梅の方が好きだったのですが、このごろは桜の潔さも捨てがたいものがあるなと思っています。
二年前は桜満開と言うエントリーで岡本かの子と桜について書きました。
また、桜と言えばやはり西行
そう、西行が好きだから桜がすきなのかもしれない、、、

桜は、華やかであるがゆえに儚くて、
儚いがために、いつまでもその残像が人の心に残るのでしょうか?

今日4月5日は三好達治の命日。
三好と言えば、四行詩が面白い。
が、なかなか乙女チックな詩も残しています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
甃のうへ


あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々(ひさしひさし)に

風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私が初めてこの詩を読んだ時、
かわいい乙女のイラストが載っていて、まるでジュリエットのようでした。
本当は、三好が詠んだ乙女は和服のはずなのに、、、
それは、ともかく乙女にハラハラと降る花は桜なのでしょうね。
この詩は、詠めば詠むほど、物悲しくて、次第に音が消えていくようなそんな感覚がします。
風鐸さえ音をひそめ、石の上に映る影に、時間の流れさえ遠慮しているようです。

春とは、こんな季節なのでしょうか???
桜は実に春に似つかわしい。

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2008.03.26

室生犀星

今日は室生犀星と与謝野鉄幹の命日。
そしてベートーベンの命日でもあります。
まぁ、人の生き死には毎日のことゆえ、亡くなる人があるのだから
新しい命がどこかで生まれ、今日が誕生日の人もいらっしゃいます

そうは言うものの、室生犀星は私にとっては馴染み深い詩人の一人です。
彼の人生、そのものが壮絶で悲しくて、ということもあるのですが、
やはり犀星が金沢の人だからです。
美しき川は流れたりと言うエントリーで犀星を紹介したのは2004年のこと。
あのときは、
如何に犀星が高校時代の私の心を震わせたかを書いたのですが、
さらに4年の月日が流れ、犀星の命日の今日、詩人のことを考えると、
また違った感慨がわいてきます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
かもめ 

かもめかもめ
去りゆくかもめ
かくもさみしく口ずさみ
渚はてなくつたひゆく
かもめかもめ
入日のかたにぬれそぼち
ぴよろとなくはかもめどり
あはれみやこをのがれきて
海のなぎさをつたひゆく

砂丘の上

渚に青き 波の群れ
鴎のごとく ひるがえり
すぎし日は
海の彼方に死に浮かぶ
音もなく 砂丘の上に
うずくまり
海の彼方をこいぬれて
ひとり ただひとり
はるかに思い疲れたり


海浜独唱

ひとりあつき涙をたれ
海のなぎさにうづくまる
なにゆゑの涙ぞ青き波のむれ
よせきたりわが額をぬらす
みよや濡れたる砂にうつり出づ
わがみじめなる影をいただき去り
抱きさる波、波、哀しき波
このながき渚にあるはわれひとり
ああわれのみひとり
海の青きに流れ入るごとし


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

犀星が見た海は、私も間違いなく見ていました。
砂を踏み、
渚で足を濡らし、
そして遠くの水平線に思いを寄せたあの日本海。
波の音や風の香りがよみがえります。
私はあの頃は、あまり犀星を知らなかった。
砂浜に寝転んで、
北村透谷を思っていたのです。
そして、
その後、犀川から臨む白山の姿を目にして犀星と出会い、
「美しき川」の詩や「あんず」が好きになったのです。
が、
改めて犀星の海を思う詩を読み、
わけもなく涙が出てきます。

犀星が見た海は私が幼き日、見ていた海と同じはずだから、、、


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2008.03.24

お返事遅くなりごめんなさい

私事でバタバタしていてネット環境から離れていたので、
この間、コメントいただいた技術開発者さん、ニケさん、葉子さん、あゆさん、罵愚さん。
お返事差し上げることができなくて失礼しました。
バタバタはまだ続いているので、
頂いたコメントのお返事は時間ができたら、と言うことで勘弁してください。
(とはいえ、新規の記事はこれから書き連ねていくつもりですので、、、)
これからも、ご意見やアドバイス、頂けたら嬉しく思います。

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2008.03.10

きぼう打ち上げ

きぼう打ち上げへ、開発者・田中秀孝さんの思い熱くと言うニュース。
紆余曲折のあったきぼう
ようやくここまでこぎつけました。
今後の活躍と展開に期待しています!
なにしろ宇宙は広大な夢とロマンの宝庫。
以前国際宇宙ステーションの話題で子どもたちと盛り上がったことがあります。
宇宙ってどんなだろう????
無重力ってどんな感じだろう???
と、時の経つのを忘れて話していました。
あの時の子どもたちの目の輝き。
思い出します。

どんな成果が出るか、今から心待ちしています。

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2008.03.07

花粉症記念日(^^;

今日3月7日は、あろうことか「花粉症記念日」だそうです。
花粉症の私としては、
こんなもん、記念日にすんなぁ〜〜〜と毒づきたい気分。
いつ、誰が、なんの目的で、
こんな記念日作ったんだ????

いつものようにwikipediaで調べたのだが、
記念日については書いてありません。
さてさて、、、どうしたものか、この記念日。
記念日は見当たらなかったが歴史が面白かったので一部を抜粋して、ちょっとご紹介。
============
花粉症がいつ頃出現したかについては、花粉が肉眼で見ることができないこともあって明確には判っていない。
紀元前500年ごろのヒポクラテスの著書『空気、水、場所について』の第三節にさまざまな風土病が述べられているが、季節と風に関係しており、体質が影響し、転地療養が効果的であるということから、現在でいうアレルギー(季節的アレルギー)の機序を考えてよさそうなもの、すなわち現在でいう花粉症もあるかもしれないとの考えもある。
ローマ帝国時代の医師ガレヌス(紀元前130年~200年)も花粉症らしい疾患について述べており、紀元前100年ごろの中国の記録にも、春になると鼻水および鼻詰まりがよくあるとのことが示されているという。西暦1000年ごろのアラビアの医師によって、花粉症らしい疾患とその治療法が記録されているともいわれる。[要出典]
===========
へぇ、、、
花粉症って紀元前500年頃にすでにあったのでしょうか???
その後、明らかに現在の花粉症と思われるのは、
1565年(一説には1533年)のイタリアの医師 Leonardo Botallus によるものだそうです。「バラ熱(Rose cold または Rose fever)」と呼ばれる症状で、記録によれば、その患者はバラの花の香りをかぐとくしゃみやかゆみ、頭痛などの症状をおこしたことから、この名前がついたそうです。
バラ熱ですか、、、
綺麗な香しい薔薇も罪作りなことをしたのでしょうか???
そして、
1819年にイギリスの John Bostock が、春・秋の鼻症状、喘息、流涙など、牧草の干し草と接触することで発症すると考えられていた Hay fever と呼ばれる夏風邪様症状について報告したものが今の花粉症と同じ物と考えられています。

花粉症。
かなり歴史があるんですねぇ〜〜〜
なんだか現代病なのかと思っていましたが。
とくに環境とセットで考えられる花粉症ですが、こんなに昔からあったんですね。
ただ、近年の爆発的な患者数を考慮すれば、
都市化や人口造林や生活スタイルの変化などは原因の一つなのではと思います。

いずれにしても、これからやってくる花粉の時期。
考えただけでゾッとします。
毎日、花粉情報を見ながら家で閉じこもっている私です。

「世の中にたえて花粉症なかりせば 春の心はのどけからまし」
です。

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2008.03.06