2008.06.04

海外の友人から学んだこと

603_001昨日、海外の友人たち(夫同士が友人)を連れて京都観光をしました。
私が案内をするときは決まって大雨。(一番、凄かったのはドイツの方を御所に案内したとき。バケツをひっくり返すような雨でした)
前日は晴れていた空も、
いよいよの当日はお決まりの雨。

まぁ、デフォか、、、と諦めて、
待ち合わせの場に出向きました。
昨日はスペインから見えた方とイスラエルの方、そしてイギリス在住の中国の方と3人を案内しました。
どこへ行きたいかと希望を聞いて、
特にないということなので、
世界遺産巡りがいいかなぁ、、、と考えました。
で、
まずは誰でもが行く金閣寺へ行きました。
雨にも拘わらず、人の山。
この時期は修学旅行の学生さんでいっぱいなのです。
雨にうたれる金閣と、雨を受け入れる鏡湖池。
それはそれでなかなかの風情を醸し出しています。
豪華で絢爛なこの寺に、そぼろふる雨は、なんとかなんとか侘びや寂びを垣間見ようという観光客には可成ピッタリか、、、と一人ごちしていました。
友人たちは、「オオオオ〜〜〜ビユティフル!!」とか「エクセレント」とか、
まぁ、およそ誰でもが上げる感嘆の声を上げながら喜んでくれていました。
人、
人、人、、、
の列を拭いながら、観光スポットのアレコレを案内。
中国の方は漢字の意味をそれとなく理解してくださるので、
立て札を見ながら、私より上手にガイドして下さり、私の面目は一切なし。
はっはは===と得意の笑いで誤魔化しながら、
次は等持院へと行きました。
ここで抹茶を頂き、静かに時を過すつもり。
だったのですが、
4人でペチャクチャペチャクチャ、、、しゃべりっぱなしで、
侘び・サビは、どこかへ吹き飛びました。
いえいえ。
本当は中国と日本の侘び・サビの考え方について、煩くかまびしいくらいに喋っていたのです。
また、イスラエルとスペインの言葉の違いとか、、、
かなり盛り上がりました。

次に、竜安寺で石庭を案内。
虎の子渡しの説明を、拙い、つたない英語で説明したのですが、
分かって頂けただろうか???
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なんや・かんやと喋りまくっているうちに、
時間が過ぎて、もうお別れ。
名残を惜しみつつサヨナラしたのですが、
楽しんで頂けただろうか?
尤も、私は大いに楽しんだのですが。
そうそう、帰る頃には雨はすっかり上がっていました、いつものように。

海外の友人と観光をするとき、いつも、いつも、いつも思うのですが、
ものすごく難しいことを聞いてくるのです。
以前、フランスの友人家族を平等院にお連れしたときは、
「日本人にとって、お寺にお参りするとは、どんなことなのか?」
なぁんて聞かれました。
そっそんなぁ、、、
日本人に説明することさえ難しい質問をしてくるなぁ〜〜〜〜
と、思いながら汗拭き拭き答えていました。
極楽とか浄土思想とか、日本の神道とかとか、、、
次々と尋ねてくるんです。
うわっ〜〜〜〜
日本人だからって、みんながみんな神道に詳しいわけじゃないんだぁ、、、、
と、言い訳しながらしながらの説明。
ふっ=====

と、言うことで、
言葉が違うので、お互いに理解しあおうと必死なのですね。
まず、言葉の意味からお互いに納得しあって、
次にやっと、その話題についてお互いの国の考え方や、自分の思いを伝える段階にはいります。
それでも、何度もなんども誤解しあっているので、
「おおおお〜〜〜ノーノー」と言いながら振り出し。
こんな作業を続けながら、意思の疎通を図っています。

同じ言語を使いながらも、
行き違いや誤解、分かったつもりってことはよくあります。
違う言語なら尚更。
だがしかし、
尚更であることをお互いに知っているので、
なんとか理解しようと必死なのですね。
一つひとつの言葉の意味を丁寧に説明(すごく簡単な単語で)
そして、辞書以外の意味を表情や動作で理解したり、
もう一度確認したり、、、と。


このところのネットでのアレコレを思いだしながら、、、
同じ言語を使っているから「分かる」のではなく、
相手を分かろうとすることがまずは第一歩なのかなぁ、、、と、
海外の友人たちと一緒に話ながら、その様に考えました。

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2007.10.22

京都

794年10月22日。
平安京遷都。

そうです。
今日10月22日は平安遷都から1213年目と言うこと。
京都ではこの日を記念して時代祭りという行列が毎年行われています。
今年は秋晴れに恵まれお祭り日和と思います。
尤も、京都は一年中、どこかの神社仏閣でお祭りが行われているのですが、、、

京都検定というのがあって今年は4年目。
私も昨年は3級に挑戦しましたが、その折りもブログで書いたように衰えている記憶力とのひたすらな闘いでした。
試験が終われば、まぁアッサリとスカッと、忘れてしまいます。
そんなにもなかった記憶ですが、さらにその記憶の彼方に行ってしまった知識達よ、、、
さようなら

夫と車に乗っていると、道路標識に書いている案内の名所にいきあたるたび「ここはどんないわれがあるの」なぁんて聞かれても答えられる筈がありません。
「あっ、そっそれは確か、、、
ううう〜〜〜ん。
覚えたけれど忘れた」
という感じ。
全く定着していない3級の資格(?)

ついに昨日、夫に「2級も受けたら?」と言われました。
うううう〜〜〜ん
もう、覚えること、やりたくないんだよね。
ううううっううううう。
と、詰まりながらも、今年も挑戦しようか。
なぁ???
今度は2級です。

と、悩みながら昨日は三十三間堂と狩野永徳展に行っていきました。
三十三間堂の観音菩薩も壮大でした。
また、狩野永徳展は、人が一杯で大変でしたが、
それでも本物を間近で見ることができて、迫力が伝わってきました。
狩野永徳。
奥が深い。
ちょっと簡単には書けませんね。
じっくり、ゆっくり向き合ってみたいものです。


と、言うことで今日は京都1213歳のお誕生日。

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2007.02.03

追儺式

北野天満宮の追儺式から今、帰ってきました。
今日は節分。
立春の前日で、この日行われる「追儺」(「鬼やらい」とも言う)の儀式は、向う一年の災厄を祓い病いを除く祈りをこめた重要な年中行事であります。
この「鬼やらい」に於て追われた鬼が逃げこむ場所は「乾の隅」西北の隅であり、ここは昔から悪鬼の住む魔所とされ、現代でも常に不浄を避け、手厚くお祀りをせねばならない大切な場所とされているそうです。
天暦元年(947)京都の「乾の隅」の守りとして、皇城鎮護の願いをこめて建立され、以来災難除・厄除の社として、朝廷をはじめ都に住む人々の篤い信仰を集めて来たという由緒ある北野天満宮。
京都ではこの北野天満宮さらに吉田神社(昨日既に追儺式があって夫は見てきました)さらに壬生寺・八坂神社・の四社寺を「四方詣り(しほうまいり)」として参詣し無病息災、招福を願う習慣が生き続けています。

午後1時の神楽殿で茂山千五郎社中により摂社福部社(ふくべしゃ)の御祭神である福の神が深泥が池の鬼を払う「北野追儺狂言(きたのついなきょうげん)」が行われ、さらに上七軒歌舞会による日本舞踊が奉納され次いで豆まきが行われると言うことで、それに合せて夫と私はお昼前に家を出ました。
電車・バスと乗りついで、天満宮前に着いた頃は、既に多くの見物客で賑わっていました。
三珍鳥居で有名な伴氏社や初雪の日に御祭神がこの松に降りてこられ歌を詠まれるという言い伝えがある影向松などをつらつらと見ながら神楽殿まえに着いた頃は10分前。
もう後ろの方でしか見ることが出来ません。
瞬く間に私の後ろにもいっぱい人が並び、雰囲気は盛り上がってきました、、、
そして一時。
狂言の始まり。
狂言と言えば子どもが小さい頃、子ども劇場で見た附子が面白くて、また見たいと思っていまし。機会がなかなかなかったのですが、今日は縁があって間近で見ることができてとても幸せ。
内容については、あまりに多くの人がいて、実は分からなかったのです。(こんなの見たというのか?)
しかし雰囲気は伝わってきました。
次の上七軒の舞妓・芸子さんの踊りは可愛く艶やかで素敵でした。
今日は天気がよくて青空が広がり風もあたたか。
天神様と言えば梅の花。
ふっくらと咲き始めの梅の花とそよ吹く風に覆われてしばし時の経つのを忘れていました。
そしていよいよ豆まき。
ウワッ〜〜〜〜〜
何をかくそう。
こう言うの大好きなのです!!!

よっしゃ。

って感じで気合いが入ります。
尤もみんなそうだけれど。
「鬼はそと 福はうち」の掛け声と共に、
茂山社中の人と舞子さんたちが豆を撒きます。
押せやおせおせで大騒動。
あっちからもこっちからも「投げて〜〜〜」という声に押されていつの間にか一番前にまで出ていた私。
初めは取れなくてバタバタしていたのですが、、、
が、、、
が、、、
撒き終わる頃には両手にいっぱい袋を抱えていました。
なぜでしょう???
はっはっは。

夫は後ろにいたので一つも取ることは出来ませんでした。
私の手にした豆の数を見て呆れるやら感心するやら。
はっはっは。

それから本殿でお参りをして学業成就のお守りもかって、
豊富な彫刻の中に日月星があることから三光門の名がある中門を通り帰途につきました。
おっと、忘れてはいけない帰りに二人で小さいけれど味のあるお店を見つけて飲んで帰りました。
楽しかった〜〜〜〜


今晩は恵方巻にイワシにおそばを食べて豆を撒いて、
節分の行事を全部する予定。

明日から春がくる。
良い事があるようにワクワクしながら待ちます。
そうそう、もう一つソッと書くことは、
結構恥ずかしながら、
京都検定3級、合格しました!!!

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2006.06.24

妖精たちの夜 その2

この前の記事「妖精たちの夜」からお読みください。

ケルト人がどこで興ったかは諸説があり、定まった学説はないようです。
やがて紀元前4世紀頃ローマ帝国に押されてブリタニアへ大移動。これがいわゆる「大陸のケルト」。
様々の地域で融合していく中で「ケルトはヨーロッパのルーツ」と言われるようになります。
一方「島のケルト」も判然とはしない歴史を持ちつつも、現在ではケルトの国としては、アイルランドやスコットランドに一番、その血が残っていると言われています。
「スコットランド」かぁ。
うううう〜〜〜〜んん。
哀しい。
以前、とびきり難しい民族史と言うタイトルで民族の抱える問題について書いたことがあります。
アイルランドやスコットランドはまず気候が淋しさを際だてるように思います。
バグパイプの音が響く侘しさの中から培ってきたものは、
侵略の歴史に耐え、「目に見えない」美しい国への憧れだったのでしょうか?
「常若の国」「喜びが原」「至福の島」「波の下の国」からなる楽土。
これは不老不死の霊境です。
死者の国ですが、美しい花が咲き、実り豊かな世界。
これがフェアリーランド、つまり妖精の世界へとつながります。
ドルイドの神秘の力を信じ、霊魂不滅
輪廻転生の考えを、静かに豊かに確実に育てていきます。

自然から生まれ、自然の中で育まれそして還っていく、そんなケルトの思想は、
仏教の宗教観や死生観に相通じます。
精霊達は、花々に樹木に宿ります。
魔力のある木は「オーク」「トネリコ」「サンザシ」とされ、人々に愛され、文学の中でも多く出てきます。

見えない世界、しかし確かにあることを願って人々はフェアリーランドを産みだし、
そこに住む妖精を愛しました。
文学に、絵に彫刻に、そして舞台に音楽に。
いたずらっ子の妖精。
清らかな妖精。
人々の願いをうけていろんな妖精が生まれます。
中世では裸の女性を描くことは禁じられていました。
しかし妖精ならいいだろうという理由で、
絵画に出てくる妖精は実に艶やかで美しい。

コナン・ドイルは妖精をこよなく愛した人としても知られています。
「たとえ目に見えなくても、そういう存在があると考えるだけで、
小川や谷は何か新しい魅力を増し、田園の散歩はもっとロマンチックな好奇心をそそるものになるだろう」と書いています。

その世界が本当にあるかどうかはわからない。
あるとも、ないとも言えない。
しかし、その世界が私たちに語りかけ、
繰り広げるロマンは目には見えないが確かにある。
と、私は思います。


と、言うことで妖精の森を突き抜けました。
また機会があれば次の森へとご案内いたします。

では、今晩は素敵な「夏の夜の夢」があなたに訪れることを祈りながら、、

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妖精たちの夜

ウィリアム・シェイクスピアの作品、夏の夜の夢の舞台は、今日6月24日です。
夏至祭(Midsummer Day)ともヨハネの誕生を祝う聖ヨハネ祭とも言われるこの日。
キリスト教の世界観では、
一年中で太陽が一番活発になるこの日の夜、妖精たちが乱舞、魔女が飛び交い、死霊や生き霊が出現。
なかなか賑やかな夜になります。
夏のクリスマスとも言われ、五穀豊穣と悪霊退治を願い、夏至の祝い火を焚きます。

と、言うことで今日は「妖精」について書こうと、
本棚の中にある「妖精学入門」をもう一度引っ張り出してきました。
ファンタジーがお好きな方なら、妖精と聞くだけで、ときめきませんか?
私はときめきます。

「妖精」。

あなたの中では「妖精」はどんな姿だろうか?
私の中では、やはりピーターパンのティンカーベルかなぁ。
では、上の本をガイドブックに、ちょっと「妖精」の世界に迷い込んでください。

==妖精はどこからきたか?==
「妖精は単なる空疎な想像上の生き物ではない。その淵源を民間伝承や神話伝統の物語にたどっていくと、過去から長い時間をかけて人間が培ってきた文化や風習、そしてその時のその生活の場となった土地の風土が深く関係していることが自ずと分かって来るからだ。」
と、初めに書かれています。
そしてその起源は6つ。
1、元素・自然の精霊
2、自然の擬人化
3、卑小化した古代の神々
4、先史時代の精霊、土地の霊
5、堕天使
6、死者の魂

1は「地・水・火・風」の精霊です。
名前はお馴染みの「ノーム」「ウンディーネ」「サラマンダー」「シルフ」。
後世の数々のドラマに出てきます。

2、自然の擬人化については、世界各国共通の「もの」を感じます。
日食、月食、災害に対して基本的・科学的知識がいまだ明らかでない時代。
人々は原因不明の「悪」にはドラゴンや魔女を。
恵みや幸には太陽神や穀物神を信じました。
物活論(アニミズム)や汎神論(パンセイズム)です。
これが妖精誕生の起源の一つであろうと推測することは難くありません。

3、卑小化した古代の神々
4、先史時代の精霊、土地の霊
については、ケルト神話やアイルランドに今も残る先史時代の遺跡などから、推察。
妖精が超自然の力を持つようになっていった歴史や言い伝えがあります。

5、堕天使としては、キリスト教と民間信仰とのゆるやかな共存が伺われます。
イエイツは「ケルトの薄明」と言う本の中で次のように述べているそうです。
「人々の想像力は、むしろ幻想的で気まぐれなもの中に住んでいる。そして幻想も気まぐれも、もしそれが善なり悪なりと結びつけられることがあれば、それらの命の息吹であるところの自由さを失ってしまうのだ」と。

6、死者の魂は極めて日本的です。
つまり「霊魂不滅・転生思想」です。
この考えは興味深いものがあります。
ケルトでは、死者の魂は蝶や蛾の姿をとると言われています。
ピクシーはまさにそうです。
死者と妖精の境目ははっきりしていないようです。
妖精はハロウィーン日、「死者の国の「十分の一税」を納め、
その夜、丘で死者と手を取り合って踊ると言い伝えられています。

こうしてみていくと、
人々の死生観というか世界観は、大差ありません。
自然を畏れ、愛しみ、
死を畏れ、転生を信じる。
そして、次に続く者達との共存をはかるための知恵も忘れはしません。

その2へ。

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2006.06.09

盗作事件雑感

ニュースに「盗作」の和田氏が話題になって、アレヨアレヨと思っている間に、
遂に渦中の和田氏は今までの名誉が全て泡と消えました、、、

この間、このニュースについて随分考え込みました。
芸術家とは何か?
あるいは倫理やモラルについて。
考えが進むほどに思い出すのは「ゴッドハンド」の異名を持つ藤村 新一さんの事だったり、あるいは今、話題作の小説「ダ・ビンチ・コード」の盗作訴訟だったり、「論文」捏造。
はたまたライブドアや村上ファンド。
また耐震強度、、、
と「本物、偽物」に関して、思いはドンドン膨れます。
これは、一言で言えば、
「困った事だ」
になるのでしょうが、、、

さて和田氏に関して話を戻すならば、
私にとって一番興味ある事実は、
「何故、そんなことをしたのだろう?」です。
先日、朝のある番組で、和田さんご自身が電話出演なさって、
ご自分の芸術に関して、あるいは今回の事件についてお話されていました。
その時の私の一番目の感想は、
「いかがわしい人」。
でした。
いえね。盗作や模造や、あるいはオマージュであっても、
それはそれで、私にとって大きな問題ではありません。
ルーブル美術館へ行けば、名画の前で沢山の芸術家が模倣している光景を見ました。
和田さんも事実、復画や修正術を本格的に学んでいらしたのだから、相当の技術の持ち主と思います。
今、世界に現存している昔の絵画や彫刻、あるいは建造物は、そのようなプロの技で伝えられているのだから、それはとても意義ある敬意に値する仕事と思います。
私が和田さんの事を何故「いかがわしい人」と思ったかというと、
罪を「芸術」に着せたからです。
誰が見ても、どこから見ても和田さんの作品と、スーギさんのそれは酷似しています。
コメンテーターがそれについて訊ねると、和田さんは次のように言う。
「あの作品と私の作品は全然違います。プロが見れば一目瞭然です。盗作なんてとんでもない」と言います。
因みにgoo辞書によると、
盗作とは「他人の作品の一部または全部を自分の作品として発表すること。剽窃(ひようせつ)。」ということです。
さらに和田さんは、
「いろいろテレビに批判している人がいますが、それは芸術を知らない人が、なんでもかんでも言っているのです。私は芸術を知らない人には、何も言いません。」と。
その後も和田さんとコメンテーターの間で、著作権やら何やらでアレコレのやり取りがありました。
ご自分がつごう悪くなると「私は芸術家だ」と逃げを打ちます。

「芸術家」

私は悩んでしまいました。
芸術家とはなんだろう???
芸術とはなんだろう?????

そもそも、この問題の発端は和田さんの作品の芸術性にあったわけでなく、
「アイデア」を盗んだのではないか「著作権」はどうかと言うことにあったわけです。
手続上の事を問うているのであって、
「芸術性」と言う形而上の問題を言っているのではないのです。
仮に和田さんの言われるように、スーギ氏への敬意としてのオマージュなら、ますますご本人に前もって通知するか、少なくとも受賞したことを、ご本人に知らせるべきだと思います。
色調や小物の位置など違うから、これは自分の独創的な絵だとあくまで言い張るなら、
オマージュ云々は言う必要がありません。

結局は後付けで、なんでもかんでも言っているというのが本当のところでは、と思ってしまいました。
それでゴメンナサイとすれば、可愛いが、
「芸術」を持ち出したところが、彼の品性の卑しさを表しているのでは、と感じました。
芸術に対して、失礼なことをしていると思います。
また、一般の人々に対しても、なんとも傲慢でやりきれないものを感じます。
「おまえらには、オレの芸術がわかってたまるか、、、ド素人が。」
なんて思っているとしたら、大変な誤解です。

芸術は、
誰のためにあるか、、、
確かに孤高の芸術もあるとは思いますが、
それは、名もなき多くの人々のためであり、
名もなき多くの人々が感じ入るモノこそが、
芸術なのではと思います。
そう言う意味では、
もう、和田さんは芸術を彼自身から生み出すことは出来なくなっていたのです。
人々の心を代弁するアイデアは枯渇していたのでしょう。
モラルやルールを摩滅させてしまった自称芸術家の姿は、実に淋しい。

テレビを見ながらの私の雑感です。

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2005.05.10

一人称へ

与謝野晶子の命日、白桃忌(5月29日)も近づいたので、与謝野vs平塚「母性保護論争」について書きたいと思っていた矢先、一人暮らし日記のrinnkenさんより主婦論争というタイトルでトラックバックをいただきました。
早速、訪問。
記事を読ませていただいて共感。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
主婦論争っていうのは、「主婦の存在は有用であるか/無用であるか(第1次)」・「家事は経済的活動か?(第2次)」についての論争のことです。
あなたはこの論争について、どちらの考えを支持しますか?主婦の存在は有用なのか、それとも無用なのか?また家事とは経済的活動(つまり労働)なのか、それともそうではないのか?

(主婦論争より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうなんですよね。個人の問題としてはみんな,
主婦労働は認めもしてくれるし、わかってくれるのです。
が、これがいざ社会的な立場や問題として考えていくとき、二重、三重に重なる厚い壁を感じます。
女性の社会進出が大きくなった現在、
働き、かつ主婦である女性からも、独身のバリバリ、キャリアウーマンからも冷遇されている専業主婦の声無き声が聞こえてきます。
ついせんだって配偶者(専業主婦)控除が廃止されたときも、女性の間で認識の一致とはなりえませんでした。
出産、育児を含む家事労働はいまだ私的な分野として片付けられているのでしょうか?
思い出すのはアグネス論争です。
子どもを職場につれて行ったアグネス・チャンと林真理子さんの論争。
これを機に働く女性の職場に風穴が開いたとも言われていますが、
だがしかし、主婦である女たちの立場への代弁者ではありません。
この問題、多かれ少なかれ自分の問題です。
男性、女性を問わず。
もっと、もっと考えていかなければ、、、
これからも折に触れ、書いていきます。

最後に与謝野晶子のほとばしるような瑞々しさとエネルギー溢れる詩を載せます。

そぞろごと
山の動く日来(きた)る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。
一人称(いちにんしょう)にてのみ物書かばや。
われは女(おなご)ぞ。
一人称にてのみ物書かばや。
われは、われは。
額(ひたい)にも肩にも
わが髪ぞほつるる
しおたれて湯瀧(ゆだき)に打たるるこころもち、
ほとつくため息は火の如く且つ狂おし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまた譏(そし)るらん。

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2005.05.07

与謝蕪村

蕪村の未知の句を発見 「春雨や女郎花なンど芽に出る」というニュースを見つけました。
芭蕉と並んで江戸時代の俳人、蕪村
芭蕉に比べて地味な存在です。
私も蕪村と言われてすぐに思いつく俳句は何か?とちょっと考えました。
〜〜春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな〜〜
〜〜菜の花や月は東に日は西に〜〜
〜〜五月雨や大河を前に家二軒〜〜
ううう〜〜〜〜んんん。
あとはあまり出てこない。
と、言うわけでこれは良い機会とばかりに「与謝蕪村」を検索。
松岡正剛さんの蕪村論を読んで納得。感銘。
そうか、蕪村とはその様な人であったのかと、遠い昔の彼の人に思いを寄せました。
「菜の花や、、、」の俳句は以前、天動説、地動説のことを記事にしたときのタイトルにしたのですが、あの時は何も考えずに、ちょうどピッタシの俳句くらいにしか思わなかったのです。
しかし、今こうして松岡さんの蕪村論を読んで、時間と空閑を超えるその壮大さにため息をついています。
なるほど、
菜の花や、月は東に日は西に。
自然が織り成すパノラマの中に小さな人間の存在が音もなく流れてきます。
厳然と横たわる大自然の前になんとちっぽけなことか。
そしてなんと愛しいことか、、、

いままで気にもしなかったその俳句の味わいを噛みしめながら、
自分の未だ知らないことの多さにうち震え、そして一つひとつをゆっくり丁寧に温めていきたいと、そんなことを思いました。
知られていなかった蕪村の一句。
「春雨や女郎花なンど芽に出る」
あたたかな春の雨が黄色の女郎花の成長のためにやさしく降り注いでいるのでしょうか?

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