2008.05.23

デラックストイレ 写真

先日、記事で「デラックストイレ」について書きました。
写真ができましたのでアップいたします。

まるでホテルのロビーのような雰囲気の待ち合い(?)をぐるりと囲んで重厚な扉の向こうが個室です。
またガラスの中には美術品が展示されています。

なお、比較(?)として夫が男子トイレも撮ってくれたので、
同時アップ。

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2008.05.20

デラックストイレ

昨日、夫と二人で小さな旅(?)をしました。
朝早くに出て、ラッシュにひっかからないように、とにかく名古屋を抜けようと、
前の晩(つまり日曜日)から予定を立てていました。
と、言うことで、
スケジュール通り、渋滞にひっかからないで名古屋を抜けたのですが、
途中刈谷ハイウェイオアシスに立ち寄りました。

デラックストイレ。
ご存知でしたか?
実は私は昨日、行くまで知らなかったのです。
(後でネットで調べたら有名だったのですね)
「デラックストイレかぁ、、、ふう〜〜〜ん。
じゃ行って見るか」
と、軽い気持ちで入ってみました。
みました、、、

ところが、
入るなり、
ビックリ。
ええええ===
これがトイレ???
うわっ〜〜〜〜
凄い。
ビックリしている私が普通だと納得するように、
後から来る人、来る人、みんなが同じように歓声を上げていました。

とにかくホテルのようなのです。
まんなかにソファがあって、
まわりにいろんな宝石などの展示があって、
そして、個室は重厚な木の扉でまるで部屋に入るように空間が遮られています。
洗面も、すごく面白い作りになっていて、
水の流れがガラスに写り、斜面を伝わっていきます。

自分の語彙不足が恨めしい。
この感動をストレートに表現したい。
が、
出てくる言葉は「すごい」だけ。

「いや、、、もっとここにいたい」
と、思うものの、外で待っている夫のことを思えば、
現実に返り、
仕方なく、出たのです。


夫に尋ねたら男子はそうでもなく普通の綺麗なトイレだったとか。
うわっ。
得した気分。

それにしても、本当にデラックストイレでした。
また、行って見たいな、、、

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2008.02.10

雪の金閣寺

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今日は朝早くに起きて雪の金閣寺に行って来ました。

昨日は雪がドンドン、ドンドンと降り、
アッと言う間に窓の外は雪景色。
普段見慣れている木々が雪化粧で艶やかな様を眺め、
夫と「明日、晴れたら金閣に行こう。」と話していました。
カメラが趣味の夫は、秋はカメラを肩に担ぎ、方々のお寺に写真を撮りにいくのですが、
念願は雪の金閣寺だったのです。
京都に雪が降る、
しかも休日に。
こんな天からの配慮としか思えない恵みを逃す手はありません。
朝一番に金閣目指して出発。
途中、道路の雪は消えていて、もうダメかと思ったのですが、
金閣についたら、もういっぱいの人だかり。
あんなに早く出たのに、駐車場もヤットヤットで入ることができました。
それから歩いて、
いよいよ金閣寺へ。

雪の残る木々と山ほどの人たちの合間から見えました。
見えました。
鹿苑寺が。
背景の山の雪を遠くに、鏡湖池を手前に鹿苑寺は私たちの前にざん然と輝いていました。
おおお〜〜〜
これぞ、金閣寺!!!

何度もなんども立ち止まり、
写真を撮り、
鳳凰を仰ぎ、
池を覗き、
木々から漏れてくる太陽を感じ、
秋でも春でも夏でもない、
冬の金閣を心ゆくまで堪能しました、、、

沢山の観光客に混ざり、もみくちゃにされながら、
ザックザックとみぞれの雪を踏みしめ帰りました。
美しく楽しい一日でした。

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2007.11.24

秋の京都

昨日は勤労感謝の日。
夫と二人で秋の京都を求めて観光をしました。
まず、金地院を訪ねました。
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ここ蹴上げから南禅寺に行く途中にある小さなお寺です。
朝早く行ったので人も少なくて、静かに紅葉を堪能しました。
それから南禅寺に向かいました。
さぁ、これからが大変。
観光客がワンサワンサカといて、車もワンサカワンサカ。
流れに乗りながら、ひたすら南禅寺へと進みます。

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南禅寺三門はもう行列ができています。
私たちも頑張って上にあがりました。
勿論「絶景かな絶景かな」。
と、言いながら京都の町を遠くに見ながら柔らかい日差しを浴びて輝く紅葉を楽しみました。


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2007.07.29

床みどり

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岩倉の実相院。
秋は真っ赤に彩られたもみじが黒びかりの床に映し出され、もう一つの世界があるように紅葉が二重に映し出されます。
名付けて「床もみじ」。
そして新緑の頃から今は同じ紅葉が緑に黄に光に煌めく様が黒光りの鏡のような床に優しく映し出されます。
これは「床みどり」と呼ばれています。

夏の暑い一日。
夫と二人で涼を求めて、大原と岩倉へぶらりと出向いてみました。
「旅は道連れ、世は情け」。
人生同行の夫とこの頃はお寺巡りをすることが多くなりました。
いろんなお寺を見ながらいろんな事を学んだり出会ったり、となかなか奥が深く面白い「お寺めぐり」。
今日も素敵な方と偶然、隣り合わせで「床みどり」を見ながら、
ひょんなことで話が弾みとても楽しい一時を過すことができました。
人との出会いって、なんのはからいもなさそうで、実は必然なのかと思うくらいその方のお話は今の私に深く学ぶことばかりでした。

どんなときでも、
どこでも、
人は学ぶことができると改めて思った一時でした。

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2007.05.04

三室戸の喜撰山

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〜〜わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり(古今集983。)〜〜
また百人一首の8番目の歌。
作者は喜撰法師。
六歌仙の一人ではあるが、
現在に伝わる歌は上の歌ともう一つしかないとwikipediaの喜撰法師には書かれています。
生没不詳、伝不詳。
さらに調べれば、喜撰法師が雲にのって仙人になったという言い伝えまであります。
謎の人物。
喜撰法師。
==『無名抄』によれば、宇治市の御室戸の奥に喜撰の住みかの跡があり、歌人必見であるという。今も喜撰洞という小さな洞窟が山腹に残る。==
wikipediaには書いてあります。
歌人ではないが見てみたい、、、
喜撰の住んでいたと今に伝わる三室戸の奥の山。

夫に以前から連れていってくれ、連れていってくれと頼み込んでいたのですが、
漸く今日実現。

まず、図書館に行って「宇治」のいろいろが載っている本を探すも無い。
仕方がないので手持ちの資料を片手に、まずは花の寺「三室戸寺」に向かいました。
この寺には四季おりおりに出向いている私たちですが、
今日は連休とあっていつになく大勢の観光客でいっぱいでした。
二万株のツツジにサツキ。そして千株のシャクナゲが五千坪の大庭園に咲き乱れていました。
遠くの山の緑を借景に、
赤や白やピンクの花が鮮やかに飛び込んで来ました。
「きれい、、、」
ため息がでます。
写真が趣味の夫はカメラから目を離しません。
行き交う人々とやっとこさっとこキューキューいいながら歩いていたら、
偶然、夫の知り合いにもあい、
「こんにちは」。
とても嬉しく思いました。
そんな幸せな思いを抱いて三室戸寺を後にして、
私たちは喜撰山へと向かいます。
地図を見ながら、
みながら、
「このあたり」
「いや、行きすぎた」
とかとか言って、行ったり戻ったり。
漸く三辻に道標を見つけました。
左、喜撰山。

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おおお、、、これだ。
正面には喜撰山か、なだらかな山が緑に包まれて優しく見えています。
ここをまっすぐにいけばいいのか。
それにしても、こんなに控えめに六歌仙の祠があるのか、なんの看板もなければ案内もない。
あるのは、誰もみないような道標の石が道の脇に立っているだけ。
本を見ながら悩んでいる私たちの傍を、地元の方が通り過ぎていったので思いきって聞きました。
「すみません。喜撰法師の祠はこの辺りですか?」
「あああ、、、あの山の中腹にありますが、地元の人以外は気がつかないくらいコソッとありますよ。」
と教えて下さいました。
そうか、、、
地元の人じゃないと気がつかないくらいコソッとあるのか〜〜〜
うううう〜〜〜ん。
どうしよう。
夫と相談して、やめよと言うことになりました。
まぁ、喜撰さんの近くまで来た。
喜撰さんが住んでいたという喜撰山を見た。
うん。
それでよし、としよう。
それにしても喜撰さん。
確かに鹿しか住んでいないようなウジヤマに住んでいたのですね〜〜〜
長閑ないいところでしたが、
平安時代にあって、ここで住むのは大変だったろうな。
仙人になったと伝えられても「そうかもしれない」と妙に納得させられる喜撰山。

私は歌人じゃないけれど、
ようやく念願の喜撰法師のお膝元に行くことが出来て、とてもハッピーな一日でした。

〜〜木の間より見ゆるは谷の蛍かもいさりに海人の海へ行くかも(玉葉集400。また孫姫式)〜〜
喜撰法師

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2006.08.28

高山寺

昨日、夫と高山寺に行って来ました。
紅葉にはまだ早いのですが、実は世界遺産巡りにはまっています。
もう我が子は一緒に遊んでくれないので(?)これからは夫婦二人で休日を過すことが多くなります。
そうするとお互いに趣味とか違ったりして気持と意見がアッチコッチとぶつかります。
そこで、
一日はそれぞれが勝手に自分の時間をもち、
もう一日は二人で共通(殆どはサンフレッチェ広島です)の事をしようと決めました。

と、言うことで昨日は高山寺に出掛けました。

観光客も少なくてとても世界遺産とは思えないようなヒッソリと静かな境内を歩きながら、
寺の縁起などを見て歩きました。

鳥獣戯画のお寺とも言われ、またお茶を栽培した明恵上人の寺としても有名な高山寺。
明恵さんは月の歌人としても名が知られています。

〜〜あかあかや
あかあかあかや  あかあかや
あかあかあかや あかあかや月〜〜

なんとも可笑しみのある歌です。
月の明るさと、それに照らされる周りの山々、そして自分自身。
みんな赤子のように明るいと謳っているのでしょうか?

そう言えば次のような歌もあります。

〜〜隈もなく 澄める心の 輝けば 我が光とや 月思ふらむ〜〜
意味は、
隅々まで澄み切った私の心の明るい輝きを、月は自分の光と思うのではないか
と言うものです。
なんだか照れるような歌ですねぇ。


今度は赤々と紅葉に色づく高山寺にまた行ってみようと思ったものです。

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2006.08.24

地蔵盆

京都では八月も20日が過ぎると各町内で地蔵盆が行われます。
22〜23日は六地蔵巡り
23〜24日は化野念仏寺千灯火供養などが有名です。
あるいは雲ケ畑や広河原では松上げが行われいよいよ季節は秋になります。

さて今日は夏の京の風物詩と京都人について「あの世とこの世」の考え方を書いて見たいと思います。
なお、この記事は入江敦彦さんの京都人だけが知っているを参考にしました。
入江さんは著書の中で次のように書いています。
「京都に散在するあの世の多さに気がついたのはいつごろだっただろう。それらはあまりにあたりまえに私たちの周囲に散在していたため忘れられた極楽であり、見過ごされていた地獄である。」と。
京都は歴史上、かずかずの為政者たちの思いが深く絡まっている所です。
当然、奸計や無実の罪で非業の死をとげた者。
名もない多くの民衆の思いがあちこちにそれこそ散在しています。
したがって為政者は、非業の死をとげた者達の霊を慰めなければならない。
どうぞ怨霊となって祟らないでください、と祈らなければならなかったのです。
鎮魂の儀式はやがて民衆にも広がっていきます。
誰がいつ始めたかも定かではないがお盆の最後の日の送り火。
それは京都の人にとっては、祖先の霊を思いながら霊を冥界に送ると言うような生易しいものではありません。
五山送り火。京の人は「地獄のかまが開いた」と言い表し霊を冥界に送る。
祟らないで、と祈りながら。
五山送り火のような壮大な装置を使ってまで霊を送り返す必要があると言うのです。
それだけでは足りなくて、精霊流しに除夜の鐘。
そして著者はさらに言う。
どうしてこうも京の霊は祟るのか?
それは仏教と神道の考え方の違いだとみています。
仏教は死ねば極楽に行けます。ところが神道には極楽という考え方はありません。
あるのは黄泉です。
なにしろイザナギさえ黄泉の国に落ちたのだから。
しかし、永遠に黄泉の国の住人かというとそうではなくてこの世の人間が祭りで慰めることにより、次第に個性がなくなり常世と呼ばれる混沌に還る、と言うのが神道的な「死生観」であり、それがえいえいと京都人に受け継がれているというのです。
平安末期、仏教の布衍とともに神道的な考え方は仏教的考えと混合していき、
それは民衆は地蔵信仰とともにあの世とこの世が地続きになっていったそうです。
京の人は霊に対して畏敬と親しみを持つことで、
長いながい戦乱をくぐり抜けてきたのでしょうか???

そんな歴史を背負ったお盆最後の行事が今、京の町のあちこちで取り行われています。
今でも8月末、町内の地蔵さま近くに集まり「地蔵盆」が催され、子供の無事成長を願います。
地蔵巡りは、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)に迷い苦しむ全ての人々を救済するように願って祀られた六体の地蔵菩薩を巡拝すること。
六ヶ所の地蔵寺を巡る六地蔵巡りでは、それぞれのお寺でいただく(買い求める)幡をお守りとして玄関先に吊るすことで、疫病退散、福徳招来などのご利益があるとされ、家運繁栄など祈願 し参拝します。
また、新しい精霊の初盆には水塔婆供養を3年間すれば 、その新しい仏様は六道の苦から免れるとされています。
京都の人々の知恵と願いです。

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2006.08.16

大文字送り火

今日は京都では五山送り火
起源は定説が未だ確立してはいませんが、
いずれにしても夏の風物詩となり、京都の人々にとって大切な行事です。
先祖の御霊が無事帰られることを祈り、
そして生きている私たちの平和を願って、今年も京都の夜空に大文字が焦がれます。

さて、歴史の深い大文字ですが実は京都新聞の記事によると1943年から3年間、京都の夏の夜空から大文字が消えたそうです。
時はまさに太平洋戦争。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
毎夏、亡き人の霊を冥府へと送る弔いの炎が、1943(昭和18)年から3年間、京の夏の夜空から消えた。
 太平洋戦争末期、火を守っていた若者たちは戦地に赴いて人手が足りず、空襲に備え「灯火管制」が厳しくなったためだ。代わってその年、朝の大文字山に現れたのが「白い大文字」だった。
 地元国民学校の児童と一般市民あわせて800人が、白いシャツに身を包んで早朝の火床まで登り、午前7時から全員で戦意高揚と鎮魂の願いを込めて、人文字で「大」を描き、ラジオ体操を奉納したのだという。当時の京都新聞の見出しは「英霊を送る」…。すべてが戦争へと束ねられていく時代だった。
 翌年も続けられたが、終戦をはさんで1946(昭和21)年には「送り火」が復活した。
 その後「白い大文字」が1度だけ姿を現したことがある。1994(平成6)年、映画 「浮島丸」のワンシーンとして再現された。
 撮影には半世紀前に「白い大文字」を体験した女性たちも参加。「平和への祈りとともに、今日まで元気でいられたことに感謝します」(同年9月24日付夕刊)。
 今も世界で戦乱が絶えない。送り火に平和の願いを託す人も多いかも知れない。
(上記サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この様な記事を目にすると益々平和の大切さを思わずにはおれません。

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2006.06.05

暗闇の奇祭

今日は県(あがた)祭りです。
暗やみの奇祭として有名な県祭の伝統は実に古い。
以前ここでも紹介した桜の語源になったコノハナサクヤヒメが祭神です。
良縁、子宝、安産の神様です。
闇の中なら無礼講と言うことで、
江戸時代は何をしてもかまわないという無礼講の夜として男女が盛り上がる祭りだったと言うことです。
エネルギッシュで、艶やかな祭りの夜は、
当時の人々にとって素朴な生と性の讃歌であったのでしょう。

今も残り伝えられる数々の奇祭を見ると、そもそも祭りはその性質からして、男女の豊かな性愛の場であったのだろと想像に難くはありません。
それは、権力からは無縁の民衆の生きる知恵とも伺われます。
しなやかで純朴で粋な祭りも時代と共に変遷。
しかし、人々のコノハナサクヤヒメに対する敬慕は今も棄てれることなく脈々と受け継がれています。
日本の良き奇祭、伝統がいつまでも続くことを祈っています。
今晩は晴れとのこと。
私も夫と二人で(もう子どもは相手をしてくれない)見物に出掛けようかと、今から楽しみにしています。

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2006.05.15

葵祭

今日、夫と葵祭を見てきました。
夫が仕事をしている間、私は大学の生協の本屋さんでブラリ、ブラリと本を見ていました。
一杯、読みたい本があったのですが、結局立ち読みしていたのは「呼吸法」の本。
この頃、書店へ行くと一番先に「健康コーナー」に行く癖がついている。
そうこうするうちに、お昼。
夫と待ち合わせて、
百万遍から今出川通りを歩いて下鴨神社まで行くと、もう沢山の人が待っていました。
人の間をくぐり抜け、くぐりぬけて、神社の参道の隅で待つこと20分。
ようやく、第一陣がパトカー先導でやって来る頃は、おなかもすいてクタクタ。
前の人の合間から、葵をつけ、それぞれの衣装をまとった行列が通りすぎていくのが見えます。
注目の牛車もゆっくり、ゆっくりと目の前を通り過ぎました。
牛が可愛い。
その歴史は古く古墳時代に遡るそうです。
本当は行列だけでなく前儀として行われる「流鏑馬」なども見るともっと迫力があるのでしょう。

行列は無事、下鴨神社まで行き、午後は2時過ぎに上賀茂神社に向かいます。
私たちは、午前の行列だけ見ました。
お昼を食べようと、近所を探したのですが、どこも一杯。
探しながら、さがしながら、
足を棒にして、結局百万遍まで行きました。
ここも葵祭の観光客でいっぱい。
普段は学生の町に、ガイドブックを持った団体客が溢れていました。
こりゃ、生協の食堂かと思っていたのですが、なんとかお店を見つけてお昼を食べることができました。

京都では「祭り」と言えば葵祭。
枕草子や源氏物語、徒然草にも、その心踊る様が描かれている風流な祭り。

の、はずですが、
私は祭りそのものより、お昼の食べるところ探しの方が記憶に新鮮で面白かったのです。
無粋なことだ、、、我ながら。

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2005.11.23

天龍寺の紅葉

天龍寺に行って来ました。
ああああ〜〜〜疲れた。
足は今、棒です。
ああああ〜〜〜〜凄かった^^;
いやぁ、凄い人でした。
天龍寺そのものの印象より、そのあまりの人の多さにどよめいていました。
今まで、どちらかというと穴場狙いとか、普通の日に行っていたのです。
が、
今日は夫と、正真正銘の京都の観光をしようと、、、言って家を出ました。
甘かった^^;
京都駅に着けば、もう人だらけ。
トイレも順番の列が続いている、、、
次に山陰線。
これが、もういっぱい。
夏はスキスキだったのに、、、
やっと辿り着いた嵯峨嵐山の駅。
嵯峨嵐山。
これって、普通は「わび」とか「さび」とかそこはかない風情を感じさせる音の響きと雰囲気ですよね、、、

とっころが、
ところが、
駅に着くや否や
人、人、ひと。
相変わらず、ここでもトイレは長蛇の列^^;
ここが、本当に嵯峨野か?
と。
静寂と禅とハラリと落ちる紅葉。
なぁんてトンデモナイ。
人、ひと。ヒト。
夫の手を離したら、私は一体どこへいくの?と言うくらい人の波に連れ去られて前に進みました。

やがて、
天龍寺。
あの、夢想国師が建立した天龍寺。
しっかし、そこは人だらけ。
「紅葉の葉っぱか人か」
とぼやきながら歩いていたら、ついに夫とはぐれてしまいました^^;
私は携帯電話とやらを持ち歩かない主義なので、困りました。
「うわっ〜〜〜どうしよう。
これじゃ、迷子じゃなく迷オバサンだ^^;」
本当に人の波。
どうしよう〜〜〜〜
ふと見ると公衆電話があって、即、夫に連絡。
よかった。ホツ。
やっぱり、公衆電話って必要だ、、、と改めて思いました。
そして、
人、人、人、
をくぐり抜けて、紅葉を見ながら帰りました。
勿論、帰りも人です。
もう、道路は人で一杯でホコテンか?と思うくらいでした。

ああああ〜〜〜
疲れた。
やっぱり、
私は、
穴場の静かな、ひっそりと恥ずかしげに色づいているモミジが好みです。

まぁ、
でも楽しかった、、、です。
よ。
これから、紅葉の名所に狩りに行かれる方は、
どうぞ、心して行かれてください。
でも、青空に必死に訴えるようなモミジの妙をお楽しみください。

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2005.11.21

豆で四角で柔らかく

昨日、醍醐寺の紅葉を見てきました。
空海の孫弟子理源大師聖宝が醍醐山上に草庵を営んだのに始まるといういわれの古いこの寺は、
紅葉というよりは、三宝院の国宝や重要文化財を見に来る観光客が多いのではと思われます。
昨日は、修行の若い僧が何人も、柿色の袈裟を着てあちこちでお経を詠んでいる姿が目に入りました。
夏、来たときは閑散としていたお寺の境内でしたが、
今はカメラを持った観光客でいっぱい。
紅葉は、まだ早いかなぁという感じでしたが、
空を見上げると、
一面に赤や黄色や緑色のモミジの葉っぱが重なっていて、
天井のようになっている光景は、なかなか幻想的でした。
モミジは葉っぱの隅々までが、
神経を行き渡らせているように、しっかり、確かに輝いています。
その後、金堂で、お坊様の法話があり、
たまたまその折に金堂にいたので、聞くことができました。

「今ごろを小春といいますが、
今日はポカポカ暖かい小春日和ですね、、、」
と始まり、
家族の大切さや人への思いの大切さをお話しくださいました。
「隠元和尚の有名な言葉
世の中は 豆で四角で 柔らかで 豆腐のように 変わらぬぞよし
というのがあって、
世の中、人間は豆に働き、頑固でそれでいて柔軟、
まるで豆腐のようにいつでも、どこでも、だれにでも愛されるのがいい」
というお話を教わりました。
「最後にお土産に、この言葉をおうちにお持ち帰りください。
常楽我浄。
即ち、いつも時間を大切、今を大切に、
楽しいことも苦しいことも、
我と人と、
ともに浄く」
ということで日々の感謝を説いて最後の〆となさいました。

夫は、
「豆で四角で柔らかく、、、
おおお〜〜〜まるで俺のことだ」
と一人で嬉しそうに言っていましたが、
はたしてどうやら〜〜〜
私は噴き出しそうになりながら、
夫の話を聞いていました。

〜〜手や足の汚れは 常に洗えども
 心の垢を洗うものなし〜〜
ということで、
目で紅葉をみて洗い、
耳で法話を聞いて洗い、
後は、なかなかに落ちぬ心の垢を洗うのに、
苦心惨憺の私です。

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2005.11.15

紅葉の勧修寺

勧修寺(かじゅうじ)の紅葉を見てきました。
朝早く、夫の仕事前に二人で行って来ました。
すぐ近くには、紅葉で有名な「東福寺」がありますが、
勧修寺は、紅葉よりも桜や蓮の季節の方が名が知られているので、
観光客もなく、ひっそりとした寺の境内を散策。
紅葉はあと一歩という感じでしたが、
その静けさと、広々とした庭の景観は、そこに佇んでいるだけで充分に楽しめるものでした。
入るとすぐに「さざれ石」がありました。
そう言えば、今日は黒田清子さんのご誕生。
お幸せに!!!

そうこうすると、氷室池やら大悲閣、それに水戸光圀公の寄進の灯篭。それを覆うように生えているのは、樹齢750年と言う、柏槙がありました。
禅の庭前柏樹子で有名な柏槙です。
カメラに凝っている夫はあっちでもパチリ。こっちでもパチリ。
88個の石を踏むと、西国88か所回りができるという石などもあって、ワイワイ言いながら踏んで来ました。
氷室池の蓮はもう枯れて、わびしいものがありましたが、池の鯉達に、パンくずをやったりしていると、
時間と空閑が切り取られたように、青い空と、赤い木々と流れる雲が浮き出てきました。
スクッと空に聳える銀杏の木だけが黄色く孤高を思わせます。

帰りにふと見ると、お寺の方がまだ庭掃除をなさっていました。
庭を回り始めの時にも落ち葉をかき集めながら言われていました。
「今朝、早く掃いたのに、もうこんなに積もって、、、
掃いているそばからドンドン積もるんです。」と。
紺色の作務衣が似合う上品な方でした。

お話を聞きながら、なんとなく関山慧玄のことを思い出しました。
妙心寺の開祖、関山慧玄と天龍寺開山夢窓国師のエピソードです。
〜〜〜〜〜〜〜〜
汝等(なんじら)請う其の本を務めよ。…誤って葉を摘み枝を尋ぬること莫(な)くんば好し。」(あなた方は教えの根本に忠実に務めなければならない。…誤って枝葉末節を求めることのないように。)と記されています。その言葉にも示されるように、日々、雑念妄想にとらわれることなく、自らの足元を見つめながら真っ直ぐに修行に務め励むことの大切さを、無相大師は身をもって教え続けたのです。
 私たちは、尊い教えは外にあるもの、誰かから与えられるものと思い込んであちらこちらに探し求めますが、結局見つけることができず、かえって迷妄の中に身を置いて悩み苦しんでいます。その迷いを離れて自らの内なる仏心を信じ、その尊い心のままに日々行ずることが最も大切であると無相大師は示しました。
(上記サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

散りゆく紅葉の風情は、
あまりに儚くてユラユラしているので、
人の心に、多くを語ってくれるようです。

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2005.11.08

宇治川の紅葉

今日は、夫と宇治川ラインの紅葉を見てきました。
まだ時期が早くて、紅葉というより緑葉でした。
天ヶ瀬ダムで車を停めて、橋に架かっている小さな吊り橋を渡りました。
ところどころは色づいているのですが、全体に青々とした木立に囲まれていて
森林浴の気分でした。
マイナスイオンいっぱい出ているかなぁ〜〜〜とか思いながら。
夫の両親は、今でも山登りを毎週のように楽しんでいる健脚の持ち主。
以前、家族が集まって、美ケ原に行ったことがあります。
その時、母は、
「山が大好き。
山に来ると元気になる。
山からいっぱい気を貰う」
と言っていました。
母の言葉を思い出しながら、
私も橋の上で鼻を大きく膨らませて深呼吸。
あああ〜〜〜気持ち良い。
暖かな冬の日差し(昨日は立冬だったから)が心地よい。
ふと見ると夫はカメラを抱えて、川原に下りていました。
「あんまり、良い写真が撮れなかった」とか言いながら帰ってきた夫のズボンを見てビックリギョウテン。
ひ・ひっつきむしがいっぱいーーーー

一生懸命、ひっつきむしを取っていると、ダム管理所のおじさんが、
軍手を下さいました。
それで、一生懸命、払ったのですが、かなり根性がいりました^^;

これから、山の紅葉狩に行かれる方は、
軍手とガムテープをお忘れなく!

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2005.11.06

雨の神護寺

神護寺に行って来ました。
「京都の紅葉は神護寺から」と夫によるとそう言う言葉があるそうです。
そこで、
朝、早く起きて
夫と二人で車に乗って嵯峨野方面に向かいました。
雨のためか、あるいは早いので、まだ観光客も出ていないのか道はすいていました。
駐車場に車を置いて、
茶屋のひとに教わった道を降りていくと、
いよいよ人はまばら。
モミジが色づき始めて、雨にけぶる遠くの山とマッチして墨絵のような雰囲気。
石を組んだ階段を足元に気をつけ気をつけ、降りること10分。
朱色に塗られた橋が目の前に広がります。
まだモミジは緑色の方が多くて、
川から上がってくる水煙と、山から下りてくるもやが相混ざっている橋を渡ると、
もうすぐそこに神護寺。
いえいえ。
ずっとずっと上にあります。
まだまだ。
雨は降ってくるし、もうやめようか。
まぁ、行けるところまで行こうか、、、
夫と話ながらブラブラ。
上から下りてきた夫婦連れの方が、
「まだまだ、大変よ」
と声をかけてくれて、やっぱりやめようか。
行こうか、やめようか、、、
と、思っているうちに、
後ろから団体の方が大勢みえました。
なぁんとなく後ろから押される恰好になり、
足は前へ前へ、、、
夫には先に行ってもらい、私はゆっくりと自分のペースで階段の手すりにしがみつきながら登っていきました。
雨に濡れた石の階段は滑りやすく、私にはかなり辛いものがあります。
もう、やめようか、、、
と、思った途端、
後ろから見えた二人の女の方(東京の方)が、話しかけてくださいました。
私も答えたり、問うたりしながら階段を登っていくうちに、
上から来た夫と合流。
旅は道連れとは言いますが、本当にあの方たちがいらっしゃらなかったら、
私は途中で諦めて、階段を下りていたと思います。
そして、
そして、
苦労の甲斐あって、
ついに、
ついに、
神護寺につきました!!!
=========

平安京造宮(794〜)の最高責任者(造宮大夫)であった和気清麿公が、今の愛宕神社の前身、愛宕山白雲寺などとともに建てた愛宕五坊の一つです。当初「高雄山寺」と呼ばれていましたが、天長元年(824)、河内(大阪府)の神願寺(清麿公創立)の地が、よごれた所でふさわしくないという理由から「高雄山寺」に合併され、「神護国祚真護寺」と称したのが始まりです。これより先、和気一族は、叡山の最澄(伝教大師)や空海(弘法大師)をこの寺に招いて活躍の場としました。その為、時の仏教界に新風を送ることとなり、平安仏教の発祥地となりました。ことに弘法大師は唐(中国)より帰朝して、大同4年(809)に入山、以来14年間住持して、真言宗立教の基礎を築いた所でもあります。のちの東寺や高野山金剛峰寺と並ぶ霊さつであり、弘法大師を初代としています。

京都高尾の自然とやすらぎサイトより抜粋)
===========
和気清麿、、、、
うわっ====
歴史で学んだよ、知っているよ。教科書に載っているね。
なぁんて、分けの分からない(^^;)こと言いながら、
神護寺の境内を歩きました。
雨に打たれて、モミジはいよいよその色を増しているようです。
赤は赤。
緑は緑。
薄ピンクに染まっているものは淡いピンクに。
そのグラデーションが鈍色に重く垂れ下がっている空にしっとりと納まっていました。
葉の先から滴るしずくが光ります。
雨は音をたてながら降りしきり、
周りの音を吸収していきます。

本尊は国宝の薬師如来です。
夫と家族の名前をみんな思い出して、
友人たちも思い出してみんなの安全を祈願してきました。
その後、
厄除けと言われる「かわらけ投げ」もしてきました。
私のかわらけは木にひっかりましたが、夫が投げたのは、きれいに放物線を描いて峡谷に消えていきました。
これで厄除けもしっかり終了。
観光客も次第に増えてきました。

この地に最澄や空海が立った。
この山や木を見たのです。

そして、今私はここに立っている。
ここかしこに染まる紅葉に囲まれて、
大いなる自然に抱かれて、、、

それは、
とても雄大でありながら繊細で、
ドラマチックな光景でした。

紅葉の京都を撮り続けている夫の写真も下記のフォトログに載せていますので、
お時間がある方はご覧ください。

http://aranxp.ddo.jp/seto/2005/11/post_24.html

http://aranxp.ddo.jp/seto/2005/11/post_25.html

http://aranxp.ddo.jp/seto/2005/11/post_26.html

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2005.11.04

四天王寺ワッソ

昨日11月3日四天王寺ワッソのプレイベントが大阪国際交流センターで行われ、私も家族と一緒に行ってきました。
ワッソとは現代韓国語で「来た」という意味でそうです。
古代の大阪は、上町台地の西は海、東は潟(湖)でした。
アジアへの日本の玄関でした。
東アジアからの使節団が最初に上陸する地として築かれたなにわの宮。
ここに届けられたアジアの文化はやがて飛鳥・大和へと伝承していきました。
日本と韓国の古代の人々の思いを偲び、
1400年も前から海を越え、多くの人びとがやってきては繰り広げられた交流を再現することを目的として、この祭りははじまりました。
そこで「来た」という言葉を祭りの名称にしたのだそうです。

私は、このイベントについては今まであまり知らなかったのですが、
夫がたまたまネットで見つけました。
「NANTA」が見られる。
と、いうことで、一もニもなく行こうと決めました。
韓国へサッカー観戦で訪れたとき、本場のNANTAを見て、もう感激。
あの感動をもう一度、ここでみられるなんて〜〜〜

さて、いざ会場に入ってみると、
多くの人がもう列を作って並んでいました。
へぇ〜〜〜人気あるんだぁと感激(?)

待っている間にもドンドン人が増えて、
韓国の方も沢山見えていました。
オオサカの楽しいノリが
開演まえから伝わってきます。
プログラムはメインのNANTAをとりとして、
太鼓やらミュージカル。落語そしてヨサコイソーランなど
日韓交流のものでした。

五面太鼓、迫力ありました。
美しくしなやかで力つよい太鼓の音がズドンズドンと会場にこだまします。
ミュージカルは韓国語のうたに日本語の科白で、
劇団の俳優さん達が華麗な舞と歌を披露。
次に笑福亭銀瓶さんの韓国語と日本語の落語。
凄かったですよ。
やっぱりプロでした。
次は若者によるヨサコイソーラン。
活気とエネルギーと元気が会場いっぱいになりました。

そして、
次はお待ちかねのNANTA.
まぁ、ダイジェスト版だからこのNANTAを見て感動とか感激はしませんでしたが、
相変わらずのプロの技と芸に引き込まれました。
とても、
とても楽しかった。
私は、隣のオオサカのおばちゃんとすっかり友達になりました。
なんでもヨサコイの「おっかけ」らしく、北海道やら高知やらいろんな所を回っているそうです。
私にも「おかっけ」になれ、、、と誘われました^^;
オオサカのおばちゃんって大好き!

と、言うわけで、
四天王寺ワッソは、その目的通り、
芸術をとおして日韓の交流になりました。

こんな小さな出来事でしたが、
そんな積み重ねが積み重なり、
さらに積み重なって、
日韓の交流がますます良いものなればいいなぁと私は改めて思いました。

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2005.10.23

鞍馬の火祭り

鞍馬の火祭りが昨日10月22日、京都市左京区鞍馬の由岐神社で行われました。
昨日は時代祭りもあったので、
夫と私は(この頃は子どもはついてきません)三条で時代祭りを見た後、
もう無理かなぁ〜〜と思いながらも、
鞍馬行きの電車に乗るために出町柳に行きました。
出町柳の駅に降り立ってビックリ。
もう、人の列がズラリ〜〜〜〜と並んでいて最後尾ははるか彼方。
どうしようか、、、諦めようかと思いながら、
まぁ、列につこうと並びました。
並んだからには、途中では抜けられない。
だって、ドンドン、後ろに人がついてくるから。
なんかここで抜けたらソンした気分。
ケチな私はここでもケチなのです^^;
夫が様子を見に行ったら一時間半まち。
うわっ〜〜〜〜
この人が、今度は帰るときも同じか。
想像しただけで疲れます。
列はドンドン増えますが、
何故か元気なおじちゃん、おばちゃんが多い。
ツァーで来ている人が多いようでした。
(東京と徳島の方とお話ができました)
まぁ、そうこうするうちに列は進み、
やっと電車に乗れました。
東京の満員通勤電車で鍛えた私は、
なぜか(^^;)しっかり座っていましたが、夫は気の毒に立って満員の人に押しまくられながら立っていました。
30分、電車にゆられ、次第に山に上っていくのですが、
段々夕闇も迫り、冷えもシーーーンシンと体に伝わってきます。
ようやく鞍馬駅につくと、もうそこは闇と火の世界。
燃え上がる火と見物客の熱気で、
寒さもどこかに吹き飛んでしまいました。
心は燃え上がる火さながらにドンドン舞い上がって
ワクワク、ドキドキ。
逸る心と足とはうらはらに、
列は全然進みません。
火を点けているので、あっちで止まり、こっちで止まり
ようやく見物出来る場を見つけました。
最初は子どもの火がついて、子どもが松明を担いで神社に行きます。
かわいい〜〜〜
とてもカワイイ。
掛け声もかわいい。
その後はいよいよ佳境。
大人の松明になり、祭りはクライマックスになるのですが、
私たちは、今回は雰囲気だけ味あうことにして、ここまで。
大人の松明は次回に回すことにして、帰って来ました。
当然、帰りの電車も満員。

祭りのはしごは疲れましたが、、、
歴史に触れ、その後、とても素敵な幻想的な火の饗宴にちょっと触れることができ、
充実した一日でした。

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時代祭り

京都三大祭りの一つ時代祭りの行列が昨日10月22日行われました。
遷都記念日である10月22日に行われることになった御神幸の祭儀なのです。
朝からビュービューと風が吹き、空もうすくらい日でした。
見に行こうかどうしようか、ちょっと迷ったのですが、
暖かな恰好をして見物に行きました。
東山三条に着いたのは1時頃。
まだ通りは閑散としていて、見物客はバラバラ。
祇園祭のことを思っていたら、ちょっと拍子抜け。
時折日が射すと暖かでホッとしますが、やはり風は冷い。
そのうち、バラバラ、バラバラと見物客が増えてきて、それでもやっぱり通りはスキスキ。
まだなのかな???
と、思いながら待つこと30分。
行列の先頭がパトカーに先導されてやってきました。
「おおおお〜〜〜これが時代祭りか」
始めは
姉妹都市の市長夫妻を乗せた馬車。
次に維新勤王隊。
坂本龍馬や西郷隆盛、桂小五郎、、、、
などが行列。
勿論、新選組はいません。
延々と続くのですよね。
この時代が。
そして、江戸時代。
吉野太夫や出雲阿国がかわいい。
皇女和宮も行きました。
行列は次々と続き、
次は吉野時代。
「吉野???なにそれ?」
歴史では習わなかった吉野時代。
行列は楠公。
ああああ〜〜〜南北朝ねぇ。
ここでは吉野時代というんだぁ。
勿論尊氏はいません。
逆賊だもんね。京都の歴史感では。
その後、
延暦時代。
これは、いわゆる平安時代です。
ゆっくりと行列は進みます。
車道の一方は、バスがいっしょに通ったり、
信号で行列が止まったりと、、、
生活の中で、行列は進んでいきました。
寒かった〜〜〜〜
時折雨もぱらつき、
見物客もまばらでした。
淡々と進んでいく行列を見るだけで、少々寒さが堪えて辛いものもありましたが、
京都の世界観、歴史感が伺えて面白かったです。

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2005.08.26

無計画の計画

独身のころ、一人旅が好きでした。
泊まるところも、行き先も決めずブラリと電車に乗って、気が向いたところで降りる。
降り立った駅で最初にすることは、宿探し。
若い女(そのころは私も十分若かったのです)一人旅は敬遠されがちになる、もっと前のことだから
大抵は安い民宿は予約できます。
どうしても取れないときはユースがあるから、そんなに心配はいりません。
以前も書きましたが、
晩秋の信州が一番好きでした。
しかし、人との出会いでは、
夏の上高地とか、四国とか、それぞれに楽しい思い出があります。
上高地では、夜中大雨になり交通機関が寸断。
みんなで歩いて下りました。
どこまで歩いたかは覚えていないのですが、
完全武装して目だけ出して、ひたすら歩きました。
ぜんぜん知らない人たちなのに、いつのまにか友達になります。
幽霊が出るので有名な釜トンネルでは、
お互いにお互いの顔を見て、
ぎゃーーーー
とか
きゃーーーー
とか。
大阪から来たという若い二人組みの女の人と気があって、連絡先交換。
「また、大阪に遊びに来てね、、、」
「うん、必ず」
と、言って別れました。
その半年後、本当に行った私。
「あら、本当に来るとは思わなかった。」と言われながらも、家族中でもてなしてくれました。
今でも大切なお友達です。
高知でもぜんぜん知らない3人組(男2人女1人いとこ同士)が足摺岬から高知市まで車で
送ってくれました。ご飯までご馳走してくれて、、、
とかとか。
旅の思い出は楽しく輝いているそんな時代でした。
人の好意を好意とあっさり、素直に受け止めることができた良き時代。
「無計画の計画」がワクワク、ハラハラ。
終着駅に着き日常が始まるそのとき、
また新しい旅への思いをいっぱいにして両親の待つ家に帰りました。

今、
旅立とうとするわが子を目の前にして、
ようやく両親の思いの深さを知るとともに、
あのころのような安全が保障され、
人のやさしさが信じられた時代を、
わが子達の世代にも送らねばと思うのです。
無計画の計画から、計り知れない人生の財産を得る子どもたちのために。

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2005.08.16

五山送り火

今、五山送り火から帰ってきました。
私は、6時頃、夫と今出川で待ち合わせ。
既に沢山の人が出ています。
河合橋をわたり鴨川べりに家族分の場所とり。
学生さんのような団体がシートを広げて、そこで麻雀をやっています。
こっちではベンチに腰掛けた夫婦がビール片手に座っています。
その隣では、浴衣姿の彼女と彼が通路にベッタリと座っています。
私も持参のいすに座り、マンウオッチングをしながら、時間の経つのを待ちます。
金色だった雲は次第に茜色にたなびき、
合間から星が瞬く。
川風はちょっと寒ささえ感じるように個性的に吹く。
人はいよいよ多くなり。
闇と共に吸い込まれていく。
肝心の大文字は、あちこちで点火の準備か鋭い光を放つ。
七時半。
あと30分。
手持ちのビールを飲み干し、
小さなお寿司も食べてしまい、後は本番を待つだけ。
前の学生はますます盛り上がっているようで、暗闇の中から高らかな笑いが聞える。
そして、ついに点火2分前。
夫がデジカメの用意。
そして、赤い火のチロチロと燃える中
大文字が山に浮かび上がる。ゆっくりと。確実に。
八時ちょうど。
おおお〜〜〜〜〜
これが大文字。
まさに大文字。
確かに大文字。
もっとも大の字だけなのだが、、、
多くの人を飲み込み、
多くの人々の思いを焦がし、
火は天に向かい、煙は空にかき消される。
今年も京都の夏は大文字とともに終わる。
先祖の御霊を弔いながら、、、

この一年がさらによい年であることを祈りながら、、、
京の夜は更けていきました。

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2005.02.12

鞍馬山

今日、鞍馬山に行ってきました。
NHKの大河ドラマの「義経」の影響か沢山の観光客が見えていました。
私は、初めてこの山に登った(?)ので、その由来などは知らなかったのですが、
鞍馬山って、なかなか面白い。信仰の対象が宇宙エネルギーなのです。
尊天という宇宙エネルギーが我々をいかし、存在させている。
その力、働きが愛と光りと力になって我々にふり注ぐ。
一人ひとりが尊天に気づき、自分の霊性に目覚め高め、輝かせるという教えです。
したがってどの宗教にも属していません。
いわば、宇宙と自分ーーーなのです。
歴史深い杉木立のみちを歩いていくと、
そこここに歌碑が立っています。
牛若がここで過ごしたという史実に基づき、遠い日のかの人を懐かしむ歌が沢山ありました。
季節は早春。
まだ風が強く、時折雪もちらつく中、鞍馬の山を歩きながら、自然と、宇宙に親しみました。
その後、鞍馬温泉にいき、露天風呂に入りました。
そこでも、旅行客が沢山見えていました。
かわいいお嬢ちゃん連れのお母さんと親しくお話をさせていただいたりと、
鞍馬の天狗さんとお嬢ちゃんによる縁で、楽しいひとときを過ごしました。
また、機会があればお会いしようねと言ってお別れしましたが、
素敵な出会いのあった楽しいひとときでした。
(露天風呂の外で待っていた夫にはちょっと申し訳ありませんでしたが(^^;)

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2005.01.11

旗源平

金沢のお正月。
旗源平という遊びがあります。
私は幼い頃、近所の友達や、兄弟とお正月にはよくしていました。
今から思えばなんてことのない旗とりゲームなのですが、
子どもの頃は、かなり盛り上がって遊んでいた記憶があります。
大人になって故郷の金沢から離れ、いろんな地方に住みました。
そして、当然、みんな旗源平を知っているものと思った私は、お正月になって我が子に、買い与えてやろうと思い、
いろんなお店を探しました。
しかし、どこにもない。
お店の店員さんに聞いても「知らない」と言う。
夫も知らない。
そこで初めて、あの遊びは金沢だけに伝わっている伝承遊びなのだと知りました。
今、消えゆくこの遊びを伝えようと、金沢では、お正月だけでなく「こどもの日」などでも子ども会や学校で行っているそうです。
いろんな土地のいろんな行事が忘れ去られ、塗り替えられようとしている今日。
伝統を守ろうと必死に頑張っている方々が大勢いらっしゃるのもまた事実です。
京都・祇園祭のお囃子は子どもたちに受け継がれています。
各地の伝統行事が子どもにしっかりと伝えられていこうとしています。
自然の中で、季節の移り変わりを肌で感じてきた先人たちの思いを、グッ〜と引き寄せることができるお正月。
アナタは、何を行いましたか???
凧揚げやこま回しをする子どもの姿はめっきり減ったように思いますが、子どもは何をしていたのだろうか?
もうすぐ、小正月。
この日は小豆粥など頂いて、これから本格的に寒くなる冬をのりきろうという昔の人の知恵を、また思い起こす日でもあります。
せっかくの正月。
久しぶりにカルタなどしてみようかと思っている私です。
〜〜〜
人はいさ 心も知らず 古里は 花ぞ昔の 香ににほひける (紀貫之)

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2005.01.10

春を告げる若草山

〜冬ごもり 春の大野を 焼く人は 
     焼きたらぬかも わが心焼く(大伴家持) 〜
昨日、一月9日は、奈良若草山の山焼きでした。

私は家族と、朝早くからお弁当を作って斑鳩の里へ出かけました。
法隆寺、中宮寺とお寺を巡り、みほとけのお顔を拝観してきました。
与謝野晶子が詠んだように、
「みほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす」お顔をしていました。
奈良は京都と違って、そのたたずまいが、のんびりとゆっくりとしています。
法隆寺の境内もまだ固い桜のつぼみが、未だ咲かぬそのことを楽しんでいるような、淡い感覚が全体に流れていました。
この道を、この空を聖徳太子は歩き、仰ぎ、何をか思い、何をか迷ったのでしょうか???
静かな斑鳩を後にして、家族でカラオケにいきました。
夫は、顔や性格がサザンの桑田さんソックリで、その上、歌も上手。
子どもは、今の子で難しい歌を歌います。
私は、すごく下手で、夫やら子どもに助けられ、それでもあまり上手には歌えません。
コーラスとカラオケって全然違うので、ついていけないのです(^^;
ひそかに、今度カラオケ教室に通おうと思っていたりして(^^;(^^;
そんなこんなで、奈良で午後を過ごしていて、
帰りは、若草山の山焼きを見ることができました。
と、いっても遠くからですが、、、
次第に暮れていく空に赤赤と山を焼く炎が燃え上がり、壮観な絵模様を映し出していました。
大和の春はもうそこまできているのでしょうか????
時代を超え、人々が自然に祈るその気持ちは同じでは、と感じた一日でした。

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2004.11.11

かにかくに 

いつも訪問させていただいているdragon-tailさんのところで、楽しいお祭りを紹介していました。
かにかくに祭というお祭りです。
〜〜〜〜〜〜〜
祇園をこよなく愛し、全国にその魅力を広める広告塔の役を果たした歌人にして劇作家、吉井勇の歌碑が、祇園の白川巽橋のほとりにある。
刻まれた歌
「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕のしたを 水のなかるる」
その碑を建立した11月8日、毎年彼を偲んで、お茶屋さんや屋形の女将さん、芸妓さん舞妓さんが集まって菊の花を手向けるのが、「かにかくに祭」。
元来、関係者だけが集まって風流に行われるものだったらしいのだが、なにしろ、盛装した芸妓さん、舞妓さんを間近に見れる機会なんてめったにないため、近年はやたら見物客が増えることとなった。
(dragon-tailより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こんな素敵なお祭りがあることを知りませんでした。
来年は是非行きたいと、今から楽しみにしています。

さて、「かにかくに」というこの言葉。
普段の生活ではあまり使われませんが、「とにかく」というような意味です。
私は、「かにかくに」という言葉を聞くと、まず思い出すのは石川啄木です。

〜かにかくに 渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひで の川〜

啄木はふるさと岩手の澁民村を限りなく愛し、ふるさとを詠んだ歌が沢山あります。
切なくて、哀しくてそれでいて燃えるような情熱を秘めた啄木の歌が好きです。

あるいは、先日このブログでも書いた良寛様の歌を思い出します。

〜かにかくに 止まらぬものは 涙なり 人の見る目も 忍ぶばかりに〜

普段はあまり耳にしない「かにかくに」と言う言葉。
こうして歌に詠まれ、音にするととても素敵な響きを出します。
なんだかなつかしい音でもあります。
時間が、ひだまりの中で過ぎていくようなのんびりした感じ。
とかく忙しい今日この頃。
なんだか、揺れるような日本語にふれて、嬉しくなった一時でした。

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2004.09.03

浅間嶺にけぶり立つ見つ

落 葉 松
一     からまつの林を過ぎて、
      からまつをしみじみと見き。
      からまつはさびしかりけり。
      たびゆくはさびしかりけり。

二     からまつの林を出でて、
      からまつの林に入りぬ。
      からまつの林に入りて、
      また細く道はつづけり。

三     からまつの林の奥も、
      わが通る道はありけり。
      霧雨のかかる道なり、
      山風のかよふ道なり。

四     からまつの林の道は、
      われのみか、ひともかよひぬ。
      ほそぼそと通ふ道なり。
      さびさびといそぐ道なり。

五     からまつの林を過ぎて、
      ゆゑしらず歩みひそめつ。
      からまつはさびしかりけり。
      からまつとささやきにけり。

六     からまつの林を出でて、
      浅間嶺にけぶり立つ見つ。
      浅間嶺にけぶり立つ見つ。
      からまつのまたそのうへに。

七     からまつの林の雨は、
      さびしけどいよよしづけし。
      かんこ鳥鳴けるのみなる。
      からまつの濡るるのみなる。

八     世の中よ、あはれなりけり。
      常なれどうれしかりけり。
      山川に山がはの音、
      からまつにからまつのかぜ。
===北 原 白 秋  「水墨集」より====

おととい、9月1日、夜8時過ぎ、浅間山が噴火。
長野県、群馬県、福島県などに被害が出ています。
現在は小康状態というものの、今後の活動に不安が募ります。
テレビで映し出された、農家の被害映像には、何とも言葉がありませんでした。
自然の災害とはいえ、、、
本当に胸が痛みます。
台風被害、あるいは地震等もそうですが、
被災地の方々には、政府の厚い復興支援を心から望んでいます。
さて、
私は、浅間山と聞くと、
北原白秋と、
〜暮れ行けば 浅間も見えず
歌哀し 佐久の草笛 歌哀し〜
と詠んだ島崎鴎村を思い浮かべます。
学生時代は、よく一人旅をしました。
信州は「晩秋が一番」となぜか思い込んで、
11月の最後の休みに、信州を訪れることを、繰り返した時期があります。
青く、澄みきった信濃の空が、暮れるのは早い。
薄い青から、次第に青さを増し、ついには深い藍色に支配されていく東の空と、
ピンクから、橙色になり、そして燃えるような赤色になり、そして緑色、青色、続いて東の藍色と溶け込んでいく日の沈む空の模様が、
哀しくて、切なくて、いいのです。
遠くに浅間が見える。
どこからでも見える。
ふと、自分の足元に目をやれば、
深く、濃い秋色が周りの景色を包んでいる。
夕焼けは、晩秋の信州に限る。
と、思っていました。
どこからでも、のぞめる浅間山。
万葉の時代から、歌に詠まれ、人々に愛されているという浅間山。
有史以来、ずっ〜〜〜と、噴煙をあげ、
人々はその姿に、
畏敬と、愛着を感じ、共に生活をしてきたのでしょう。
大いなる自然の力、
ちっぽけな人間。
しかし、
ひとは、知恵を武器に自然に闘いを挑み、
自然を制し、
そして、自然に押しつぶされ、
と、いう闘いの連続だったのでしょうか、、、
そして、これからも、、、
人と自然の闘いと共生はつづく、、、
今日も、浅間は、
けぶりをあげている。
さらなる被害が出ないように祈るとともに、
万全の備えをしていかなければならないでしょう。
地域の方々、政府や関係省庁、
また研究者の方々の,熱い闘いは,まだ終わりを告げないと思いますが、
一日も早く安心できることをお祈りしています。

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2004.08.24

日本人観光