2017.11.23

室生犀星を思い出して、、、

砂山の雨

砂山に雨の消えゆく音
草もしんしん
海もしんしん
こまやかなる夏のおもひも
わが身みなうちにかすかなり
草にふるれば草はまさをに
雨にふるれば雨もまさをなり
砂山に埋め去るものは君が名か
かひなく過ぐる夏のおもひか
いそ草むらはうれひの巣
かもめのたまご孵らずして
あかるき中にくさりけり

室生犀星
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さいごのかもめの卵が孵らないのはなんとも悲しいし、
あかるきなかにくさった、、、というのが切ない。
いかにも犀星といえば犀星かとも思うのですが、
さて、
室生犀星を研究している方と今日、親しくお話させていただきました。
私は金沢出身なので、犀星は心の深い所、近い所にいる詩人です。
その方は那須塩原の方ですが、
犀星は塩原に3度訪れたことがあり、その景観と温泉を愛したそうです。
が、
なぜ、来たのか?
いつ、来たのか?
はあまり知られていなかったらしいのですが、
その方は「どうしても知りたい」という思いで文献やあるいは犀星ゆかりの土地、最後は犀星の娘さん(室生朝子さん)にまでお話を伺い、
犀星の生きてきた道を探し、またご自分も一緒に歩かれているようです。
とても素敵なお話をいっぱい伺い、刺激になりました♬
楽しい時間を過ごしたのですが、その方が犀星をお話されるときの目の輝きが素敵で思わず惹き込まれました。
最後に塩原道を掲載しておきます。
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秋ふかき塩原道を
わたしの自動車はひた走りつつ
いつしか暗みゆき
はや日暮となりけり

落葉ふみしき
山の上に漏るるともし火を見過して
水のひぴきに縫い込まれてゆく
わが自動車の肌も夜つゆに湿りたり

みやこにて夜昼となき
わがわびしき作のつかれを
こころゆくまで
温泉につかり心しづめん

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2015.06.10

札幌時計台

今日は6月10日。
時の記念日。
この日については何回も過去に書いてきたので、
今日はちょっと趣向を変えて有名な札幌時計台のしくみについて書いてみようと思います。

札幌時計台のHPをみると、
創建以来130余年現在のこの地にあるそうで、正式名称は「旧札幌農学校演武場」だそうです。

札幌農学校と言えば「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士が思い出されますが、北海道大学の前身で北海道開拓の指導者を育成する目的で1876(明治9)年開校。
開拓の歴史が刻まれています。
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明治維新後間もない1869(明治2)年、明治政府内に開拓使が置かれ、北海道の本格的な開拓と札幌の街づくりが始まりました。1871(明治4)年、開拓次官の黒田清隆は北海道開拓の範を求めて欧米を視察し、開拓の範をアメリカ合衆国に求めることとし、同時に合衆国農務長官のホーレス・ケプロンに開拓使顧問として来日することを要請し承諾を得ました。
 ケプロンは1871年7月に部下の技術者らとともに来日、開拓使顧問として北海道の開拓に係る様々な分野に渡り提言し指導を行いました。新天地を求めて本州から移住して来る各地の開拓民を積雪寒冷地の北海道に定着させるために、衣・食・住に関わる施策と産業をどのように振興するか提言したのです。その提言を基に開拓使は畑作、酪農、水産加工業、ビール醸造業の振興、洋風建築の導入等の施策を進めました。
(HPより)
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1899(明治32)年佐藤昌介、南鷹次郎、宮部金吾教授が農学校卒業生として初めて博士号の学位を受け祝賀会が時計台で行なわれたそうで、当時から人々の心の寄り添う象徴であったのですね。
そして、
1892(明治25)年の札幌大火のときには生徒が屋根に登り火の粉を払い、類焼防止に懸命に消火活動した様子が今も伝えられていますが、皆にとって大切なものであったことが伺えます。

さて、そんな時計台に遂に時計塔の設置を迎える日が来ます。
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完成した当初の演武場には時計塔はなく、授業の開始や終了を告げる小さな鐘楼が屋根の上にありました。演武場の完成式に出席した黒田清隆開拓長官の指示で、塔時計の設置が決まったと言われています。
1878年10月25日、ホイーラー教頭はアメリカ合衆国ニューヨーク市ハワード時計商会に塔時計を注文しました。1879(明治12)年6月頃札幌に到着した時計機械が予想以上に大きく、鐘楼に設置できないことがわかりました。時計塔の設置には大がかりな改修と費用が必要なため、当時建築中の豊平館や他の建物に設置することも検討されました。しかし、ホイーラー教頭は演武場に塔時計を付けて札幌の標準時刻とすることの大切さを力説し黒田長官を説得しました。こうして完成間もない演武場に時計塔を造り直し時計機械が据えつけられました。校地内の天文台(観象台)で天体観測を行い時刻調整を行ったのち、1881(明治14)年8月12日、塔時計は澄んだ鐘の音とともに正しい時刻を札幌の住民に知らせ始めました。
(HPより)
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時計台が時を刻む仕組みについてはHPに詳しく述べられています。
(http://sapporoshi-tokeidai.jp/know/structure.php)
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時計台の時計は昼も夜も休むことなく動き続け、鐘は毎正時、時刻の数だけ鳴り、1日156回鳴ります。
時計の動く力のもとは、重りが下に下がる力で、この力が歯車を回転させます。しかし、そのままでは歯車は連続的に回るだけなので、この歯車の回転を一定のリズムで少しずつ回す必要があります。この役割を果たしているのが、振り子の規則正しい左右への往復運動を利用した脱進機(アンクルとガンギ車)と呼ぶ装置です。アンクルの先端がガンギ車と呼ぶ歯車の歯の先に一回一回入り込んだり、離れたりすることで歯車を少しずつ回しています。

逆に、アンクルの先端が離れるとき、ガンギ車の歯の先でアンクルの先端が左右に少しずつ押されています。この押される力が振り子に伝わり、振り子が止まらずに左右へ揺れ続けることができます。
時計台の2階ではハワード社の別の振子式塔時計を動かしています(鐘を打つ装置はついていません)。ご覧になり時計の動く不思議な仕組みを確かめてください。
(HPより)
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なんだかよく分からないのですが、
それでも狂いなく一秒一秒をひたすら刻むこの仕組み。
なんだか心が奪われて行きそうですね。

この時計台を守る為に今もしっかりとメンテナンスは行われ、
札幌の人々の愛すべき拠り所となっています。

と、言うことで、
今日は時の記念日

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2015.03.30

越後川口温泉

新潟はまだ雪でした。
と、言っても市内ではなく越後川口温泉の方面です。
土曜日は4時過ぎにサッカーが終わり、
帰ろうと思えば帰る事もできたのですが、
折角だから、宿泊しようと決めました。
何しろ、新潟はお酒が美味しくて食べ物が美味しい!!!

と、言う事でホテルサンローラと言う名のホテルの宿泊。
スタジアムから1時間あまり、着いたのは5時過ぎだったのですが、
ちょうど夕日が山に隠れるところで、窓からの風景がとてもきれいでした。

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山と夕日。
そして黄金にひかる空。
絵になりますね。

お風呂は源泉の露天風呂やらジェットバスやら電気バスなどなどいろんなタイプがあり、
ゆっくり時間があればかなり楽しめそうです。
私たちは思いつきでブラリ立ち寄ったので、
そんなに時間がなくて、とても残念。
もっと、ゆっくり源泉温泉を堪能したかったな、、、
今度、日を改めてまた行こうねと夫と言っています。

さて、翌日は天気が崩れると言う予想なので、
早くに帰ろうと言う事で、土曜日はすぐに就寝。

そして、朝。
夫はお決まりのランニング。
新しい土地に行ったら必ず走ります。
その後、朝食を食べて、2人で軽くウォーキング。
あたり一面の雪の壁にビックリです!

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ホテルの方に伺ったら冬は3メートル近く積もるそうです。
凄いな、、、
どんなだろう?
あの屋根は雪で隠れるのか、なんて思わず想像してしまいます。

それにしても一面雪に覆われている山々に囲まれているこの静かな温泉地。
風情があります。

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私たちは、この川口が、中越地震の震源地であることを、訪れて初めて知りました。

WIKIPEDIAより
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発震 : 2004年(平成16年)10月23日 土曜日 17時56分(JST)
震源 : 新潟県中越地方、北緯37度17分30秒、東経138度52分0秒の地点
震源の深さ : 13km
地震の規模 : マグニチュード6.8(モーメントマグニチュード6.6)
最大加速度 : 川口町(現長岡市):約2,515gal
最大震度 : 川口町(現長岡市):震度7(地震発生直後には停電による衛星通信端末の停止で情報が入らず、後日記録から確認された。当初は小千谷市などで観測された震度6強が最大震度だと思われた。気象庁の推計震度分布図では、川口町での震度7の情報が入る以前に震源地付近で震度7相当の揺れがあったことが推定されていた)
断層モデル : 1.1×1019Nm, Mw 6.6; 最大すべり 1.6m
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そして、東日本大震災の折には、
その時の経験を活かして、いろいろと東北の方々に手を差し伸べられたそうです。
今も交流は続いていて、
三陸からのワカメを使って地元の野菜といっしょに佃煮を作ったりと、しているそうです。
確かにホテルで出たワカメは三陸のもので、
それはそれは味が濃くて歯ごたえがある良質のワカメでした!!!

私たちは、時々のニュースで、地名やら出来事を聞いたり、見たりしているのですが、
日常の中に埋没して、忘れてしまうのですが、
こうして、旅で、その土地が持っている深い出来事を聞き、知る事で、
改めて、その時の出来事を思い出し、
また人々のひたむきな生き方や、優しさに触れる事ができるのだと思いました。

思いつきで行った越後川口温泉でしたが、
とても楽しい思い出になりました。

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2015.03.15

北陸新幹線の地元は???

北陸新幹線、通りましたね♫

じつに50年の悲願。

昨日は金沢を中心に盛り上がったようです♫

ただ、こうした盛り上がりの裏にある事情も知っておく事も肝要ではと考えます。

つまり在来線との関係です。
遠くに住んでいる人にとっては新幹線は観光の道具として「早い方がいい」という便利なツールでしょうが、
地元の人にとってはそれは「足」であり、「動脈線」です。
ローカル線が生活に大きな働きをしているのは間違いありません。
が、
新幹線が通ることでローカル線がどうなるか。
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新幹線建設にあたっては、「JR(新幹線)と並行在来線の経営分離」が、政府・与党「申し合わせ」(1990年)として大きな縛りとなってきました。

 JR東日本・西日本の2社は、採算性が大いに見込める路線を残す一方で、地域にとって不可欠な並行在来線(信越線、北陸線の一部)は「事業廃止」にし切り離し、各県ごとの「三セク」に引き継がせ、沿線自治体に財政負担を負わせる〝虫のよさ〟です。
 「レールは一つ」でも、路線・ダイヤは県境で分断されます。「しなの鉄道」(長野)、「えちごトキめき鉄道」(新潟)、「あいの風とやま鉄道」(富山)、JRいしかわ鉄道」(石川)の4社が経営・運行にあたります。並行在来線で移動の場合、これまで1枚の切符で足りた長野-金沢間は、3~4枚必要になります。

 乗り換えるごとに初乗り運賃が発生し、割高になります。「三セク」2社とJRが走る新潟県上越市。高校が集中する高田に通う場合、2~3社をまたぐことになり、通学定期代が一挙に1・3倍にもはね上がります。
(しんぶん赤旗より)
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ウウウム。
かなり面倒くさくなるのですね。
そして高くなるのですね。

ウウウム。
地元の人は大変。

こうした事情も知ってほしいなと思って、今日は記事にしました。

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2014.09.17

日光の旅 その3

その1、その2より。

いよいよ私たちは日光東照宮に着きました。

車は予想に反してスムーズに駐車場に入る事ができました。
ラッキー!!!
車を降りるとすぐに東照宮と言うナイスな場所にある駐車場。多分、紅葉の季節はいっぱいなんだろうな、、、

杉並木が奇麗でした。

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さて。
東照宮

初めて来ました。

今までの人生でどうして来ることがなかったのか不思議に思うくらい有名な観光地。
wikipediaをみれば頭がクラクラするくらい見所満載の東照宮。
はて、どこから書こうか???

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日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。

その歴史は少なくとも源義朝による日光山造営までさかのぼり得るもので、源頼朝がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて、東国の宗教的権威となっていた。こうした歴史を背景に、徳川氏は東照宮を造営したと考えられる。
(wikipediaより)
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フウウム。
だそうです。
と、まぁそんな説明はともかくとして、
やはり金ぴかでした。
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境内の石砂利に亀さんがいました。
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手を洗います。

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まず、金ぴかに唸っていた私に夫が「あれが有名な見ざる、言わざる、聞かざるだ」と教えてくれました。
指の方向をみると、それはとても地味な佇まいで立っている建物の壁に彫ってあります。
観光客がいないとウッカリ通り過ぎそう。

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眠り猫と、その裏に彫ってある雀です。猫が寝ているので雀は安心して遊べます。
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三猿と眠り猫については、またまたwikipediaを引用して説明をします。
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日光東照宮の建物には、多様な動物の木彫像がみられることが多い。これらの動物のほとんどは平和を象徴している。眠り猫は踏ん張っていることから、実は家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれているが、もう一つの教えとして、裏で雀が舞っていても「猫も寝るほどの平和」を表しているのである。
神厩舎には猿の彫刻を施した8枚の浮彫画面があり、猿が馬を守る動物であるという伝承から用いられている。この8枚で猿の一生が描かれており、ひいては人間の平和な一生の過ごし方を説いたものとなっている。日光の木彫像の中で眠り猫に続いてよく知られている、「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な三猿は、この神厩舎に造られたものの1枚に過ぎない。なお、「見ざる、言わざる、聞かざる」は「幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えである。 
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陽明門は修理中だったので見る事ができなくて残念。
完成は5年後だそうです。
また行きたいなぁ〜〜〜

その後、またまた有名な鳴き龍を見ました。
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鼓楼の後ろにある建物は、本尊が薬師瑠璃光如来-やくしるりこうにょらい-(薬師如来)であることから「薬師堂」、また乱世を鎮めた家康公が薬師如来の生まれ変わりと考えられたので、本来の仏(本地-ほんじ-)をまつったことから「本地堂」と呼ばれる。
 本地堂(薬師堂)の内陣天井に描かれているのが、有名な鳴竜。竜の頭の下で拍子木を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえる。もとの絵は狩野永真安信-かのうえいしんやすのぶ-の筆によるが、堂とともに焼失したため堅山南風-かたやまなんぷう-画伯が復元した。
(上記サイトより)
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私は初め、龍が鳴くといのだから、
「ごぉおおおおお」と言う音がするのかと思っていました。
説明の方が拍子木を打つのですが、全然、鳴きません。
「聞こえた人は幸せになりますよ」なんて言われて、えええ、、、どうしよう、聞こえない。こっちが泣きたいよ。
夫に聞いたら「聞こえた」と言うのです。
えええええ。

どうしよう、聞こえないよ。

私聞こえなかった。
と、言うと夫が鈴のようにコロコロ聞こえるんだと教えてくれました。

そうなんだ、
龍がうなるんじゃないんだ。

と、言う事で、もう一度聞いたらバッチリ聞こえたのです。
ころころ。
コロコロ。

本当に涼やかな音がコロコロと天井からこぼれ手のひらに乗るように聞こえてきます。

やった!!!
聞こえたよ。

それにしても不思議な現象と言う事で調べたらyahoo知恵袋にありました、ありました。
その回答が。
yahoo知恵袋より

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天井と床などのように互いに平行に向き合った堅い面がある場所で拍手・足音などの衝撃性短音を発したとき、往復反射のためピチピチとかブルブルなど特殊な音色をもって聞こえることがある。この現象をフラッターエコーflutter echoあるいは鳴き竜とよぶ。

日光の東照宮薬師堂(本地堂)の内陣天井には竜(狩野(かのう)永真安信筆)が描かれており、この竜の頭の下で、天井にすみついたハトを追い出そうとして、手をたたいたとき、ブルブルと奇声を発するという現象が発見されたという(1905ころ)。以後、一般にも開放され、全国的に「鳴き竜」として広まったためこの名がある。なお薬師堂は1961年(昭和36)焼失したが、64年再建に着手、天井画(堅山南風(かたやまなんぷう)筆)とともに鳴き竜現象も復原された。鳴き竜は薬師堂だけの特異現象ではなく、1934年(昭和9)東京科学博物館(現国立科学博物館)による懸賞募集により、ほかに30余例がみつかった。

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だそうです。
ハトを追っ払う為に偶然みつけたんですね。
結構(日光をみたからもう言えるよ、結構って♫)あたらしいんですね。
なるほど。
と、言うか、チョット笑ってしまった。
もっと有り難い話が用意されているかと思ったのだが。

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と、言うことで、人間の煩悩満載の愛すべき東照宮。
とても楽しいひと時を過ごす事ができました、、、
「結構な旅でした!!!」

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日光の旅 その2

その1より。

湯滝を見た後、次は竜頭滝
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湯ノ湖に端を発し戦場ヶ原を流れ下ってきた湯川の末流にかかる滝。長さ約210mの急斜面を途中で二手に別れ、まるで大岩を噛むように豪快に流れ下る。「竜頭」の名前は、二枝に分かれた滝を正面から見た姿を龍の頭に見立てたものとされ[2][3]、二手の流れを髭に見立てたとも、中央の岩を頭部に見立てたとも言われる。
(上記wikipediaより)
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まだ紅葉の時期ではないのすが心の目で紅葉を想像。翼を広げました。
美しいだろうな、、、
それこそ歌のように「織る錦」なんでしょうね。
が、
そこはそれ。
自然と言うのはどんな季節でも美しく咲かせている花々があるんですね。
名前はあるが私はまだ名を知らない、そんな花がひっそりと咲いている様は心に優しく響くものがあります。
大きく絢爛に咲く花もいいが、
清く、静かにそして力強く咲く野の花はなんと素敵なんだろうと思う事しきりでした。

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その次は有名な華厳の滝
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発見者は勝道上人と伝えられ、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたといわれる。華厳渓谷周辺では他に阿含滝、方等滝、般若滝、涅槃滝もあることから、五時の教判から、それらと同様に命名されたものと考えられている。

中略

中段部分からは十二滝と呼ばれる、表出した伏流水による無数の滝が簾状に並んで流れ落ち、直下型の華厳滝と相まって優れた景観を作りだしている。十二滝の水源は中禅寺湖から漏出したもので、年中を通して涸れることがない[4]。滝の下流部には華厳滝が形成した華厳渓谷が続いており、一説によれば太古の華厳滝は800mほど下流にあり、崩れやすい男体山の噴出物を浸食しながら現在の位置へと移動したと考えられている[2][5]。浸食は現代でも続いており、1986年(昭和61年)には滝口の一部が崩落している[6]。

滝付近の大谷川北岸には観光客向けの有料の華厳滝エレベーターが設置されており、エレベーターで降りた観瀑台からは滝壷を正面間近に見ることができる。
(上記wokipediaより)
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と、言うことで私たちもエレベーターで降りて滝壺を見ました。
確かに迫力ありました!!!
凄い!!!
厳かでした。

人の煩悩も何もかも吸い込んでしまいそうな迫力があります。
今更ながら自然は凄い。
ただ、そんな言葉しか思いつかない私です。

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次にいよいよ東照宮へと向います。

続き

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日光の旅その1

この週末、急に思い立って日光に夫と2人で行ってきました。

実は私は今まで行った事がなかったのです。
だから「結構」って言えなかったのです、、、

まだ紅葉には早いし、連休とは言え、中日だからと、甘くみたのがいけなかった、、、
混んでいました。
いろは坂に入る手前位から徐々に車のスピードが落ち、坂に入った途端動かなくなりました。
ウワッ〜〜〜渋滞にはまった。どうしよう。
と、思ってももうこれは時間との勝負。
動くまでひたすら待つしかありません。
そこで時間つぶしに、夫にブラックストーリーズを出しました。

ここで閑話休題。
上記サイトを中心にちょっとブラックストリーズの説明。

これはカードゲームの一種で1枚のカードに記されたイラストと不思議な事件をみんなで話しあい、ことで事件の真相にたどりつくコミュニケーションゲーム。事件の全容を知っている問題の出し手が1人いて、後の人たちは真相に迫る為質問していきます。出し手は「イエス」「ノー」しか返事できません。つまり「10の扉」のようなものです。ただ、タイトルがブラックストーリーズと言うだけあって、内容はかなりブラック。
頭の体操になります。
もし興味がおありでしたら是非どうぞ。


さてさて、話はいろは坂。
混んでこんで、混みまくった坂もようやく昇り、その日はホテルに着くのが精一杯。
もう、日は沈み、どこも観光できません。
仕方がないので次の日にと言うことで一日目は早く就寝。

そして翌朝。
5時に起きて、さぁ観光!!!朝ご飯まで滝見物に行こうと、
張り切って車にのり、一目散に湯滝に向いました。
wikipediaには以下のようにあります。
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日本百名山のひとつである日光白根山の麓に位置する湯ノ湖の南岸から斜面を流れ落ちる。湯ノ湖のほとりには日光湯元温泉があり、湯ノ湖一帯もあちこちから湯が湧いているが、滝を流れ落ちるのは湯ではなく水である。湯滝を流れ落ちた水は日本有数の高層湿原「戦場ヶ原」を流れる湯川となり、竜頭の滝を下って中禅寺湖へ流入する。
滝の斜面を構成する岸壁は、湯川の流れをせき止めて湯ノ湖を形成した三岳の溶岩である。滝の下段部は左右二股に分かれており、かつては滝壺中央付近に落葉樹が立っていたが、1982年(昭和57年)9月の台風によって失われている。湯滝周辺はツツジやシャクナゲなどの名所でもあり、湯元温泉へ通じる道路からも近いことからハイシーズンにはたくさんの観光客が訪れる。
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私たちが行った時は朝早いにも関わらず多くの釣り客が湯ノ湖で釣りをしていました。

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朝の湯ノ湖は蒸気にけぶりミルク色の佇まいをしていました。

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湖面にゆれる網が面白い。

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猿のこしかけ?

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馬頭観音をみつけました。
思わず旅の無事を祈り手をあわせました!!!

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こうして、湯ノ湖の側のハイキングコースを歩いた後、
滝の落ち口に行き、その豪快な景観にしばらくボッ==としていました。
その後、滝壺や側面と観光。
いずれもゴッ〜〜〜という音に全てが飲みこまれ、
見ている私たちの心は却って静寂に包まれるんだと、私はこの時知りました。

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2014.07.22

夏の野沢温泉

この週末は野沢温泉に行って来ました。
夫はトレランに参加。
トレランとはトレイルランニングのことで、陸上競技の中長距離走の一種で、舗装路以外の山野を走るものをさします。

一方、私は温泉湯治。
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野沢温泉には子どもが幼かった時、スキーに行った事があります。
雪の質がよくて下手な私でも上手に滑れるような気がする快適なコースがいっぱいある楽しいスキー場と言う印象が残っています。
町営の温泉はスキーの後の楽しみでもありました。
13軒ある共同浴場があって、地元の湯仲間という組織によって維持管理運営されているそうです。
観光客にも開放されており、無料または寸志で入浴できます。
当時、私は美人になるという熊の手湯に入ったのですが、さてさてその効果は???

そんなスキーで持っていると思われた野沢が町おこしとでも言うのだろうか、マウンテントレイルを開催して今年で4回目。今回は参加者は700人くらいでした。
温泉町を駆け巡り、パワースポットを訪れ、山を登る。
山登りとウォーキングとランニングを堪能できる楽しいスポーツが繰り広げられました。
これからもっと周知されるようになれば増えていくだろうと思います。

夏のスキー場は寂しい。
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賑やかに過ごしたスキー客のざわめきを残して今はただ次の季節を待っているリフトがさらに侘しさを募らせます。
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このスキー場のすぐそばに日本スキー博物館と言う建物があります。
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スキーの歴史や長野オリンピックのこと、またスキー板の変遷などが展示されていて興味深い博物館でした。
間宮林蔵の絵が絵画としては初めてスキーが描かれていたものだと知りました。生活の中に根付いている歴史がそこにはありました。
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江戸時代後期、間宮林蔵が樺太探検をした際の報告書『北蝦夷図説』(1808年)に、スキーに似た雪具をつけた人の図が描かれています。これが、日本初のスキーに関する記述と思われます。
北海道デジタル図鑑より引用http://www1.hokkaido-jin.jp/zukan/story/05/06.html
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またスキーは戦争の時は山越えのための「戦いの一環」として扱われた事。
野沢温泉出身の「神風隊」森史郎さんのことを知り、胸が痛み、思わず涙している自分がいました、、、
森さんは野沢温泉出身と言う事でスキーのジャンプがお好きだったそうです。
彼が神風特攻隊に入ったのも「大空を翔けた」かったのでしょうか。
22歳の若さで散っていきました。
平和の大切さを改めてしみじみと。

戦後、スポーツとして定着していく過程をオリンピックとの関わりで案内していました。
また高円宮さまのスキーやワックスなども展示されていて他ではみられないものがあり、
とても面白い博物館です。

いろんな季節の顔をそれぞれにみせる高原の町にある野沢温泉。

ちょっと週末のひと時を過ごしました。

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2013.02.24

真壁のひなまつり

確定申告でバタバタしていて、ちょっと記事にするには遅くなりましたが、先週、真壁のひなまつりに行って来ました。
友人と3人で朝早くから車で出かけましたが、
真壁に着いた頃は、もう駐車場はどこもいっぱい。
「遅かったか、、、」と思ったのですが、
本当にほんとうに運よく一台だけ空いていて、私たちの車が最後でしたが駐車場に入れる事ができました。
ラッキー。

さて、真壁の町。
本当に素敵でした。
公式ホームページによると「真壁の町割りは、戦国時代末期の真壁氏時代に形づくられ、江戸時代初期の浅野氏時代に完成した」そうです。
さらに「枡形と呼ばれる城下町特有の交差点が現存している」とも案内がありましたが、
狭い道路や袋小路のような道が町を縦横に区切り、いきなり歩くと迷ってしまいそうです。
どの道に出ても古い家と古くて大きくて素晴らしいおひな様が飾られていてちょっとタイムスリップしたような感覚になります。
現在、104棟が国の登録文化財となっているそうです。

真壁の人々はこの町をどんなに愛し、誇りに思っているのか。
町を歩くだけでも、その思いに包まれるようなそんな素敵な町です!!!

今度は別の季節にまた出かけてみようと、思いました。

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2013.01.14

そうだ 真岡に行こう!!!

今日は雪。
折角の成人式が雪で、晴れ着の新成人も沢山いらしただろうに、、、

でも、
雪にめげず、素晴らしい門出となりますように、パソコン前からですが、
お祈り申し上げます。


さて、こんな今日の雪とはうって変わって、昨日はポカポカ陽気でした。
窓からさす日の光を見ながら夫とどこか行こうか、、、
そうだ、真岡に行こうとなりました。
以前、北海道、ナイタイ高原牧場に行ったのですが、その時もNHKのBS「こころ旅」を観て、
決めましたが、
今回も夫が「正平さんが行った、あの真岡駅にSLを見に行こう」と提案。
「それいいね」と私もすぐにのりました。
ネットで詳しくSLについて調べた夫は「午後の3時に真岡駅にSLが着くよ」と言うのです。
えええ、、
今でも走っているの?
うん、土曜日と日曜日、祝日。
うわっ〜〜〜
そりゃ行こう。
私は「てっちゃん」ではないのですが、
それでもSLってなんだかロマンがあり、心がセピア色になり、静かな興奮を呼ぶように思います。

と、言う事で風邪気味ながら、
重装備をして一路、真岡へ。

着いたときは少し、早かったのか、まだ駅には人もバラバラ。
駐車場も空いていてラッキー!!!
真岡駅は本当に蒸気機関車の姿をしていました。
正平さんが紹介していたのとソックリ。
当たり前のことに感激。ははは
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トイレに行ったり、待合所でノンビリしていたら、
いよいよ3時過ぎ。
駅にも段々人が増えてきます。

私もみんなについて駅の構内へ。
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そのうち駅員さんが「もうすぐ汽車が入ってきますので、黄色の線までお下がり下さい」と連呼。
それを聞いてみんな少しだけ後に下がります。
「黄色の線より下がれって言っただろう」「線の上ならいいよ」と後ろの男の子たちが軽く言い争い。
思わずクスリ。

そして待つ事、10分。
やってきました、
やってきました。
煙を吐きながら。
シュ〜〜〜シュ〜〜〜ポポ。
ドンドン。
と、汽車は駅に滑り込んできます。
私はカメラを持ってパチリパチリ。
パチり。
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真岡駅には10分止まるので、
みんなはカメラを持ってパチパチ。
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機関車室の中もパチリパチリ。
イケメンの機関士さんがモデルのように立ってくれて絵になります。

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構内は乗る人、送る人、カメラを撮る人で、いっぱいに溢れています。

やがて、煙突から真っ黒な煙が出て、
凄い音がして、
機関車は私たちの前からゆっくり、ゆっくりと出て行きました。

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シュッポ、シュッポ。
ズドン。
ガタン、ゴトン、、、
その音と煙を見ながら、なんだか涙が出ました、、、
バイバイ、C1266。
素敵な旅を。

一通りの写真を撮ったあと、
「うわ、、、私、てっちゃんになるかも」
と、夫に大きな声で言いました。
そうだ、
今度は会津に行こう!!!
山口にも行きたい。
夢は大きく広がりそうです。
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